出会い
六回目の 『年おとこ』 です。
トシのせいか、 過去五回を想い返す気になりました。
一回目、 その年、 日本は敗戦の混乱と失意の中にありました。 私は疎開していた山梨から東京に戻り、 ちりぢりになっていたクラスメートと再会の喜びに浸っていました。
二回目。 二十四才の私は、 東宝撮影所のスタッフとして二本の映画に参加しました。 一本は 『青い山脈』 (司葉子・宝田明主演、 松林宗恵監督)。 もう一本は 『夜の鴎』 (田中澄江脚本、 佐分利信監督主演) という異色作。
この出会いが十二年後に生きるのです。
三回目のその年、 私はテレビ部に異動となり、 テレビドラマ 『顔』 をプロデュースして居ました。 脚本・田中澄江さん、 主演・司葉子さん、 佐分利信さんでした。
この年制作した別の刑事ドラマでは、 三年後からスタートする 『太陽にほえろ!』 のパートナー岡田晋吉氏と出会って居ます。 当時、 石原裕次郎さんの邸宅は東宝撮影所のすぐ近くにあり、 私は毎日その前を通っていたのですが 『太陽にほえろ!』 の主役とプロデューサーという立場で度々お邪魔する様になるとは想像もつかない事でした。
四回目。 この年一九八一年は、 その裕次郎さんが大動脈瘤破裂の危機となった年です。 この時の様子は先般放送されたドラマ 『弟』 に描かれた通りです。 生還した裕次郎さんが病院の屋上に現れてファンに手を振る姿は生涯忘れ得ぬ映像です。 とりわけ全快して現場復帰した時の裕次郎さんの勇姿はテレビで全国放送され 『太陽にほえろ!』 は永遠なのだと錯覚しそうになる程でした。 喜びは一瞬でした。 この後、 次々と襲い来る病と斗い続けた裕次郎さんは七年後に力尽き 『太陽にほえろ!』 も終焉を迎えます。
五回目。 六十才の私は東宝から東京映画新社へ転じ、 新しい仲間と二時間ドラマと取組みます。
そして七十二才の今年。
こうして振り返ってみると、 節目々々での出会いに依って触発され力を与えられ、 幸運がもたらされ、 今日がある事を実感します。
今、 更なる"出会い"の期待に心ときめかせて居ます。 それがプロデューサーとして私の新しい泉になる事を願いつつ−。