日本映画テレビプロデューサー協会報

No.396  2011年5月号

東日本大震災について

会長 杉田 成道

会長 杉田 成道 このたびの大震災において、亡くなられた幾万の霊魂に謹んで哀悼の意を表すとともに、安らかに眠られることを祈りましょう。黙祷。また、罹災した幾十万の人々に、たとえ遠い土地からでも、連帯の心を伝えましょう。孤児となった子供たちの記事を読むにつけ、涙が流れてなりません。未来の世界には絶望だけじゃない、希望だってあるんだと、何かを差し出したい気持ちに日々駆られます。
 明治維新から八十五年で終戦、終戦から六十五年でこのたびの大震災が起こりました。未曾有の国難とも言うべきこの事態は、長い周期をかけた一つの秩序が、新しい秩序に生まれ変わる亀裂のような気がしてなりません。
 原子力発電所の推移を見るにつけ、経済の拡大を基軸に置いた無秩序な繁栄の思想は、多分ここで役割を終えるでありましょう。やがて調和と安らぎを、生きる根元に置いた思想が発展していくに違いありません。そうなってほしいものです。戦後の家族の崩壊は、これ以降、また新しい形での家族の集束に向かっていくことを期待してやみません。そうしてこそ、この震災に意味が生まれます。
 今から六十年ほど前の終戦直後、焼け跡にバラックがやっと建ち並んだ頃、地方の小さなタブロイド版の新聞を発行していた我が家には、毎夜、記者たちが集まり、ドブロク(濁り酒)を真ん中に、大声で天下国家を論じていました。共産党員もいれば元軍人もいて、玉石混交、押入れには軍刀が五、六本、引き出しを開ければ赤い党員証が何枚かありました。誰の家にも風呂は無かったでしょうから、借り湯のついでだったのかもしれません。僕はこの人たちに抱かれて風呂に入り、酔って口角泡を飛ばす中で、スヤスヤと寝息を立てていました。
 チャーチル、トルーマン、マッカーサー、吉田茂、断片的に入る名前のなかで分かったのは、たった一つ、誰もがニッポンの再生について、情熱を持って一生懸命に語っていたことでした。考え方の違いはあれ、ニッポンを我が身と信じて疑わないことは、子供心に伝わってきました。そこには見えないエネルギーの塊がありました。
 今、まさにその時に至っていると思います。ニッポンは衰えたりとはいえ、綿々と続いた儒教道徳が底流に、今も流れていると信じています。出来ます、必ず立ち上がって見せます。二千年の文化と、倫理をもった、世界に誇りうる国だからです。
 僕らは今、一つの価値が崩れ、次の価値が生まれる局面に出会っています。この歴史の端境期に立ち会ったことは、別の見方から見れば、千載一遇の時とも言えますまいか。一人一人に何が出来るか、自分はどうこの時と関わるべきか、それぞれに己の胸に問うてみる必要があるのではないでしょうか。
 罹災地支援はもちろんのことではありますが、今、僕たちに与えられた使命は、自分たちに出来る唯一のこと〝物語を語ること〟ではないでしょうか。情熱をもって生きる希望を語ること、生きる指針を語ること、それしかないと思いますが、いかがでしょうか?
 もう一度、原点に立ち返って、時代を見つめてみましょう。そして、日本人同士が手をつなぐ意味を、また考えてみたいと思う日々でありますが、皆さんはどのように思われますか?

日本映画大学

オフィスシロウズ/学校法人神奈川映像学園日本映画大学理事長 佐々木 史朗

オフィスシロウズ/学校法人神奈川映像学園日本映画大学理事長 佐々木 史朗 フィルムに触れてみた最初のころ、驚いたのはカメラの一部に取り付けてあるシャッターでした。あとで思い出すと普通のカメラでも「シャッターを切る」とか「シャッターが落ちる」とか言うのですから当然のことですが、弾着のシーンなどで監督とカメラマンが「火、見えた?」などと言い合っているのが何のことかわかりませんでした。
 1秒の中に24回の光と闇があって繰り返されているという理屈がわかったのは、それからしばらくたってからで、そのミステリアスでロマンティツクさには心が震えました。闇の一瞬に私は何を見ているのだろう。
 映画が私たちに教えてくれることとは、そんな些細なことの積み重ねで、そのひとつひとつが面白くて、だから今に至るまで映画を仕事として続けているのだろうと思います。
 昔の撮影所の時代であれば、誰もがそういうことを自然に覚えたり教えてもらったりできたのでしょうが、私が映画に参入したのははるか後のことですから、撮影所を経験した多くの人たちからこまごました話を聞くのが楽しみでした。例えば大映京都におられた岡本さんという照明技師から聞いたのですが、スタジオでの撮影の昼休みに撮影部の助手と照明部の助手が思うように仕込んだ照明で、思うような絞りでフィルムの端尺を使って撮影し、それを所内のラボに入れてネガとプリントを作り大きなスクラップブックに何コマかを貼って撮影データを書き込んでいたそうで、社内のスタジオで勝手に動かすのを大目に見てもらえる機材があり、現像部までがあるという環境でないと、こんなことはできません。
 私が楽しみだった多くのことを今になって誰かに伝えていきたいと考え始めたのも当然のことかもしれません。その中には作る人間にとって、世界がどう見えているのかという大きな問題もあります。映画のやっかいなところは人によって作り方も見え方も違うということで、教育で映画は教えられるかについて最近多くの意見があって議論百出ですが、おそらく伝えていくことしかできない。大きな世界観からひとコマに何が映っているのかの具体の間でそれぞれの思いが揺れ動く、そんな経験を共にすることはできます。
 日本映画大学ではそのために校舎と小さなスタジオを作ってみました。でもそこは人間で満たされないかぎりただの空間でしかありません。
 それともうひとつ。いま、さまざまな教育機関に映画の製作を仕事としてきた仲間たちがいます。これらの人間たちで大学間の壁とは関係なく、それを超えるチームを組んでいくことができないだろうか。これは次の夢になります。
 まず手始めとして百六十数名の人々を迎えて日本映画大学は四月、開学しました。

