ALL NIPPON PRODUCERS ASSOCIATON
会 員 年 男   =新年の抱負を語る=
● 昭 和 7 年 生 ● (東阪企画)
大下晴義
 二○○三年十一月二十七日夜・青山にてプロデューサー協会、 東宝グループの会がありました。
 出席者は会員四十五名のうち十名でした。
 しかし、 ものすごく楽しい会でした。 馬場大先輩をはじめ、 仲々お会いする事の出来ない方々と昔と今を語りあったと思います。
 と申しますのは、 全員がプロデューサーだからです。
 プロデューサーでなければ解らない話だからです。 喜びも、 苦しみも分かち合えるからです。
 私は現在東阪企画というテレビ制作専門の会社に居りますが、 社員を募集しても監督、 ディレクターの志望はあっても、 プロデューサーに成りたいという人は殆んどおりません。
 面接で聞くとプロデューサーってどんな仕事をするセクションですか?と云われます。 現実はそうなのかー。 残念ですがそうなのです。
 良いプロデューサーなくして良い作品は製れません。 世界は良いプロデューサーが育ってます。 日本も我々も素敵なプロデューサーを輩出する環境を作り出そうではありませんか。 どうすれば良いのか皆んなで考えましょう。
 話は変りますが、 時として撮影現場に行くと二十代、 三十代のスタッフがキビキビと自分の仕事をコナしています。
 当り前のようですが、 自分の三十年前、 四十年前は、 こんなに働いたのだろうかと思い、 「今の若者は」 と、 茶髪、 ピアスをつけた外見だけで批評する自分自身を、 反省させられることしきりです。
 そして、 日本人の中に脈々と流れるDNAを信じています。
 少い時間、 低予算で本当に良質のドラマを製ってくれます。
 その事だけで、 今、 生きてる、 明日を生きる希望を与えてくれる、 今日この頃です。
 今年サル年七十二才。


● 昭 和 19 年 生 ● (CS−WOWOW)
佐藤正大
年男になる感想
 協会の会報に載せるので 「年男になる感想」 を書くようにとの電話があったのですが、 年男といっても何の事はない5回目の年男つまり還暦の事ですから 「また嫌なこと、 考えたくもないことを思い出させてくれますね」 と嫌味の一言を言ってしまうことになるわけです。 還暦といえば、 定年、 停年、 終身雇用の終着駅などというイメージが連想されてしまうわけで、 この頃はリストラばやりで、 停年や定年という言葉は実質有名無実化しているようですが、 とにもかくにも明るい希望のある言葉でもおめでたい言葉でも決してありません。 ですから 「おめでとう」 などといわれて嬉しいはずなどないわけです。 そこで、 このいやらしい言葉は何とかならないものか、 この世から完全抹殺できないものかと常々考えてはいたのです、 密かに……。 今のところはまだ妙案といえるものはないのですが、 仮に 「リセット」 というのはどうだろうかと自分に言い聞かせてなだめてみたりしているところなのです。 しかし考えてみれば、 こんなことにこだわっていること自体ナンセンスで、 まさにサラリーマン根性丸出しのさもしい発想といわざるをえません。 プロデューサーを僭称するからには、 そんなことを考えている暇があったら企画のひとつも持って来いであって、 プロデューサーには無縁の言葉、 発想であらねばならないのです。 生涯一プロデューサー、 死ぬまで現役、 一本どっこというのが本来あるべき姿のはずなのです。
 最近、 あるセミナーで政府系銀行も含めた大手3行の担当責任者がパネリストになっての、 コンテンツビジネス (当然映画も含めた) における資金調達方法から現行の調達手法の問題点や課題について話を聞く機会がありました。 融資だけでなく投資も含めた資金調達に関する実践的な話で興味深いものがありました。 銀行もついにコンテンツビジネスに目覚めたということなのか、 はたまた日本のコンテンツビジネスは20兆円市場などという言葉に食指が動いたのでしょうか。 それはともかくとしてこうした動きは経済産業省の思惑と呼応しているのかも知れませんが、 悪い傾向ではありません。 歓迎すべき動きです。 これはフリーランサーのプロデューサーにとっては福音とも言えるものかも知れません。 ここはひとつ、 頭をリセットして新しいスキームでもって映画の製作なるものを追求してみようかと思い始めている今日この頃なのです。
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