日本映画テレビプロデューサー協会報2008年7月号

第32回通常総会を終えて

会長  杉田 成道

会長 杉田成道  昨年度はある意味で当協会に対するひとつのターニングポイントになったのではないかと思われます。まず映像産業振興機構VIPOと連動して当協会が運営の中心となり「国際ドラマフェスティバル」を開催致しました。これは、民放連、NHK、ATP、映連、WOWOW、映像に関わるあらゆる団体が参加して、総務省・経済産業省のバックアップの下、これから海外に日本のマーケットを広げていく為の指標となる運動体、コアとなる運動体を作ろうという事でなされたもので、非常に短期間の準備にも関わらず各社の協力を得ることにより、とりあえずひとつの船出を順調にすべり出す事ができました。本年度は、いよいよ本来の目的でもあった「国際マーケットの開設」と「アワードの設立」という二つを柱に、前年度の倍の規模で行われる事になりました。映像産業に関わる全ての団体が関わることになるでしょうが、そこでまた我々プロデューサー協会が中心となることによって、各団体との人的交流及び情報の交換という事で大きなメリットが生まれるのではないかと思っております。今回も皆様方に多大な御協力を要請することになると思いますが、エランドール賞と並んだ大きな柱として、ひとつご協力を宜しくお願い致します。総会風景
  それからもうひとつ、昨年度は携帯小説の映画化が爆発的なヒットになるというような、今までにない大きな流れの変化が見られました。放送・広告業界の不振の後押しもあるのかテレビと映画との垣根が急速に無くなっていき、それがさらにネットとの融合にならざるを得ないという状況になって来ています。好むと好まざる如何に関わらずこの放送・映画と通信との融合の動きは、ここ1~2年でさらに加速度を増してくるのでしょう。
  それに伴っていわゆるテレビ・映画のプロデューサーというものではない、今までとは違った意味のプロデューサーがこれから続出するのではないかと思われます。同時に我々はそういうところとも手を組んでいかないとなかなか思い通りの成果を得られないという事がもう現実のものになりつつあります。
  そういう意味で当協会も新しい分野の人たちの勧誘を促してプロデューサーの範囲を拡大し、新しい融合、新しい形態での映像を生むようなものに寄与できる総合力を持ったプロデュース集団になって行くことが望ましいのではないでしょうか。
  我々と一緒に情報を共有できるような新しいエリアの人々を受け入れて、新しい集団、新しいプロデューサー協会を目指していきたいと思いますので、どうぞ宜しくお願い致します。

