社団法人 日本映画テレビプロデューサー協会 会報 2010年新春特別号

新春特別号 新春のお慶びを申し上げます

会長 杉田成道(フジテレビ)

会長 杉田成道 (フジテレビ)  あけましておめでとうございます。
 昨年は、なんといっても民主党政権の誕生で、日本は揺れ動きました。米国のオバマ大統領といい、世界はどうやら新しい秩序を求めて動いているようにも見えます。我がほうは、多少迷走ぎみで混沌としていますが、良きにつけ悪しきにつけ、大きく変化していることには間違いありません。
 翻って私どもの足下を見ますと、テレビ局の不況は深刻さを増しており、民放はどこも放送収入だけでは限界を感じている状況であります。視聴者のテレビ離れというより、視聴者の分散化が見て取れます。見てないと話題に乗り遅れるといった時代は終わり、面白いものだけを見る時代になったのでしょう。ドラマ全体の視聴率は誰が見ても、低落化傾向にあります。テレビ局はマスコミとしての要素を失いつつあるのでしょうか。事業としてのテレビを語るテレビ人は増えても、放送を文化ととらえるテレビ人は、次第に姿を消しているようにも見えます。悲しい限りです。
 目を映画に転じると、映画製作がテレビ局の切羽詰まった事業外収入の大きな要素になった故に、各テレビ局のなりふり構わぬ戦場になった感すらあります。そこに、テレビと同じように、若い層の映画離れが忍び寄っている。そんな構図が透けて見えますが、間違っているでしょうか。
 しかし、悲観ばかりもしていられません。大いなる悲観は大いなる楽観に通ず、とも言います。中でも、幾つかのテレビドラマは頑張っていますし、「劔岳」のように執念に満ちた映画は大きな支持を得ています。よく見ると、それらの作品に共通して流れるのは、作る側の常軌を超えるエネルギーであると見えます。今の人たちは、物語よりもそのエネルギーを求めているのではないかとすら思います。
 時代は混沌とし、世界は出口を求めて胎動を始めています。方向は判りませんが、時計の振子が揺れるように、流れが変わって来ました。山が動き始めました。暗い混沌から、光を求めてエネルギーが生まれ出て来るに違いありません。私たちにもそのエネルギーが必要です。
 そして、アジアであるとか、世界であるとか、もう一つの包み込む流れが生まれてくるでしょう。当協会も大いなる視点に立って、物事を見ていこうと念じています。昨年は、ドラマフェスティバル、エランドール、などで会員相互の交流が深められました。今年もより一層のご協力をお願いいたします。

副会長の方々のごあいさつ

『仕分けされない』充実した新年を

ニッポン放送   重村 一

 あけましておめでとうございます。
 心からこの言葉を交わすには、ほど遠い世相が続く中でのお正月。こう書くのも何か白々しい感じもいたしますが取り敢えずこれが儀礼と言うものでしょうから。しかし、こんな年の明けが何年続くのかと思います。
 ところで、先日、大いに話題になった『事業仕分け』をインターネットで視聴していて、もし、我々があの場に引き出されたら、真っ先に仕分けされてしまうなと、苦笑してしまいました。
 セリフが間違っているのでもない、台本どおりの動きをしている、それでも、監督は「もう一回やってみましょう」と言う。
 そんな光景が何回も繰り返される。
 仕分け人が見ていたら、なんて無駄な事をしているんだと、多分、ものすごい勢いでお怒りになるに決まっています。
 いや、決して私は反民主党でもなければ、政権批判をしているわけではありません。
 ただ、コストパフォーマンス重視で、拙速に結果を求め、デジタルな数字でのみ実績が評価される、そんな時代がどんどん進行する世の中は、我々の世界の人間には住みづらさが増していくのではと心配します。
 最も、逆の見方も出来ます、そんなぎすぎすした社会だからこそ、少しでも良質のドラマや映画を提供して、庶民の日々の生活に『心の充実』や『潤い』を提供する、そんな貢献が出来るのも我々の協会員の役割かも知れません。
 『文化』とか『芸術』は一見、それが無駄な作業の積み重ねに見えても、人間の営みの中で、無くてはならぬ『時間』と『空間』を提供しているのだと、胸の張れる仕事を今年もお互い続けていきたいものです。

