335 2005年 11月号

2005年 社団法人 日本映画テレビプロデューサー協会
アクターズセミナー賞 選定オーディション!!
★★★
映画・テレビ業界の現場で活躍する
★★★
プロデューサーの目の前であなたの実力を試す絶好のチャンス!

   
2005年12月4日 (日) 10:00〜17:30 (受付開始9:30)
   
専門学校東京アナウンス学院 アトリエクマノ
         
東京都新宿区西新宿2−11−2
5000円 (定員70名)      
15才から40才まで
☆書類審査あり
実施プログラム
  ○第一部 『ワークショップ』 10:00〜13:00
    テレビドラマのディレクターやプロデューサーとして活躍中の講師を迎え、 実践的な演技訓練に参加・体験できます。
  ○第二部 『出会いの広場』 13:30〜14:30
    映画界テレビ界からプロデューサーがこの場に集合。 参加者と直接出会い、 自由な話し合いができます。
  ○第三部 『アクターズセミナー賞選定オーディション』 14:30〜17:30
    いよいよ自己アピールの場です。 各プロデューサーたちが俳優を発掘する意欲的なオーディションです。 審査員は業界を代表する各テレビ局、 各映画会社のプロデューサーが出席します。
参加者の中から優秀者 (昨年は5名) に 「アクターズセミナー賞」 を授与。
会場にて表彰、 撮影。
会報に掲載して会報を通じて、 各社のプロデューサーに推薦する。

・・・・・ 申し込み締切りは 2005年11月15日 (火) です。 ・・・・・

☆委員長 大多 亮 (フジテレビ)    
☆委 員 黒井和男 (角川映画) 西村与志木 (NHK) 森江 宏 (フリー)
  田中文雄 (フリー) 中曽根千治 (東映) 中嶋 等 (松竹)
  香西靖仁 (日活) 菅 康弘 (NHK) 木田幸紀 (NHK)
  鈴木 圭 (NHK) 小山 啓 (NTV) 山崎恆成 (TBS)
  土屋 健 (フジテレビ) 川島保男 (テレビ朝日) 黒田徹也 (テレビ朝日)
  小川 治 (テレビ東京) 里中哲夫 (近代映協) 藤倉 博 (フリー)
  小野伸一 (仕事) 小林俊一 (彩の会) 中尾幸男 (C.A.L)
  豊田紀雄 (現代制作舎)    
☆審査員 NHK、 NTV、 TBS、 CX、 EX、 TX、 東宝、 東映、 松竹、 日活、 角川から各1名。
その他制作会社から3名。 合計14名動員予定。
各協会の活性化は、 どのように行われているのか?A
前回の監督協会・シナリオ作家協会・撮影監督協会に引き続き、 二協会に御寄稿いただきました
日本映画テレビ照明協会 会長 熊谷 秀夫
 新人養成養育の問題。 照明技術者は後を継いでいくひとがいるのか、 疑問を持っていたが心配する事はない様で新しい作品を担当する時必ず見知らぬ新人や、 女の子も照明スタッフにいるのでほっとします。 かつては各映画会社の撮影所が定期的に新人を募集し採用した人を撮照録のそれぞれの部署に配属してスタッフの一員として撮影現場に入っていったのです。 今は各社の採用もなく新人達は学校の先輩を頼み友達に頼みそれぞれの分野に入ってくるのが多い。
 各撮影所には技術部がありベテランのキャメラマン照明技師がいて助手さん達も多く、 序列が出来ていて構成されていました。 勿論新人は一番最後のスタッフの一員となって始まっていくのです。 技師に怒られ先輩の助手さん達から酒を飲まされ技術を一つ一つ見習って覚えていくのであるが、 序列の札を見て少しでも上にあがりたいとの願望で励んだのです。 そして技術の向上の一還として他社の助手仲間が集まって新人会を作り先輩後輩のつながりを深めると同時に親睦を深めたのです。 後に技師達もこの会に加わり照明協会が生まれたのです。
 そして協会は会員の親睦は勿論の事一番の事業として技術の向上を目的として年度技術賞を選定し、 受賞者は技術者として頑張って来たのです。
 今は各社の撮影所には社員の技術者は殆んどいなく撮影所の中でもフリーの技術者ばかりです。
 フリーの中では映画学校の卒業生も多く将来映画の道を進もうとする若者達に我々は嬉しく思います。 本年度、 数本の日本映画を見ましたがそれぞれ素晴らしい技術を発揮しているのを見て嬉しく思っています。 先輩達の築いた技術を覚えそれ以上の技術を発揮しています。 「物真似も進歩の始まり」 です。 新人達がこの道に入る事、 技術を継いでくれて日本映画を守ってくれる事有難く思い、 またそれを望んでおります。
 先日オーストラリアロケに一ヶ月行って来ました。 ロケはワーナーとの提携だったのでユニオンの規約の中での条件で撮影を行ったのですが日本にない素晴らしいシステムでオーストラリアのスタッフの各パートの人達も誇りをもって撮影に取りくんでいて、 うらやましく思いました。 新人達も希望に満ちて明るく育ってくれる事を願っています。
日本映画・テレビ美術監督協会 理事長 出川 三男
  「協会の活性化」 それは各協会の長年の課題の一つです。
 何とか現状を打開しもっと魅力ある会にして皆の賛同を得たいと。
 美監協でも理事会でもいつもその話題が出ます。 そのためにはどうすべきか。 どうあるべきか。 理想論や象徴論、 よけいな理屈建前は抜きにして今我々は何をしなければいけないのか!です。
 まず会員を増やすこと。 特に少人数の美監協には切迫した問題で今映画界で活躍してるなかで入会してない人が大勢います。 以前入会していたのに先輩後輩の意見の相違に固持して止めた人。 会費三万六千円の見返りを求めて止めた人。 自分の利益にならない事には一切関わらない人。 協会を知らない人。 徒党を組まず一匹狼の人。 彼等を説得するのは大変ですが続けるしかありません。 撮影所で育った頃は先輩達にそろそろお前もどうだと、 進められて入った記憶があります。 今は顔見知りの無いデザイナー達に、 人伝に知っている人を探してコミニケーションを取る口コミ、 それも結局同じ人間関係の繋がりです。 しかし会員の数を増やせば良いわけでもありません。 会員になってもコミニケーションがとれない人が大勢います。 私ですら九十名ほどの会員で面識のある人は四十名足らず、 課題の一つです。
 逆ピラミッド化!年代層の厚みが必要で、 企業は二十代、 三十代、 四十代そして五十代と各世代が揃って始めて成り立つそうです。 そのためにもまず若い助手達の事を我々が知らなければいけません。 映像美術に関わる助手たちが果たして何人位いるのか。 彼等はどの様な環境条件で仕事をしているのか。 データを集め始めて準会員の拡大にも役立たせようとしています。
 又、 長年の親睦団体から共同組合になり事業展開を行うという大変難しい問題があります。 その一環としてフイルムセンターの 「生誕百年特集 映画監督 成瀬己喜男」 (十月三十日まで) に 「浮雲」 の再現セットを七階ロビーに展示中。 十二月三日からは 「シネマアートン下北沢」 で 「美術監督特集」 のタイトルで旧作の上映と美術監督九人のトークを開催します。 まだすぐ利益に結び付くわけにはいかない部分もありますが、 実績を積み重ね次につなげて行く事が大切です。 根強く、 そしてねばり強く努力し続けて始めて会員そして非会員の方たちの理解を得られるものと思ってます。
協会への提言A

