日本映画テレビプロデューサー協会報2008年11月号

特集 大型企画1 『坂の上の雲』

NHKエグゼクティブプロデューサー   西村 与志木

 NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」は昨年の11月にクランクインして以来、ほぼ1年になろうとしています。今、前半の最大の山場ともいえる9月の第二次ロシアロケ、10月の中国ロケ、11月のヨーロッパロケという大規模海外ロケーションをやっているところです。これだけの規模のロケーションが海外の3地域にわたって立て続けに行われるのは、NHKドラマの歴史でも全く初めてのことなのです。我々としてもこれほど近接したかたちで海外ロケを3つもやりたくはなかったのですが、8月に北京オリンピックがあり、とにかくそれが終わらないと撮影許可を出せないということから空前の海外ロケラッシュになったのでした。この原稿は中国ロケまっただ中の10月の14日に北京から帰国したばかりで書いています。中国ロケは上海オープンセットから始まり、北京の飛騰オープンスタ坂の上の雲ジオ、そして内蒙古ロケと転戦していきます。上海のオープンスタジオでは明治初期の東京の新橋や銀座のシーンを撮影。日本の着物姿の中国のエキストラに日本人として出演してもらうと微妙な不自然さが出てしまうところがありましたが、指導のおかげで劇的に変化しました。三日間の上海ロケを終えて大部隊は北京に移動。飛騰オープンは北京郊外にあり茨城県にある江戸ワープステーションの三倍以上の規模を誇る中国らしいオープンです。ロケは深夜に及ぶこともありましたが清朝時代の北京の設定、そこに出演する俳優さんやエキストラ、中国スタッフの生き生きした表情は北京の秋の青空と同じように清々しいものでした。内蒙古でのロケはいよいよ日清戦争の戦闘シーンの撮影です。大規模な騎兵戦の場面もあり、馬担当のスタッフは九月初旬から内蒙古入りしていました。中国スタッフの協力を得ながら迫力ある戦闘シーンがどう撮れるか、腕の見せ所です。中国ロケと並行しながら始まるヨーロッパロケは主人公の秋山真之が実際に軍艦「朝日」を見たイギリスのポーツマスでの撮影、またフランスのサンシールでは兄の秋山好古がフランス式騎兵を学ぶシーンなど、いずれも歴史上実際にあった場所での撮影が予定されています。「坂の上の雲」の撮影はまだまだ2010年末まで続きます。ですからちょうど三分の一が撮り終わろうとしているといったところでしょうか。まだこれから「二〇三高地」や「日本海会戦」といった山場がドーンと控えています。放送はいよいよ来年の秋から第一部(1回~5回)が始まります。続けて第二部(6回~9回)が2010年秋、第三部(10回~13回)が2011年秋に放送される予定です。撮影三年、放送三年とテレビ的なスケジュールを越えた作品です。是非、ご覧いただければと思います。

