社団法人 日本映画テレビプロデューサー協会 会報 2011年新春特別号

つつしんで初春のおよろこびを申し上げます

会長 杉田成道(フジテレビ)

会長 杉田成道 (フジテレビ)明けましておめでとうございます。
 昨年は尖閣列島から北朝鮮と、日本海に渦巻く緊張に日本は巻き込まれ、迷走する政治と相まって、混沌とした中に、我々一人一人がそれぞれ日本という国と、日本人という自分を自覚せざるをえない状況が生まれてきました。
 一方、映像世界を見ると、やはり時代は混沌とした方向に向かっています。
 映画は〈アバター〉を引き金に〈アリス〉〈海猿〉と一気に3Dが加速し、全国のシネコンが雪崩を打ってデジタル化されようとしています。
 これはフィルム中心の映画世界を一気に変革する可能性を秘めています。フィルムからデジタルでの配給システム、自由な編成の興業形態、などから、サッカーの試合を劇場で見せるようなことが生まれてくるのかもしれません。
 制作現場にもデジタル化の波は大きく打ち寄せています。東宝、東映の撮影所はポストプロのデジタル化を一気に進め、新しい作り方を求めてすでに稼働し始めています。
 デジタル化で何が生まれるかというイメージがはっきりしないまま現実は確実に変化に向かってエンジンが動き出したと言えるでしょう。
 デジタル化では一歩先んじているテレビの方はどうでしょうか。本年七月、アナログ波は停波することになっています。この影響か、テレビ受像器はただ今、異常な売れ行きを呈しています。
 しかしその一方で、セットインユースはじりじりと限りなく落ち込んでいく傾向は変わりません。今や、民放の経営者で地上波のみで経営が安定すると考えている人は誰一人としていません。もう一つのテレビが、喉から手の出るほどにどうしても欲しいのです。
 Vハイと言われる携帯電話での放送や、BSに新しいペイテレビが十数チャンネル、暮れから来年にかけて始まります。ユーチューブやアイパッドなどネットを通じた映像世界も劇的に変化しそうです。電子書籍はどのような広がりを持っていくのか、それぞれ見当もつきません。
 混沌とした中に、新たな可能性を求めて、現実だけがどんどん進んでいきます。
 しかし、そこに流れる内容について論議する人は、ほとんど見あたりません。ソフトの変革、可能性、想像力の広がり、豊かな人材に向けて、など創造の基盤となるものに視線が向きにくくなっています。だが、やがてこここそが勝負の分かれ道、流れる内容こそがすべてを決めていくと気づくことになるでしょう。
 世界は今、新しい才能、新しい作り手を心底求めています。混沌とした状況からは、予測できない新しいものが生まれる可能性があります。胎動の時代に入ったのです。
 私たちもこの胎動の時に対応しなければなりません。当協会も、この二、三年のうちに時代の変化に即して、大きく変わらなければならないでしょう。さて、どのように変わったらよいのでしょうか。
 年頭にあたって、会員各自がそれぞれ変化の青図を描いていただけるように、願ってやみません。

会員 年男 新年の抱負を語る

昭和14年生まれ

松尾 武

松尾 武

「飛躍の歳になれ!」

 「6廻りの目の兎」から今年は「7廻り目の兎」へと入る。兎はぴょんぴょんと飛び跳ねる事で、古来より運気上昇の歳と言われている。又、長い耳は福を呼ぶとも。何となく日本社会に漂う閉塞感からの脱出が出来ればと思う。
 私にとって初めての「兎1廻り目」は戦前、戦中、戦後と日本社会の大きな変化の中で過ぎた。終戦の翌年に小学校入学。貰った新聞紙を自分で製本し、先生の指示で、墨で文字を消す作業が初めての授業だった。字数の少ない頁の中での消し込みで、ほとんど文章にならなかった記憶がある。
 テレビドラマの仕事を始めたのが「3廻り目」でプロデューサー協会に入会したのが「4廻り目」。協会の新しい事業としてTBSの大山さん達と一緒になり、ヒットメーカーの立ち上げに参加させて頂いた。催しをNHKで中継録画し、教育テレビで放送したが、出演者のヒット商品の連呼には苦労させられた思い出がある。
 「7廻り目」を迎え、協会は予定ではこの4月に「社団法人」から「一般法人」へと切り替わる。法人の目的、活動は変わらないが、時代と共に変化せざるを得ない要件もある。安定した財源確保に向けどうすべきなのか。大きな変化が求められ飛躍する年になればと切望するしだいです。

