
KさんとOさん。 私のドラマ新人時代はこの2大スタープロデューサーが天下を分けていた時代だった。
スポーツ部から異動してきて最初に就いたのはKプロデューサーの番組。 私にとっては雲の上の人である。 「この連ドラをやってみてプロデューサーコースに進むか、 ディレクターコースに進むか決めればいい」 という有難いお言葉をKさんに頂き、 5ヶ月間、 セカンドADとして一生懸命働いた。 そして、 クランクアップの日。 札幌だった。 雪の中、 盛り上がる役者さんやロケスタッフ。 皆での乾杯。
私 「Kさん、 Kさんの下でワンクール連ドラやってわかりました。 僕はKさんのようなプロデューサーになりたいです!KさんのAPにして下さい!」
Kさん 「よーし、 わかった!!! 次の連ドラな! (笑顔)」
私 「ありがとうございます! (涙)」
感動的なシーンだった。
しかし…私の次の仕事は、 なぜかSプロデューサーの番組。 そしてサードAD。 全然、 話が違うじゃん!しかもセカンドからサードに落ちてんじゃん!Kプロデューサーは後で言っていた。 「わりぃ、 わりぃ!シフトがさ、 変わっちゃってさ (笑)」 プロデューサーは柔軟さが大切だKプロデューサーからはそのことを学んだのだった。
1年後、 紆余曲折を経て、 私はOプロデューサーの手掛ける連ドラのAPとなった。 ある単発ドラマの打ち上げで披露した 「裸腕立て伏せ・裸腹筋」 がOプロデューサーに高く評価され、 ついに掴んだAPの座だった。 プロデューサーになるため、 ドラマ人生における勝負所だった。 5ヶ月間、 APとして一生懸命働いた。
そして、 クランクアップの日。 最終回のラストカット。 山中湖付近のグラウンドで、 夕景狙いの富士山バック大ルーズを撮ろうとしたとき、 富士山に雲がかかっていた。
Oさん 「杉尾、 あの雲どけて」
私 「わかりました!」
裸で掴んだAPだから、 最後まで裸で勝負しよう!服を脱ぎ捨てた私はグラウンド中央に躍り出て富士山に向けて 「うおー!」 と大声を上げた…雲が流れていった。 かなりいいタイミングで。 ウケた。
もちろん、 打ち上げでも裸になったことは言うまでもない。 番組終了後、 Oさんは言った。 「次、 プロデューサーやってみる?」 プロデューサーは勢いが大切だOプロデューサーからはそのことを学んだのだった。
振り返ると、 愉快な先輩たちに恵まれてきたなあと思う。