会報は、 協会の活性化・若年層の会員拡大というテーマを連載で特集したいと思います。
 今回はその第一弾です。

松竹 中嶋 等
楽しくなければなんとやら
 私個人は、 プロデューサー協会を楽しんでいる。 いや楽しませてもらっている。
 P協会には箔がある。 会社の行き先掲示板に 「中嶋。 プロデューサー協会。 会社不戻り」 と記せば、 誰も文句は言わない。 会社の仕事とは別のことをやっているわけだが、 周囲は大事な業務を行っているのだと認めてくれる。 P協会の仕事は業界プロデューサーのためになされるのだから、 当たり前と言えば当たり前。
 前回の土屋氏が 『"なんかP協会楽しそうだね、 どうしたら入れるの?"そうなればこっちのものです』 という一文で締めくくっていた。 そもそも協会員自身が楽しめなくては、 協会に在籍していてもつまらないはずである。 協会員が興味を持てない協会は、 外部の人からすれば魅力的にみえない。 自ずと会員を増やすことも不可能。 氏のご指摘は鋭い。
  「協会の活性化と若年層の会員拡大」 とは古くて新しい、 全くもって難題である。 それにつられ抽象論や精神論での解決策、 現状分析と批判を書いても、 絶対に実が伴ってこない。 大上段に構えず、 会員個人のレベルで、 具体的に何をなすべきか、 現実的なアクションの起こせる方策とは何かを考えていくことが必要である。
 冒頭、 私個人は協会を"楽しんでいる"と書いた。 「お前は協会の何処が楽しいのか」 と問われた方も多いのでは。 答えは簡単、 協会員との出会いが楽しいからである。 名のあるテレビ局、 製作会社のプロデューサーたちと直接会え、 その姿を見聞する機会を得られるからである。 いくつかの委員会に出席すると、 プロデューサーたちの個性豊かな話し振りと発言内容には、 大いに関心を引くものがある。 では、 他の会員はどうすれば協会を楽しめるのか?そもそもプロデューサーとは、 どうしたら人に楽しんでもらえるかを思案する人種である。 同様にどうすれば会員を楽しませるか皆で考えてみてはどうか。 「そういうお前も考えろ」 と、 また言われるだろうが、 字数制限でこれまで。 否、 次回引き続き、 僭越ながら私なりの具体的な提案をしてみようと思う。