昭和26年生まれ

サンウィット 小池 修一

サンウィット 小池 修一

「半還暦」

 冗談じゃない、と思う。何が還暦だ、と思う。名前が修一ではなくて、秀樹だったら、「秀樹、カンレキ!」とダジャレの一つも飛ばし、カレーを食ってやるところだ。
 オギャアと産まれ、物心ついて、ああなりたいこうなりたいと思い描きだしたのが十代も終わる頃で、大学を中退して演劇の世界に足を入れ、あとは夢中で生きてきて、いつの間にやら映像のプロデューサーになり、未だにあの頃と変わらない攻撃的な感覚を持っていると自負しているのに、「さあ還暦になった、赤いちゃんちゃんこを着ろ」と言われて、何だか人生の隅っこに追いやられる気分だ。イヤだね。断固として六十歳は断る。とは言ってもなっちゃうんだけど。
 しかしこの大不況の中で還暦を迎えるとは何という巡り合わせか。去年(22年)は映画を撮ったけど、テレビはまったくダメ。テレビ局が制作を斬り捨てている。かつては人材を外に求めると言う多少の考えと共に、コスト削減の主目的で制作会社の存在意味があったハズだ。だがついにテレビ局はその意味さえ使えないほどになってしまったのか。
 娘が映画監督になりたいと言い出した。なって欲しくない職業のベスト1なのに。ベスト2は、プロデューサーだけど。
 と、ほざきながらも事実、還暦となる。せめて五感だけは、半還暦でいたいと思う。

昭和38年生まれ

松竹 中嶋 等

松竹 中嶋 等

「抱負はBIG」

 「6億円のサッカーくじが当たった!」…夢を見た。このサッカーくじの名はBIG(ビッグ)。昨年中は毎週欠かさず買い続けたが、サッパリだった。当選者は毎年40人も出るのに。ちなみに投資金額は毎回3000円。売り場窓口の化粧が上手なお姉さんから「当たりますように(にこっ!)」と絶大なる応援を頂戴して夢が膨らむこと度々。ささやかな幸せを味わう小市民的自分がいる。夢が現実のものとなりそうな期待感はいい。脳にいい、精神にいい、ひいては体にいい。元旦に初詣へ出かけ「今年もいい年で、いいことがありますように」と神様にお願いをする。その年の大晦日に一年を振り返って、左程いいことはなかったなぁとため息をつく。毎年その繰り返しだ。たまには〝いいこと〟がないものか。初夢に見ると縁起のいいものと昔から言われている「一富士二鷹三なすび」。去年夏、私は富士登山ブームに乗っかり日本最高峰へ挑んだ。ズタボロになりながらも3776mの剣が峰に立つことができた。やれば出来る。「一富士」の夢を現実のものとしたことになる。では「鷹」は何をすればいいのか。動物園に行って鷹に出会えばいいのか? その次の「なすび」は? 茄子を食べればいいのか? それなら出来る、いつも食べている。簡単だ。夢が現実になることは意外と簡単なことなのでは…だんだん6億円が当たる気がしてきた。

昭和38年生まれ

フジテレビジョン 長部 聡介

フジテレビジョン 長部 聡介 抱負など、ない。そもそも抱負という言葉が好きではない。抱負、という響きの中に存在する「できないかもしれないけどとりあえず意識はしてみました」という言い訳がましい偽善性が気に食わない。それは特権的な場所から保証された絶対の予定調和だ。そこには切実さのカケラもない。切実なものは常に実現を前提とするからだ。
 クリエーターにとって最も必要なのはこの切実さだと思う。ドラマの現場は常に時間に追われ、数字に追われ、青息吐息で走る。様々な人間の利害が入り乱れ、うまくいく場合もあればいかない場合もある。しかし、そこにはいかなる形であれ創っている人間の切実さがなければならない。一つの世界を映像として表現するまでに立ちはだかる様々な困難を乗り越えていく力はこの切実さ以外にはありえない、と僕は信じる。そしてこの切実さは抱負などという予定調和を断固として否定するのだ。我々はただひたすらに目の前の現実と戦いながらモノを創るだけだ。
 僕の抱負は、永遠に抱負をもたないことである。

