社団法人 日本映画テレビプロデューサー協会 会報 2009年11月号

国際ドラマフェスティバルを終えて

国際ドラマフェスティバル in TOKYO 2009

  今年は複数の会場で4日間に亘って行われた「国際ドラマフェスティバル in TOKYO 2009」、協会員の皆様の多大な協力を頂いて無事終了致しました.。
 石坂浩二さん、長野智子さんの司会で行われた10月19日の「東京ドラマアウォード」授賞式には会場の明治記念館に関係国際ドラマフェスティバル in TOKYO 2009者・取材陣も含め、溢れんばかりの人達が集まりました。「発表は当日」となっていた気になる作品賞の行方ですが、グランプリの栄冠には、衝撃の内容で話題をさらった「アイシテル~海容~」が輝きました。優秀賞として「ROOKIES」「風のガーデン」「ありふれた奇跡」「空飛ぶタイヤ」と2本の単発ドラマ「お買い物」「刑事一代~平塚八兵衛の昭和事件史」が選ばれました。いずれもただハイクオリティというだけでなく、今年のキャッチフレーズ通り、非常に力のある「世界に見せたいドラマ」が選ばれております。特に「アイシテル~海容~」は先にカンヌで行われた世界最大のコンテンツ見本市であるMIPCOMにおいて、「MIPCOM BUYER AWARD FOR JAPANESE DRAMA」も受賞、海外各国のバイヤーからも・世界に通じる作品である・と絶賛されたのでした。メインであるこれら作品賞に彩られた中、個人賞受賞で登壇された方々(主演男優賞:中井貴一 主演女優賞:天海祐希 助演男優賞:遠藤憲一 助演女優賞:戸田恵梨香 脚本賞:倉本聰 プロデュース賞:次屋尚 演出賞:宮本理江子 新人賞:溝端淳平 川島海荷)の豪華さも際立っておりました。講評を行った審査委員長の岸惠子さんの受賞作品一つ一つへの言及にも心打たれた方が多かったのではないでしょうか。続くパーティーでは昨年同様、上海テレビ祭のタン・リーチュ国際ドラマフェスティバル in TOKYO 2009ン マネージング・ディレクター、ソウル・ドラマ・アウォードのイ・ジョンボン事務総長、広瀬実行委員長の間で硬い握手が交わされ、更なる各国間の交流を誓い合ったのでした。
 翌20日は海外招待作品の上映会と「ヒットドラマの舞台裏」と銘打ったシンポジウムが、「ROOKIES」からは小出恵介さん・桐谷健太さん、「アイシテル~海容~」からは佐野史郎さん・板谷由夏さんという、プロデューサーだけでなく出演者も参加するという豪華な布陣で行われ、その濃密な内容に会場が大いに盛り上がりました。
 都合3回行われ、一区切りを迎えた国際ドラマフェスティバル。スタート時に言われていたホップ・ステップ・ジャンプのジャンプを終えた今、その成果はどうだったのでしょうか? その跳躍距離は? その着地は、更なる跳躍にむかえるようなスタイルで出来たのか? プロデューサー協会の皆様はどうお感じになりましたか? 猛禽類の集まりである皆様に御馳走感を感じて頂けたなら幸いです。   小寺 尚  (フジテレビ)

