343 2006年 7月号
第30回通常総会を終えて  変わるものと変わらないもの
                          ・・・  副会長  西村与志木 (NHK)
第51回 「映画の日」 勤続表彰についてのご案内
只今撮影中スペシャル ・・・ 
野地千秋 (松竹プロデューサー)
角田朝雄 (東映プロデューサー)
八木康夫 (TBSテレビ)
私の新人時代 ・・・ 近藤 治夫 (日活) 
事務局だより
          
第30回通常総会を終えて ―― 変わるものと変わらないもの
副会長 西村与志木 (NHK)
 さる5月31日に当協会の第30回の総会が開かれました。 30回ということは毎年1回開かれる総会ですので30年の歳月がたったということであり節目の総会でありました。 そこでこの協会の歴史を、 私も含めてあまりよく知らない人たちのために少し振り返ってみたいと思います。
  当協会の前身である 「日本映画製作者協会」 が発足したのは昭和29年 (1954年)。 映画製作の牽引力として活躍していたプロデューサーたちが集まり 「お互いにバラバラに活動するのではなく、 相互互助の精神に基づき会員の職能の確立、 経済的地位の向上、 ひいては日本文化の発展に寄与する」 ことを目的にして発足させたと当協会のHPにあります。 興味深いのはテレビの本放送がこの前年の昭和28年 (1953年) に始まっていることです。 昭和20年代から30年代は映画の全盛期でもありますが、 テレビが急速に普及し次第に映画という娯楽の主役の地位を脅かしつつある時代でもありました。 そうしたテレビの台頭を反映してか、 昭和45年 (1970年) テレビドラマの制作に携わるプロデューサーにも参加を呼びかけ 「日本映画テレビ製作者協会」 として発展しました。
  そして昭和51年 (1976年)、 社団法人として現在の 「日本映画テレビプロデューサー協会」 が新発足、 そこから数えて30年の歳月が流れたというわけなのです。
  今日の映画の状況を見てみるとフジテレビを筆頭としてテレビ局が映画製作の中で大きな役割を果たし、 シネマコンプレックスの拡大もあいまって活況を呈しているといえるのではないでしょうか。 かつて映画をテレビがだめにしたという論議がなされていたことを思うと隔世の感があります。
  今、 「放送と通信の融合」 ということが言われ新しいメディア状況が生まれつつあります。 かつて映画がテレビに脅かされたようにテレビもまた黄昏を迎えようとしているのかも知れません。 しかしながらこの映画やテレビの歴史を振り返ってみると如何なるメディア状況を迎えようとプロデューサー (生み出す人) の果たす役割の重要性は変わることは無いでしょう。
  当協会が発足して30年たった今、 これからの30年、 何が変わり何が変わらないのかを考えてみるよい機会ではないかと思います。
第51回 「映画の日」 勤続表彰についてのご案内
  (社) 映画産業団体連合会が毎年12月1日の 「映画の日」 に実施する行事の一つに、 永年勤続表彰があります。
  表彰者の資格は日本映画界に40年以上勤務し、 現在もなお現役として活躍されている方です。 該当される方は次の要領をご参照の上、 自己申告をお願い致します。 協会経由で 「映画の日」 執行委員会に提出します。
イ・
昭和41年12月1日以前より従事された方。 既にこの行事で表彰された方は除きます。
ロ・
転退職等の場合、 従事しなかった期間が1年未満の場合、 資格者として認めます。
ハ・
会員本人が作成した履歴書を提出して下さい。
ニ・
履歴書の提出は一人一枚、 一ヶ所(団体又は会社) です。 (用紙 (社) 映画産業団体連合会で配布している 「永年勤続功労章候補者調書」 を使用して下さい。)
ホ・
現在フリーの方は、 フリー期間中の関係作品等を年度別に詳細に書いて下さい。
ヘ・
「映画の日」 執行委員会、 資格審査会により表彰者を決定します。
※協会への提出締切日は平成18年8月22日です。
* * * 只今撮影中スペシャル * * *
松竹プロデューサー  野地 千秋
潜水艦映画にハズレなしっ!
  昨年10月にクランクインから約7ヶ月、 ようやく映画 「出口のない海」 が完成いたしました。 つい先日、 竹内まりやさんの主題歌の件もマスコミ発表し、 9月16日の公開に向けて頑張るぞ!というところです。
  この 「出口のない海」 は原作が 「半落ち」 などの横山秀夫さんが書かれた特攻をテーマにした同名の小説。 重いテーマにスポーツや恋愛をからめた感動作になっており、 特に決してヒーローではない主人公の姿に感銘を受け、 映画化を考えたのでした。 その原作を巨匠・山田洋次さん、 「うなぎ」 の冨川元文さんが脚本にし、 これまた 「半落ち」 の佐々部監督をはじめとする一流スタッフで映像化する   「アシスタント」 が取れての初のプロデュース作品にもかかわらず非常に幸運だったと思っています。 もちろん、 「松竹の最終兵器」 市川海老蔵さんも素晴らしい演技を見せています。 テレビや舞台では見ることのできない、 海老蔵さんの演技をご覧いただけると思います。
  この映画には美術で東映のスタッフ、 特撮で東宝のスタッフに参加していただいています。 私が松竹に入社したころには思いもよらなかったスタッフ構成で、 この辺からも 「良い映画を作る」 という共通の目標に向かって会社の垣根を越えてスタッフが集まるという、 何か映画作り、 モノ作りの醍醐味を味わったような気がしています。 特撮のSさんなんかはお互いに人事に配属されているときに知り合っており、 何年後かにこのような形で再会というのも縁というか何と言うか。 面白いものです。
  さて、 肝心の映画ですが、 青春あり、 恋愛あり、 家族ありとかなり見応えのある感動作に仕上がっていると自負しています。 映像的にも潜水艦のミニチュア撮影、 CGを駆使した戦闘シーン、 そして実物大で再現した人間魚雷 「回天」 (しかも2基なのです…) と見どころ満載となっています。 まさに 「潜水艦映画にハズレなしっ!」 というコピーがぴったりな映画になっています。 9月16日の公開をお楽しみに!