迷うより、決断

東映   坂上 順

 先行きの見えないこの時代、無責任な情報に惑わされて、無い頭で悩んでみても、下手の考え休むに如かず、覚悟を決めてやるしかあるまい。
 世界のニンテンドーに教えられたそのヒットの秘訣は「コツコツやることしかありません」だった。
 ヒット曲を作り続ける小田和正氏は「私は天才ではありません。一生懸命なだけです」とテレビで語っていた。石川遼君も「一日一日の積み重ねですね」と言う。「劔岳」の木村大作監督も「一歩一歩、自分に負けないように、負けないように、三〇〇〇米の山を登り続けて撮り上げた」と言う。
 最近、舞台を良く観に行く。実験的なものから大劇場での作品まで、スタッフと俳優陣の生のエネルギーが一つになっている作品が胸に届く。
 遅きに失したと言わず、一歩ずつでも前に進んで行きたい。七十才が新しい年に己にムチを入れています。
 諸兄のご奮斗を祈り、重ねてご支援の程をお願いする次第です。

プロデューサーの協会

NHK   西村 与志木

 かつて(今でもそうかもしれないが)NHKでプロデューサー協会の理事とか会長・副会長などというと、現場のプロデューサーを上がりになった「偉いさん」というのが相場であった。私は自慢ではないが正真正銘の現場のプロデューサーである。もちろん「現場のプロデューサー」は大変に忙しく「協会の活動など勘弁してくれ」というのが実情であることもよくわかる。しかし、若い現場のプロデューサーが協会にたくさん参加していくことで、ずいぶんと雰囲気も変わっていくのではないだろうか。これが「初夢」に終わらないように考えてみたい。

会員 年男 新年の抱負を語る

大正15年生まれ

元NHK   川口 幹夫

元NHK 川口 幹夫

「年男の弁」

  「来年は、あなたの年です!」いわれてびっくりした。秋口に腰椎を骨折して、丸々半年間、グダラ、グダラと月日を送ってしまった。なるほど、来年は寅年 たしかに私の年だ。
 昔は、年男、といわれると、少々嬉しかったものだ。特に二十四歳、三十六歳という時代は希望が溢れていた。
 来年は寅年です! いわれて気がつくようでは何をか言わん! そうだ、八十四歳なのだ。
 よし、こうなったら徹底的に開き直ってやろう! 二十四歳か三十六歳になったつもりで、よーし、やるぞ そういきまいてドンと四股を踏んでみたら……、アイタタ、又しても腰椎がキリキリと痛む。
 何をするにもこれが邪魔する。よし! こうなったら「腰なんか痛くない!」と自己暗示をかける。
 さあ、さあ! うんと若くなった気で、何でもやってみよう!
 がんばれ! 大正生まれの年男

昭和13年生まれ

オフィス・森江   森江 宏

オフィス・森江 森江 宏

『今年は……』

 人の人生に大きく影響を与える人がいると云う。私にとってその人は徳間康快さんである。今年その徳間さんが亡くなって十年になる。氏は読売新聞記者を経て「徳間書店」を創立、その後、新聞「東京タイムス」音楽「ミノルフォンレコード」映画「大映」アニメ「スタジオジブリ」と徳間グループを率いた。私が出会ったのは三十五年前の博報堂時代、担当する得意先のコマーシャルに歌手五木ひろしさん起用の話が出たが、当時の五木さんはCMバージンでもありガードが固く、交渉は難攻し困り果て、五木さん所属のミノルフォンレコードの社長を訪ねたのが最初の出会いだ。
 以降、博報堂の徳間番として亡くなるまでお付き合いを願いご指導いただいた。
 映像の世界ではテレビ番組「おしん」の中国放映、中国国交化記念映画「未完の対局」、大映「Shall We ダンス?」「ガメラ・シリーズ」更にはスタジオジブリ立ち上げのキッカケになった「風の谷のナウシカ」もご一緒させていただき、以降ジブリ作品が何本か続いた。
 徳間さんを一言で云えば「熱き大きな人」「多彩な人脈で周りを巻き込み大きな渦を起こす人」「無邪気なまでに仕事を楽しむ人」「人を感動させる仕事に生涯を賭けた人」である。還暦の祝宴を用意して頂いた席で「八十まで仕事をしろ・世間に必要とされろ」と言われた。
 今年、この言葉は重い。

昭和25年生まれ

東映   中曽根 千治

東映 中曽根 千治

「ラストシーン」

 年男の原稿依頼がきて、玉手箱の蓋を開けたような感じだった。まだ遠い先のことだと思っていた還暦が、目の前にきた。竜宮城のような映画の世界であっという間に時が過ぎた。(辛い事も多々ありましたが)
 撮影所の製作進行からプロデューサーになって三十年を越す。様々なジャンルのテレビドラマ、映画を企画してきた。最近また昔の映画が恋しくなった。「望郷」「シェルブールの雨傘」「ローマの休日」DVDでまた見る。やはり傑作だ。それぞれのラストシーンが好きだ。特に「ローマの休日」オードリー・ヘップバーンの王女との別れのシーン。記者会見場を去るグレゴリー・ペックの足音が銀幕に響く。
 信長は「人間五十年」と舞った。しかし、今は平均寿命が延びてきた。映画への夢ある限りいつまでも青春と思う。そしてまだまだ映画を作りたい。しかし、いずれ私にもラストシーンが来る。グレゴリー・ペックの足音のように粋にグッドバイができたら最高である。