私の新人時代
                テレビ東京 不破敏之
 私の入社した頃のテレビ東京 (当時は12チャンネル) はドラマといえば映画部が発注するフイルムによる時代劇のみで所謂VTR収録によるスタジオドラマは中断されていた時期でしたが、 外部の制作会社に制作依頼する形で再開する事になり、 ドラマ制作を目指していた私は勇躍志願しADとして制作会社である当時創立間もない 「テレビマンユニオン」 へ通うことになりました。 あの頃のスタジオドラマは全盛で 「ありがとう」 (TBS) や 「3丁目4番地」 (NTV) 「松本清張シリーズ」 (NHK) などヒット作品や問題作が軒並み放送され、 民放各社はじめNHKは素晴らしい演出家を輩出、 映画界を凌駕する内容や質を誇っていた時代で 「なんとか自分達も!」 の思いで毎日必死で先輩スタッフについて行ったものでした。
 放送は東京12チャンネル、 収録スタジオは河田町にあったフジテレビ、 演出は元TBSと様々な人々が参加する事になりその後のドラマに係わる私の仕事の人脈に大いに役立つ事になるのですがスタジオドラマ経験の全くないまま参加した為、 キューの出し方、 稽古、 カメリハの段取り、 複雑なスタジオのセット回しと役者のスケジュールを計算して作る収録スケジュール表作りなど、 それまで教えられてもらったAD業務が役立たず、 旧フジテレビの迷路のような廊下をただただ体力のみを駆使して走りまわっていました。 それでも当時演出を担当された今野勉氏はそんな我々の失敗を見つめつつ優しく、 収録後スタッフルームで 「イマジナリーライン」、 「演技の流れ」 などスタジオドラマのイロハから、 ご自身もAD時代、 失敗の悔しさからTBS局舎屋上で涙した経験まで語っていただいたのが強烈な想い出として残っています。
 VTRによるロケーションがまだ容易ではなくスタジオセットだけでドラマを制作していた最後の時代の様でしたが、 演出家がスタジオと言う空間を最大限に利用しつつ、 本読み、 ドライと進みながら、 脚本家、 役者と格闘してゆく様は若い頃演劇しか興味なかった自分を強く刺激し、 その後の生き方を大きく方向づけてくれた時代でした。
社会的責任を感じています
「映画人の墓碑の会」 理事長 野原嘉一郎 (功労会員)
 私は、 共同映画 (株) の代表を23年務め、 長短あわせて60本余の映画の製作・配給に参加しました。
 前任者故坂斎小一郎氏夫人から 「主人のお墓をつくっても子どもがいないので墓守の自信がないので、 其の資金を映画人共通のものに」 という提案から、 「映画人の墓碑」 建立・会の発足となったのです。
 13年を経過した今日では、 合葬者二三○名生前予約者二○四名関係者総数は、 五六一名に達し、 このお墓を必要とする方の多さに、 驚いているところです。
  「共同墓」 に対する認識が常識的範囲にまで広がったものと感じております。
  「墓碑」 は、 東京都墨田区で最も古い寺 「多聞寺」 の境内にあります。
 皆様のご理解・ご協力をお願い致します。      (詳細は事務局に問い合わせて下さい)

   連絡先 東京都港区赤坂6−2−4水戸幸ビル 日本企画内 「映画人の墓碑の会」 
   T E L 
03-3584-0338
   HPアドレス  http://www.kyodo-eiga.co.jp/bohinokai2.htm
退会 田中 猛彦 (CX)    大野 晴雄 (TX)
◎訃報 功労グループの大野忠氏は去る九月二十二日逝去されました。
心からご冥福をお祈り致します。
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◎第39回親睦ゴルフ会開催
 10月7日 (金) 相模カンツリー倶楽部は素晴らしい晴天に恵まれ23名のメンバーが腕を競い親睦を深めました。 (高橋氏は初参加のため準優勝となりました。 )
氏  名
優 勝
香月 純一
48
53
101
26
75
準優勝
高橋 信仁
51
50
101
28
73
3 位
岩渕佐津夫
50
40
90
11
79
(親睦委員会)
 ○会議の記録
10月6日 (木)
エランドール賞委員会
(事務局)
10月11日 (火) 会報委員会
(事務局)
10月21日 (金) 第4回定例理事会
(東映本社)
 ○会議の予定
11月11日 (金) エランドール賞委員会
(事務局)
11月14日 (月) 会報委員会
(事務局)
11月22日 (火)
第5回定例理事会
(NHKエンタープライズ)
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