ALL NIPPON PRODUCERS ASSOCIATON
事務局あらかると

−師・小津先生の生誕一○○年と 〈協会〉の創立五十周年を迎えて
理事・事務局長 熊谷 健
−「小早川家の秋」小津先生と筆者−
 残暑きびしい九月八日の夜九時過ぎ、 会報 (十一月号/bR13) の編集会議を終 えて、 渋谷の夜の雑踏に心地よく疲れた身をまかせながら−ふと、私のバックの中に、 昭和五十二年 (一九七七年) 社団法人としてスタートした〈協会〉の会報、 創刊号が 入っている事に気付いたのです。 そこで、 飛び込んだ近くのビヤホールで、ゆっくり と取り出してみました。
 第一面に、 田中友幸会長と、 川口幹夫副会長・佐藤正之副会長のお写真と 「新・理 事会メンバー決定!」 の文字。 その終りのページに、 当時、私の所属していた国際放 映のプロデューサー・大木亀雄氏と、 中島正幸氏にすゝめられ入会した私の〈新入会 員〉の告知が掲載されているのです。 あれから二十七年…速いものです。思えば、 昭 和三十五年、 弘前大学在学中に観た小津安二郎監督の 「晩秋」 と 「東京物語」 に魅了 され急遽、 上京し小津先生とコンビの野田高梧先生のレッスンを受けるために、日本 大学芸術学部に編入したのが、 この業界とのなれそめだったのです。 あれから、 胸の 熱くなるような、 師・小津先生との出会いがあり、 その後特撮の神様・円谷英二先生 との出会いがあったのです。
 私にとって、 小津先生の 「人間の絆」 を大切にする死生観と、 一方 「映像のファン タジー」 とも呼べる円谷先生の世界も又大好きだったのです。幸運にも、 三十一才で プロデューサーとして 「ウルトラマン・シリーズ」 や 「白い荒野」 ・堺正章/夏目雅 子主演の 「西遊記」 や数々の二時間ドラマなど約四百五十本程の作品をプロデュース させていたゞきながら、田中友幸プロデューサーには、 強い静かな言葉で 「プロ デューサーとは何か!」 を教えていたゞいたのです。 そして、 いま、 一九五四年に創 立された私達の〈協会〉は来年晴れて五十周年を迎える!この時にあたり、すゝめら れ、 ことわりきれぬまゝに事務局をお引き受けする事になったのですが、 最後のご奉 公のつもりで、 もう一度、 初心にかえって 「プロデューサーとは何か?」を自分自身 に問いかけながら精進するつもりです。
 はたして、 〈協会〉は今迄通りの、〈親睦団体〉で良いのでしょうか?〈権利〉や、 プロデューサーの〈著作権〉をもっと主張すべきなのでしょうか?〈協会〉をいま以 上に世間にアピールしながら世界にはゞたく有望な新人プロデューサーの育成も又ひ とつの課題でもあるようです。杉田会長新体制のもと、 そんな、 いくつかのポイント を絞り込んで文化庁のご協力も得てひとつひとつの実現に向けて〈協会〉全体で努力 する時期でもあるようです。 切に皆様方のご協力を心よりお願い申し上げます。
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