340 2006年 4月号
映画の学校2 ・・・ 堀越謙三 (東京芸術大学 大学院映像研究科 映画専攻教授 )
             児玉高志 (東京工芸大学芸術学部 映像学科 教授)
             高橋克三 (映画専門大学院大学 事務局長)
只今撮影中 ・・・ 銭谷雅義 (NHK)
私の新人時代 ・・・ 丹羽多聞アンドリウ (ビーエス・アイ)
事務局だより
          
映画の学校2

 桜咲く4月です。 新入学の季節になりました。
 昨年に続き、 次代を担う人材を育てる 「映画の学校」 を特集します。


東京芸術大学 大学院映像研究科 映画専攻教授  堀越 謙三
 日本で唯一の芸術系国立大学である東京芸術大学が、 昨年4月に大学院映像研究科映画専攻を新設したということは、 国の施策的には 「国立映画学校」 を設立したのと同義となる。 従って研究的領域は博士課程新設の際に検討するとし、 修士課程は芸大の他の学部同様に作品制作中心の実作主義でいくことにした。
 それでも 「映画づくりは現場でしか覚えられない」 との批判は当然巻き起こる。 では学校で映画づくりを学ぶ意味は何か?親しい 「現場のプロ」 の方々と議論を重ねた。
  「映画のプロフェッショナルを養成する。 その場合のプロとは、 広義の商業的枠組の中で一生映画にかかわっていこうとする人を言う」。 監督領域を担当する黒沢清氏の言葉に、 本学の方針は端的に表現されている。
 1学年で監督・脚本領域各6名、 製作・撮影照明・美術・録音・編集領域各4名の総数32名 (平均26才) に、 2年間映画漬けの生活を強制している。 監督専攻で言えば2年間で、 監督作品を最低6本 (ドキュメンタリー、 TVドラマを含む) と、 助監督等スタッフとして6本の現場に参加することが義務づけられ、 年7か月が制作現場となる。 講義やゼミ・実習も年に20週あるので、 年に2週程度の休みしか与えられない。 また2年間で200〜250本の映画を大学で観ることになる。
  「アジアの中での映画づくり」 というのも重要なキーワードで、 来年には日中韓の映画学校生の混成スタッフによる3本の短編映画制作を予定している。 社会の急速な商業主義化によって製作費の高騰を招き、 当たる映画以外は製作が困難な状況にある中国、 そしてハリウッド的手法で大成功している韓国映画の状況に危機感を感じている韓国映画人たち。 学生の時代から交流することでアジアの映画、 アジアの市場を意識させるのが狙いである。


東京工芸大学芸術学部 映像学科 教授  児玉 高志
 東京工芸大学は、 1923年に日本初の写真学校として創設された小西写真専門学校が、 戦後に東京写真大学となり、 さらに発展を遂げて、 工学部と芸術学部の2学部10学科の総合大学となったものです。 芸術学部は伝統ある写真学科と映像、 デザイン、 メディアアート表現、 アニメーションという、 全てメディア系に特化したユニークな学科構成です。
 94年にスタートした映像学科は映画、 TV、 ビデオ、 CM、 CG制作、 イベント映像制作など、 あらゆる分野の新たな映像文化の創造に、 貢献できる実力を備えた人材の育成を目指し、 各学年約100名の学生を指導しています。
 カリキュラムの特徴は、 厚木キャンパスで学ぶ1. 2年次では、 映像についての基本的な概念や歴史、 機材操作に関する知識や技術、 シナリオ作成やPC演習など、 映像の基礎を幅広く学びます。 中野キャンパスで学ぶ3年次からは、 豊富な専門の選択科目が用意されると共に、 「映像表現」、 「映画」、 「テレビ・ビデオ」、 「映像造形」 の4つの研究室に分かれて、 その分野の専門教員による指導を受け、 映像に関する専門知識や技術を高めていきます。 このクサビ形カリキュラムにより、 幅広く学ぶ中から自分の志向性に合った分野を発見し、 その分野に自分の進路を深化させていくことが可能なのです。 また、 学生達の自主的な創作活動を、 積極的にサポートする体制をとっています。
 映像学科は、 本格的なサブ調整室を備えたスタジオ、 16ミリフィルムカメラやHDビデオカメラなどを使い、 カメラワークやライトを駆使しての映像制作が可能なスタジオ、 背景を自由に合成して収録できるバーチャルスタジオなど、 様々な施設や機材を使用し、 映像業界のプロを講師として呼び、 実践的な実習授業をおこなっています。 それらの授業を通して、 次代の映像文化、 映像業界を背負う人材を輩出したいと思っております。

