(社)日本映画テレビプロデューサー協会報 2008年2月号

初春のおよろこびを申し上げます

会長  杉田 成道   (フジテレビ)
会長 杉田 成道 (フジテレビ)

 明けましておめでとうございます。
 昨年は、 映画界では引き続き順風な風が吹いていたようです。 観客層の邦画回帰はもはや、 しっかりと根付いたように思えます。 ご同慶の至りです。 そんな中で特筆すべきは、 携帯小説の映画化といった、 まったく新しいジャンルの作品がヒットしたことです。 モバイル世代という新人類の台頭を予感させるこの潮流は、 今後、 どのような広がりを見せていくのか、 文化的意味でも、 注視する必要がありそうです。
 一方、 テレビの方はNHK改革への圧力、 民放では広告費の漸減傾向、 などから周辺事業の拡大、 モバイルなど新しい媒体への進出といった方向に、 生き残りに賭けて、 大きなグランドデザインを模索している状況です。 中でもドラマは、 (突出した番組を除いて) 全体的に視聴率は低迷状況にあり、 テレビ離れの傾向にますます拍車がかかってきているような感すらいたします。
 そんな中で、 昨年、 VIPO (映像産業機構)、 民放連から、 国際ドラマフェスティバルの立ち上げを要請されました。 世界に通用するソフト市場 (マーケット) を作ろうという、 コフェスタの一環としての事業です。 協会では、 重村副会長を実行委員長として、 全面協力することにいたしました。 経産省、 総務省の両官庁の調整から、 民放連、 NHK、 さらには、 スカパー、 WOWOW、 衛星放送協会、 音事協に至るまで、 かつてない広がりを持ったフェスタにすべく奔走した重村委員長の労力は大変なものだったと推察されます。 結果、 既報のように、 フェスタは短い準備期間にかかわらず、 大成功といってもよい滑り出しを見せました。 会員各位のご協力に心より感謝いたします。 ありがとうございました。
 この過程の中で、 大きなことに気づかされました。 それは、 NHK、 民放と映画を結ぶ、 業界を横断した組織は、 当協会をおいて他に存在しない、 ということであります。 しかも、 現場の中枢にいるプロデューサーのほとんどが参加しているゆえに、 実行力のスピードは他に類を見ないと言っていいでしょう。 そのことが今回、 特に民放連と、 総務省に認識されたと確信いたします。
 結果、 当協会はひとつのステイタスを獲得しました。 今後どのような展開を見せるか判りませんが、 いずれにせよ、 当協会が実行部隊として、 民放連、 NHKと協力して関わっていくのではないかと思います。 それは協会の認知度を一気に高めることに繋がると同時に、 会員の参加意識を高め、 所属することへの誇りをも生むことになるでしょう。
  「より、 行動する協会に!」
 人の輪を大きく広げ、 映像界全体の発展のために、 そろそろ、 寝た子を起こすときが来たのかもしれません。 年の初めに、 しばし、 一考されるのも一興でしょう。

会員年男・年女 新年の抱負を語る

昭和11年生

㈱マーズ・プロダクション  石野 憲助
㈱マーズ・プロダクション 石野 憲助
チュウの独り言

 協会の若返りが叫ばれている最中に、 どーして俺が? 32年間せっせと会費払って、 せっかく穏やかに何もせず、 役に立たずに来たのに。 今、 何か書くの? 今年干支だ鼠だって煽られて、 ネズミなんて協会にゃイッパイいるのになァ。 でも六回も巡って来た奴ァ少ねェのかもな。 アッ、 そうかァ!、 学校を卒業して48年間もこの道一筋でよくメシが食えたなァ、 有名でもねーし、 たいした映画も作ってネェのに。 その秘わ訣けを書けと言ってるんだきっと。
自慢じゃネェけどさ、 そりゃあ映画とテレビドラマ足せば、 千本位はやってるよ。 後ろ振り向く暇も無かったよ。 ドンパチから社会派まで無作為にさァ。 こうゆうの 「バカ」 ってゆうんだよな、 きっと。 先だって監督の佐藤純彌さんと仕事させて戴いた時、 同情された。 「プロデューサーって何んにも権利がないんだよなー、 いくらやっても」 で、 「辞めたらどうするの?」 って。 いけネェ、 こんな事書いたらまた若者が減るかナァ。

