協会創立五十周年記念 |
歴代会長の言葉 |
顧問 川口 幹夫 (NHK) |

プロデューサー協会が五十年になる!
そうか!そうだったな!!という思いが胸に迫ってくる。 当初は映画プロデューサーの会だった。 生まれたてのテレビ屋としては、 日本の映画史を飾った名プロデューサーたちのお名前を見て、 「早くテレビもこうならなくては!」 と大きな目標にしたものだった。
「テレビのプロデューサーも入らないか?」 と誘って下さったのは、 昭和も五十三年になってからである。 私がドラマ部長から番組制作局長になった頃だ。
当時のNHKの上層部ではよく意味が分からなかったらしい。 そこで制作局長だった私と演出の和田勉君がまず入ることになった。
「大いに意味があります!」 と報告して、 正式にテレビドラマのプロデューサーも会員になった。
成り立ちの相違とはいえ、 映画人とテレビ人の認識度の差はこれくらいあったのだ。
その時のプロデューサー協会長は東宝の田中友幸さんだった。 その田中さんに私は副会長としておつかえした。 映画人の何人かに直接教えていただいたし、 プロデューサーとして映画とテレビのあり方も、 大いに参考になった。
NHKオンリーで育った私には、 目を見張る思いがあった。
何人かの映画プロデューサーの方々に教えられた。 またこの協会を通じて民放テレビのプロデューサーの何人かの方々にテレビ人としての新しい目を開かされた。
そして田中さんのあとに私は、 会長という大役を仰せつかることになった。
そして映画とテレビはお互いに接近することになった。
月に一度の理事会は、 私にとっては、 この上ない接触の場になった。 映画についても、 民放のドラマについても、 新しい発見があり、 フレッシュな感動の場があった。 私は映画テレビのプロデューサー諸氏から数多い感動をもらった。
そして、 今協会 五十年 何といっても 「人」 である。 そして人と人との出合いである。 ユニークな活動を続けて行ってほしい。 心からそうねがっている。 |
(任期昭和58年6月〜平成3年9月) |
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