http://www.t-kougei.ac.jp/

映画専門大学院大学 事務局長  高橋 克三
 東放学園は今から34年前、 1942年に誕生しました。 テレビ局が制作技術や番組制作を外注にシフトさせていく頃で、 そのためにたくさん生まれてくる技術・制作会社のスタッフ需要に応えるためでした。 その後、 テレビ局に音楽・芸能・映画が集中していくことにともない、 東放学園も音楽・芸能・映画の専門学校を創立していきます。 まさにテレビというメディアと軌を一にして東放学園は発展してきたといえます。
 昨年の12月5日に東放学園が寄付を行い設立準備を進めてきた映画専門大学院大学の設置が文部科学省より認可されました。 日本では初めての映画プロデューサーの育成を主軸とする大学院です。 校舎は都庁近くの西新宿にあり、 授業時間も平日夜と土日昼、 そしてインターネットでの教育サポートを行うなど、 社会人が勉強できることに主眼を置いた環境づくりを追求しました。
 でも、 専門学校での専門教育に誇りを持ち多くの卒業生を送り出してきた東放学園がなぜ大学院をと思われる方も多いと思います。
理由は大きく二つあります。 一つは、 東放学園の卒業生に50歳代、 40歳代の人が増える中で、 下請け構造の中にある映像制作会社の権利を拡大し豊かな未来を築く、 金融や法律の知識と技術で武装したインディペンデント・プロデューサーを育てることが、 急務であると考えたからです。
 もう一つは、 世界の社会・経済のシステムが変わってしまったことです。 インターネット、 デジタル技術革新、 グローバル資本主義が進み世界が一体化する中で、 グローバルスタンダードの金融や法律、 異文化コミュニケーションなどのルールを理解し、 駆使できるプロデューサーが映画・映像製作に必要になってきたのです。
 本年4月8日、 東放学園が未来を託す映画専門大学院大学は、 新入生を迎え、 映画・映像産業の豊かな将来を築く、 教育と研究を開始します。 映画・映像は世界を、 国を、 地域を幸せにします。
http://www.tohogakuen.ac.jp/
新しいシリーズを開始します。 会員の皆さん (会員以外も含む) の現在進行形の現場レポートです。 題して――
* * * 只 今 撮 影 中 * * *
NHK 銭谷 雅義
 私たちは、 今、 この四月三日から始まった、 連続テレビ小説 「純情きらり」 の制作の真っ最中にあります。 朝ドラとしては久々の時代物で、 音楽を愛するヒロインが激動の昭和を駆け抜ける一代記です。
 脚本は浅野妙子さん。 連続ドラマ 「ちょっと待って、 神様」 で初めてご一緒し、 その筆力に惚れ込んでいた私は、 朝ドラの担当が決まったとき、 迷わず浅野さんに執筆を依頼しました。 「朝ドラにはぜひ挑戦してみたいけれど、 条件があります。」 と浅野さんは言いました。 いつかドラマ化したいと長年暖めてきた小説があるというのです。 それが津島佑子さんの 「火の山――山猿記」 でした。
  「火の山」 を読んでみて、 正直たじろぎました。 上下二巻の大河小説です。 おびただしい登場人物、 めまぐるしく変遷する舞台、 戦火で引き裂かれる家族――まさしく大河ドラマ並のスケールなのです。 これを朝ドラの枠で表現することができるだろうかと考えました。 しかし、 このときすでに私も 「火の山」 の魅力に取りつかれてしまい、 挑戦してみたい気持ちにあらがえなくなっていました。
  「火の山」 の魅力的な登場人物群の中から末娘・桜子をヒロインに決め、 宮アあおいさんをキャスティングして、 去年の十一月、 「純情きらり」 の制作がスタートしました。 それは同時に、 原案 「火の山」 の持つスケールを、 朝ドラでいかに表現していくかの戦いの始まりでもあったのです。
 主な舞台は、 戦前の愛知県岡崎市と東京・上野界隈。 岡崎の町並みは、 「千葉県立房総の村」 で、 東京の町並みは、 「江戸東京たてもの園」 でロケしましたが、 この時代をロケーションできる場所は限られていて、 どうしてもセットに持ち込まざるを得ない場合が多くなります。 しかし予算は限られている。 美術部泣かせの日々が続きます。
 次に我々を襲ったのが、 音楽と絵画の二重苦でした。 ヒロイン・桜子は、 ピアノが大好きで東京音楽学校 (現在の東京芸術大学) を目指します。 その上ジャズが大好きで、 ダンスホールに出入りしたりします。 宮アあおいさんは、 ピアノの特訓を買って出て、 重要な曲はフキカエなしで演奏できるまで頑張ってくれましたが、 劇中で演奏される楽曲は事前録音しなければならないし、 曲目が膨大なため、 手元フキカエが必要な場合も出てきます。 さらに大変なことには、 桜子と交流を持つ絵描きグループが登場するのです。 シュール・レアリズムに傾倒する彼らの絵を、 すべてアリモノで済ますことはできません。 ストーリーにからむものは一枚一枚描き起こす必要があるのです。
 スタジオで一日三十分弱は撮らねばならない朝ドラを襲う苦難の数々。 これも 「火の山」 を原案と定めたプロデューサーの欲ゆえと、 責任をひしひしと感じつつ、 朝ドラの新しい挑戦ともいえる 「純情きらり」 の成功を祈る毎日です。
私の新人時代
ビーエス・アイ  プロデューサー  丹羽多聞 アンドリウ
 初プロデューサーになったのは11年前。 終戦50周年の2時間企画で、 旧日本軍の謀略放送に関わったアメリカ人捕虜や日本側の苦労を描いた作品が最初だ。 放送は、 終戦物にふさわしく8月14日という視聴率で言うところのセットインユースが一年で一番低いお盆の時だった。 勿論、 新人プロデューサーである私は、 放送日が悪いなどと希望を出す立場に無く、 周りの心配もよそに初めての作品が放送される事で頭は一杯だった。
 翌日朝一番に出社した私は頭を殴られるような衝撃を受けた。 「8・8%」 普段15%の枠で一桁をとってしまったのだ。 「八というのは末広がりの字で良いじゃないか」 と脚本を書いてくださった清水有生さんの冗談とも言えない慰めをいただいた後、 デスクでみんなの出社を待った。 同僚や先輩達が各々の机におかれた視聴率表をめくる音が聞こえるが、 あまりの数字の低さに誰も話しかけてこない。 雲隠れする訳にもいかない。 針のむしろとはこういう事をいうのかと実感した。
 そんなとき鴨下信一さんが 「多聞いるか?」 と大部屋に入ってこられた。 当時、 鴨下さんは常務取締役で役員自らのお叱りと覚悟した。 ところが、 数字なんてのはどうでもいい、 面白かった、 良かったと大声で褒めてくださった。 鴨下さんが部屋を出て行くと今度はそれまで傍観していた同僚達が集まってきた。 鴨下さんは若い新人プロデューサーが数字でへこたれないように、 わざとみんなの前で褒めてくれたのだった。 救われたのは言うまでもなかった。 しかしその後、 一年間はAPに逆戻り。 編成に企画を出しても戦犯である私になかなかチャンスは無かった。 一年の後、 2時間ドラマで15%以上をクリア。 その後、 自分がプロデュースした作品でゴールデンタイムでは一度も一桁を出していない。 (深夜枠は別です一応)
  「ビギナーズラック」 という言葉がある。 本当は私もそれにあやかりたかったが、 逆に数字が悪くて今は良かったと思う。 とにかくそれ以来、 数字にどん欲になったからだ。 一年間干されたお陰で今の自分がある。 そして、 窮地の救い主、 鴨下先輩には今でも感謝している。

