
僕がTBS (当時はラジオ東京/JOKR−TV) に入ったのは昭和三十四年 (1959) で、 先行テレビ局としてはNHKと日本テレビがあり、 フジが開局した年であった。
その頃テレビはモノクロ生放送の時代で"電気紙芝居""一億総白痴化の先兵"と言われていた。 一方半世紀を超える歴史を持つ映画は"第七芸術"として確固たる地位を築いており、 日本映画の観客動員数はピークを記録していた。 後発のテレビは未だ海の物とも山の物とも判らぬ存在だったが、 もしかしたら映画とは全く違う新しい世界を生み出すことが出来る分野かも知れぬと思い、 その可能性に惹かれて僕はテレビを選んだ。
当時のテレビは確かに稚拙ではあったが、 皆が開拓精神に溢れており失敗を恐れず様々な表現手法の開拓に夢中になっていた様に思う。 とにかくやってみようの精神でまたそれが許された時代でもあった。
間もなくTBSは"ドラマのTBS"と言われ始めたが、 先頭に立ってドラマを牽引していたのが 『私は貝になりたい』 の岡本愛彦、 『マンモスタワー』 の石川甫の両氏であった。 僕達は此の二人の大先輩に絶大な敬意を表しつつ、 同時に乗り越えなければならぬ存在と捉えてもいた。 両氏以外にも目標となる多くの優れた演出家が存在していたことは僕等にとって非常に幸運であった。 今はこういった存在の先達が非常に少ないことがテレビをつまらなくしている一つの要因でもあろう。 だがこれはテレビの分野に限ったことではないかも知れない。
時代が移り、 テレビも著しく変わった。 昨今テレビの技術的進歩は目覚ましく隔世の感がある。 だが番組の内容がそれに比例して豊かになっているかといえば必ずしもそうではない。 今のテレビはテレビ特有の作劇法を忘れている様に思える。 テレビでなければ出来ない斬新な表現 (手法) を、 僕達はもう一度初心に帰って創り出す必要があるのではないだろうか?
僕達が今出来ることは後輩諸君の刺激になる様な番組を造り続ける事しかないと思う。