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 最後にして 「最高」 のゴジラを!
(株) 東宝映画  代表取締役社長   富山 省吾
 田中友幸プロデューサーの指示で大森一樹監督と 『ゴジラVSビオランテ』 の台本を作り始めたのは1986年の事でした。 以来12本のゴジラの製作に携わって来ました。 そして誕生50年を迎えた今年、 最後のゴジラ映画 『ゴジラ FINAL WARS』 を製作することとなりました。
 なぜ最後なのか?。 近年のゴジラは数多くある人気キャラクターの1つにまで地位が低下しました。 ライバルはポケモンに始まった子供たちの好みの多様化に対応したファンシーなキャラクターたち、 そしてアニメでキャラクタービジネスを仕掛けて来たアメリカ映画です。
 この現状を打破するには中途半端なことでは解決できません。
  「50周年を機にゴジラと怪獣特撮の魅力と楽しさをすべての人に徹底的にアピールし、 ゴジラのブランド力を最高の位置にまで復元する」 ことを目的に、 背水の陣を敷いて 『ゴジラ FINAL WARS』 はスタートを切りました。
 北村監督の思いは50年の歴史を肯定した上で、 「今までに誰も見たことのないゴジラ、 そしてゴジラ映画」 を作ると言うことです。 「まったく新しいゴジラ映画を作る」 決意で2004年年明けとともにスタッフが結集しました。 海外からはK1戦士ドン・フライ、 メインタイトルデザイン、 カイル・クーパー (アメリカ)、 音楽キース・エマーソン (イギリス)、 挿入曲SUM41 (カナダ) が参加、 かつてない高密度の台本の元、 美術・視覚効果を始めとするすべての部門の製作費は膨らみ、 最終的に日本映画では破格の20億円に達しました。
 本編班・特撮班・特撮B班・海外班 (シドニー・ニューヨーク・海上・パリロケ)。 4班の撮影隊が100日の撮影を敢行し、 ゴジラを愛するすべてのスタッフ・キャストの思いと世界各地の才能とパワーが結集して、 2004年11月15日 『ゴジラFINAL WARS』 は完成しました。
 1954年に田中友幸・本多猪四郎・円谷英二という3人の日本の映画人が生み出した戦後最高のメイドインジャパン 「ゴジラ」 の歴史は、 今ここに幕を下ろします。
 願わくは 『ゴジラ FINALWARS』 を劇場で見た若き観客、 子供たちの中から将来映画の作り手が生まれ、 新たなゴジラ映画が復活する日が来たらんことを!!。
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