東映プロデューサー 角田 朝雄
  「俺は、 君のためにこそ死ににいく」 2007年初夏の公開を目指し撮影中。  
  太平洋戦争の末期、 鹿児島県知覧町の食堂で、 特攻隊員たちから慕われた鳥浜トメさん。 彼女から石原慎太郎氏が聞きとったエピソードを元に、 オリジナルで脚本を書き上げ、 製作総指揮も担当しています。 鳥浜トメさん役に岸惠子さんを迎え、 特攻隊員役に、 徳重聡さん、 窪塚洋介さん、 筒井道隆さんらが扮しています。 ある人は迷わず、 ある人は迷いつつ、 苦しみつつ、 自ら操縦桿を握り敵艦を求めて逝った若者たち。 彼らの無惨にも美しい青春群像を、 現代の観客に伝えたいと考えています。
  今は亡き鳥浜トメさんになり変わり、 この事実を語り継がなければならないと意気込む石原氏。 日本とアメリカが戦争した事すら知らない若者がいる今だからこそ、 伝えなければいけない。 そう語る石原氏は、 一人の作家として、 この作品に只ならぬ情熱をそそいでいます。
  クランクインは、 3月27日。 まさに特攻基地の滑走路のあった場所、 知覧の特攻平和会館前の桜並木での撮影。 衣裳を身にまとった現代の特攻隊員役の若者たちが、 今は公園になっている草地で、 隊列行進をしながら気持ちを作っていく。 わずか60年前には、 ここから何百人の若者たちが、 実際に飛び立って帰ってこなかったのだ…。 そう思うと、 この映画を作る事への畏れにも似た感慨を覚える。 折しも吹き荒れた強風に煽られながら、 この風は英霊たちがロケ隊を試しているのだ、 などと柄にもなく神妙な思いに取り憑かれました。
  圧倒的な 「事実」 に真摯に向き合いながら、 尚かつ上映時間2時間前後という限られた時間の中に、 我々なりの 「真実」 を描き切ろうと奮闘しています。 当たり前の事ですが、 戦争はいけない事です。 が、 「戦争=悪」 という単純なレッテル貼りでは伝わらない、 その中にあった方々の哀しみや様々な思いをきちっと伝えられたら…。 特攻隊員とトメさんに、 正に直球勝負を挑む映画です。
  芝居部分のクランクアップは、 6月末。 特攻隊員が海上で見た最後の光景をも再現すべくSFXも駆使し、 今年の晩秋には完成の予定です。 乞うご期待!
TBSテレビ 八木 康夫
 二○○二年夏、 明石家さんまさん主演で 「さとうきび畑の唄」 というドラマを制作しました。 幸いにも、 たくさんの方に見て頂き、 とりわけ若い人から大きな反響を頂きました。 一万通を超える番組ホームページへのメールの多くが小中学生や高校生の方たちからのものでした。
  「戦争は兵隊さんだけじゃなく、 家族や残されたすべての人を不幸にします」 「どんな戦争でも正しい戦争なんてありません」 等々。 一つ一つが思いのこもったものばかりでした。 テレビドラマのプロデュースを始めて二十余年、 これほどの反響に僕自身大きな感銘を受けました。
  そして、 その時、 たいへんおこがましいのですが、 これからの僕のライフワークとして 「戦争」 をテーマにした番組作りを続けられたらいいなと思ったのです。
  昨年は戦後六十周年ということで、 「原爆」 をテーマに松たか子さん主演で 「広島・昭和二十年八月六日」 というドラマを制作し、 前作同様、 大きな支持を頂きました。
  そして現在、 荻原浩さん原作の 「僕たちの戦争」 というドラマの準備をしています。 今回はいわゆるタイムスリップものですが、 「戦争」 をテーマにしたラブコメディとなっています。 最愛の恋人につながる祖先の命を守るため果敢に敵艦に突っ込もうとする戦争の時代にタイムスリップしてしまったひとりのサーファー、 その彼とうりふたつのため、 現代にやってきて試行錯誤の連続の予科錬生。 彼は、 そのサーファーの恋人にどんどん魅かれていきます。 二人とも 「平和」 だからこそ自由に恋愛を謳歌できることを悟ります。