◎訃報  功労グループの宮本進氏は去る三月十二日逝去されました。 心からご冥福をお祈り致します。
第40回ゴルフ会開催のお知らせ
2006年春の親睦ゴルフ会を開催致します。 初参加の方は事務局までご連絡下さい。
〈日時〉
平成18年4月19日 (水)
〈場所〉
我孫子ゴルフ倶楽部
千葉県我孫子市岡発戸1110   電話 (0471) 82−0111
〈時間〉
8時30分集合
 ◎9時31分OUT・ INスタート (4組ずつ)
〈締切〉
4月10日 (水) 事務局必着
〈会費〉
5000円
〈ペナルティ〉   4月10日以後及び当日キャンセルの場合   5000円

(社) 日本映画テレビプロデューサー協会 親睦委員会 電話(03) 3477−7355
* * * * * * * * * * * * * 総会と懇親パーティーのご案内 * * * * * * * * * * * * *
第30回通常総会を左記により開催いたします。 正会員の方はご出席ください。
総会終了後、 恒例により懇親パーティー (午後6時開宴予定) を開きます。
賛助会員の方々も、 お誘い合わせの上ご参加ください。
  (日時
平成18年5月31日 (水)  午後5時

  (場所)

NHK青山荘   (港区南青山5−2−20  TEL03−3400−3111
  (パーティ会費)
3500円
 ○会議の記録
3月13日 (月)
会報委員会
(事務局)
3月27日 (月)
第9回定例理事会
(東映本社)
平成17年度臨時総会
 ○会議の予定
4月11日 (火)
親睦委員会
(事務局)
4月12日 (水)
会報委員会
(事務局)
4月26日 (水)
第10回定例理事会
(NHKエンタープライズ)
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