昭和23年生

松竹音楽出版  野村 芳樹
松竹音楽出版 野村 芳樹

 今年の干支は 「子」 で十二支の始まりの年にあたり、 例年にもまして新たな時代が巡ってきたような気がいたします。 加えて還暦ともなると、 ますます志を新たにという意気込みを求められるところですが、 そんな大それた抱負を持ち合わせませんので、 最近の映画の観客動員に関して感じたことを述べさせていただきます。
従来映画のヒットの大きな要因の一つに観客層の広さがあげられており、 我々映画製作者もそのことに主眼を置いた企画選びをこころがけていました。 そのこと自体は普遍の真実でしょうが、 ここ数年来、 水準以上の動員を達成した作品を思うと、 そのほとんどが作品それぞれのターゲットの観客年齢層のみで成功を収めている気がしています。 企画によっては、 今まで映画館とは無関係だった人達を大量に館に足を運ばせています。 そのこと自体は新しい映画ファンを獲得し、 喜ばしい限りですが、 反面、 どの年齢層の広く多くの人々にも支持される作品が少なくなっていった気がしております。
暦もひとまわりしたことでもあるし、 映画作りの原点を見つめなおし、 尖った企画より、 ゆったりとして、 落ち着けて、 誰もが見て楽しめる。 そんな映画と再びあいたいと思っています。

昭和35年生

東映  河瀬 光
東映 河瀬 光

 年男の抱負となればどうしても“人生”というものに考えが向かう。
エディット・ピアフは、 “がきんちょ”とあだ名され、 無邪気に強烈に、 短い生涯を駆け抜けた。 少なくともはた(・・)目(・)には、 かっこいい人生だが、 もう私にはかなわない。 彼女が亡くなったのは今の私と同年なのだから。
そこで最近好きなのは、 『晩年のスタイル』 という言葉。
この言葉には上等のステッキを思わせる趣があって、 いい感じなのだが、 それだけではない。
たとえば、 ベートーヴェンの晩年。 あらゆる妥協を拒否して、 それまで自分が作り上げてきたものすら破壊してしまう過激さ。 そしてその過激さが、 時代からずれている(晩年=Late)にもかかわらず、 時代に先んじる創造性を生んだのである。
言ってみれば、 晩年に至って“がきんちょ”性を発揮したということか。
このように『晩年のスタイル』 は、 これからの我々に希望を与える、 愉快な考えなのです。
なんとしてもこれが欲しい。 それが私の、 高く高く掲げた抱負である。
えっ? 晩年は良いとして、 今のスタイルは? 正月から野暮はご勘弁。

昭和35年生

朝日放送  深沢 義啓
朝日放送 深沢 義啓

 会報に載せる 「年男の抱負」 をお願いしたいと電話を頂いて、 始めて自分が年男であることを認識した。 考えてみたら4回目の年男だが、 今までも何も意識しなかったように思う。 毎年、 今年の抱負なんてものも考えたことはない。 常に新しいことへの挑戦、 新しい出会いを求めて突き進んできたと思う。 でも、 この歳になると少しは考えたほうが良いのかも・・・。 で、 今年の私にとって新しいことは弊社の新社屋記念のショートフィルムの製作である。 井筒和幸、 大森一樹、 崔洋一、 阪本順治、 李相日、 この5人の監督に 「子供」 をテーマに短編を撮ってもらうことをお願いした。 昨年から撮影に入って春頃までに完成させて7月に新社屋のホールにて上映予定であるが、 テレビの世界にいる人間にとって映画監督と仕事をすることは非常に刺激的であり、 もの作りに対する姿勢を改めて考えさせられる。 今年もイイ作品を作り続けたいと思う。

昭和47年生

ギャガ・コミュケーションズ  朴木 浩美
ギャガ・コミュケーションズ 朴木 浩美

 タイで象が出演するドラマを撮影してきました。 象がいるだけで時の流れが変わるような不思議な感覚に、 昔読んだ 「ゾウの時間 ネズミの時間」 という新書を思い出しました。 確か、 哺乳類がその寿命の間に行う心拍数や呼吸数は動物のサイズに関わりなく一定であるというような理論が書かれていました。 プロデューサーデビューから1年と少し、 ネズミのようにバタバタと心拍数を上げてやってまいりましたが、 いいかげん少しは免疫を高め、 多発する寿命の縮むようなショックへのストレス耐性を身につけたいものです。 ある先輩に、 怖れを持たぬ者は映画を作ってはいけないと教えられました。 昔は意味がわからなかったのが最近は少しわかる。 登山の途中で突然足元の崖に気がついたような恐怖、 作品が世に出る時の怖れ。 多くの方のアドバイスでなんとか乗り越えてまいりましたが、 今年は自分の精神力でその怖れを超え、 物作りに励みたい、 プロの領域へ行き着きたいです。


