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プロデューサーへの手紙 松竹映画美術

   横山 豊
私が松竹大船撮影所に入社した、昭和三十八年(1963)、松竹映画は、五十七本封切られていました。その内の三十八本が、大船撮影所で製作されています。当時の資料を見ると、三十八本の作品を、十三人位のプロデューサーが担当しています。当時の映画製作は、一部の作品を除いて、そのほとんどは、映画会社が製作費を出し、俳優、スタッフは、それぞれの会社の社員、及び専属契約をした人々で撮影していました。
 プロデューサーは、作品の内容だけに集中できた時代です。

  しかし、時代は変わり、いまのプロデューサーの仕事は、シナリオの立ち上げから完成、スタッフ、キャスティング、ギャラ交渉、出資者を募るなど、その仕事内容は多岐にわたり、質、量とも四十年前とは、大変な変わりようです。しかし時代は変わっても、その最終目的は、ただ一つ、良い映画を作り、一人でも多くの人に見て貰う事です。
 私も入社以来、映画の仕事は、大船撮影所を一歩も出た事はなかったのですが、平成十三年(2000年)六月、二十世紀の終わりに、大船撮影所が閉鎖になり、今年の「釣りバカ日誌12」の撮影は、東映大泉撮影所のスタジオを借りての撮影になりましたが、東映美術の人達には大変丁寧な仕事をしていただきました。映画を作る人々の熱い心は、どこも同じだという事を痛感しました。

 映画作りは、監督、脚本、俳優、スタッフとその作品にかかわる人々、全員が、どれだけ熱い心を持って、その作品に取り組めるか、そのような、熱い環境を作るのも、プロデューサーの大事な仕事でもあると思います。
 その温度差が、作品の厚みを大きく左右するのではないでしょうか。
 映画はその国の文化です。更なる映画の未来に向けて、共に頑張りましょう。
    
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