334 2005年 10月号

各協会の活性化は、 どのように行われているのか?

杉田会長が提起されているようにプロデューサー協会の年齢構成は、 完全に逆ピラミッド化しており、 若年層の会員拡大と協会全体の活性化が課題となっています。 解決への道を探るべく“兄弟団体”がどのような認識を持ち、 取り組みを行っているかをご寄稿頂きました。

日本映画監督協会 理事長 崔 洋一
 世代交代とは、 言うが易し行うは難し、 の通り理屈ではなかなか割り切れない。 特に我々映画監督にとって、 若いから感受性に溢れ、 感性豊かであるなんてことを信じる者は皆無だろう。 その時々の若い世代に反映するのはせいぜいその時代の先端やその相貌の核にいる、 との意識的な自覚であり、 無意識の多数派を構成する帰属概念の錯誤くらいのものである。
 確かに、 僕らが若いころ、 上につっかえていると見えた世代の鬱陶しさは大きく重いものだった。 が、 しかし、 ベビーブーマーの子供たちとしては何しろ生まれてからこのかた嫌がおうでも、 競争原理の中で育まれてきたから、 上であろうが下であろうが立ちはだかるものはすべて敵的な発想は確かにあった。
 それでも、 映画という仕事は世代で割り切れるような仕事ではないことくらいの自覚は持ちえた。 それは、 森羅万象、 世界を相手の創造行為として映画作りや物語の創造に年齢は基本的には関係ないからだ。
 監督協会に入会して二十五年。 つい、 最近まで“若手”と呼ばれていた。 監督協会は僕が入会時にはまだまだ、 撮影所育ち (旧五社) が中心で三百人台の組織だった。 したがって、 各々がそれなりに協会員の人となり、 作品歴なりを自然に知り、 また、 縦と横の関係はそれなりにスムーズに交差していた。 が、 時代は大きく変わった。 監督や先輩助監督の流れに沿って入会が極々普通のことだった監督協会もまた、 時代の波とは無縁ではなかった。
 インディペンデントの監督たちの勃興は大きく協会の性格を変えていったのだと思う。
つまり、 顔を知っている関係から、 そんなことは本質ではなく互いの主張と主体性が重んじられる協会への道だ。 これは端的に言えば映画界の変貌でもある。 様々なジャンルの監督たちが世代を越えて協会に集結している。
また、 協会も自然人、 人間としての基本的権利の獲得や表現のさらなる幅の広がりのための協会、 運動体としての性格が強くなってきた。 それは大量の会員の増加へとつながり、 より強い団体への道を選択することになるのだが、 いくつかの迷いも同時に生ずることになる。 残念ながら互いの顔が見えづらくなっていることだ。 これは現在の映画、 映像界の仕組みがそれを強いているのだが、 個人的な心情としては顔の知らない者同士が同じ場所にいる不思議さは時として淋しい気もするのだ。 いかにして、 この不思議さと時代の趨勢の混在から、 分かりやすい多層化にむかうのかを推進するのが多分、 良い歳になってしまった我々の大いなる課題なのだと思う。
シナリオ作家協会 組織強化委員長 我妻正義
組織活性化の取組について
 大勢で一緒に歌うことで、 みんなの気持ちがひとつになって、 心温まる情景がそこに生まれる。 カラオケに籠ってひとりで歌う自己満足とは、 違う感動があると、 作詩家の丘灯至夫が言っている。 組織の活性化とは、 何だろう?映画関係の組織の最も大きな問題は、 撮影所が支配していた時代と、 それが衰えてフリーとなった時代の人との断絶にあることは間違いない。 それをふまえてみれば、 高齢化の問題ってのは歳の問題ではなく、 大勢で一緒に歌ってみんなの気持ちが一つになりたいって人と、 籠ってひとりで歌う自己満足にひたる人との思いの違いで、 両者の間には時代というものが横たわっている。 その差はそのまま、 日本映画の伝承と発展のさまたげとなり、 日本映画を担って来た多くの人々のイラ立ちの原因ともなっている。 今や、 撮影所育ちの大先輩の作品を若い会員は観ないし、 そうした先輩達への尊敬の念も薄れて、 わびしい現場で苦しんでいる自分には関係ないゼとそっぽを向く。 映画学校の生徒達を見ても、 皆で一つのものを作る祭りダ、 という感覚はなく、 一人でシコシコビデオを回したりしてる。 作家協会では組織強化委員会として、 総会で提出された課題、 “選挙の投票率の低下”“委員会メンバーが固定しやすい”“総会・忘年会に参加する会員が少ない”“協会の運営が分かりにくい”などの問題に応えるために、 新人説明会や情報開示の推進、 無所属の脚本家に入会を促し、 忘年パーティーなどの参加者対策に取り組んでいる。 だがしかし、 ことの本質は昔の映画人は輝いていて、 金も持っていて、 それに引きかえ今の自分達はあまり必要とされていなくて、 金もなくて、 面白いってなんなのかも良く分からなくて、 無力で、 なんだかなァと思っていて、 ともに面白いことをするんだ、 皆で歌を歌うんだ、 いい映画を作るんだと求心してゆくムーブメントを持ち得ないということなのである。 近頃は若い奴に会うと、 ケータイとテレビとオナニーをやめろと言っている。 そうすると、 必らず人を恋しくなるからと。 人が人を求める、 それぞれの顔を見て肩を組む、 いいものを互いに作ろう、 それにふさわしい地位と権利を得ようそれが組織の第一歩だから。
日本映画撮影監督協会 佐々木原保志 (JSC)
『語るに落ちるを怖れず、 語る』
  「日本映画撮影監督協会JSC」 の歴史は半世紀を越えるのですが、 現在の協会員の内実は様々で、 高邁な理想に燃えた或いは公正な互助精神に則った創立時の精神性はどうひいき目に考えても、 その乖離や喪失を思わざるを得ません。 時代の趨勢を思えばやむを得ない変化であり、 自らに引き寄せてみても言い訳のあれこれは別にして、 複雑な進歩と変革に飲み込まれる現実に立ちくらんでいる情けなさもあります。 私見ですが敵や味方、 ものの真贋を心あらば見分けやすかったであろう、 のどかな良き時代に一線を画しても、 一に変わらないのが人間関係の大事さだと思います。 我々の仕事は少々特殊がつきものですが、 決して特別なものではありません。 一個人として凡々たる日常を上手くやり過ごせない不器用さも持ち合わせたりしますが、 目標が定まれば働き蜂もかくやと個々の集積の見事さを魅せます。 しかし反面、 大所高所の見解を失いやすく、 現場ヒエラルキーの指揮に掛かる荷重は重く、 ミスは2度ならず許されない程の厳しさもあります。 先進を行く国々のようなユニオンやギルドを持つ業界ではないので、 我々は半端この上もない絵図の上に泣き笑いながら裸で転がっているようなものです。 仕事が真に好きなのは勿論ですが、 我々は本物の健康な馬鹿なのです (或いは不健康なそれ)。 馬鹿は死ぬまで治らないのか、 死んでも治らないのか。 分からない死に様を考えてもしょうがないから生き方を仲間と語る方が正解には届かずとも充実感があります。 例えば寡黙は美徳ではなく単に性格などであり、 時に沈黙を守るは徳ともなり得るが適宜、 適切な言葉は普通に必要なことです。 時代の多様性に己をしばしば見失いがちにもなりますが、 知己を得ることで心身のみならず、 仕事でも助け合うことがままあります。
 風潮に胸襟開きにくいは知れたことですが、 彼を知り己を知らば道もつきます。
 語るに落ちるを怖れず語る、 若さバカさは時を越え、 肝胆照らす一杯の酒。
 JSC毎月の 「一日会」 は世代をタテヨコ斜めにする談論風発のフリーゾーンです。

