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還暦の時 「ずっと先のことだ」 と考えていた古希が、 さしたる自覚がないまま、 昨年あっさりと通過してしまった。
少年H君ではないが、 昭和5年生まれは成長の節目節目が妙に昭和の時代の変わり目と一致している。 少年時代は始めに昭和初期のよき時代の空気をチョッピリ吸い、 大半はエスカレートする軍国風潮の中で育った。
勤労動員、 空襲を経て、 戦後は学制改革でもまれ、 社会に出ては既に出来上がった戦中派の体制に順応し働き蜂となり、 その上、 「育ちざかりに栄養不足だったこの年代は、
一番早死にする」 などとも言われた。
昨年、 食料難時代に寮生活を共にした高等学校時代の仲間と東北を旅し、 岩木山頂に立って眼下の日本海を眺めた時、 改めて健康の喜びを実感した。
そこで、 年男の願望と努力目標としては、 ささやかながら今年も健康であり続けること愉快な旅と酒に恵まれること昭和史を勉強し直すことetcをあげておきたい。 |

板持 隆 |
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1942年太平洋戦争の真っ只中に生まれアフガン戦争の2002年に、 長嶋さんじゃないけれど初めての還暦を迎えます。
年の内年の現場生活、 人生の3分の2をドラマ作りで過ごして来たことになります。
なんてったって市川右太衛門、 片岡知恵蔵、 嵐寛寿郎と、 リアルタイムで仕事をし、 ジャニーズ系も錦織一清、 三宅健、
横山裕、 に時代劇に出演してもらう等、 幅広く素敵な俳優さん達と仕事をして来ました。 しかし、 ぎりぎりまで脚ホ本ンができない、 出演前日の主役のドタキャン、
ビリング (クレジットタイトルの配列) をめぐるゴタゴタと、 トンズラこくか首でも吊るかと思ったこともたびたびでしたが、 そこが面白い!毎日がスリリング、
年をとってるヒマがありません。
脚ホ本ン作り、 キャスティング、 撮影、 編集、 初号と一日として同じ日がありません。
だから年をとったという実感が無いんです。 年男と言われて、 そうか物理的?には年生きて来たんだと自覚しましたが、
こうなったらドラマ作りの還暦までガンバっちまおうかと思う新年であります。 |

東映
橋本 新一 |
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今年で4回目の馬の干支を迎えます。 思えば1回目(歳)の年に、 なんと無謀にもテレビの仕事に憧れを持ち始め、
2回目の馬の年の前に、 このテレビ業界にゲートイン。 3回目の年にはすでに中堅といわれて番組のデスクとしてがむしゃらに走っていました。 そして、 とうとう4回目の馬年を今年迎えてしまいました。
しかし、 まだまだ多くの先輩諸氏が健在であります。その意味ではまだまだこのプロデューサー協会では小僧でしかありません。ただ、昔は「人間五十年」と言われたことを考えると、現代医学に感謝するばかりであります。
さて、デジタル時代到来の現代には様々なメディアを通じたソフト制作が要求されています。先輩諸氏の知恵と若い世代のエネルギーを私たち世代が繋ぎ目の役割をして推進していこうと、新しい年に心を新にしています。
今年も「人間万事塞翁が馬」をモットーに仕事に励みたいと思います。 |

NHK
小林 千洋 |
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66年生まれは丙午にあたり、前後の世代より人数が少ない。人数が少ないということは必然的に競争も少なく、ヒジョーにラクな世代である。実感はないが今まで100回以上いわれてきたからそうなのかもしれない。学生時代の友人たちは、各々主任だったり課長だったりとそれなりに中間管理職になる年頃。翻って我が身を眺めると、社歴も10年を優に超えようというのに未だ若葉マークがついているような気持ちになるのは何故だろう(え?私だけ?失礼)。馬でいえば「あけ3歳の若駒」といったところ?そう考えるところもひ弱といわれる所以なのか。生き馬の目を抜いてきた諸先輩、物怖じしない後輩諸君に挟まれた私たち。バブルだ新人類だと馬鹿にされ、さらにはひ弱な馬の骨とまでいわれて…。そんな批判は馬耳東風とばかりに牛飲馬食、年男として名作をうみだす駿馬となるか、駄馬が廃用となってさくら肉となるか、我々若駒世代の成長物語の結末は神のみぞ知るところですが、人間万事塞翁が馬、年明けより出ムチ連打で猛ダッシュしていく所存であります。 |

日本テレビ
杉山 邦彦 |
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