映画と出版の連動!
かつて「読んでから観るか、観てから読むか」、という名コピーがありました。
メディア・ミックスの現在を探ります。 |
|
会報委員 堀口 慎 (東宝) |
原作と映画の関係
19世紀後半に誕生した新しい芸術・メディアである映画が、 先行する小説や伝統演劇に原作を仰ぎ、 進化してきたことは言うまでもないことであり、 何を今さらとお思いかもしれません。 しかし、 近年、 映画と出版がジョイントして大きなムーブメントを起こし大ヒットへと導くという例が、 多く見られるようになっています。 自らも出資し、 製作委員会に参加する出版社の数も増えてきています。 映画がヒットすることで、 原作も売れる、 その相乗効果はますます大きなものになっているようです。
実際、 映画がヒットしたことにより、 ベストセラー作家の地位を確かなものとした原作者の方もおります。 また、 福井晴敏さんは、 本年 「ローレライ」、 「戦国自衛隊」、 「亡国のイージス」 と3本の原作が映像化されることとなり、 福井イヤーの様相を呈しています。 このうち、 「ローレライ」 では、 樋口真嗣監督による映画化を前提として小説を執筆されました。 クリエイター同士のコラボレートという新しい機軸を打ち出して、 より深く映画化に関与したと言えましょう。
この後に続く 「四日間の奇蹟」 「電車男」 「フライ、 ダディ、 フライ」 「姑獲鳥の夏」 「イン・ザ・プール」 「博士の愛した数式」 といったベストセラー小説の映画化、 或いは 「蝉しぐれ」 「春の雪」 といった未映画化の名作小説の映画化に大いに期待したいところです。 |
さらにもう一点、 近年顕著なのはコミック原作の映画化の増加です。 「ピンポン」 の成功により拍車が掛かった感がありますが、 奇しくも同じ公開日となった 「隣人13号」 と 「真夜中の弥次さん喜多さん」 を見ても、 コミック原作の映画化ならではの表現がなされた作品と言えましょう。 これは、 プロデューサーや監督の世代が若返り、 コミックと慣れ親しんで育ってきた世代が映画を作り始めたということもありますが、 CGを中心としたVFXの進化が大きな要因と言えるでしょう。 今後も 「NANA」 「タッチ」 「ALWAYS三丁目の夕日」 「逆境ナイン」 「東京ゾンビ」 といった作品が公開されてゆきます。 改めて言うまでもなく、 小説・コミックと映画は異なった表現様式を持つものであります。 原作ファンの期待を裏切ることなく、 なおかつ、 原作を読んでいない観客を楽しませることが出来る脚色がなされていること、 これが、 観客・映画製作者・原作者・出版社すべてに喜びをもたらす必須条件であると思われます。
一方で、 昨年の 「スウィングガールズ」、 本年の 「北の零年」、 先日試写を拝見した 「リンダ リンダ リンダ」 のようなオリジナル・シナリオによる秀作を生み出すことも、 映画プロデューサーとしての責務であるとも感じるのであります。
|
|
東宝 市川 南 |
小説の 「世界の中心で、愛をさけぶ」 を読み終わり、 「確かに泣けるが、 高校生主役の難病ものになってしまう」 と思いました。 博報堂の春名プロデューサーの 「大人の主人公と婚約者の部分を膨らませたい」 というアイデアを聞き、 それならいけそうだ、 と感じました。 高校生の 「純愛と死」 の話に20代の恋愛の話が加わり、 配役も高校生キャストだけでなく、 20代の俳優も加え4人の主役になり観客層も広がるのではないか、 しかも私自身も見たい映画になる、 という思いでした。 脚本を 「東京ラブストーリー」 などの坂元裕二さんに依頼、 撮影直前に行定監督、 伊藤ちひろさんによる直しを経て撮影に入りました。 「現在軸を増やす」 というアイデアが映画版 「セカチュウ」 脚本の最大のポイントだったと思います。
「いま、 会いにゆきます」 の脚本は、 土井裕泰監督のテレビドラマでの名コンビ・岡田惠和さんに依頼しました。 原作の持ち味を忠実に押さえつつ、 「死んだ妻が甦る」 というファンタジーを極力押さえ、 夫婦の愛、 親子の愛を、 普遍的な感情としてきちんと描く 「人間ドラマにする」 狙いです。 岡田さんの発明は、 映画のラストで妻の遺した日記帳による回想を加えたことです。 その結果、 輝かしい純愛の記憶が見事に描かれ、 出会ってから妻が死ぬまで、 片思いと信じ込んでいた夫が、 実は最初からふたりは両思いだったことを知る、 というエピソードになりました。 |
|
現在、 三島由紀夫さん原作による 「春の雪」 を行定勲監督で撮影中です。 これは藤井浩明プロデューサーの企画を、 佐藤信介さん、 伊藤ちひろさんに脚本をお願いしました。 三島文学の味を大切にしつつも、 いまの時代に向けた瑞々しい青春映画、 普遍的な恋愛映画になりそうです。 今秋公開、 ご期待いただければ幸いです。
|
|
東映 プロデューサー 中曽根千治 |
