ALL NIPPON PRODUCERS ASSOCIATON
私の新人時代 (株)オフィス・シロウズ 代表取締役
佐々木 史朗

 仕事の始まりはプロデューサーでなく赤坂にある某テレビ局の契約ADさんでした。 とはいえ東京オリンピックの年ですから40年も昔のことです。 私がついたのはKディレクターで、 この人はいまでも大物ディレクターとして役員室で孤独にカメラ割りをしておられるそうですが、 当時から無理無体を要求する癖があって私は苦労しました。
 時代劇の連続ドラマを制作していたころですが、 ビデオ撮りの前夜のリハーサル室で 「ここで山鳥を一羽歩かせてくれ」 との命令です。 おそらくシナリオに 「山道で女がふと泣きぬれた顔をあげると、 鳥が目に入る」 とのト書きがあったせいでしょうが、 なにをいまさら芸術心に燃えちゃって、 と私は思いました。 おまけに明日のスタジオに山鳥なんて。 私は素直に 「そりゃ無理じゃないでしょうか」 と進言しましたが、 芸術表現欲にとりつかれたKディレクターはいうことを聞きません。
 困った私に装飾のアキちゃんが知恵をさずけてくれました。 山鳥はムリだがチャボなら手に入るというのです。 私たちは翌朝早くからチャボに色を塗り山鳥化計画にとりかかりました。 茶色や緑、 すこし銀色に光るトサカもつけて相当いい出来です。 さらに私はセットに米粒を撒いておきました。 チャボがそれを追って山道を歩く、 という算段です。 Kディレクターは上機嫌でした。 ライトに照り映えて銀色が輝くのです。 チャボが時々、 コッココッコと鳴くものですから私はさりげなくブームマイクを遠ざけて、 シッシッとチャボを脅かしたのですが運悪くそのコッコ、 シッシが聞こえたらしく血相変えたKさんがスタジオへ駆け下りてきました。
  「それはチャボだろ、 山鳥じゃない!」 私も退くに退けません。 「山鳥ですっ!」 「チャボだっ!」 俳優さんやスタッフを無視しての怒鳴りあいは最後にジャンケンで勝負をつけようということになり悪運強くKさんが勝ってしまいました。 私は土下座して皆さんにおわびしましたが、 Kさんは意気揚々とサブに引き上げ、 何が原因だったのかは忘れてしまったらしく、 その後は順調にビデオ撮りが続きました。 私が映像の仕事に足を踏み入れて三年目の出来事です。
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