日本映画テレビプロデューサー協会報 2007年6月号 353

我が社のフレッシュマン ・・・ フジテレビジョン 上原寿一
                ・・・ NHK 松園武大
                ・・・ 東映 郷田龍一
                ・・・ 松竹 伊藤壮哉


只今撮影中 ・・・ フジテレビジョン 鈴木吉弘

私の新人時代 ・・・ 東映 天野和人

事務局だより     

                            

我が社のフレッシュマン

4〜6月は新しい環境での仕事も開始される時期です。
各社4名の方に抱負を語って頂きました。
フジテレビジョン 上原 寿一

上原寿一 宝くじのような確率で念願のテレビ局に入社して、 最初に配属されたのは意外や意外、 なんと人事部。 採用試験の運営や、 新入社員の研修など人のおせっかいを焼くのが好きな自分には案外合っているなと思いつつ、 仕事に精を出していたところ、 あっという間の異動。 社内でもイケイケで人気が高い映画事業局に異動になった。 もともとテレビドラマオタクでドラマを作りたいと思って入社はしたが、 映画は人並みにしか見ない。 そんな自分が映画業界でやっていけるのかと思う間もなく、 映画 「LIMIT OF LOVE海猿」 の撮影現場に制作部として派遣された。 毎日スーツで8時30分出勤だった職場から一転、 Tシャツにジーパンで不眠不休の現場。 初めての撮影現場はきつかったが楽しかった。 撮影終了後は今度は宣伝業務を担当。 微力ではあったが無事初日を迎えたときはとにかく感動だった。 そしてそれと並行して、 今度は映画 「ゲゲゲの鬼太郎」 をプロデューサーとして担当することに。 鬼太郎といえば自分が生まれて初めて見た映画がアニメの鬼太郎だったのでそんな作品の実写化を自分が担当するとはまさに夢のような話。 ここではとても書ききれないような失敗を重ねつつ、 いやはやなんとか無事公開できました。 絶賛公開中ですので是非ご覧下さい。 それにしても我が映画事業局の仕事は企画・製作・宣伝・DVD製作にテレビ放送とやることが多岐に渡っていてとにかく覚えることがたくさんありすぎて当分息はつけそうにないようです。 一人前になるまでは遠そうですが頑張りますので皆様方今後も宜しくお願い致します。

NHK 松園 武大

松園武大 私が初めてテレビドラマに関わったのは2年前の夏。 入局して今年で7年目を迎えますが、 あの夏の思い出は色んな意味で強烈に胸の中に残っています。 当時、 愛媛県の松山放送局に勤めていた私は無謀にも単発ドラマの提案を出しました。 「世界の中心で、 愛をさけぶ」 の原作者として知られる同県出身の小説家、 片山恭一さんの長編デビュー作 「君の知らないところで世界は動く」 のドラマ化。 提案は採択され、 私は全く現場を知らない“ど素人監督”として現場入りする事になったのです。 初日の撮影は、 主人公が川沿いの道を走るシーンでした。 「僕、 どこにいるべきなんですか?」 「シーバーって何ですか?」 もちろん芝居をつけられるはずもなく早速修羅場に…一体何テイク撮った事でしょう…
  ともかくロケの一ヶ月間、 毎日そんな状態でした。 何度も逃げ出したいと思いましたが、 最後まで作品と向き合えたのは、 完成を楽しみにしてくれている地元の皆さんやスタッフの皆さんの支えのおかげだったと思います。 そしてドラマが完成した時、 これまでの人生で一番大きな感動を感じました。
  一年後…念願のドラマ部への転勤が決まりました。 が…まずは半年間、 報道番組の応援に行くことに…ようやく、 ようやく、 ようやく4月からドラマの現場に入る事ができました。 今は連続ドラマの助監督をしています。 すみません、 私、 少しは成長できてますか?…もの凄い早さで動く現場に付いていく事に毎日必死ですが、 私自身はとても充実しています。