私の新人時代

藤倉  博
藤倉 博

 世の中、 東京オリンピックの年を迎え、 盛り上がる昭和三十九年二月下旬。
「藤倉、 チョット手伝えよ」 と、 幼なじみのN君から誘われる。
籍のある大学にも行かず、 働くでもなく、 無為に時を費やしていた私に、 紹介してくれた仕事が、 日本テレビ放送、 大映テレビ室製作の帯ドラマ 「この酒盃を」 である。
肩書きは製作進行助手、 もちろんフリーの立場だ。
邦画の製作・興行が落ちこみ数年、 各映画会社が、 活路を見いだす為に、 敵視していたテレビ局と組み、 自社の俳優・監督を起用、 テレビ部を創設、 フリーのスタッフを雇い、 テレビ映画の製作に乗り出していた。
「この酒盃を」 は、 芸者置屋の若女将 (長谷川待子) の愛を描くメロドラマだ。
ハワイ・ワイキキのホテル場面が、 予算の関係上、 外国人のエキストラを配置、 ハワイらしき物を飾り、 真冬の小湧園ホテルで撮影される。 参加五日目の私は、 プールサイドで、 一晩中、 ライトが倒れぬよう、 ガタガタ震えながら脚を押さえていた。
朝、 片づけを終え、 部屋に戻ると、 K製作主任から、 撮影済フィルムを、 直ぐに現像所へ運ぶよう言われ、 温泉にも入らず、 電車を乗り継ぎ、 横浜・反町の横浜シネマ現像所に納入した。
ここから仕上進行という職務も加わった。
午前中、 大久保スタジオ内編集室に詰め、 午後はロケ現場へ、 撮影終了後フィルムを現像所へ、 そして現像済ラッシュプリントを編集室へと、 次第に家に帰らず、 スタジオのソファーや、 新宿のスナックで寝泊まりするようになる。
アフレコが始まり、 助監督の指示で、 各プロダクションに予定を入れるが、 早めに呼ぶと俳優に怒られ、 待ちになってしまうとスタッフにどなられる。 不貞腐れ、 落ち込んでいると、
「しっかりしなさい、 そんな顔して。 次からは良く考えて仕事をするの、 明るい顔で」。
山岡久乃さんから優しく、 しかし厳しい注意を受けた。
半年後、 帯ドラマ 「娘の縁談」 に就き、 一年間の助手生活が終わる。
昭和四十年三月下旬、 「ザ・ガードマン」 の製作進行として、 本格的に、 この仕事と係わるようになる。
今、 「テレビ映画」 という名称は使われなくなった。

今、 なぜ黒 澤明作品なのか?

『隠し砦の三悪人』

東宝  山内 章弘
東宝 山内 章弘

 ある日、 次なる大作企画に思い悩み、 トイレで顔を洗って鏡を覗くと、 疲れた自分の隣に敬愛する黒澤明監督が立っていた。 「大丈夫、 お前ならやれるさ」 と監督はつぶやき、 ポワンと姿を消した。 私はその時、 「隠し砦」 の再映画化を決意した…などという 『普通じゃない』 エピソードが本作にある訳ではありません。
何故黒澤リメイク作がこれほど続くのか。 一般論で言えば2010年が黒澤監督の生誕100年だとか、 はたまたベストセラー 「国家の品格」 に象徴される、 日本人とはどうあるべきかの答えを黒澤作品に見出そうとしているのだとか、 様々な理由があると思います。
しかし本作に限って言えば、 黒澤作品の中で、 『より』 面白く、 広がりを持たせられる可能性を最も秘めている一作だったということに尽きます。 隠し砦の三悪人単純かつ緻密なストーリーの核があり、 それを今、 考えうる最高のスタッフ、 キャストが集結してさらに知恵を絞る…ワクワクするじゃないですか。 携帯時代に見合う 『スピード感』 を最も重視し、 人物構成、 敵の設定、 ラストの見せ場など、 大幅な変更をしている箇所も多くあります。 我々としては全く新しい傑作を誕生させる、 という意気込みを込めて、 『リメイク』 ではなく 『リボーン』 と称しています。
リメイクの一つの楽しみは、 「夢の対決」 が見られることだろうと思います。 過去の偉大な傑作と、 それに正面から立ち向かう、 現在を代表する監督や俳優陣。 野球で言えばベーブ・ルースとイチローがメジャーの舞台で一戦交えるような期待と緊張があるのです。
劇場を出たお客さんが 「あー、 面白かった」 と言わずにいられない映画を作ること。 これが、 我々の唯一にして最大の目標。 08年5月10日、 「夢の対決」 を是非お楽しみに。