  昨今 「靖国」 問題、 「憲法」 改正、 「愛国心」 など、 世の中がキナ臭くなっているように思えるのは僕だけでしょうか。 だからこそドラマの作り手ながら、 テレビに携わる一人のジャーナリストとして、 ずっと 「戦争」 にこだわっていきたいと思っています。
私の新人時代
日活 近藤 治夫
 昭和三十年春、 私は初めて撮影所のある都下調布市へ通うことになった。 新宿駅発の京王線は、 まだ地上を走っていて南口の甲州街道には大踏切があった。 日活の助監督試験に合格し、 最初の現場は 『花のゆくえ』 だった。
  兎に角フォース助監督で西も東も分からない。 カチンコを初めて握り二度打ちするとド鳴られ指には血豆ができた。
  四月初め、 千葉県の銚子ロケは今でも忘れない。 犬吠岬灯台の岩場で主演の新珠三千代が一人たたずむシーン。 海風で髪が乱れるので、 結髪さんが本番直前までクリップを付けておいた。 で、 ロケから帰って試写室でラッシュを見ると  何と!新珠さんの髪にクリップが付いたままで映っていた。 ラッシュが終わり明るくなった室内は異様にシーンと静まり返っていた。 すると森永健次郎監督 (佛の健ちゃん=アダ名通りの温厚な人) が 『人間の目には盲点ってものがあるんだよ』 …この一言でスタッフ全員が救われた。 何十人が緊張して見守る中でも、 気付かず見落とす場合があるのだった。 封切時に新宿日活の客席から見たが中ロングのショットだったので余り目立たないのだった。 この一事は、 プロとは何度でも 「確認する事」 を私の中に刻みつけた。
  で、 何十年か経ったが、 昨今の私は 『芸』 について考えることが多い。 表芸・裏芸というが映画と俳句どちらでもよい、 まぁ表裏一体と云う訳。 それは私が高校時代に俳句の師に遭遇していたし、 また日大映画学科で小津監督の専属ライター野田○梧から 「映画作家は俳句を勉強すると良い」 と教えられたりしたから。
  映画界でも黒沢明・五所平之助・吉村公三郎等々が俳句をやったが、 監督協会理事長の五所さんは本格派で句集も出した。 (東京に借りる一間や暮の春 五所亭)
  久保田万太郎主宰 「春燈」 の幹部同人だった五所亭の句を仰ぎ見ながら多少の影響を受けていた新人時代の私であった。
《日焼けせし人ら黙々試写室へ》
《菊日和続きはかどる京都ロケ》
  プロデューサー近藤朱月亭…もそろそろ決定的な仕事でケジメをつけたい処だ。
  ○正会員入会 ・・・  大藏 滿彦 (B)
  ○退会      ・・・  片岡 敬司 (NHK)   脇田 茂 (功労)
  ○除名  定款第11第1項第3号に該当する会費 滞納者として第30回通常総会にて議決
              ・・・ 松澤 一男 (東宝)   鄭  相煕 (A)   松島 正和 (A)   山田 爵史 (C)
2007年度協会会員手帳について
  「2007年度協会会員手帳」 の編集が始まります。 「個人情報保護法」 の全面施行に伴い会員手帳に掲載する住所等に関し、 七月の編集会議で方針が決定される予定です。 掲載事項変更希望のある方は、 8月末日までに事務局までご連絡下さい。
第41回ゴルフ会・第一報

 秋のゴルフコンペが決まりました。

  日 時 10月27日 (金)
  場 所 相模カンツリー倶楽部
 ○会議の記録と予定
6月12日 (月)
会報委員会
(事務局)
6月21日 (水)
第1回常務理事会
(NHKエンタープライズ)

    〃

第1回定例理事会
(   〃   )
6月22日 (木)
ヒットメーカーセミナー委員会
(事務局)
7月12日 (水)
第2回定例理事会
(東映本社)
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