東映 郷田 龍一

郷田龍一 東映の郷田と申します。 2006年度入社で現在入社二年目です。 一年目はスーパー戦隊シリーズの、 轟轟戦隊ボウケンジャー・獣拳戦隊ゲキレンジャーの現場で進行助手として働いていました。 二年目の現在は仮面ライダー電王のプロデューサー補佐をしています。
  戦隊の現場は日々肉体労働の積み重ねでした。 早朝に出勤し、 お茶セット (菓子・コーヒー等) の準備、 そしてトラックに積み込みをし、 ロケに出発します。 行き先は岩山、 森、 海、 川、 採石場など、 雄大なロケーションが多かったです。 迫力ある立ち回りを撮影するため、 レール・イントレ・クレーン等の特機類を用意するのも制作部の仕事で、 現場では荷物を担いで走り回ります。 日が照ればパラソルを、 寒くなればストーブを用意し、 役者・スタッフが快適に働けるよう動き、 人や車がいる所に行けば止めにいきます。
  立回りや操演は大変刺激的でした。 ナパーム、 セメント爆破、 ワイヤーアクション、 水落ち、 EX車爆破、 落っこち、 雨降らし等々、 間近で体感出来たことは最高の経験です。
  現在はプロデューサー補佐として、 キャスティングや本作り、 取材の手伝いをしています。 現場では、 ほっといても届いて来た台本、 やってきた役者を決めていく作業、 そしてそれらが撮影、 ポスプロを通じてひとつの作品になっていく過程に立ち会っていくことは、 現場とは違った意味での刺激に満ちています。
  まだまだ新米ですが、 全国の視聴者を楽しませることが出来るよう、 日々修行していきたいと思います。

松竹 伊藤 壮哉

伊藤壮哉 今の部署に配属され、 もうすぐ1年が過ぎようとしています。 マーケティングの仕事を担当し、 デスクの上のパソコンと仲良くなる事に専念していた私にとって、 1年前の異動は大きな転機となりました。 今の仕事の最大の魅力の一つは、 ルーティンワークが少なく毎日が新鮮だという点です。 この1年間、 常に新しい刺激が待っている変化の絶えない仕事に、 日々やりがいを感じております。 ところで変化と言えば、 撮影の前と後でのプロデューサーの変わり様は目を疑うほどです。 玉手箱でも開けたかのように白髪が増えてしまう人、 南国にでも行ってきたかのように真っ黒く焼けちゃう人、 更に太ってしまったり、 痩せてしまったり・・・その過酷な仕事内容は、 私の想像の範囲を超えています。 しかし、 そんなシビアな世界に生きながらも、 作品に120%の愛情を注ぎ、 一生懸命、 しかも楽しみながら仕事をしている先輩プロデューサーを見ていると、 「いつか自分も・・・」 とモチベーションを駆り立てられます。
  まだまだ何の経験もない未熟者ですが、 少しずつ経験を積み重ねている今、 毎日が本当に充実しております。 現在担当している作品の 『伝染歌』 では、 デスクを離れ、 現場のスタッフからタイアップの相手先まで多種多様な方々にお会いし、 色々なことを学ばせていただいています。 そして先日行われたオールラッシュでは、 スタイリッシュでテンポの良い映像とジャンルの枠を超えたメッセージ性の強さに感動し、 この作品に関われたことを心から幸せに思えました。 そんな経験を積み重ね、 いつか、 私自身の最大の武器である語学力も活かし、 世界と日本をつなぐプロデューサーに成れるよう、 日々精進していきたいと思います。

只今撮影中

フジテレビジョン  鈴木 吉弘

鈴木吉弘『わたしたちの教科書』

   朝、 スタジオを出発してバスで揺られること1時間弱。 今、 僕たちが“通っている”学校に到着です。 フジテレビ木曜10時で放送中の 「わたしたちの教科書」 のメインロケ地である中学校は、 多摩にあります。 現在は映像関係の専門学校が、 もともと小学校だった建物を使用しているのですが、 昇降口や廊下、 教室などは当時のまま。 理科室や給食室も残っています。 高校を卒業して20年以上にもなりますが、 久々の通学体験になんとも懐かしい思いに駆られます。
  しかしその一方で、 この変わらない風景の中にあっても、 現在の教育の現場は僕らの知っているそれとは大きく変化しているようです。 取材のために、 現役の中学校教師の方々から聞いた話は衝撃的なものでした。 教師と生徒の距離感は大きく広がり、 学校と教育委員会と警察が手を取り合って子供たちと向かい合わなくてはならないという現実。 僕らの時代には、 学校と警察が連携して子供たちへの対策を講じるということは考えられませんでした。 多種多様な問題に対処するために教師たちの仕事量は想像以上に膨れ上がり、 その極限的な多忙な中で、 より良い教育のあり方を模索していかざるをえない。 教師たちも出口の見えない不安感の中で、 日々迷いながら生きているのです。
「わたしたちの教科書」撮影風景  「わたしたちの教科書」 は脚本家の坂元裕二さんが 「オリジナル脚本のドラマを書きたい」 と言った事に始まりました。 コミックや小説原作のドラマが増えていく中、 やはり連続ドラマの基本はオリジナルだ、 と。 ゼロから作品を生み出すのは大変な仕事です。 それも 「学校問題」 という難しい題材を選んでのチャレンジ。 坂元氏の熱い思いが制作の現場を引っ張っていきます。 現代社会の不安定さをリアルに体現するために、 今回は俳優陣にも先々の展開をあえて教えないスタイルを取っています。 当初、 意外な展開の連続に戸惑っていた俳優陣でしたが、 最近ではそのスリルを積極的に楽しんで下さっています。
  いじめ自殺の真相究明のために学校を訴えた女弁護士 (菅野美穂)。 理想を持っていたにも関わらず学校という組織に取り込まれてしまった新人教師 (伊藤淳史)。 問題を抱え、 不安定に揺れ動く現代人たちがドラマの最後に見る風景はどのようなものになるのでしょうか。 そこには、 絵空事ではないリアルな 「小さな希望」 が見えるものでありたいと思っています。 これから撮影もいよいよ佳境に入ります。 ドラマには逆風とも言われる昨今ですが、 見て下さる方々の心に残る作品になるようスタッフ・キャスト一同頑張ってまいります。

