344 2006年 9月号
2006年 アクターズセミナー開催に向けて ・・・ 中嶋等 (セミナー委員)
巨匠を想う  もう一度あなたと仕事がしたかった
    久世光彦 (享年71) ・・・  鴨下信一
    今村昌平 (享年80)  ・・・  松田康史
只今撮影中 ・・・ 香月純一 (東映プロデューサー)
私の新人時代 ・・・ 菊池恭 (テレビ朝日)
事務局だより
          
2006年 アクターズセミナー開催に向けて
セミナー委員 中嶋 等

 今年も新たな70の顔との出会いがやってくる。 今回はどんなアクターたちと対面できるのだろうか。
  「プロデューサーズセミナー」 から部門を分かち、 単独開催となって、 今年で三回目となる 「アクターズセミナー」。 新しい俳優の発掘、 人材育成はプロデューサーの重要な務めであり、 業界活性化に必要な役目である。 その意味でこのセミナーは、 当協会に相応しいイベントであり、 他の団体のそれとは一線を画す特色あるものと言えよう。
  おかげさまで毎回、 定員数を超える応募があり、 書類審査では、 幾枚もの履歴書を手に委員たちが頭を悩ませた。 セミナー当日も、 受講生たちの熱気が肌で感じられ会場は活況を呈し、 審査員の方々の反応も良く、 大変有意義なものとなった。 会場は地の利の良い、 西新宿・アトリエクマノ、 当日は貸切りとし、 建物一つがまとまったスペースとなり、 落ち着いてセミナーを進行できた。
  このように前二回とも好評につき、 今回の開催概要も、 基本的に前回を踏襲することとした。 また、 受講生が体験できる 「ワークショップ」 の講師には、 アメリカでメソッドアクティングを学ばれたダン・コージ氏を起用、 今までの講師の方々とはまた違った観点で、 演技の基礎と実践的なテクニックを具体的に教えて頂く。 「出会いの広場」 は、 受講生とプロデューサーとの活発なディスカッションに期待したい。 そして、 「アクターズセミナー賞選定オーディション」。 約70の個性が飛び出して目前の審査員にぶつかってくる戦いの場。 全身全霊を傾け自分をアピールする俳優と、 厳しい審査員の目との緊張感あふれるオーディションになるであろう。 最後に優秀者を発表、 どんな俳優が選ばれるか楽しみである。
  恒例となったこのセミナー、 と書くと差し出がましく、 恒例とするためにも、 今回のセミナーを盛況で成功裏に終らせ、 次回につなげて行きたいと願っている。 進行役としても身の引き締まる思いである。 数ヶ月前、 下北沢を歩いていて、 唐突にひとりの女性から声を掛けられた。 誰かなっ?と思ったら、 去年のセミナーに参加した俳優だった。 オーディションには沢山審査員がいたのに、 よく僕のことを覚えていたなと感心した。 そしてなんだか嬉しくなった。 見えない輪がほんの少しずつ広がっている。 ※詳細は、 チラシ又は、 協会のHPをご覧ください。 協会員みなさまのお力添えを切にお願い申しあげます。 チラシは協会にありますので、 配布してくださる方はお申し出ください。 オーディションに審査員で参加してくださる方はもちろん、 協会員の方々、 セミナー当日は会場に足をお運び下さり、 受講生たちに話しかけていただければ幸いです。