特集 大型企画2 『20世紀少年』
日本テレビ コンテンツ事業局 映画事業部 プロデューサー  飯沼 伸之

 映画「20世紀少年」は近年では本当に製作されなくなった3部作という構成で、本年8月30日、明年1月31日、そして秋と公開されていく、ビッグプロジェクトとしてスタートいたしました。それは、ひとえに原作者・浦沢直樹さんの、約50年に及ぶ、壮大かつ圧倒的なストーリーで読者を魅了した、原作コミック(小学館ビッグスピリッツコミックス刊)があったからに他なりません。累計発行部数2500万部を超え、全世界12カ国で翻訳出版されたこのモンスターコミックは、映像化不可能、現代コミック界の最高峰、全世界実写化待望etc、壮大なストーリーにふさわしい、形容詞が付いて回りました。映画業界関係者、原作ファンのみならず、多くの方の注目を浴びていた、実写化にあたっては、原作権の取得の際から、多数のオファーがあったと聞いております。日本テレビとしても複数のプロデューサーが担当し、原作権取得から製作の布陣まで、万全の体制を敷き、浦沢直樹さん、長崎尚志さん(企画・共同プロット制作者)に映画化権取得のお願いをいたしました。
  最終的に日本テレビへ許諾をいただいたときは、部をあげて、歓喜したことを今でも覚えています。20世紀少年
  ただ、一つ申し上げたいのは、原作権取得の決め手は、莫大な製作費でもなく、3部作という構想でもなく、日本映画の集大成を作りたいという意思を持って、映画化権取得にあたった、佐藤敦プロデューサー他(日本テレビドラマ制作部)の強い熱意であったと浦沢さん、長崎さんから聞いております。
  この熱意が大きなうねりとなり、堤幸彦監督をはじめとした素晴らしいスタッフと、主演の唐沢寿明さん、豊川悦司さん、常盤貴子さん他の当代随一のキャスト陣が集結できたのだと思います。
  8月30日に公開された「20世紀少年」第1章は観客動員300万人を超え大ヒットしております。
  映画の宣伝も世界的な原作コミックの実写化にふさわしく、フランス・パリでワールドプレミア上映を行い、特に世界で初めてルーブル美術館のモナリザの間で記者会見を開くなど、世界に日本のエンタテインメント映画の素晴らしさをアピールできたと思います。一方のアジアでも、韓国、香港、台湾、シンガポールと次々に公開されております。
  本年1月のクランクインの際、堤監督の挨拶に「世間をあっと驚かせよう!」
  との言葉ありました。まさに、今、日本だけでなく、世界中が「20世紀少年」に驚いているといえるでしょう。
  3部作の映画ですので、現在、堤監督は2章の公開に向け仕上げをしながら、3章の撮影をするという離れ業を行っております。2章の宣伝展開も1章に引き続き、凄い仕掛けを用意しております。
  原作者・浦沢さん、長崎さんが蒔いた種がコミックで大きな花を咲かせ、映画実写化で大きな実を結びました。これは、面白いものを作ろう!いい映画を作ろう!という熱意の・水・が脈々と流れての結果だと思います。3章の公開は来年秋。まだまだ、20世紀少年の旅は続きますが、この旅を世界中の人々と一緒になって楽しんでいけたら素晴らしいなと思っています。

只今撮影中

楽映舎   前田 茂司
楽映舎 前田 茂司『ホームレス中学生』

 「ホームレス中学生」お笑いコンビ「麒麟」の田村裕さんが自身の貧乏体験を綴った大ベストセラー。誰もがそのタイトルを聞いた事がある筈です。
  その映画化にあたり、まず最初に出てきた問題は、主演の小池徹平さん扮する田村少年がホームレス生活を送るメイン舞台の「まきふん公園」でした。
  まきふんとは巻貝型の大きな滑り台(色も形もまきふんそのもの)の呼び名で少年のホームレス生活の・家・となる最も重要な場所。設定は真夏。しかし撮影時期はまだまだ寒さの残る3月中旬と決定しておりました。
  実際に存在する大阪の公園を使用する事も考えましたが、周りの木々は当然寒々しく、映画撮影をするにもベストの環境とはいえませんでした。そうして出てきた次の案はセット。大きいスタジオに公園のセットを組む・。確かに夏の空気は作り出せます。しかし当然の如く撮れるアングルは限定され、同じシーンの中で場所を別撮りということも考えなくてはなりません。映画としては大きなリスクになります。大きな壁にスタッフ一同、あれこれと意見を飛び交わし悩んでおりました。その時監督の古厩智之氏が突然、遠い目をしながら呟いたのです。「沖縄って僕、行った事ないんですよねぇ」「?…あ、そうなんですか」「冬でも半袖だっていうし…ねぇ?」「…まさか」「うん、沖縄行きましょう。沖縄。楽しみだ」「…………」
  こんな監督のなんとも気軽な発言から映画「ホームレス中学生」はスタートしました。
  この会議の直後には速攻スタッフを沖縄に派遣し、ロケハンを開始。しかしなんといっても難しいのは、・吹田・というごくごく普通の大阪の住宅街を見つけるということでした。ホームレス中学生
  大阪(しかも吹田)らしい沖縄の公園…というなんとも矛盾したこの響き。
  県内の公園という公園を虱つぶしに探します。しかし当然の如く何処を見回しても沖縄なのです。建物も植物も全てがウチナーなのです。地元フィルムオフィスの協力も頂き、これならいけるのでは…?という場所がいくつか見つかったものの、監督の富士山のように高い理想のハードルを中々クリアすることができず。「次がダメなら、もう沖縄に公園はありません」とスタッフが泡盛片手に呻き、あきらめ半分に監督に見せた最後の公園が、浦添市にある今回の舞台となった公園でした。
  監督「うん、いいですね。ぴったし」まさに9回裏逆転ホームラン。
  撮影の藤石氏、美術の松宮氏らと打ち合わせを重ね、見事何処にでもある大阪の公園が沖縄に誕生しました。しかしまだまだ問題は山のようにありました。
  「まきふん」の制作から、第二のポイントとなる大阪の集合マンション等など…。
  関西圏の集合住宅は全て回ったといっても過言ではありません。
  そうして3月に沖縄からスタートした撮影は、大阪、京都へ移動し、4月末に無事クランクアップする事ができました。現場では「まきふん」という昨今、中学生でも中々言わない言葉があちこちで飛び交っており、若い女の子達も大声で「まきふんまきふん」と叫ぶ始末。…映画って恐ろしい…。と改めて思ったものです。これだから止められません。
  こんな(?)素晴らしいスタッフ、キャストの方々、地元の人々の協力に恵まれ、映画「ホームレス中学生」は完成することができました。人の温かさや弱さを改めて見せてくれる素晴らしい作品です。