昭和37年生まれ

TBS   伊佐野 英樹

TBS 伊佐野 英樹 1962年寅年、私が生まれたこの年は「てなもんや三度笠」がスタートした年だそうです。当然ですが、まったく記憶にありません。もの心ついて記憶の中にあるテレビは白黒画面。部屋の一番いい場所に置かれて、子供の勝手は許されずスイッチを入れるにもいちいち親に許しを求めた記憶があります。
 1974年、12歳。調べるとこの年は「寺内貫太郎一家」が放送されたとのことで、これはもうはっきり覚えております。それはもう面白くて爆笑しながらあっという間に一時間たってしまい、学校で「ジュリー!」のモノマネがはやり、「貫太郎役の人は本当は作曲家だ」と親に教えられ、なんか聞きたくなかった真実にまったく納得出来なかったのを覚えています。
 1986年、24歳。2回目の年男のこの年、TBSに入社。見る側から見せる側に立場が変わった大きな転換の年でした。ドラマ制作を希望した私が初めてついた番組は「クイズ100人に聞きました」。テレビの基本をこの番組で習い、ドラマに行くまでの7年間、様々なバラエティーで勉強をさせてもらいました。
 1998年、36歳。あっという間に入社12年。サッカーW杯に日本が初出場したこの年に、私は初めてドラマプロデューサーをやりました。今から思えばかなり稚拙で荒っぽい仕事をしていましたが、この頃ご一緒した方々とは今でもお付き合いがあり、私の大きな財産です。
 そして2010年! 私は48歳となり、記憶にある子供の頃とテレビは形状も番組の雰囲気も大きく変わりました。でも、子供たちに夢と希望と勇気を与え世の中を明るくしたり揺さぶったりするのは、テレビの、特にドラマの大きな役割であることは今も変わっていないように思います。この大きな使命を忘れることなく、今年もばたばたしながら楽しく頑張っていこうと思います。
 あれ、48歳と言うことは次回の年男は60歳でなんと還暦だ! 定年だ! その時もここに何か書かせてください、テレビドラマ界がどうなっているか、想像もつきませんが。

昭和49年生まれ

日本テレビ   畠山 直人

日本テレビ 畠山 直人  「年男」ということで、初めて寄稿させて頂きます、畠山直人と申します。お歴々の皆様を前に、全く無名の私としましては、「抱負」はさておき、まずは自己紹介をさせて頂きたく存じます。
 1974年、秋田県出身、幼少から映画監督に憧れ、大学では映画制作を専攻しました。諸事情あって一旦その夢は諦め、1999年に日本テレビに入社、番組制作部門に配属されました。およそ6年間、情報番組のディレクターとして日本全国を取材したのち、突然、ガチガチの管理部門である人事部に異動。2年間、新人の採用と研修を担当していました。
 そんな私が、何の因果か、映画事業部に異動したのが2006年。一度は諦めた映画に仕事として関わることになりました。その後、現在まで十数本の映画に様々な形で係わり、昨年、「僕の初恋をキミに捧ぐ」にて、プロデューサーデビューしました。
 下積み経験もなく、事務所との付合いもなく、手探りではありましたが、周囲の皆様のおかげでなんとか映画は完成し、公開を迎えました。
 すると驚くべきことに、本当に沢山のお客様が、この映画を観るために劇場に足を運んでくださいました。もちろん、作品の内容に関しては、賛否両論があります。ただ、これは、とりあえず、もう1本作っても良い…ということかなと。
 そんなわけで、本年の抱負と致しましては、「つべこべ言わずに次の映画を作る」。これに尽きるかと存じます。
 どうぞ今後とも、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