映画「靖国」顛末記

アルゴピクチャーズ  岡田 裕
アルゴピクチャーズ  岡田 裕

  昨年九月、当社の配給業務の担当者から「靖国」という映画の配給協力をするので観てほしいと言ってきた。虎ノ門の小さな試写室で観たところ、特に過激な内容でもなかったので、靖国問題に関する理論武装することと、オピニオンリーダーを探すこと等を指示して現場に任せた。十二月までに都内四館の劇場が決まり、宣伝態勢の打ち合わせに入った。十二月末になって「週刊新潮」に「反日映画『靖国』は「日本の助成金750万で作られた」という記事が出た。「反日映画」という見出しにはちょっと引っかかった。映画「靖国」は決して反日映画ではない。八月十五日の終戦記念日に靖国神社に集まる様々な人々を解説なしに正面から撮っているドキュメンタリー映画である。そこには演技する俳優も出てこないし、また作られた演出もない。靖国神社の実写とカットバックする形で、戦前に靖国刀を作っていた刀匠へのインタビューが何回か挿入される。監督が刀匠に問いかけ、寡黙な刀匠が答えるのをそのまま描写している。外国人にとって日本刀というのは奇異な存在だと思う。中国人である季櫻監督はこの日本刀に着目し、靖国神社が日本人にとってどういう存在なのかを探り出す一つの切り口とした。正直言って私個人はこの映画を観るまで、靖国問題にはあまり興味がなかった。というよりは、太平洋戦争にいたる日本人の心の奥底の問題については無理に触れたくもなかった。しかしこの映画では、その問題をもう一度考えて下さいと言っている。だからといってこの映画が反日映画とは思わない。年が明けて二月、文化庁から映画の試写をやりたいのでプリントを貸してくれと言ってきた。マスコミ用の試写をやっているのでそこで観て貰えないかと言ったら、国会議員さんの要望で試写会をやるのだという。一部の議員さんによる、内容のチェックのための試写は不快なので、それでは全国会議員さん対象の試写会を開こうということになった。そのことが新聞の社会面で報道されたことから三月十二日の議員試写会はかなり緊迫した雰囲気の中で行われ、賛否それぞれの立場からの発言があり、それに対する報道が過熱していった。そして三月十五日、新宿の映画館から上映をやめたいという通告があり、その後三月末までの間に、街宣車や右翼の電話攻勢のなかで、他の三つの映画館も上映を取りやめた。映画館の降りる理由は共通で、近隣の施設や他の映画の観客に迷惑がかかるということだった。映画館もお客さん相手の商売をしているのだから、一概に責めるつもりはないが、一度は覚悟してこの映画を上映しようと決めて、現場のスタッフは頑張っていたのに、なぜこんなに急に潮が引く様に止めるのかと考えたとき、街宣車や電話などという表立った妨害だけではない何か別の圧力も感じた。新たな上映場所を求めて模索している最中に、今度は、この映画が作られる過程での違法性を追求するという形で、上映差し止めをさせようという動きが出てきた。靖国神社内で無許可で撮影している部分を削除せよという要求と、撮影に協力した刀匠に圧力をかけ、自分の出演部分を削除してほしいと言わせる働きかけをした。この二つの問題に関しては、製作側は弁護団を組んで緻密に対応しているのでここでは詳しくは書かないが、ドキュメンタリー映像で描かれる画面の表現の自由の問題について検証中であるし、また刀匠と製作者の関係も極めて友好的であり、ルールに則っていたことが確認されている。週刊誌の「反日映画『靖国』」の記事に始まり、国会議員の試写の強要、文化庁への助成金認可に対する抗議、各映画館の上映自粛、そして製作過程の違法性を事件化しようとする動き、これら全てを含めてこの映画を人々の目に触れさせたくないという大きな圧力を感じる。それでも映画「靖国」は、現在のところ、日本全国四十館以上の映画館で粛々と上映される予定である。この映画の上映を支持してくださった方々に感謝する。

只今撮影中

フジテレビ ドラマ制作センター  村瀬 健
フジテレビ ドラマ制作センター  村瀬 健「太陽と海の教室」

 会報をお読みの皆さま……皆さまは今どんな場所にいらっしゃいますか?きっと多くの方がクーラーの効いた涼しい室内でこの会報を手にしていらっしゃるのではないかと思います。僕は今、海にいます。目の前に広がる青い海を見ながらこの原稿を書かせて頂いております。日本で最も有名な海水浴場、湘南・江ノ島海岸の広大な砂浜のその隅っこの一角で……燦燦と降り注ぐ太陽の光を一身に浴びながらひっそりと……背中を丸めてこの原稿を書かせて頂いております。このところ毎日のように湘南に来ております。と言っても勿論遊びのはずもなく……7月21日から始まるフジテレビ系月9ドラマ『太陽と海の教室』の撮影で連日湘南に来ているのです。月9ではなんと17年ぶりとなる学園ドラマを真夏の太陽の下、海辺の町・湘南で目下撮影中なのです。
  『太陽と海の教室』は、湘南を舞台に繰り広げられる明るく突き抜けた夏らしい学園ドラマです。主人公は、湘南にある超有名進学高校に赴任してきた教師で、偏差値至上主義かつ受験重視の教育を当たり前のように受けてきた生徒たちが度肝を抜かれるほどの真っすぐさを持った今どき珍しい一風変わった「教師バカ」。演じるのは、織田裕二さん。織田さんが職業モノとしての教師役に真正面から取り組むのは意外にも今回が初めて。高校生の時から織田さんのドラマを見て育ってきた僕にとって織田さんは、僕の脳内「理想の教師像ランキング」で常に最上位に君臨して来た方でした。いつか自分が学園ドラマを作れる時が来たなら絶対に織田さんに教師役をお願いしたい……ずっとそう思っていました。そんな僕の想いが叶ったのが今回の企画です。これまでに数々の代表作・当たり役をお持ちの織田さんに満を持して教師役に挑んで頂くにあたり、一体どんなキャラクターにすれば最も魅力的かつ面白い教師像になるか「太陽と海の教室」撮影風景……この企画を考えた当初から、脚本の坂元裕二さんと一緒にそのことをひたすら考えておりました。その結果たどり着いたのが「海」というキーワードです。「真っ黒に日焼けした織田先生が生徒たちの目の前に海から登場する!」……そんな羽茶目茶な1シーンが坂元さんの中から生まれてきたのです。「これだ!」と思いました。普通の役者さんなら成立しないようなこんな無茶なシーンも織田さんならおもいっきり突き抜けた面白いシーンになると思いました。こうして、「太陽の下、キラキラ輝く海をバックに人生の素晴らしさを謳う熱い教師の物語」が誕生したのです。
  そうして今、僕たちは湘南の太陽と格闘しながら連日撮影の日々を送っています。日焼け跡がもの凄く痛いです……。でも、誰よりも真っ黒に日焼けしているのはやっぱり織田さんです。びっくりするくらい、ホントに真っ黒です!そんな織田先生が、ここ湘南で生徒たちと一緒に一体どんなドラマを紡いでいくのか……。ぜひご注目頂ければと思います。

