『どついたるねん』 が大ヒットになる予感もまだなかった頃、 阪本順治氏を監督デビューさせた荒戸源次郎プロデューサーに
「監督デビューをさせた以上は興行の如何に拘らず監督を育むためには最低三本は撮らせて欲しい、
そうする事がプロデューサーとしての責任ですよ」 と唆しました。 『ツゴイネルワイゼン』
で企画から興行までを一本化し、 鈴木清順監督の復活に成功し、 尚かつ若い人達を集めて勉強会を開いていた荒戸氏にだからこそ言えたのでした。
結果、 映画はヒットして私の思いは老婆心に終わりました。
阪本監督第二作目の 『鉄拳』 ではこの業界四年目の椎井友紀子さんが制作主任でやって来ました。
彼女は学生時代に三里塚で八ミリを回していたそうで、 私達は政治や映画のこれからについて良く喋り合いました。
映画が出来上がった時、 「実は荒戸氏からプロデューサーをやらないかと言う話が持ち上がっているんですけど……」
と椎井さんから相談を受けたのです。 「私も推挙しようと思っていたところ。 あなたの映画への思いは企画制作してこそ成し遂げられるもの。
金もバックも無いフリーの人間がプロデューサーとして独り立ちすることはかなり難しい。
が荒戸源次郎の強烈な個性の元でなら可能だろう。 しかし金集めからして大変で当分の間は辛抱と涙の日々になるはず。
でもこのチャンスを活かすかどうかは腹の括り方だろうから……」 とちょっぴり背中を押してみました。
こうして阪本監督三作目の 『王手』 で椎井さんはプロデューサーになり以後奮闘努力の日々が続いたのです。
のち荒戸事務所解散で彼女は 『キノ』 事務所を立ち上げ阪本監督との二人三脚を始めました。
年一本ペースで映画を作り昨年の 『顔』 今年の 『KT』 へと続き10年を経た今、
最も輝く女性プロデューサーとなったのではないでしょうか。 「映画は単に作り手側の課題だけではない。
送り手側や受け手側をも巻き込むべきだ」 の理念で西へ東へと飛び回っている椎井さんの姿は力強くもあり頼もしくもあり嬉しいかぎりです。 |
昨今、 映像全般で女性プロデューサーが増えています。 しかし現場叩き上げの人が稀でスタッフを掌握するには力不足を感じています。 彼女達には肩書きに甘んじず活躍して頂きたいと願っています。 |
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