─── 巨 匠 を 想 う ───    もう一度あなたと仕事がしたかった
 久世光彦  (享年71)
鴨下 信一
そんなに数多くの仕事をいっしょにしたわけでもない。 ふだんしょっちゅうツルんでいたわけでもない。 それなのに“お前と久世は――”といつもコミにされて (たいていは叱られて) いた。
  そうかと思うと“お前と久世がケンカしないのは七不思議だよなあ”ともいわれた。 まあ、 同じ年、 同学で同じ会社に入り (ぼくが二年早い)、 同じテレビ・ディレクターという職業だったから、 ライバル同士仲が悪いだろうと思われても仕方がない。 ところがそんなことは少しもなかった。
  ぜんぜん作風が違うのだから、 ライバルにもケンカにもならない。 もう一度いっしょに仕事がしたいといっても、 同じ番組の演出をしているところなんか想像も出来ない。
  ただ、 いっしょにいたい――あんなに〈テレビ総体〉に関しての考えが同じだったヤツは二人といないからだ。
  二人ともテレビ・ドラマの勃興期にこの道に入った。 テレビさえあれば他の文化はいらない、 いらなくなるだろうと皆が思っていた時代だ。 それはおかしい――文学や絵画や音楽や演劇はどうなるんだ (映画にはテレビはコンプレックスを持っていた) テレビは文化の一部ではあっても全部ではない…。
  じつはこの考えは、 当時少数派だった。 ぼくと久世はこの一点で同志だったといえる。 そうしていつでもこのことを話していた。
  あの話を、 もう一度したい、 ぜひしたい。
 今村昌平  (享年80)
松田 康史
 今村監督の柩は、 万歳三唱に送られて、 ゆっくりと火葬場へ歩いていった。 葬儀場に取り残された人々は、 なかなかその場を離れられなかった。 今村組は誇り高き組だった。 「ぎゅーと詰まった」 という監督の言葉を思い出す。 シナリオも、 撮影する空間も時間も、 監督は 「ぎゅーと詰まった」 ものを要求した。 俳優もスタッフも、 監督の見る方向を探り、 全霊をかけることを要求されていることを感じ、 又それが喜びでもあった。 生まれ出る作品が常にそれに応えてくれていたと、 今でも私は思える。 そんな中で、 一本だけ、 クランクイン後に流れた作品があった。 その作品のシナリオが柩に入れられたと聞いた。 終戦間近の新宿遊郭を舞台にしたその作品は、 監督が折りにふれ話していた東京空襲下の逃避行が色濃く反映されていたように思う。 それが監督にとって、 現実の中の最も 「ぎゅーと詰まった」 時空間の一つだったように感じたし、 監督でなければそんな戦争の中の人間の悲喜劇を描ききれないのではないかと思っていた。 いずれにせよ、 今村組は、 監督の中にまだまだ残っている多くの思いと共に消えてしまった。 疑いをいだく事なく、 作品の中に埋没できる機会は失われた。 葬儀場に取り残された人々にも、 その意識は共通なのかもしれない。 東京生まれのシティーボーイなのに土着好き、 電話一本にも長いと言いながら、 気に入らないと一日中NGを出し、 上目使いの笑顔の素敵な監督に合掌。 もう一度はなかった。
* * * 只 今 撮 影 中 * * *
 「アキハバラ@DEEP」
東映 プロデューサー 香月 純一
 私は常々プロデューサーというのは家庭における 「お父さん」 のようなものだと思っている。 監督が 「お母さん」 で、 俳優やスタッフが 「子供たち」、 家庭全体が映画やTVの作品である。
  お父さんは例えば、 「今年の夏休みはハワイに行くぞ」 などと大まかなことは言うが、 具体的なことは全てお母さんまかせである。 何か大きな問題があると 「お父さんからも何とか言ってやって下さい」 と頼りにされる局面もあるが、 普段はあまり家にいないので存在感が希薄になりがちである。 「誰の稼ぎで飯を食ってるんだ」 と酒場でグチの一つもこぼしたくなる哀愁の存在である。
  で、 「アキバハラ@DEEP」 である。 「アットマーク・ディープ」 「ドット・ディープ」 などと間違われたが、 「アット・ディープ」 と読む。 「池袋ウエストゲートパーク」 で圧倒的な支持を得た石田衣良氏原作の映画化第一作。 演出を手掛けるのは、 映画 「東京タワー」 「大停電の夜に」 で都会に生きる様々な人々をスタイリッシュな映像で描き出した源孝志監督。 世界から最も注目される熱い街〈アキハバラ〉を舞台に、 社会からドロップアウトせざるを得なかった気弱でニートな若者5人が、 胸に眠る熱いハートを守るため、 巨大悪徳IT資本との斗争を繰り広げる、 観ると元気になる痛快青春活劇である。
  「アキハバラ@DEEP」 は“ただいま撮影中”というより“ただいま公開中”である。 だが、 ついこの前の7/17まで撮影していたのだ。 会報9月号が発行される頃には劇場公開されているが、 原稿執筆時はまだ仕上げ途上で8/22初号〜9/2公開という超突貫工事である。
  「アキハバラ@DEEP」 が企画決定したのは今年の2月である。 9月公開が前提であったから、 企画立案から公開まで半年余りという短い時間で映画が一本成立するのか半信半疑ではあったが、 TV部出身の私は“何とかなるんじゃないか”と腹を括った。 「東映は映画を作り続けていくことに存在意義がある」 という基本理念を実践することとなった。 源監督には2/12にオファーをし、 一週間後に正式に引き受けて頂いた。 2〜4月は脚本作成とキャスティングの平行作業、 5月準備、 6/6にクランクインした。
  監督と私はTV出身、 撮影=袴氏と照明=武田氏は現在はCM界で活躍、 撮影=足立氏はドキュメンタリー畑、 美術=山 氏と録音=山方氏は生粋の映画人、 更に演劇界から小峰リリー氏が衣装デザイナーとして参加、 映画ーTVー演劇ーCMの一大混成チームとなった。 キャストは今が旬の成宮寛貴さん、 山田優さんに、 脂の乗りきった寺島しのぶさん、 佐々木蔵之介さんが対峙する。
  私は又、 「インパクト理論」 を信奉している。 これは 「インパクトの瞬間、 ヘッドは回転する」 のことではなく、 「プロデューサーは現場に行き過ぎるとインパクトがなくなる」 という屁理屈である、 だが、 ワガママな女優が 「あたし、 プロデューサーが来るまで芝居しないわよ」 と駄々をこねている時などは有効である。 Pが押取り刀で駆けつければ、 御機嫌は直るのだ。 ということで、 メインスタッフには三日に一回位しか顔を出しませんと宣言していたのだが、 短期決戦ゆえのあれやこれやの課題も多く、 後半はほとんど毎日現場通いであった。
  さて 「アキハバラ@DEEP」、 全くの“親バカ”ですが、 面白いです。 是非御高覧下さい。
私の新人時代
テレビ朝日 菊池 恭
 最終回の無い連続ドラマ。
それが私が民放の新人APとして最初に現場に着いたドラマである。 「低視聴率で最終回の放送は取り止めになった」 先輩CPからそう伝えられた時、 私はテレビの世界に入って15年目にして、 初めて視聴率を強く意識した。
  それまで私はNHK芸能番組部で歌番組などの演出をしていた。 視聴率を意識するのは年に1度、 大晦日の紅白歌合戦だけだった。 それも 「50%を切ったらヤバイな」 という、 今では全く考えられない贅沢で、 いいかげんな感覚だった。
  NHK入局15年目の年末、 芸能番組の演出に飽き始めていた私は、 『ドラマプロデューサー募集』 というテレビ朝日の新聞広告を見て、 「別ジャンルの番組を制作してみたい」 と思い、 紅白終了後の正月休みに企画書を書いて応募した。 運良く中途採用試験に合格、 38才にして公共放送から民間放送に転職することになり、 私のテレビマン生活はその日から激変した。 10年前のことである。
  当たり前のことだが、 民放のドラマ番組は、 NHKの音楽番組と全く異なった現場だった。
「テレビドラマは映画と違って、 “最初”の5分が勝負。 5分で客の心を掴め」 という本作りでの先輩の指導が耳に突き刺さった。
  と言うのは、 転職前に担当していた音楽番組では、 楽曲の“最後”に盛り上がりを作るアレンジを目指していたからである。
  最初の1コーラスの伴奏は生ギターだけ、 2コーラスからストリングスが入って、 最後にホーンセクションと混声合唱団でマエストーソといった具合。 所謂 「マイウェイ」 「昴」 型のアレンジである。
  当時は 「視聴者は楽曲を“最後”まで聞いてくれるもの」 「“最後”さえ良ければ感動してくれるもの」 という大前提の上で、 番組構成を考えていた。
  しかし、 世の中は違うらしい。 視聴者はつまらない最初を我慢してくれないらしい。 いくら素晴らしい最終回を作っても、 見てもらわなければ無意味だ。
  それを知ったドラマ新人の私は 「マイウェイ」 型・ 「昴」 型の構成を再考するようになった。 シナトラさん、 谷村さん、 ありがとうございます。