昭和50年生まれ

TBSテレビ 高橋 正尚

TBSテレビ 高橋 正尚 謹んで新年のお祝辞を申し上げます。
 旧年中はひとかたならぬご厚情を賜り、誠にありがとうございました。

 さて、来る2011年は年男を迎えるということで、過分にも私のような若輩に、年男としての何某か抱負めいたものを寄稿すべしとのご指示を頂いた。
 しかし、これまで恥ずかしながら、年男としての抱負など考えたこともなかったので、正直困り果ててしまった。
 そこで改めて、我が干支である卯年について少し調べてみることにした。
 〝卯年の特徴〟などと題した占いのサイトなどを見ると、やはりウサギだけに「基本的に平和主義」とか、「人情深くマメな性格」とか、まあ何となく想像できる当たり障りのない特徴が書かれている。しかしそんな中、なぜだか「自分が損をすることには手を出さない」という要素が、まるで特筆事項であるかのように、どのサイトの解説にも必ず入っていた。
 そんなの誰しもそうだろう!? 卯年の人だけがそれほど自己チューだと決め付けられるのは大変心外である。
 しかし…そう言われて我が身を振り返ってみると、振り返る先々にいちいち思い当たる節がある気がしてきて、激しい自己嫌悪に襲われてしまった。
 これまで自分は、利己的なことばかりして、周りの人々に非常な迷惑をかけて来たのではないか…。これはいけない。新しい年を迎えるにあたり、せっかく大切なことに気付けたのだから、自分自身を改善せねば。
 よし、今年の抱負は「自分を犠牲にしてでも、人の役に立つこと」にしよう!
 そう決めた後、こんな文章を見つけた。
 「卯年の人は、人の言葉に感化されやすいので気持ちをしっかり持ちましょう」
 ……気持ちをしっかり持って、今年も頑張ろうと思った。

 それでは本年も相変わらず、よろしくお願いいたします。
 皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

第6回プロデューサーズ・カフェ

テーマ:大河ドラマ「龍馬伝」の挑戦〜新しい歴史ドラマを目指して

プロデューサーズカフェ 第6回プロデューサーズ・カフェは、12月9日(木)、日本テレビのプレミアム大会議室で開催されました。
 「大河ドラマ『龍馬伝』の挑戦〜新しい歴史ドラマを目指して」をテーマに、最終回をむかえたばかりの「龍馬伝」の演出を手掛けた大友啓史さんと、プロデューサー岩谷可奈子さんによる、貴重なお話を、約1時間半に渡り伺いました。司会進行は、西村副会長が買って出てくださいました。
 出席者は約30名、若手からベテランまで、今年最大の話題作の立役者のお話に、興味津々でした。
 今回、とくに驚いたのは、大河ドラマだからと言って製作費が通常よりも多いというわけではなかったという事実。通常のドラマ制作と同様、もしくはそれよりも見積もりが苦しかったという岩谷プロデューサーのお話はなかなか興味深かったプロデューサーズカフェです。
 龍馬が日本全国を飛び回る話ですから、撮影もロケばかり。それだけでも、大変な予算編成になるのに、さらに船のシーンを毎回ロケしていては完全に破たんしてしまう。
 話しあった結果、船の先端部分をセットで作りこみ、CGを駆使することでロケなしでやり遂げたとのことでした。その中で、船の帆を揺らすのは、スタッフ総出で縄を引っ張っるという涙ぐましいアナログ方式の努力があったそうです。
 演出の大友さんが講演中、何度も口にしていたのは、チームの団結力。現場の誰一人としてオーバーワークへの不満など言わず、良いものを作ることだけを考えていたと。
プロデューサーズカフェ 大友啓史さんと、プロデューサー岩谷可奈子さん 撮影秘話、苦労話、裏話、公には語れない作り手同士ならではのお話に、参加者からの質問もなかなかやみませんでした。
 終了後、大友さん、岩谷さんには日本テレビの報道フロアをご覧いただき、散会となりました。
 「貴重なお話が聞けて刺激になった」と日本テレビ若手からはお礼のメールも届きました。
皆様、たいへんお疲れ様でした。
(日テレアックスオン 神蔵 克)

