社団法人 日本映画テレビプロデューサー協会 会報 2009年3月号

2009年 エランドール賞受賞者の言葉

          

         受賞された5名の方々に、受賞の言葉をいただきました


プロデューサー賞

映画「おくりびと」
株式会社セディックインターナショナル 中沢 敏明株式会社セディックインターナショナル 中沢 敏明

プロデューサーという仕事は、「縁の下の力持ち」だと思ってやって参りました。ですから、表立って華やかな賞を頂くのは、いささか面映い気もいたしましたが、同じプロデューサーの皆様から授与されるこの賞は、特別なものと感謝し、頂戴いたしました。
心より御礼申し上げます。
この度「おくりびと」は、有り難いことに、たくさんの賞を頂きました。
これは決して「努力の賜物」ではなく、私は「幸運」と思っております。
私にとっては、手がけた作品はどれも同じように大事な映画で、企画から上映にいたるまでは、全て私の責任です。公開を迎えられることを確信した時点で、私の仕事は終わり、また次の企画に向かって行こうと心がけ、そのようにして参りました。
しかしながら、映画というものは、自分なりの「正解」「不正解」があっても、結果は必ずしもそうではなく、いつもそれと格闘し続け、喜んだり、苦しんだりしてきました。
「邦画が好調」と言われますが、やはりハリウッドの凄さには、かないません。力尽くだけではなく、その間口の広さ、奥深さに、畏敬の念を抱かざるを得ません。
私は、我々日本人の歴史、習慣、イデオロギーを、農耕民族として描いてはどうかと思うようになりました。
車や電化製品が世界で認められているように、映画もmade in japanとして通用させるべく、「本物」を作るために、山形庄内に巨大なオープンセットを作りました。
ここで、CGに頼らず、可能な限りリアリティに溢れた映像を作っていきたいと考えたからです。
映画は、一人では作れません。協力をして下さる皆さんのおかげで、作品が商品となります。
私は脚本も書けませんし、監督もできません。技術的なことは、もっとわかりません。
けれども映画が大好きです。
これからも、自分のペースで、周囲の皆さんの協力を得ながら、仕事をしていきたいと思っております。
今後も、「座頭市/The Last」など数本、製作をいたしますが、また皆様にご覧頂ければ幸いです。


プロデューサー奨励賞

映画「クライマーズ・ハイ」
株式会社ビーワイルド 若杉 正明 株式会社ビーワイルド  若杉 正明

この度、栄えあるエランドール賞プロデューサー奨励賞を戴き、全ての関係者の皆様に心からお礼申し上げます。
私はテレビ番組製作会社を運営していく中で、突然映画界への参入を果たしました。
その意味では自他共に認める映画界への横入り組だと思って参りました。
そして「横入り」だからこそ出来た、怖いもの知らずの取り組みで成立した映画もあります。賞をいただくきっかけとなった「クライマーズ・ハイ」も完成までにはいくつもの困難な山がありました。その山を乗り越えることが出来、映画がヒットして評価されたことは監督・脚本家、そしてスタッフ、出演者の皆さんのおかげであることは言うまでもありません。
今回はプロデューサーに与えられる賞ということで、私が代表させて頂いてはおりますが、敢えて付け加えさせて頂くならば、クライマーズ・ハイの成立から現場までを取りまとめた久保理茎プロデューサーを称えたいと思います。
今回の受賞を励みに、これからも皆さんに受け入れられる映画作りに邁進していきたいと思います。


プロデューサー奨励賞

映画「相棒─劇場版─」
東映 株式会社 香月 純一 東映 株式会社  香月 純一

  たいへん名誉ある賞をいただき、光栄に思っています。実は昨年のパーティで福引が当ったのですが、プロデューサーを生業としているのだから、福引も嬉しいけれど、本業で賞がいただけたらいいなと思っていました(笑)。
「相棒」は10年前に作り始めた時から「大人の鑑賞に耐える作品」を目指してきました、私が子供の頃には、例えば、「お荷物小荷物」や「寺内貫太郎一家」といった素晴らしいドラマがありました。子供心にも面白かったのですが、きっと大人としてみたらもっと面白いのだろうと思い、早く大人になりたかったものでした。そういう心持ちで作ってきた作品なので、大人の中の大人が集うプロデューサー協会で評価されたことは大いなる喜びです。
この賞は無論多くの方々のご協力でいただけたものです。水谷豊さん、寺脇康文さん、そして今日お祝いに駆けつけて下さった六角精児さん始めキャストの皆さん、松本プロデューサー始めテレビ朝日の皆さん、和泉聖治監督始めスタッフの皆さん、多くの方々を代表していただきます。最後になりましたが、私の「相棒」である東映の須藤泰司・西平敦郎・土田真通の三人のプロデューサーに感謝したいと思います。ありがとうございました。


