ALL NIPPON PRODUCERS ASSOCIATON
プロデューサーへの手紙 放送評論家
大森 幸男
 テレビにとって大へんな、 文字どおり正念場の時期が来ている。 通信・放送の融合ということが声高に叫ばれ、 至上命題として独り歩きを始めた。 十分な検証のないままに 「デジタル化は世界のすう勢」 と行政は断じ、 BS不振、 CS不安、 地上波不備の状況を招きつつ、 だが直進する。 論文を書くつもりはないが、 果てもなく拡がってくる多番組化の状況の中で、 クラシカルな番組論議が一向になされないことが気になってならない。
  「釈迦に説法」 に類するが、 番組制作の最高責任者であるプロデューサー諸賢が 「テレビは文化」 だという最も基本的な、 自明の認識を持ち続けてほしいと思う。 テレビが便利な家庭の情報端末になりおおせ、 その方向に伸びていくばかりでは、 たまったものではない。 スタートして五十年。 洪水のように流れる番組群に埋没して、 ときに 「なんのための五十年だったか」 と思うことがある。
 マスを相手とするメディア特性を抱えてテレビ人たちは疾走してきた。 そこには 「テレビは文化」 であり、 「文化はつくるもの」 という担い手としての気負いが、 極めてしばしば顕在した。 いま振り返っても身の引きしまるようなドラマがドキュメンタリーが、 いくつもあった。
 それが希薄になってしまった現状は、 やはり否定しようもない。 テレビのよってもって立つゆえんは視聴者の信頼感と親近感だが、 信頼感が独善につながり、 親近感が低俗に堕しつつあること。 作り手・送り手が市場原理に左右され、 視聴率を念頭に置くのは当然としても、 ショービジネス一途に突進しては本末を誤るのではないか。
 ショービジネス・プラス・アルファ。 このアルファに大きく相当する 「文化特性」 をめぐってプロデューサーもディレクターもスタッフたちも、 もっと談論風発していい。 マスの中の 「個」 に、 なにを、 どう作り、 メッセージするか、 ということである。
 為政者や一部の人たちの片々たる批判には毫も耳傾ける必要はない。 ただし、 文化の送り手としての揺るぎない自信があって、 である。
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