
このコーナーにおいて新人時代を語るということは、 最初に飛び込んだ撮影現場でのカルチャーショックを語ることである、 というひとつの王道のパターンがある (?) ようで、 その方針で行けば私の場合も京都撮影所での製作部時代の悪戦苦闘の数々を記せばよいと言うことになる。 往時、 業界内で伝説まがいの噂乱れ飛ぶ職場であったので、 拙文をお読みになっている皆様には想定内の微笑ましいエピソードのオンパレードでありました、 詳しくは書かないけど。 まあ、 本社から配属で撮影所にやってきた、 戦力未満のルーキーを【江戸のお方】とか【ポチ】とか呼んでいた京都のスタッフも、 伝説の伝承を目論む確信犯ではありましたが。
一年余の製作部でのわかりやすい体験を経て、 企画部へ配属されてからが本来の意味での新人時代でした。 その頃の京都撮影所は年間5〜7本の自社映画を企画・製作しており、 先輩プロデューサーのアシスタントとして数多くの担当作品に恵まれました。 一本の映画が出来上がるには、 こんなに多くのプロセスが必要なんだと思い知り、 勉強不足・経験不足を痛感しつつも、 名作・傑作と言われる作品にスタッフの一員として名を連ね、 大監督や名脚本家の皆様相手に怖いもの知らずの意見を述べたりし、 合間にちょこちょこっと祇園に行ったりする日々は、 とても得がたい貴重な体験でした。
ただひとつ残念だったのは、 同世代のクリエイターと仕事をする機会がほとんどなかったことです。 先輩たちから吸収するのとは違った刺激を同世代との切磋琢磨の中から感じたい、 ある程度経験を積むと、 生意気にもそんなことを考えるようになりました。 その後本社勤務となり、 新人時代を語るような年齢に達した今、 同世代を飛び越してかなり若いスタッフと仕事をする機会も増えました。 大人になりきれない私は結構むきになったりしているので、 昔自分が噛み付いた諸先輩たちもこんな風に感じてくれていたはずだ、 とプラス思考で考えております。
これって、 因果応報?表裏一体?適当な四文字熟語が見当たりませんが、 新人時代を追想するつもりで書き始めた文章が、 結局は今の自分を語る仕儀と相成りました。