「平成の天国と地獄」

テレビ朝日  黒田 徹也
テレビ朝日 黒田 徹也

 昨年2月、 三船敏郎さんの権藤金吾役を依頼するため、 佐藤浩市さんを囲んで食事をした。 鶴橋康夫監督はじめ、 出席者は大先輩ばかり。 初めは緊張していた私も酒が入って緩み始めた頃、 浩市さんが切り出した。 「現代では、 天国と地獄ってどこにあるんでしょうね?」 昭和37年3月、 日本中を釘付けにした映画 「天国と地獄」。 貧しいアパート暮らしの青年が、 窓から見上げる丘の上の豪邸にいわれなき憎悪を抱き、 身代金誘拐を企む。 45年前、 誘拐犯役・山崎努さんが、 裕福な会社役員権藤役・三船敏郎さんに差し向けたあの怨念と世情は平成の世に存在しうるのだろうか?という問いだ。 それは 「映画と同じ30年代で作るのはどうか」 という提案にも聞こえる。 その理は否定できない。 いずれにせよ、 突然話が核心に触れたことは間違いなく、 焼酎でほろ酔いだった気分が急速に醒めた。 「天国と地獄は人間の中にある。 したがって時代は問わない。」 元々現代版を考えていた私は、 企画者である五十嵐文郎局次長を横目で気にしながら、 そんなベタな答えをにわか仕込みしたのだが、 発言の機会はついに訪れなかった。
「格差」 「二極化」。 まるで45年前の 「天国と地獄」 の言い換えの様な言葉がメディアを賑わしている。 だからどうしてもテーマを重ねてしまう。 しかしあの時代と今では貧しさの本質が違うのだ。 黒澤明監督は、 死刑囚となった貧しい青年と、 成功者だった主人公を刑務所で対面させ、 青年の絶望の怒号が響く中で映画の終幕をドンと下ろした。 終戦後の生い立ちの宿命や、 経済成長の暗部など、 当時の社会現実を突きつける、 あまりに有名な衝撃のラストシーンだ。 あれは、 現代版ならどう描くべきなのか…
「まあ、 第1稿を読んでくれよ。」 暫くして鶴橋さんの脚色本が届く。 構成は映画に忠実だ。 ところが、 主人公夫婦の機微、 誘拐実行犯の女の母性、 刑事の想いなど、 心情を語るシーンが随所に加筆されている。 俯瞰から人間社会を観察する黒澤映画に対して、 鶴橋版は人物に入り込んでその営みを内側から見つめている。 ラストシーンはなんと、 地位財産を失った権藤夫妻が一から出直す暖かな日常風景だ。 鶴橋さんは時代を飛び越え、 テレビジョンという別次元で 「天国と地獄」 を見事に捉え直していた。 すっと肩の力が抜けた。 そして数ヵ月後、 「現代版」 の撮影が始まった。

只今撮影中

BS‐i プロデューサー   丹羽多聞 アンドリウ
BS‐i プロデューサー 丹羽多聞 アンドリウ

 BS‐iで 「ケータイ刑事銭形海」 を撮影中である。 現在6シリーズ目に入っている。 DVDの売り上げが昨年10億円を突破した。 BS発のドラマとしては記録を作ったと思う。 現在は大政絢という新人女優が主演している。 シリーズ物は確実に人を育てていく。 彼女も数年後に全国公開の映画や地上波で主演をはれるだろう。 これまでケータイ刑事でドラマ初主演した女優に宮﨑あおい、 堀北真希、 黒川芽以、 夏帆、 小出早織といるが、 みんな活躍している。 しかし、 育っているのは俳優だけではない、 若手の脚本家やディレクターなどもこの枠でデビューしてもらっている。 女優の方が早く名前が出るので目立つが、 スタッフにとっても登竜門である。 だから続けていきたい。
私はこのシリーズで毎クール顔合わせの度にキャスト・スタッフに言っている事が2つある。 「テレビは冒険だ」 と 「出来ないと言うのをやめよう」 というものだ。
最初のシリーズ 「ケータイ刑事銭形愛」 で、 番組を全編ワンシーンワンカットで撮影した作品がある。 間違ったら頭からやり直しである。 チーフディレクターの平野俊一君にとにかくカットを割るなと演出を依頼した。 CMを先に消化し本編が始まってからの全編ワンシーンワンカットは私たちにとって初めての事だった。 カメラは手持ちで建物の外から中まで動く。