協会への提言

会報は、 協会の活性化・若年層の会員拡大というテーマを連載で特集したいと思います。
 今回はその第一弾です。

フジテレビ 土屋 健
 若い会員の視点で、 プロデューサー協会に対して提言をと原稿を依頼され、 若輩ものの私が何を書くべきか悩みましたが、 思い切って忌憚なき意見を書かせて頂きます。
 私が協会員に加わり、 会報委員、 そしてエランドール賞委員としての活動のお手伝いをするようになったのは、 2年前のことでした。 日本映画プロデューサー協会の存在すらよく知らないまま、 誰のために、 何をしているのか、 わからないまま実務をこなしていたことを思い出します。 日本映画製作者協会が、 時代の変革とともに、 日本映画テレビ製作者協会に生まれ変わったのが、 1971年。
 映画とテレビという全く袂を分ける2つのグループが手を組んだのは、 当時としては、 非常に画期的だったはずです。 現在においても、 映画そして、 テレビという映像に携わる一流のプロデューサーという立場の人間が一堂に集まる協会は、 他に類を見なく、 その力は非常に大きく魅力的であるはずです。 しかし、 実際はどうでしょうか?
 協会の持てる力を充分に発揮していると言えるのでしょうか?それは、 現在プロデューサー協会が抱える高年齢化という問題と切り離せないと思います。 482名の会員のうち、 半数が60歳以上であり、 私を含む40歳未満の会員はなんと5%にも満たないのです。 私の職場に目を移しても、 実際の番組を次々と作っているP達は同世代であるに関わらず、 自らP協会に入ろうとする人間は一人もいないのです。 それは、 プロデューサー協会が若い会員にとって魅力的な会でないからではないでしょうか。 若い会員が少ないから、 若い会員に掛かる負担 (例えば実質的に実務など) はますます増加し、 総会に出席しても会話する同世代の会員もいない。 この構造を無理やりにでも変えない限り、 本当の意味での変化は起こらないのではないでしょうか。 例えば、 ヒット作を出した人間は強制的 (?) に参加させ、 その人間をP協会そのものが暖かく迎え入れていく。 そんな心構えが、 P協会諸先輩にも必要なのではないでしょうか。 若手会員にとって、 同世代のヒットPが多く在籍していることは、 魅力のひとつになると思います。
 同世代だけでなく、 憧れの名作のPである諸先輩がこの会に多く在籍していらっしゃいます。 そんな諸先輩から、 話を聞いて見たい。 非常に刺激的で、 自分の財産に転化できることが沢山あるはずです。 確かに、 時代は違うかも知れませんが、 成功談、 失敗談、 ものを作るハートやそこに至る過程や裏話は後輩である我々に勇気と知恵を与えてくれるはずです。 手はじめに、 何人かの諸先輩との交流会を企画してみるのはどうでしょうか。 規模は小さくていいのです。 少人数、 有志、 会費制。 話を聞きたい先輩は沢山います。 まずは、 若き会員である現若手会員が、 得 (そこから、テレビと映画連動の話が動きだしたり、 昔の原作のリメークがOKになったり、仕事にならなくとも楽しいひと時だけでも) をしなければ、 新たな会員は獲得できないと思うのです。“なんかP協会楽しそうだね。 ねえ、 どうしたら入れるの?”そうなれば、 こっちのものです。 諸先輩方まずは、 わずか5%の若き会員をご贔屓にお願いします。

