ALL NIPPON PRODUCERS ASSOCIATON
会員年男・年女  各世代代表抱負を語る
大正8年生 笹井 英男
 新年あけましておめでとうございます。  今年のえとは 「羊」 昨年十一月協会の事務局より新春の会報に恒例の年男年頭の所感をとの要請になに気なくお受けしたものの、 この羊めは八十三才の老羊爺、 今更年男でもあるまいと後悔してもあとの祭。 勇をこして羊君にあやかって今年こそ業界の活性化にと周囲を見廻しても外貨、 外貨の圧力に他産業と同様、 例えば新聞の映画興行案内の劇場の大半は洋画に占拠され邦画の上映館は細々と数える程、 又TV界ドラマ部門も何かもう一つ活性化が見られない現状、 そこにゆくと、 わが羊君、 八千年の昔から家畜としても織物の原料、 良質の食肉、 そして皮、 油と我々人間に大くの貢献をしてくれているのです。 せめてこの羊君のパワーにあやかり、 正月は旨い羊肉とビールで乾杯、 新たなる制作意欲と業界の活性化の為に頑張りましょう。 但し羊頭狗肉にならないで下さい。

昭和6年生 アスミック・エースエンタテインメント (株)
(株) プロデューサーズ アカデミア 会長
原 正人
 21世紀まで生き延びるなどとは考えもしなかった。 戦後の貧困と廃墟の名残りが色濃い学生時代に、 長い病床生活を送った半人前の体力で、 とにもかくにも自己流の仕事のやり方で今日まで生きてこられたのが我乍ら不思議である。 考えられるとすれば、 これは映画の魔力に相違ない。 若い世代とつきあい、 観客でいっぱいの映画館でもらったエネルギーが私をここまで引っ張ってきてくれたのだと思う。
 すばらしい監督や俳優、 スタッフと出逢い、 彼らと一緒に映画をつくり、 それを観客にとどける。 資金調達のしんどさも、 現場の苦労も、 満員の劇場の初日に立てば、 いっぺんに吹っ飛ぶ。 プロデューサー業の醍醐味であろう。 資金を預けてくれた出資者、 我ら作り手たち。 そして配給・劇場・観客。 みんなが納得して喜んでくれる映画づくりのリーダー、 プロデューサーがもっと力を持ち、 光があたる時代が今やってきている。 日本映画にこだわって、 もう少しの間生きて、 その時代を見てみたい。
 いつの間にか欲深老人になってきたか?これはヤバイぞ!

昭和18年生 テレビ朝日 エグゼクティブプロデューサー
一杉 丈夫
 小さい頃から絵は下手だが、 描くのは好きだった私にとって、 ふと覚えた油絵は真に便利であった。 素人には出来栄えが気に入らなければ、 暫く経った後、 また塗り潰して重ね塗りが利くからだ。 35年前、 目くるめく番組を夢みて局に入った時、 油絵描きをそのまま持ち込んだ気がする。 分析も調査も科学的根拠もなく、 スタートはいつも、 これオモシロソウ、 これ泣けちゃう、 視聴率はいただきダ…と夢をみつつ勘を頼りのそれで、 或る時はドラマに、 或る時はバラエティーに、 ワイドショーもニュース番組も 「追いかけるのはいつも人間」 を信じて、 素人のキャンバスは塗り潰しと塗り直しを繰り返しながら突き進んだと思う。
 60歳。 晩節を汚さないようにと他人は言う。 そろそろ格好良く一筆描きでサラサラにスタイルを変えられたらと思うけど、 5回目の年男となる今年も、 同じ様にダサイ油絵を描くしかない。 新しいキャンバスも塗り重ねれば何とか成るを信じて…。

昭和30年生 NHKエンタープライズ21
エグゼクティブプロデューサー
阿部 康彦
 昨年富良野塾出身の吉田紀子さんと 『抱きしめたい』 という単発ドラマでご一緒した。 私が学生のとき通った放送作家教室にゲストで倉本先生が来たので、 自分の 『前略おふくろ様』 シナリオ本にサインをいただき、 そんなこんなでテレビ局に入った事をお話した。
 おととし家のフジのCSらしきチャンネルでたまたまあの 『6羽のかもめ』 の最終回にひさびさに遭遇して (「さらばテレビジョン」 というサブタイだったか)、 テレビにワクワクしドラマの仕事がしたくてたまらなかったころにタイムスリップした気持ちがした。
 パソコンや携帯電話につかっている若い人たちのテレビへの感覚はこれまでと同じではないし、 もっと時代の色は変わりゆくに違いない。 でも、 私がそうであったようにテレビがゾクゾクする夢であり、 ドキンとさせる現実であり、 そして人の思いを大きく揺さぶる宝の箱であることは誰にでも伝わるはずだと今、 あらためて念じて、 ドラマを作りたい。

昭和42年生 TBS エンタテインメント プロデューサー
磯山 晶
  困った。 私は、 今年 「年女」 ということで、 この原稿を依頼されたらしいのだが、 「年女だから」、 とか 「今年こそ」 といった抱負は全くないのだ。 だいたい年頭に 「今年はこんな一年にしたい」 などと考えたこともない。 というより、 「年女」 ってことに一体何の意味が…?十二支って…?
  他にも、 初詣などで神社・仏閣に行くとびっくりするくらいの量の 「厄年」 を説明した看板を見る。 (なんと厄年は子供の頃からある!) あんなに 「前厄」 とか 「後厄」 とか言ってたら、 人生の三分の一ぐらいは 「厄年」 になってしまうじゃないか。 そんな毎年のようにお払いしてもらわなければいけないのだろうか?
  しかも大広間で順順に名前を呼ばれるような超機械的な儀式のために何万円も払って…。
 さらに、 私は十月が誕生日なので、 気分は 「35歳になったばかり」 なのに、 「数え年」 のせいで、 正月にはいきなり 「36歳の年女」 と言われる。 なんか、 こう非常にむかつくシステムなのである。 新年早々、 逆ギレ気味で大変申し訳ないが、 「年女」 の抱負、 というテーマで考えていたら、 だんだん頭に来ちゃったので、 そのままの気持ちを訴えてみた。 えーと、 今年も自分らしく、 普通に暮らしていきたい。 です。
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