私の新人時代

東映  天野 和人
天野和人 このコーナーにおいて新人時代を語るということは、 最初に飛び込んだ撮影現場でのカルチャーショックを語ることである、 というひとつの王道のパターンがある (?) ようで、 その方針で行けば私の場合も京都撮影所での製作部時代の悪戦苦闘の数々を記せばよいと言うことになる。 往時、 業界内で伝説まがいの噂乱れ飛ぶ職場であったので、 拙文をお読みになっている皆様には想定内の微笑ましいエピソードのオンパレードでありました、 詳しくは書かないけど。 まあ、 本社から配属で撮影所にやってきた、 戦力未満のルーキーを【江戸のお方】とか【ポチ】とか呼んでいた京都のスタッフも、 伝説の伝承を目論む確信犯ではありましたが。
  一年余の製作部でのわかりやすい体験を経て、 企画部へ配属されてからが本来の意味での新人時代でした。 その頃の京都撮影所は年間5〜7本の自社映画を企画・製作しており、 先輩プロデューサーのアシスタントとして数多くの担当作品に恵まれました。 一本の映画が出来上がるには、 こんなに多くのプロセスが必要なんだと思い知り、 勉強不足・経験不足を痛感しつつも、 名作・傑作と言われる作品にスタッフの一員として名を連ね、 大監督や名脚本家の皆様相手に怖いもの知らずの意見を述べたりし、 合間にちょこちょこっと祇園に行ったりする日々は、 とても得がたい貴重な体験でした。
  ただひとつ残念だったのは、 同世代のクリエイターと仕事をする機会がほとんどなかったことです。 先輩たちから吸収するのとは違った刺激を同世代との切磋琢磨の中から感じたい、 ある程度経験を積むと、 生意気にもそんなことを考えるようになりました。 その後本社勤務となり、 新人時代を語るような年齢に達した今、 同世代を飛び越してかなり若いスタッフと仕事をする機会も増えました。 大人になりきれない私は結構むきになったりしているので、 昔自分が噛み付いた諸先輩たちもこんな風に感じてくれていたはずだ、 とプラス思考で考えております。
  これって、 因果応報?表裏一体?適当な四文字熟語が見当たりませんが、 新人時代を追想するつもりで書き始めた文章が、 結局は今の自分を語る仕儀と相成りました。

事 務 局 だ よ り

・・・・・・・ 正会員入会 ・・・・・・

  • 阿部謙三 (東宝)
  • 山中和成 (東宝)
  • 大岩直人 (B)
  • 城谷間均 (B)

・・・・・・・・  退会  ・・・・・・・・

  • 高橋 泰 (東宝)

――― インフォメーション ―――

○会議の記録と予定
5月14日 (月)
会報委員会
(事務局)
5月30日 (水)
第11回定例理事会
第31回定例総会
(NHK青山荘)
6月18日 (月)
会報委員会
(事務局)
6月20日 (水)
第1回定例理事会
(東映本社)

第52回 「映画の日」  勤続表彰についてのご案内

 映画産業団体連合会が毎年月1日の 「映画の日」 に実施する行事の一つに、 永年勤続表彰があります。
  表彰者の資格は日本映画界に年以上勤務し、 現在もなお現役として活躍されている方です。 該当される方は次の要領をご参照の上、 自己申告をお願い致します。 協会経由で 「映画の日」 執行委員会に提出します。

イ・昭和42年12月1日以前より従事された方。 既にこの行事で表彰された方は除きます。

ロ・転退職等の場合、 従事しなかった期間が1年未満の場合、 資格者として認めます。

ハ・会員本人が作成した履歴書を提出して下さい。

ニ・履歴書の提出は一人一枚、 一ヶ所 (団体又は会社) です。
    (用紙映画産業団体連合会で配布している 「永年勤続功労章候補者調書」 を使用して下さい。)

ホ・現在フリーの方は、 フリー期間中の関係作品等を年度別に詳細に書いて下さい。

ヘ・ 「映画の日」 執行委員会、 資格審査会により表彰者を決定します。

※協会への提出締切日は平成19年8月20日です。

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