 今、 「四日間の奇蹟」 (6月4日公開) の仕上げ作業と共に宣伝展開の真っ只中で、 この原稿もぎりぎりになってしまいました。
映画と出版のコラボレーションというテーマですが、 これからますます重要になってくるでしょう。 ベストセラーを映画化するのがヒットさせる近道ですし、 出版側からは、 映画化することによって又本が売れるわけですからお互いに好都合と言うことになりま東映 プロデューサー 中曽根千治
今、 「四日間の奇蹟」 (6月4日公開) の仕上げ作業と共に宣伝展開の真っ只中で、 この原稿もぎりぎりになってしまいました。
映画と出版のコラボレーションというテーマですが、 これからますます重要になってくるでしょう。 ベストセラーを映画化するのがヒットさせる近道ですし、 出版側からは、 映画化することによって又本が売れるわけですからお互いに好都合と言うことになります。 しかし小説と映画という違うジャンルなので、 その間でプロデューサーがいろいろな苦労を重ねて映画化にたどり着いているのが現状だと思います。 又ベストセラーの映画化権を取るのも大変です。 |
プロデューサーとしては、 小説を読んだときのひらめきと情熱が映画化するための不可欠な要素だと思います。 「四日間の奇蹟」 で言えばプロデューサーと監督とで情熱を込めてお願いをして原作者の浅倉さん、 そして宝島社から映画化の了解をいただき、 それからすぐに宝島社の宣伝部と宣伝戦略を練り上げました。 映画化権を取ったあと文庫化して急速にベストセラー化したのは、 原作に力があったということをあらためて認識すると共に、 先見の明があったのかなと思っております。
「四日間の奇蹟」 においては出版だけではなく、 テレビ、 出版流通、 新聞、 音楽 (主題歌)、 インターネット、 携帯サイトと幅広くコラボレートして行こうと思っております。 それが掛け算となって広がるように頑張っております。
将来的には映画の作り手が力をつけてオリジナル作品で勝負をして、 後から小説化というコラボレーションができればと考えております。 |
|
(株) アルタミラピクチャーズ
代表取締役・プロデューサー 桝井省志 |
実のところ、 私たちのような小さな製作プロダクションのプロデューサーの辛いところは、 ベストセラーや話題となっている原作の映画化権をなかなか獲得できないことにあります。 原作権獲得交渉にあたって、 出版社から矢継ぎ早に尋ねられることは、 監督は? 撮影時期は? 製作規模は? 共同出資者は? そしてキャスティングは? 配給会社は? と言った具合で、 そのような数々の難題に初めから回答を用意して、 強豪ひしめく原作交渉戦線に臨むのは、 われわれにとっては到底無理というものです。 そんなわけで、 そのような勝負はハナから諦め、 「気ままにどことも競合しないオリジナル企画でも立ててみるか」 というのが、 オリジナル脚本作品を作ることの偽らざる本音です。
それは、 原作者や編集者の顔色を伺わずにのびのびと映画のためだけに企画を考えられるのですから、 自由な発想は倍増し、 楽しいことこの上ないのは事実です。 例えば、 『スウィングガールズ』 の猪に追いかけられる松茸狩りのシーンは、 そんな制約の全くない環境から生まれた愉快なシーンなのです。 私達のオリジナル作品は、 おおよそちょっとした思いつきから始まるのが常で、 企画段階では物語の全容は皆目見当もつきません。 ゼロから物語を構築する過程は、 やはり荒波を行く難破船のようで、 いったい何処へ辿り着くのか誰にもわかりません。
それでもなんとか数本を実現することができました。 それは言うまでもなく、 優れた脚本とそれと根気よく付き合ってくれた共同製作者達がいてくれたからでしょう。
「Shall we ダンス?」 も、 周防監督の最初のアイデアは、 電車の中で足を踏んだことで出会った男と女のラブストーリーでした。 タイトルは 『シコふんじゃった。』 の次の作品だから、 『足ふんじゃった。』 で行こうかと。 こんないいかげんな思いつきから始まった企画が、 よもやアメリカまで渡ってリメイクされることになるとは。
また、 「ウォーターボーイズ」 は埼玉県川越高校水泳部、 「スウィングガールズ」 は兵庫県高砂高校ジャズバンド部が、 脚本のアイデアのもととなっていますが、 果たしてこれをどういう映画にするかというと、 正直、 アイデアだけを抱えて初めは茫然としていました。 しかし、 脚本家・矢口史靖は、 既成の事実に発想を矮小化されることなく、 オリジナルストーリーを実にのびのびと羽ばたかせてくれました。 優れた作家は、 常に私達に楽しい作業を提供してくれます。 彼がいてこそ、 ひょんな思いつきがりっぱに映画という形へと姿を変えたのです。
そろそろ私、 無能なプロデューサーは、 またも無責任なアイデアだけを投げ出して、 再び優秀な作家達に苦労を強いることになりそうです。
|
|