ALL NIPPON PRODUCERS ASSOCIATON
私にとっての
『北の国から』

「北の国から」 プロデューサー 
杉田 成道
   幾時代かがありまして、 茶色い戦争がありました。 中原中也にこうして始まる詩があります。
  『北の国から』 も、 幾時代かがありまして、 数え切れないくらいの闘いの歴史がありました。 今になってしまえば、 どれも酒の肴の笑い話ですが、 その時は、 それはそれは切実な闘いでありました。
 思えば二十二年前、 フジテレビは二強二弱と言われ、 テレ朝と最下位を低迷していた時代でもあります。 「テレビ局は顔となる番組を持たなければならない。 特にドラマに何としても」 と、 切羽詰まったものと、 熱い期待が混じり合って、 『北の国から』 は胎動を始めました。 作家の倉本聰氏も、 富良野に隠棲して以来、 ここを正念場と定めていました。 局と作家が、 ともに最後の賭けに打って出たわけです。
 一九八○年。 富良野の秋は落葉が風に舞って嵐のように降り注ぎ、 山は音もなく揺れ動き、 不思議の国に迷い込んだアリスのように、 その幻想的な世界にただ呆然と、 僕らは立ちすくみました。 僕らスタッフはその時ほとんどが三十代、 これから先、 長い長い苦闘の時間が待ち受けていることなど、 誰も想像だにしませんでした。 喩えて言えば、 丁稚が奉公に上がった最初の日に、 初めて白米を食べさせられ、 世の中こんないいことがあるもんかと思ったら、 次の日から夜討ち朝駆け、 地獄の毎日が、 といったようなものです。 結局、 富良野の自然が心から美しいと思ったのはその一瞬だけでした。 それから先は、 僕らにとって、 富良野は鬼門となりました。
 それから二十二年間、 北の大地に怨念渦巻くドラマは枚挙にいとまがありません。 「北の国から裏ビデオ」 があるとするなら、 きっと本編よりも遥かに面白い 『喜劇版・北の国から』 になるでしょう。 喜劇はシリアスだからこそ、 喜劇たり得る、 を地でいくようなものです。 純君の台本には 「倉本、 杉田、 死ね、 死ね、 死ね!」 と書かれてありました。
 正直、 富良野が楽しいと思ったことは一度もありません。 それは重圧と、 責任感と、 己の才能への懐疑と、 他人への怒りと、 それらがごちゃ混ぜとなった自己嫌悪の日々であり、 この迷い地獄から一刻も早く逃れたく、 ただ毎日、 帰りたいと願っていた日々であります。 人の幸せがなんたるかを描こうとしながら、 人の幸せはこんなとこにはありゃしないと思う、 この自己矛盾の堂々巡りの日々でもありました。
 この間、 スタッフにもキャストにも、 僕にも、 さまざまな事件が起こりました。 結婚、 離婚、 誕生、 近しい者の死、 定年、 当人の病、 そして死。 一人欠け、 二人欠け、 もはや満身創痍の状況で、 同じチームを組むことは不可能となりました。 二十二年の苦痛を共有する仲間たちがあってこその 『北の国から』 でした。 この苦痛の共有感覚こそが、 一枚一枚の絵を作るエネルギーでした。
 ピリオドを打つとするなら、 この時を逃して潮時はないな、 と思いました。
 あなたにとって 『北の国から』 とは何でしたか、 と聞かれることがよくあります。 すると、 いつも一瞬詰まってしまいます。 答えに窮するのです。 相手の期待する答えは判りますが、 言えないのです。 言えるとすれば、 「僕にとっては仕事でした」 としか答えようがないのです。 「では、 あなたにとって仕事とは」 と問われたら、 初めて答えることができます。
 仕事とは私そのものです。 その出来不出来も含めて、 私そのものです。 それ以上でも、 それ以下でもないと思います。
 僕らスタッフは、 与えられた仕事に対して、 それぞれの人生の想いを言外に託し、 塗り込めていきました。 ただそれだけです。 仕事とはそういうものだと思います。 それは闘いの歴史でした。 闘うからこそ、 連帯が生まれました。 連帯が生まれたからこそ、 集中する力を生みました。 誰のせいでもない、 たまたまそういう巡り合わせだったんだ、 そう思ってます。
 ただ、 二十二年間、 同じ仕事に巡り会えたこと、 多くの人々が支えてくれたこと、 何より見えない幾千万の視聴者が温かく応援してくれたことは、 幸せでしたと言うほかありません。 ありがとうございました。
  「一粒の麦、 もし地に落ちて死なずんば」 という聖書の言葉があります。 『北の国から』 は、 死んで、 初めてもう一つの意味を持ってくると思えます。 そのためにも、 終わらなければなりません。 それは、 「新たなものを生み出す力」 が生まれることです。
 もう一つの 『北の国から』、 さらにまったく違ったもう一つの、 と新たな芽を吹き出していくことが、 『北の国から』 が終わる大きな意味であると確信しています。 若い制作者と、 局の双方に、 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、 負けてもともとの、 賭ける精神を期待してやみません。
2003年度第27回エランドール賞新人賞候補者決まるback会報トップページnextプロデューサーへの手紙