私の新人時代
                大映 島田 開
 日本の映画界にプロデューサーシステムが定着したのは、 それほど古くはないように思う。 あいまいな記憶ではあるが、 昭和四十年頃までは、 映画のクレジットに製作とか企画とかの文字はあっても、 プロデューサーという名称はほとんど見掛けなかった。 当時のプロデューサー的仕事について云えば、 監督や脚本家の選定、 それに脚本の仕上がりまでは、 製作者や企画者が仕切り、 それ以後の撮影現場は製作主任の手に渡っていたはずである。 当協会の前身である 「日本映画製作者協会」 が発足した当時、 名刺にプロデューサーという肩書きのある方はいらしたであろうか。 ほとんどが製作や企画という名称ではなかったか。 そんなことを考えると、 日本映画界において初めてプロデューサーというクレジットを使用した映画は何か、 またそれは誰れなのか、 大変興味ある処である。 御存知の方があれば、 教えて欲しいと思う。
 映画界よりも先にプロデューサー制を敷いたのはテレビ界だったのではないか。 それが、 映画会社とテレビ局とのテレビ作品の共同製作、 そして映画作品の共同製作が頻繁になるに及んで、 徐々に映画界にもプロデューサー制が浸透していったというように記憶する。
 私が、 プロデューサーの辞令を受けたのは、 昭和五十年前後であった。 後にプロデューサーという肩書きのある名刺を手にして、 いささか違和感を持ったというか、 なじめない気持ちを抱いたのも確かである。 その因は、 私一個人の意識によるところ大であったかもしれないが、 まだプロデューサー制というものが一般化・普遍化していなかったという事情も手伝っていたとも思われる。 当協会が、 プロデューサーという名を持つ 「社団法人日本映画テレビプロデューサー協会」 として成立したのは昭和五十一年とあるから、 この頃からプロデューサー制が一般化したというべきなのだろう。
 私の居た関西は市場の狭い処であったが故に、 映像と名の付くものには何にでも手を出した。 映画、 テレビは勿論、 記録映画、 同和対策映画、 そしてCMというようにである。 ある意味では面白かったし、 勉強になったのかもしれないと思っている。
● 「東京国際映画祭」 のご案内
  第18回東京国際映画祭は10月22日 (土) から10月30日 (日) までの間東京・渋谷と六本木を中心に開催されます。
 期間中、 招待券はありませんが映画祭参加IDカードが発行されます。 枚数が非常に少なく制限がありますので、 参加希望の方は、 あらかじめ電話またはFAXで事務局にお申し込み下さい。
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開催決定!! 2005年 アクターズ・セミナー
○開催日 2005年12月4日 (日)
○場 所 東京アナウンス学院
○参加費 5000円
○年齢制限 (15才から40才まで)
○内 容 (第一部) 「ワークショップ」
(第二部) 「出会いの広場」
(第三部) 「アクターズ・セミナー賞選定オーディション」
 
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第五十回 「映画の日」 永年勤続功労賞
  平成十七年当協会届出分の受賞者は次の四名の方です。
 おめでとうございます。
 
田中文雄 (東宝)   岡田裕 (日活)   結城良煕 (日活)   山本洋 (大映)
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◎正会員入会 酒井浩至 (NTV)   鈴木早苗 (TBS)   太田 哲夫 (TX)   松本 篤信 (TX)
◎退会 大津山 潮 (NHK)  音成 正人 (NHK)  川合 淳志 (NHK)  小見山佳典 (NHK)
土屋 秀夫 (NHK)  松本 守正 (NHK)  山本 秀人 (NHK)  一杉 丈夫 (EX)
中村 孝昭 (F)  田中 康義 (功労)
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 ○会議の記録
9月12日 (月)
会報委員会
(東映本社)
9月15日 (木) アクターズ・セミナー委員会
(事務局)
9月21日 (水) 第3回定例理事会
(NHKエンタープライズ)
 ○会議の予定
10月6日 (木) エランドール賞委員会
(事務局)
10月11日 (火) 会報委員会
(事務局)
10月21日 (金)
第4回定例理事会
(東映本社)
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