特集 松本清張生誕100年企画

特集企画① 25年ぶり36作目の松本清張原作映画化 電通・東宝提携作品

『ゼロの焦点』
㈱電通 エンタテインメント事業局 部長  雨宮 有三郎

  昭和の巨匠・松本清張原作の映像化は、映画35作、テレビドラマ400作超を数えます。弊社では、先輩諸氏が91年に「松本清張作家活動40年記念松本清張特選12作テレビドラマスペシャル」の製作・放送の推進、没後(92年ご逝去)も北九州市松本清張記念館発足に努められました。その後04年には、清張ブーム(「砂の器/TBS」、「黒革の手帖/テレビ朝日」の連続ドラマシリーズが高視聴率で脚光を浴び、出版でも増刷・新文庫シリーズ発刊)がありました。この流れの中で、四半世紀ぶりの映画化の可能性はないかと考え、ナック菊地様に36作目映画化のオファーを申し入れ、09年12月生誕百年公開に合わせた映画化を04年東宝映画との企画会議に提案しました。その後、東宝・東宝映画(本間・大浦プロデューサー)両社と5年の歳月をかけて松本清張生誕百年記念映画化に取り組み、電通・東宝提携作品として製作に至りました。生誕百年にふさわしい作品の選定には最も時間を要し、犯罪の動機が社会背景に因る社会派推理小説を選ぶこととし、先生ご自身がその代表作としている、原作の構えが大きい、ヒロインミステリーであることで、数ある作品の中から「ゼロの焦点」に決定いたしました。
 先生への畏敬の念を込め原作に忠実に、高度成長へ突き進んだ昭和30年前半に戦争の傷跡で事件が起きるという時代設定は変えず、清張原作の普遍性と新たな創造とのバランスを考えプロット開発に取り組みました。「タッチ」「眉山」と東宝映画との作品が続く犬童監督が奇しくも清張先生の大ファンで、共同脚本では登場する三人の女性に優しさを注がれ更に魅力のある女性像に描かれています。キャストは、これ以上あり得ない実力派女優三人が揃い、映画をより一層スケールの大きいものとしてくれました。舞台設定も原作どおり厳しい北陸金沢の冬にこだわり、撮影はのべ101日間、12の都道府県、韓国までのロケーションとなりました。幾度もの大変な局面を乗り越えられた東宝映画・犬童組の長期に渡るご努力には頭が下がります。犬童組では昭和30年代の世界を妥協することなく再現、見どころのひとつとなっています。主題歌は中島みゆきさんにお願いし、メッセージ性の強い「愛だけを残せ」は映画をより引き立ててくれるものとなりました。従来の清張ファン、清張映画未体験の皆様にも、犬童監督演出によるキャストの熱演で、見ごたえのある重厚な人間ドラマに仕上がったとプロデューサー一同自負しております。2009「ゼロの焦点」製作委員会 2009年11月14日 東宝邦画系にて公開 ご期待ください。
 公開までの取り組みとしては、ターゲットを従来の清張ファンはもちろん、女性全般をメインに置き、確実にリーチ、動員に結び付けるべく、三女優によるメインビジュアルに華やかさを持たせた表現(鎌田宣伝P)で広告展開を考えました。タイアップスポンサー各社(JR東日本、サラヤ、日本コカコーラ、木下工務店)にもメインビジュアル及びタイアップCMの露出で多大なご協力をいただいております。併せて18社の製作委員会でも、清張名作ドラマの再放送(テレビ朝日)、書店店頭展開(日販)等、各社の領域でご協力を仰いでおります。
 最後に本作にかかわられた全ての関係者の皆様(同志となった東宝・東宝映画の皆様、犬童組スタッフ・キャストの皆様、松本家、ナック菊地様、製作委員会の皆様、スポンサー各社、清張記録館、弊社ゼロ焦チーム他)には心から深謝申し上げ、本作が・点・から次作への・線・となることを祈念しつつ、微力であるからこそ全力でプロモーションに注力し続けたいと思います。 (敬称を略させていただきました)

