社団法人 日本映画テレビプロデューサー協会 会報 2009年6月号

【映 倫】 映画倫理委員会
  映画の入場年齢制限区分表の表記を改定

映画の新しい4つの区分  劇場で上映される映画を事前審査する第三者機関・映画倫理委員会(5月1日付で「映倫管理委員会」から名称変更)は、年齢によって入場制限などを定める区分の表記を、五月から改定すると発表しました=別表。

 新たな区分表記は、年齢を問わず誰でも鑑賞できる「G」、18歳以上の「R18+」、15歳以上の「R15+」、12歳未満には保護者の助言、指導が必要となる「PG12」の四段階になります。
  従来は「一般」「R・18」「R・15」「PG・12」で、実質的な区分の仕方や審査基準に変更はありません。
  映倫は「禁止や制限よりも、年齢別に観覧を薦める意味合いを強めるため、表記をマイナスからプラスに変えた」と説明しています。全国の映画館にポスターを配布するなど、周知を図ります。
  また映倫は、表現の自由をうたうとともに、審査基準を分かりやすく明文化した「映画倫理綱領」を新たに制定しました。
  以下に前文を掲げます。

  【映画倫理綱領  映倫維持委員会  2009年4月23日制定】

19世紀末に起こり20世紀に花開いた映画は、歴史的試練に耐えて映像文化のパイオニアとして100年にわたり心の原風景とも言うべき喜びを、人々の記憶に刻んできた。そして、わたしたちは21世紀のこれからも、映画が映像文化の中核的存在として人々に支持され、愛されつづけることを願っている。
わたしたちは、映画が観客や社会に与える影響の大きさを自覚し、1956年、映画人としての責務を果たすべく、独立した第三者機関である「映倫管理委員会」を、他のメディアに先がけて設立した。そして、法や社会倫理に反し、とりわけ未成年者の観覧につき問題を生じうる映画について、社会通念と映画倫理規定に従って自主的に規制を行ってきた。それは、映画製作者が外部からの干渉を排除して自由に製作できる環境を作るとともに、観客の見る自由を保障し、さらに、次世代を担う未成年者がその成長に際し対応を誤ることのないよう配慮したからである。
「映倫管理委員会」設立50年を経た今、内外の環境や人々の意識の変化に対応するため、ここに、名称を「映画倫理委員会」に改めるとともに、従来の「映画倫理規定」に代えて、21世紀の課題に対応した新しい「映画倫理綱領」を制定する。

こんにちはFC(フィルムコミッション)です

石狩フィルムオフィス 沼田 慎吾
石狩フィルムオフィス 沼田 慎吾「海、山、川、そして港のあるまち石狩」

  こんにちは。石狩フィルムオフィスの沼田慎吾です。
私達のまち、「石狩市」は、札幌市の北側に隣接し、日本海に面する夕日が美しい海岸線や、北の大河「石狩川」、暑寒別天売焼尻国定公園を有する自然豊かなまちです。江戸時代初期には河口部流域が「場所」(アイヌと交易する区域)に指定されたことや交通の要所であったことから、西蝦夷地の中心地として重要な役割を果たしてきました。「海、山、川、そして港のあるまち石狩」近年は、石狩湾新港をベースにした国際的な文化・経済拠点として、めざましい発展を遂げています。また、サケ漁・ニシン漁とともに栄えた400年の歴史を感じさせる「弁天歴史通り」や「厚田資料室」、「はまます郷土資料館」、約180種類の海浜植物が自生する「はまなすの丘公園」、雄大な日本海に沈む夕日を望む「夕日の丘」や道内で一番最初に認定された、恋人の聖地/厚田公園展望台、トレッキングコースとして注目を集めている「濃昼山道」、登山愛好家に人気の「黄金山」などがあります。食文化は全国的に有名である石狩市発祥の「石狩鍋」に代表されるように、海の幸(サケ、ウニ、ホタテなど)、高品質の野菜(アスパラ、ミニトマトなど)、果樹(サクランボ、イチゴなど)、食材の宝庫です。海、山、川、そして港のある街石狩は絶好のロケーションを持っております。石狩フィルムオフィスは、日本映画界が今後さらなる発展を遂げるよう全力で支援いたします。

北九州フィルム・ コミッション協議会  日々谷 健司
北九州フィルム・ コミッション協議会 日々谷 健司「拝啓 プロデューサー殿」

  初めましての方もそうでない方もこんにちは!
1989年から活動している日本最古のFC組織『北九州フィルム・コミッション』です!
早速ですが、映画は祭! ROCK’NROLL!
我々は市民と一緒に熱く楽しみながら一年中祭りをやってます。
撮影中はスタッフと共に泊り込んで24時間体制で一緒に映画を作る。撮影のお手伝いではなく一緒に映画を作っているというプライドと責任感が自慢です。「拝啓 プロデューサー殿」
「No guts’ No glory’ Go for it」(ガッツのないヤツに栄光はない。やってみろ!)
がんじがらめの日本の撮影環境。でも不可能なことなんて何もない。面倒くさいだけ。
絡みつく問題を一つ一つぶっ潰していけば殆んどのことは出来る。
それをやるかやらないか。北九州FCはやる。長年培ったノウハウと祭り好きな市民のバックアップが強みです。
日本はハリウッド映画を誘致しようってより、日本映画を世界マーケットに乗せてハリウッド映画と勝負することを考えるべき。そのためにFCが出来る事は撮影環境の向上。
ここ数年、街中5差路8ブロックの終日封鎖や小倉のメインストリート2車線を使った撮影などを実現してきた。少しずつ不可能を可能にしています。
一緒に世界制覇を目指しましょう!
北九州フィルム・コミッション一同