私の新人時代

角川映画   井上 文雄
角川映画  井上 文雄「それは今日この頃です」

 フリーの助監督でこの業界に飛び込み、本人は「大器晩成」を謳い文句にがむしゃらに作品作りに没頭していた20代、知らぬ間に監督デビューを逸した観が仲間内に漂い出していた30代、チーフ助監督で参加していた連続ドラマで脚本担当を仰せつかい、いつのまにかクレジットはプロデューサー補に変っていた40代。製作会社の状況で半ば強制的ではあったが時間に追われる脚本作りも満更ではない自分に気づいた。バジェット管理、キャスティング、企画立案がメインとなり先輩から「監督を諦めたか、お前はPが向いてるよ、その方が良い」と妙な励ましが多く寄せられ…。監督の話は勿論、演出の仕事は一切なくなってしまった。演出部廃業。肩書きはプロデューサーとなったが現場ではついついキャメラ脇に張り付き段取りが気になってしまい、口やら手が出てスタッフから小姑Pと煙たがられる日々。「現場は任せてよ、それより予算もっと頼むよ」と監督の嫌味。その上のキツイ一言は「立場変ると言うこと変るね」「向こうの人になっちゃったね」全く自分では意識の無いことなのに、これはいかんぞ。「初心忘れず、心良き有能なスタッフがいて良質な作品が生まれると自負していたじゃないか」本当に感じています、かつての素晴らしい同僚・後輩スタッフが私の唯一の財産であり、どんなに良い脚本と潤沢な予算があってもスタッフの和が無ければ駄作になってしまうことは。初めてメインで手がけた作品、脚本を推敲し監督・俳優を決め、そして真っ白なスタッフ表を埋めるべく連絡を取る瞬間、心地よい緊張感が走る。自分にしか組めない、今回限りの、この作品のためだけのチーム編成、しびれます。まったく同じスタッフが集うことは決してない。作品が変れば確実に組み合わせは変わる。と言う事で遅咲きの新人プロデューサー、相変わらず老体に鞭打ち居心地の良い現場に向かいます。最近ちょっと嬉しいことは初めて会う若いスタッフに「お噂はいつもお聞きしています。何かあったら井上さんに聞けと○○さんに言われてます」「何よ、君の師匠筋は○○か」「ハイ!」当然可愛くなって食事に誘います。「で、彼は何て言ってんだ俺のこと?ん?どうなの?」

事務局だより

第五回プロデューサーズカフェ 参加希望者募集!!

2009年エランドール賞 授賞式・新春パーティーのお知らせ

     詳細は12月号でお知らせ致します。  会員の皆様の多数のご参加をお待ち申し上げます。

◎退会

◎訃報

     Fグループ(⑭C.A.L)の鶴間和夫氏は去る十月九日逝去されました。
     六十七歳でした。ご生前の功績を偲び、心からご冥福をお祈り申し上げます。

インフォメーション

◎会議の記録と予定