只今撮影中

NHK制作局ドラマ番組部 チーフ・プロデューサー 屋敷 陽太郎

NHK制作局ドラマ番組部 チーフ・プロデューサー 屋敷 陽太郎 地方を舞台としたドラマ制作において、その成否は、「この人!」と思える人物たちと地元で出会えるかどうかにかかっている。と、私は信じている。
 過去に担当した大河ドラマ「篤姫」(鹿児島)や連続テレビ小説「私の青空」(青森・大間)、特集ドラマ「クライマーズ・ハイ」(群馬)などでも、それぞれの土地で素敵な出会いがあり、今も彼らとは親しくさせていただいている。ロケだけでなく、脚本取材や広報活動でもそういった人々と連携して固く太い絆を築けたことが、番組全体の成功にも繋がった。
 大河ドラマ「江〜姫たちの戦国」のヒロイン・江(ごう)は、近江国・小谷(おだに)城の生まれ。地方ロケの中心は、自ずと滋賀県の琵琶湖周辺となった。ロケにおいて、最大のキーパーソンとなったのは、滋賀ロケーションオフィス(滋賀県庁内)のK氏。もちろん、役職としてロケの窓口であることも確かだが、彼の個人的な人柄に、スタッフ全員が魅了されてしまった。K氏は根気強く、次々と魅力的なロケ場所を提案してくださった。探せば探すほど、滋賀には驚くほどバリエーション豊かなロケ向きの土地があった。結果的に、滋賀には9月に2週間ほど滞在し、番組序盤の主なロケシーンを撮影した。場所が持つ〝力〟を借りて、江 ポスター「この場所だからこそ」といった映像をたくさん撮影出来たはずだ。
 もう一人のキーパーソンは、地元滋賀県長浜市の学芸員O氏。O氏との出会いは、もう2年近く前になる。初対面の日に、小谷城がある小谷山を、麓から一緒に登山したのである。8時間かけて、一つ一つの石垣や城郭跡について細かく歴史的な解説をしていただいた。その後も、スタッフや関係者が行くたびに案内をしていただいた。O氏の歴史解説は、単に史実の羅列に留まらず、根底に「歴史が大好き!」という愛情に溢れているため、聞いている我々も、なんだか400年前にタイムトリップ出来てしまうのだ。
 典型的な近江人というのがどういうタイプなのかは私には分からないが、私をはじめとした番組スタッフにとって、K氏やO氏こそが近江人であり、近江人代表として、物語の中の近江人の人物造形に大きな影響を与えることになった。情に厚かったと言われる名将・浅井長政などは、まさに彼らのイメージと重なるのだ。
 滋賀だけでなく、舞台となる三重県や福井県でも、次々と新しい出会いが生まれている。これから1年間、各地でのこういった素晴らしい出会いを大切にしていくことこそが、地に足のついたドラマを作っていくために、もっとも重要なことなのではないかと考えている。彼らの顔を思い浮かべながら、彼らの期待を裏切らない良質なドラマを作っていこうと、日々気持ちを引き締めている。

私の新人時代

テレビ朝日プロデューサー 黒田 徹也

テレビ朝日プロデューサー 黒田 徹也 CMディレクターに憧れて制作プロダクションに就職したのが1985年。なんと四半世紀まえです。
 希望は通らず、配属は映像事業部。最初にやったのは名神高速道路のトンネル交通量調査。渋滞メカニズム解析のため、トンネル内にビデオカメラを設置して録画するという仕事。映像の世界への第一歩はトンネルの中でした。これでもかっていうくらい顔が真っ黒になったことを記憶しています。
 それでも、大学卒業後2年間、流通業界でサラリーマンをしながらマスコミで働く夢を抱き続けていた私は「映像の仕事」と言うだけで大満足。そう、新人時代は楽しい事ばかり。その後、居酒屋の社員教育ビデオ、岩手県の防災センターで上映する津波災害ビデオ…、やることすべてがワクワクする仕事でした。
 そしてついに、俳優を撮る仕事がやってきました。教育映画の名匠・中山節夫監督作品の制作進行見習いでした。もちろん右も左もわかりません。携帯電話のない時代、照明車に間違ったロケ地図を渡してしまい、とうとう照明スタッフは現場に到着できず照明チーフは泣いて私を殴りました。しかし、照明チーフは監督に「現場に行けなかったのはこいつのせいです」と言わなかった。新人を殴ったあと、庇ってくれたのです。
 挽回しようと、決まってなかった撮影現場(ロケセット)を必死で探して交渉し監督に採用してもらったのですが、狭い道の奥にある現場の前までロケバスが角を曲がれるか心配で眠れなくなり、深夜、道幅を確認しに行ったら、翌朝、制作主任が私をほめてくれました。「君のやったことは作品にとって何の意味もない。しかしとても重要なことだ」と。
 そしてその主任は監督に伝えたのです。「こいつ偉いんですよ、夜中に現場の道、確かめに行ったんですよ。妙に心配性で」
 この変な褒められ方がやたらにうれしかった。こんな取るに足らないことが自信になった。
 「殴る人」と「褒める人」と監督に恵まれたおかげで、その新人はその後へこたれながらもつぶれることなく、四半世紀なんとかやってこられたようであります。諸先輩方、ありがとうございました。私はまだ、元気でやっています。(笑)

事務局だより

2011年エランドール賞 授賞式・新春パーティーのお知らせ

会員の皆様の多数のご参加をお待ち申し上げます。

平成22年度臨時総会報告

 平成22年度臨時総会は、12月15日午後6時30分から、NHK青山荘にて開催されました。
 出席者29名、委任状出席316名、合計345名で正会員現在数455名の定足数を満たし、総会は成立。
 互選によって選出された杉田会長より、第1号議案・一般社団法人認定後の定款変更案の修正の件が諮られ、松尾総務委員長から説明ののち、採決、全員一致で承認可決された。

 この結果を受け、修正された定款ならびに今次総会議事録を内閣府に届け、すべての移行手続きは完了した。認可を待って、当協会は、現在の特例民法法人から、新しく「一般社団法人」として生まれ変わることになる。

インフォメーション

◎会議の記録と予定