特集企画②  JNN50周年特別企画 松本清張生誕100年スペシャル

『中央流沙』
毎日放送   登坂 琢磨

 『中央流沙』は『点と線』や『ある小官僚の抹殺』等と合わせ、文字工から這い上がった松本氏自身の人生が重なる「小官僚モノ」のひとつと言われる。ノンキャリものとでも言ったほうが今は伝わりやすいのだろう。言葉一つとっても一世代前の物語なのだが、入社後間もない私は「松本清張ドラマシリーズ」を企画書にまとめた縁があった。あの頃は「違いの分かる」大人ではなかったが、こうして制作者として20年たった今、巡り会えたのは感慨深い。松本作品の深いところを味わえる年代になりお許しを頂けたのか。
中央流沙 思うに人間の興味は貪欲で、剥がされるベールの向こうが近寄りがたいものであればあるほど快感に浸れるものらしい。政権交代も酒井法子の報道加熱も、ベールを剥ぐ欲求が積み重ねられた末の出来事だったのだと思う。「官僚汚職」を描くこの物語の面白さは、そんな内幕の暴露だった。それを描く視点が「小官僚(ノンキャリ)」であるのがこの作品の親しみやすさだ。
 運命の中、足掻くか足掻かないかの選択。原作は官僚社会に生きる小官僚を2つのキャラクターで描いている。ささやかな果実を求めて動き抹殺される者と静かに観察に徹し生き延びようとする者。石黒賢さんと平田満さんが好演してくださった倉橋と山田、どちらの生き様も軍配は沈痛で息苦しい。一言で言うと救いがない。ドラマ化に当たって気になったのは、45年前の原作のこの結末だった。権力の暴走を前にじっと堪え通り過ぎるのを待つのではなく、今の小官僚なら何らかの反発をするのではないか? 着眼したのは現在の庶民感覚を取り入れることだった。それは非力な小官僚の悲哀を描くに留まっていた原作を、大胆にアレンジすることでもあった。
清張誕生100年 小官僚が覗いた官僚社会の内幕を、もっとも非力で縁遠い庶民代表の主婦が垣間見ること。これで今様の『中央流沙』が出来るのではないか? 殺された倉橋の遺族が反発することで大きな山が動き出すカタルシス。ほかならぬ主婦がドミノ倒しの先頭を切る。このポイントが見えたところで、脚本家の洞澤さんが乗り出したのを記憶している。和央ようかさんを起用することは企画を進める上で最初に決めたことだった。本作がテレビドラマ初出演で初主役、おまけに主婦役初挑戦になった経緯である。
 撮影は都内のほか間に中国・桂林のロケを挟み、インフルエンザの脅威にさらされながらも新潟ロケを最後に9月末、終了した。一ヶ月に及ぶマラソンを完走したスタッフの忍耐に賛辞を送りたい。
 また、今回TBS編成の十二氏からお声掛け頂かなければ、本作の制作者に名を連ねさせて頂くことはなかった。準キー局でドラマをつくり続けるには厳しい状態が続いている。演出の山本とともに恵まれた機会を頂いたことをこの場を借りて感謝したい。

私の新人時代

大映   佐藤 正大

大映 佐藤 正大 一九六九年、大映東京撮影所にたった一人の助監督として入社したころの撮影所はまだ全盛期の姿そのままで、広々とした芝生の広場や撮影用のプールを中心にしてスタジオや諸施設が取り囲み、今にして思えばなかなか贅沢で優雅な別世界の趣でありました。とはいえ建物は老朽化してさすがに歴史を感じさせましたが、斜陽化著しい映画業界を象徴するに余りあるものでした。さてそこで何をしたかといえば、いきなりフォース助監督として放り出されて、右も左も分からぬまま腰に雑巾をぶら下げて衣装やら小道具やらを探して走り回っているばかりでした。「こんな姿は親には見せられないなぁ」などと思いながら、さらに追い打ちをかけるように小道具や衣装部のおっさんにいじわるされながらやっと見つけてスタジオに入れば撮影がすでに終わっていて手にした物は役立たずじまいだったり、「何もしなくていいから邪魔になるな」などとどやされたりして、新人の切なさを噛みしめる日々でした。とは言え尊敬する増村保造監督ですら腰に雑巾こそなかったけれどセットの中ではスリッパを脱いではその汚いスリッパで床や柱に夢中で汚しをかけたりしていたのですから、とても愚痴など言っている場合ではありませんでした。その増村監督ですが、増村組に助監督でつくとまず脚本の準備稿ができた翌日、助監督全員が近所の食堂の昼食に呼ばれて、助監督の分際では普段食べられないブリの照り焼き定食などをゴチになりながら、脚本の批評と改訂案を言わなければなりません。初めて助監督として増村組に就いた作品で自分の改訂案が採用されてそのシーンの撮影のためだけにロケーションが組まれた時はとても誇らしくうれしかった記憶が今でも鮮明です。そして約ひと月の撮影と仕上げが終わり完成すると約ひと月の勉強と称する有給休暇が待っていました。そんな今からすればなんとも優雅で呑気な日々は二年半後に倒産という想定外の(あるいは必然の)結末を迎えることになります。こんな不条理に納得できずにその後一千日にわたるいわゆる大映闘争に突入していきます。この倒産闘争で闘った経験がその後のプロデューサー人生の・お砂場・であり試練でもあったのだと今にしてつくづく思います。

事務局だより

◎退会

2010年エランドール賞 授賞式・ 新春パーティーのお知らせ

     ◯正会員の方は毎月の会費に含まれております。
     ◯賛助会員・功労会員・地方会員の方でご出席される場合は会費8,000円です。
     ◯一般の入場者の方は、会費15,000円です。

詳細は12月号でお知らせ致します。
会員の皆様の多数のご参加をお待ち申し上げます。

インフォメーション

◎会議の記録と予定