プロデューサー賞

テレビ「篤姫」
NHKプロデューサー 佐野 元彦NHKプロデューサー  佐野 元彦

  「篤姫」で、エランドール賞テレビ部門作品賞、そしてプロデューサー賞を頂けた事に、心から感謝を申し上げます。それも、一緒に「篤姫」を作り上げた宮あおいさん、瑛太さん、松田翔太さんが新人賞を受賞され、ともに喜びを分かち合えたことは、感激の極みです。この受賞が心から嬉しい一番の理由は、「モノを作ること」の喜びと苦しみ、酸いも甘いも知り尽くされた「作り手」の皆様方から授けられる賞であるからです。テレビドラマ、そしておそらく映画にとっても、時代がいつも追い風であるわけではありません。もしかしたら今も逆風の真っ只中かも知れません。だからこそ、「モノを作ること」への誇りを持つための「元気の素」のひとつとして、ずっと、この賞は大きな意味を持ち続けると思います。間違いなく私にとってはそうです。この度は本当に有難うございました。


プロデューサー奨励賞

テレビ「相棒Ⅵ」
テレビ朝日 編成制作局 ドラマ制作CP 松本 基弘テレビ朝日 編成制作局 ドラマ制作CP  松本 基弘

  自分はなんて幸せ者でしょう。この仕事をさせてもらえているだけでもありがたいのに、その上に表彰までしていただけるなんて。
プロデューサーというのは裏方の裏方だと思っていました。脚本を書くわけでなく、演出をするでもなく、ましてや演じるなんてとんでもない。ただ、思いだけで作品作りに向かっているわけですから。
ところが、表彰式当日、忙しい中プレゼンターとして登壇して下さった主演の水谷豊さんから、「作品を作る際、最も重要なのはプロデューサーである」とのお言葉。これ以上の感激に勝るものは無いでしょう。
この言葉に恥じないよう、もっとおもしろく、もっとたくさんの人たちに喜んでもらえる作品作りに向かって、精進していきます。本当にありがとうございました。

只今撮影中

NHK  後藤 高久
NHK 後藤 高久連続テレビ小説『つばさ』

  近ごろスタジオ前室やロケ先で収録モニターを眺めていると、「あれ、『つばさ』って、こんなにぶっ飛んだドラマだったの?」と思う瞬間が度々あります。
劇中人物が登場する際に炭酸ガスが噴き出るわ、サンバダンサーたちが茶の間で踊るわ、鉄道の廃線をトロッコに乗って登場人物がやってくるわ、通常の朝ドラでは考えもつかない状況になっています。「辞表の2、3枚も書いておけ」と上司に言われながらも、一向にこの暴走機関車と化した撮影現場を止めない私はどうよ…と思うのですが、監督はじめスタッフと出演者全員が、バカバカしくも泣けるドラマを作ろうと努力する姿を見ると、もっとやってと言いたくなるのです。
一見ドタバタ喜劇のように見えるこのドラマですが、その企画の根本にあるのは、生きることの苦しさであり、心に負った傷の痛さです。不幸な人生経験を語らせたら三日三晩でも語りつくせない、と自負するスタッフが集まって台本作りをしているので、はじめ『つばさ』は本当に根の暗い物語として生まれました。
家出した母の代わりに一家の主婦となったヒロインのつばさ、借金で首が回らなくなって戻って来た母、妻を愛することが人生の目的と思いこむ父、不肖の娘への愛と憎しみをぶちまける祖母。定番の朝ドラ家族とは一線を画する、心に傷を抱えた人々が一所懸命にあがく姿を描く物語ができあがりました。
でも、朝から重苦しいドラマをお見せすることが本意ではありません。
人生嘆いているだけじゃダメ!
苦しく悲しい運命を笑い飛ばそう!
というのが、『つばさ』の大きなテーマなのです。もし、つらく苦しい日常を笑うことができれば、きっと明日を生きる希望が生まれてくるはず…。
連続テレビ小説『つばさ』そう思えばこそ、サンバダンサーたちが茶の間で踊ることは『つばさ』にとって必然なのです。支配層の弾圧に耐えながら、いつか自由になる日を夢に描いてリオの奴隷たちが踊ったサンバは、まさにこのドラマの精神そのものです。なぜか荷物運搬用のトロッコを使って演じられる数々のシーンは、ここではないどこかへ行きたいと願う人々の切実な思いを反映しているのです…たぶん。
というわけで、『つばさ』は連続テレビ小説史上、もっともバカバカしく、もっとも切ない物語を目指して制作中です。ヒロインに若手の注目株・多部未華子さん。そして、高畑淳子さんの母に中村梅雀さんの父、吉行和子さんの祖母、ほか芸達者な出演者の方々が濃く突き抜けた芝居を見せてくれます。
不況不況と不安な世の中、疲れた心に栄養補給。日本の朝に元気と笑顔をお届けするべく、3月30日から半年間放送です。どうぞ、ごひいきのほどよろしくお願いします。