「ケータイ刑事銭形海」
電話のやりとりも実際やり、 回想シーンもワンカットの中で試みようとした。 しかし撮影前日、 リハーサル前に平野君とカメラマンが 「出来る、 出来ない」 で口論になったという連絡を受けた。 カメラマンはプロデューサーである私の前では言えなかった不安を年下の監督にぶちまけたのだ。 すぐにそのカメラマンを更迭した。 ワンクール一緒にやってきた彼にはショックだっただろうが、 出来ないという事を言うスタッフは要らない。 結果は伝説になる素晴らしい一話になったと自負している。 ワンシーンワンカットはキャスト・スタッフの息が合わねば絶対に出来ない。 スタッフはケータイ刑事の仕事に誇りと自信を持ってくれた。 その後もケータイ刑事では全編活弁やオペラ編、 ミュージカル編、 サイレント、 公開収録、 バーチャル物など1クールに一度の冒険作を入れている。 冒険は長寿番組をマンネリ化させない秘訣でもあるのではないだろうか。 この会報が出る頃にはケータイ刑事初のフィギュア劇というのを作っている。
テレビは冒険だ!!

事務局だより

◎正会員入会

太平 太 (NTV)   佐藤 貴博 (NTV)  畠山 直人 (NTV)

◎退会

武田  敦 (功労・大映)

◎訃報

  • 功労グループ (東宝) の金子正且氏は去る11月21日逝去されました。
    89歳でした。
    ご生前の功績を偲び、 心からご冥福をお祈り申し上げます。
  • 功労グループ (NTV) の津田昭氏は去る12月9日逝去されました。
    85歳でした。
    ご生前の功績を偲び、 心からご冥福をお祈り申し上げます。

平成19年度臨時総会ご報告

平成19年12月12日 (水) 午後6時30分から、 アリマックス・ホテル渋谷において、 正会員502名のうち委任状と合わせ386名が出席して、 定款変更の定数を満たし、 互選により杉田成道会長が議長席につきました。
議案は 「事務所移転に伴う定款第二条・事務所所在地の変更について」 議長より別紙定款の変更条項及び事由書を配布して審議し、 満場一致でこれを可決し、 総会終了致しました。
以上 「平成19年度臨時総会」 のご報告と致します。 (事務局)

2008年エランドール賞 授賞式・新春パーティーのお知らせ

(日 時)

平成20年2月7日 (木) 18時受付 18時30分開会 20時30分閉会

(場 所)

新宿京王プラザホテル南館5F エミネンスホール (立食形式)

(パーティー会費)

  • 正会員の方は、 毎月の会費に含まれています。
  • 賛助会員・功労会員・地方会員の方でご出席される場合は案内状をご確認の上チケットをご購入下さい。
    チケット代は8,000円です。
  • 一般の入場者の方は当日会場前の受付にてご購入下さい。
    チケット代は15,000円です。

※会場内の撮影は禁じます
会員の皆様の多数のご参加をお待ち申し上げます。

2008年エランドール賞取材のお願い

報道関係の皆様にはご多忙とは存じますが、 何卒取材賜りたくお願い申し上げます。
(取材受付) 会場前受付にて代表の方が記帳し、 名札着用をお願いします。
(受付開始) 17時 (取材開始) 17時30分予定
協会プレス担当がご案内致します。 受賞者取材スペースは未定です。
詳細につきましては事務局へお問い合わせ下さい。

インフォメーション

◎会議の記録と予定

  • 12月10日 (日) 会報委員会 (事務局)
  • 12月12日 (水) 第6回定例理事会
    平成19年度臨時総会 (アリマックス・ホテル)
  • 12月18日 (火) エランドール委員会 (事務局)
  • 1月15日 (火) 会報委員会 (事務局)
  • 1月18日 (金) 第7回定例理事会 (東映)

社団法人 日本映画テレビプロデューサー協会 新住所

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〒164-0011 東京都中野区中央1ー13ー8 大橋セントラルビル2F

TEL 03-5338-1235
FAX 03-5338-1237

  • JR総武線
        東中野駅東口より 徒歩7分
       大久保駅北口より 徒歩12分
  • JR山手線
       新大久保駅より 徒歩15分
  • 都営地下鉄 大江戸線
       中野坂上駅 A1出口より 徒歩7分
  • バス 渋64中野坂上経由 中野駅行
       宮下交差点バス停より 徒歩6分
  • バス 渋64 中野坂上経由 渋谷駅行
       東中野二丁目バス停より 徒歩6分