只今撮影中

フジテレビ  ドラマ制作センター  小池 秀樹
フジテレビ ドラマ制作センター 小池 秀樹『魔女裁判』

  3月末から撮影が始まったフジテレビ土曜23時放送中のドラマ「魔女裁判」。同時間枠としては破格の大法廷セットをはじめ、個性的かつ多彩なキャストが揃った、日本初の「裁判員制度」をテーマにした連続ドラマです。題材的には社会派なイメージですが、その括りには捕らわれない幅広い視聴者の支持を集められるエンターテインメントを目指し、スタッフ一同日々撮影にのぞんでいます。
物語は資産家殺人事件で起訴された「魔女」の異名をとる被告の裁判で、裁判員に選ばれた主人公が評決の買収に巻き込まれ、謎の組織と戦うというクライムサスペンス。有罪か無罪かをめぐり、弱みを握られた裁判員の面々がギリギリの心理戦を繰り広げます。謎の組織を誰が操っているのか? 公判が進むにつれ買収劇はエスカレート。仕掛けられた様々な謎が解き明かされていきます。主演の生田斗真さんは単独連ドラ初主演という事で、入念にキャラクターを作り上げて撮影にのぞみ、現場には良い意味での緊張と気合が伝わってきます。さらに被告を演じる石田ゆり子さんの謎めいた美しさ、そして加藤あいさんをはじめとした一癖も二癖もある裁判員たちの面々。誰もが怪しく見え始め、資産家殺人事件への様々な憶測は羅生門的な展開を見せはじめます。次々と起こる不可解な出来事と主人公たちに迫る危機、そして逆転に次ぐ逆転。裁判員制度という極めて社会的な題材を扱いながらも内容はノンストップ・サスペンス。息をつく隙を与えません。
このドラマは昨今では珍しく、企画書の段階で全話分のプロットを入念に作り上げ、その後、脚本家と内容を詰めるスタイルをとっています。また、撮影開始の時点では裁判員制度が施行されていないため、複数の法律専門家からアドバイスを受けながら設定を緻密に積み上げ、更にエンターテインメントとしてどこまで面白くその設定が崩せるのか?崩したとしてそこに矛盾が生じないのか? 見てもらいたいターゲット層から乖離しないのか? プロデューサーの立場としてバランスを考えつつ、常に視聴者と主人公が同じワクワクやドキドキを共有できる事を第一に考えながら「面白くなるまでとことん粘る」というスタンスを貫いています。その甲斐あってか、内容はもちろん映像もフジの土ドラにふさわしくエッジの効いたものになっています。手前味噌になるかもしれませんが本当に面白い作品に仕上がっています。
準備期間が短い中での完全オリジナル作品の制作は数々の困難が伴いましたが、5月20日現在6話目の収録もほぼ終わり、いよいよラストに向かってスタッフとキャストが一丸となって突っ走ります。その勢いと活気は画面に満ち溢れておりますので是非ご覧いただければと思います。

私の新人時代

松竹  田村 健一

松竹 田村 健一 入社5年目、映画プロデューサーの社内公募が行われました。当時、経理部にいた私は喜び勇んで応募したところ、何がどう間違ったのか合格し、30歳にして映画製作に携わることになったのです。
初めての仕事は、山田洋次監督の「学校・」のオーディションの手伝いでした。ヒッチハイクで旅をする主人公の少年役を探して、何度もオーディションを繰り返し、ついに監督面接に至りました。監督をはじめメインスタッフが居並ぶ前に、トラックの運転席を模して椅子を2脚ならべて、少年とドライバーの会話をテストしようというのです。私は長距離トラックのドライバー役をやることになりました。腕を前に伸ばし、あたかもハンドルを握った風で、トラックに乗り込んでくる少年に、「お兄ちゃん、どこへ行くんだい?」と声をかける。少年が台詞を続けようとしたそのとき、監督の厳しい声が会議室に響きました。
「君!」。監督の目は私に向けられていました。「君の乗っている車は何なんだい?」。緊張しながら私は「トラックです」と答えました。「どんなトラックなんだい?」「長距離トラックです」「長距離トラックのハンドルはどうなってるんだい」「」。私は乗用車のハンドルを握っている演技をしていたことに気づきました。あわてて、両手を大きく広げて大型のハンドルを握るようにしました。「そう。じゃあ、始めから」。こうしてオーディションは始まったのでした。
スタンドインに過ぎない私に演技指導がでるとは思ってもいませんでした。たとえオーディションといえども(否、オーディションだからこそ!)、いい演技を引き出すためには決して妥協を許さない監督の姿勢に畏怖の念を覚えました。映画は人の手によって作られるものなので、作り手が妥協した時点でクオリティは止まってしまうのだということを学んだような気がします。
オーディションが終わり、本木克英監督の「釣りバカ日誌イレブン」にプロデューサー助手として携わることが決まりました。閉鎖されることが決まっていた大船撮影所での撮影は、このときが最初で最後でした。
現在は、山田洋次監督の「おとうと」に携わっています。10年目にして初めての山田組を経験しましたが、監督が出演者の細部にまで丁寧に演出されている姿を見ると、当時のオーディションのことが思い出されます。

事務局だより

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◎退会

インフォメーション

◎会議の記録と予定