私の新人時代

東宝  堀口 慎

東宝 堀口 慎 私が劇場勤務などを経て、初めて東宝の製作現場を経験したのは1990年代であった。当時の東宝スタジオは、現在とは異なり、東宝映画作品以外はほとんどCMしか入っていず、昼でも閑散としていたものである。
また、東宝の自社製作も年1本の平成ゴジラシリーズ以外は、市川崑作品+αという状況だった。その平成ゴジラシリーズにスタッフとして参加したわけだが、年末の公開を受けて、年が明けてシナリオ作りに着手、5月にクランクイン、8月に特撮班がアップ、ポスプロを経て秋のTIFFに間に合わせるというのが、恒例のスケジュールだった。
当時のスタッフには、成瀬組や黒澤組に関わったなんて人はざら、川島雄三の撮影中のエピソードなども聞くことが出来た。しかし、その一方で、まだ組合の力が強く、撮影が過酷になると「スタッフ会議」が招集され撮影が中断、監督は手持ち無沙汰にディレクターズ・チェアに座っているといった奇妙な光景も見られた。
1990年代後半、東宝がぴあと共同で「YES・プロジェクト」なるものを立ち上げた。PFF出身の俊英を監督として迎え、五千万円台の製作費で映画を作るという趣旨だった。私が初めてプロデューサーとしてクレジットされたのは、この中の矢口史靖監督の「ひみつの花園」であった。この作品、例えばヒロインの衣裳(ワンピースばかり)の番数がかなりの数に上り、中には東宝の女性社員からお借りした衣裳もあるなど、インディペンデントに近い部分もあった。現在の東宝から考えるとかなりドラスティックな試みではあったが、ショック療法としては大いに機能したように思える。
東宝の自社製作(東宝が幹事会社になっての製作)のエポック・メイキングとなったのは、意外に感じられるかも知れないが、2002年の「模倣犯」であったと思う。2001年春にこの長大な原作を30枚ほどにリライトした時は(まだワープロの時代だった)、これも製作まで行き着くのは難しかろうと思っていた。それが、意外にも速やかに決定した。
この流れが軌道に乗ったのは2004年ということになるのだろうか? 東宝の映画製作の過渡期を経験してきた感がある。

事務局だより

◎退会

会報3月号記事の訂正とお詫び

当協会で3月1日に発行致しました会報3月号の第三面「只今撮影中」の記事の中で、執筆者 TBSテレビプロデューサー間瀬泰宏さんのお名前を間違えて掲載致しました事を心よりお詫び申し上げ訂正させていただきます。宜しくお願い申し上げます。
2009年3月10日 社団法人 日本映画テレビプロデューサー協会事務局

~総会と懇親パーティーのご案内~

第33回通常総会を左記により開催致します。正会員の方はご出席ください。
総会終了後、恒例により懇親パーティー(午後6時開宴予定)を開きます。賛助会員の方々も、お誘い合わせの上、是非ご参加下さい。

インフォメーション

◎会議の記録と予定