私の新人時代

東映 テレビ企画制作部  小嶋 雄嗣

東映 テレビ企画制作部  小嶋 雄嗣 入社後半年の研修を経て配属されたのがテレビ部でした。それから約半年はデスクで雑用係をしながら先輩プロデューサーたちのお手伝い。20年以上前のその頃はまだメールどころかバイク便もなく、ファクシミリもテレビ部にはまだなかったという今では考えられない時代ですから、原稿の受け取りや電話の伝言等々文字通りの雑用係。しかし、このときに諸先輩の仕事の仕方を見様見真似ながら覚えることができたのかもしれません。
  初めてついた作品では、アシスタントプロデューサーとは名ばかり。右も左も分らぬまま走り回っていたと言えばまだ格好もつくのでしょうが、ただただ現場の邪魔にならないようにするのが精一杯。どう走っていいかも分らず立ち尽くすことも多かったのでした。
  そのときに先輩のプロデューサーから言われたのが「今やっていることが(自分の)やりたいことなんだ。他にはないんだよ」という言葉。どうしてもよそ見しがちだった私には身にしみたこの言葉、今でも座右の銘として肝に銘じています。
  その作品が無事終わって間もないころ、TBSさんで「新進ドラマシリーズ」を製作することになりました。これは、それまで、局のディレクターや新人ライターの作品を製作してきた延長線上で、東映・東宝・松竹・大映テレビの4社の若手プロデューサーに一時間ドラマを一本ずつ作らせようという企画でした。そのとき私が提出した企画が「応為坦坦録」という葛飾北斎親子をめぐるドラマでした。東映だから時代劇ということもあったのでしょう。私が東映分を担当することになったのです。
  さぁ、率直に言って困りました。まだ経験もほとんどない上に東映京都のことなど何ひとつ知らない私が、たった一人で放り込まれたのですから。その頃の東映京都といえば「怖い」ところというのが通り相場でした。しかし、聞くと見るとは大違い。入ってみれば仕事熱心な素晴らしい職人魂溢れる人たちの集まりで、何も分らぬ私を温かくかつ厳しく迎えてくれました。
  この作品で忘れられないのが、あの岡本太郎画伯に出演交渉に行ったということでしょうか。江戸時代の絵画の巨匠・葛飾北斎を演じてもらおうというのですから、無鉄砲というか物を知らないというか…… 怖いもの知らずでお電話をかけて青山のご自宅にまで押しかけたわれわれを、嫌な顔一つせず応対していただいた岡本画伯の迫力は今も忘れられません。ただし、出演についてはあっさりお断りされたのですが(笑)
  今でもときどき無鉄砲をしたくなるのはそのときの記憶が残っているせいかも知れません。「雀百まで踊り忘れず」です。

事務局だより

◎正会員入会

◎退会

2009年度協会会員手帳について

「2009年度協会会員手帳」の編集が始まります。掲載事項変更希望のある方は、8月末日までに事務局までご連絡下さい。

インフォメーション

◎会議の記録と予定

6月9日(月)   会報委員会  (事務局)
6月25日(水)  第1回定例理事会  (NHKエンタープライズ)
6月23日(月)  親睦委員会  (事務局)
6月25日(水)  第1回定例理事会  (NHKエンタープライズ)
7月16日(水)  第2回定例理事会  (東映本社)
8月18日(月)  会報委員会  (事務局)