国際ドラマフェスティバル in TOKYO 2009 作品賞グランプリ受賞
「アイシテル~海容~」

日本テレビ   次屋 尚

日本テレビ 次屋 尚  初冬行われた「東京ドラマアウォード2009」における個人賞として、プロデュース賞をいただきました。昨年4月期連続ドラマとして放送した「アイシテル~海容」をプロデュースしたことによる受賞で、同ドラマも作品賞グランプリをいただくことができました。
 「東京ドラマアウォード」は、「国際ドラマフェスティバル in TOKYO」の一環で、日本のテレビドラマを海外へ発信し、国際市場への進出を目指すものとして設けられた賞です。また、先にフランス・カンヌで開催された世界規模の国際テレビ番組見本市(MIPCOM)においても、同作品が海外選考委員の審査するバイヤーアウォードに選ばれました。この作品が言葉の通じない海外においても商業市場ベースに乗ることの出来るものとして評価して頂いたということになります。しかし、実は恥ずかしながら告白してしまうと、私は不勉強のあまり、これら催事や賞の存在をそれまで知らなかったのです。さらに、これまでいくつもドラマを作ってきましたが、海外へ発信することや、国外の人の目に触れることを意識して制作することなどほとんどありませんでした。したがって今回の受賞は、喜び以上に、その受賞の意義と重みを粛然と受け止めざるを得ない次第でした。
「アイシテル~海容~」 「アイシテル~海容」は少年犯罪の加害者家族と被害者家族を丹念に描き、そこに母親の目線を通した・子育て・や・家族愛・をテーマとした作品です。ごくごく普通の家庭の日常に、突然起きてしまった事件によって、二つの家族の中に起こる葛藤や出来事を心情ベースに描いていきました。そこで交わされる家族の会話や日常生活の描写においてもリアリティーを追求しました。ドラマチックな展開やセリフも極力排除し、見る者に我が事のように感じさせることに努めました。それらの手法が功を奏し、さらに俳優陣の真摯な演技にも助けられ、テーマ性の強い作品が出来上がりました。そのテーマ性の強さと普遍的な人間ドラマこそが、海外の方の心にも届く作品になり得たのだと、そう信じています。
 さて、テレビ業界はデジタル化や多チャンネル化というワクワクするような新たな転換期を迎えています。これは日本に限らず海外も同じことで、それに伴い間違いなくソフト不足という新たな問題が各地で生じることになるでしょう。「海外市場をも狙ったドラマ作り」、それは今後テレビ番組クリエーターが意識せざるを得ない課題であり使命であり、そして大きなチャンスであるとも言えます。今回の受賞を励みとして、私自身も更に研鑽し、一介のテレビプロデューサーとして微力ながら日本のテレビドラマの海外展開に尽力したいと、そう決意する新春の候です。

国際ドラマフェスティバル in TOKYO 2009 演出賞 受賞 
「風のガーデン」

フジテレビ   宮本 理江子

フジテレビ 宮本 理江子

「受賞について」

  撮影のない日にも花を撮影するカメラマン、夜中、ガーデンにテントをはってリアルな音を収録する音響効果、美術の打ち合わせにまで出席するビデオエンジニア、時間のない中で的確な仕事をし、なおかつ私が11本撮る事を私以上に心配してくれた照明、美術のチーフ。常に正直な意見を言ってくれる録音。いつも汗びっしょりで笑顔の制作。そして我々が撮影したものをすべて見て、一番効果的で時には非情な方法でまとめあげる編集マン。彼らスタッフの存在なしでは私は一歩も前へ進めませんでした。私も含めて現場がやる気になる素晴らしい脚本、キャストにめぐまれ、それぞれが彼らの専門分野を超えてこの作品に力を注ぎました。そして今回は通常のスタッフ以外にも沢山の医療関係、造園関係などのプロの方達、実際の末期がんの患者さんやそのご家族との交流など、ドラマを越えて人々とつながりました。ドラマの制作には今まで関わった事のない方々がドラマを助けてくれました。私はその方達のこだわりや脚本への思いに押されて最後まで仕事をやり遂げる事が出来ました。20年以上演出という仕事をやってきましたが、ここまでスタッフ、キャスト、全員が一つになった作品はありません。今回のような気持ちになれる仕事をくれた神様に感謝しています。そしてその作品が審査員の皆さんの目にとまり、選ばれた事、とてもありがたく思っています。今回の受賞は演出賞ですが、このドラマに関わった全ての人間の代表として受け取らせていただきました。これからもスタッフと共に心に残る作品を目指して努力したいと思います。そして今回の受賞をきっかけにこの作品が他の国々の方の目に触れる事があれば嬉しく思います。ありがとうございました。

2010年エランドール賞 授賞式・新春パーティーのお知らせ

日時 平成22年2月4日(木)18時受付 18時30分開会 20時30分閉会予定

会場 新宿京王プラザホテル南館5階 エミネンスホール(立食形式)

パーティー会費

事務局だより

◎退会

インフォメーション

◎会議の記録と予定