◎正会員入会 ・・・ 遠藤理史 (NHK)   内山聖子 (EX)  中込卓也 (EX)  西河喜美子 (EX)
              浅野 太 (TX) 只野研治 (TX)
◎賛助会員入会 ・・・ 株式会社 NHKオフィス企画
◎退会 ・・・ 有重陽一 (角川)   金沢宏次 (NHK)   村上 慧 (NHK)   稲垣健司 (EX)
          川田方寿
(EX)  松本 健 (EX)  大田哲夫 (TX)  松本篤信 (TX)  酒井 政利 (E)
 ○会議の記録と予定
7月12日 (水)
第2回定例理事会
(東映本社)
8月7日 (月)
会報委員会
(NHK西館7F (713本読み室))

9月11日 (月)

会報委員会
(事務局)
9月20日 (水)
第3回定例理事会
(NHKエンタープライズ)
2007年度協会会員手帳について
「2007年度協会会員手帳」 の編集が始まります。 「個人情報保護法」 の全面施行に伴い会員手帳に掲載する住所等に関し、 掲載事項変更希望のある方は、 9月15日 (金) までに事務局までご連絡下さい。
第41回ゴルフ会開催のお知らせ

  秋のゴルフコンペが決まりました。

  日 時 平成18年10月27日 (金)
  場 所 相模カンツリー倶楽部 
                 大和市下鶴間4018

  電 話 046-274-3130
  時 間 9時集合 ◎10時6分  IN・OUTスタート (8組)
  ペナルティー
      10月18日以後及び当日キャンセルの場合5000円

参加者決定後、 締切日以降に組合せ表をお送り致します。  ※お願い コンペ参加申込みされた後、 万一都合により参加できなくなった場合は出来るだけ、 代わりの方を推薦下さるようお願い致します。                     親睦委員会
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