只今撮影中

フジテレビジョン 土屋 健
フジテレビジョン 土屋 健映画『プリンセス トヨトミ』
5月28日㈯公開!

大阪全停止。その鍵を握るのは、トヨトミの末裔だった。
〈きっかけは、『鹿男』〉

 そのタイトルを聞いたのは、連続ドラマ『鹿男あをによし』制作中の事でした。大阪・空堀商店街にあるお好み焼き屋〝冨沙屋〟を撮影にお借りしたところ、原作者の万城目さんから、〝何で空堀? 今そこを舞台に次作を書いとるんですわ〟と電話で言われたのです。その魅力的なタイトルの物語は、デビュー作『鴨川ホルモー』で、京都を舞台に、オニを操る大学生の青春を、『鹿男あをによし』で、奈良を舞台に、鹿から人類を救う事を命じられた男の奮闘を描いた万城目さんが、地元・大阪を満を持して描いた、大阪ならあるかもしれない、夢物語。そのスケールの大きさと終盤に一気展開するストーリー展開に、これは映画だと企画書を書きました。
〈難航した脚本〉
 太閤秀吉の大阪との関係、そして、大坂・夏の陣と、その後の徳川幕府の治世、物語は、大阪の長い歴史に緻密に絡みながら、現代でストーリーが展開していく。会計検査院調査官、男勝りな女の子とセーラー服を着た男の子、たこ焼き屋の父、いくつもの要素が同時に絡みあうストーリーの脚本製作は大変難しいものでしたが、『鹿男』チームが再結集し、、監督・鈴木雅之、脚本・相沢友子タッグで、さらにスケールアップした万城目ワールドに挑戦しました。
〈大阪中が口裏を合わせているのかも知れない……〉
 東京から大阪へ検査にやってきた3人の会計検査院調査官。
 彼等の職務は、税金の使い道をチェックすること。そんな彼らが、〝財団法人・OJO(大阪城址整備機構)〟という団体に対し、抱いた小さな疑念。もしかすると、大阪中が口裏を合わせているのかもしれない。彼らが、辿りついた結論が、歴史を覆す大事件に発展していくのです。
〈大阪府・大阪市の全面協力の中、大規模ロケ敢行!〉
 道頓堀、新世界など大阪を代表するスポットや、大阪城などの名所旧跡、さらには、大阪全停止を実現するには、大阪府、大阪市の全面協力が不可欠でした。特にクライマックスである、大阪府庁前でのシーンでは、大阪府警の協力も頂き、府庁前の幹線道路4車線を夜から朝まで13時間封鎖、エキストラ5000人を動員する大ロケーションを敢行し、鈴木監督は、見たことのない大阪の映像を実現しました。
〈日本映画界を代表する豪華キャスト陣が集結!〉
『プリンセス トヨトミ』 〝鬼の松平〟の異名を持ち、一切の妥協を許さない会計検査院・副長に、堤真一。〝ミラクル鳥居〟と呼ばれ、天性の勘で功績をあげる女性調査官に、綾瀬はるか。日仏のハーフで容姿端麗な新人エリート調査官〝旭ゲーンズブール〟に岡田将生。普段は、お好み焼き屋だが、実は、「大阪国総理大臣」である〝真田幸一〟に中井貴一。
 まさに、日本映画界を代表する豪華キャスト陣が集結し、物語に圧倒的なリアリティを与えています。
 変わった切り口の、不思議なストーリーではありますが、 最終的に描いているものは、人と人の絆です!
 こんな時だからこそ、是非多くの人に見てもらいたい映画です!
 5月28日公開です。
皆さん宜しくお願いします。

私の新人時代

松竹 映像企画部 吉田 繁暁
松竹 映像企画部 吉田 繁暁「私のシンジンジダイ」

 9時に会社に着いて、部署全員の灰皿の中の山盛りの吸殻を捨てて、机の上を拭くことが、一日の始まり。
 午前中デスクの人に、机の上が汚いと怒られて、昼は全員の出前を間違えないで注文して夜また、出前をとって、出前が遅くて怒られて、24時過ぎまで働いて、叙々苑で焼肉食べて、飲んで説教されて、安室奈美恵歌わされて、飲んで。
 朝、通勤電車で吐きそうになりながら、会社に9時に着くのが、一日の終わり。
 まだ、バブルの香りが残る15年前の日常。
 タレントから、指定のカプチーノ買いに、湘南の海岸のロケ地から銀座まで買いに行かされたり、朝まで資料探しして、六本木にあった六本木ビデオハウスにふらふらになってビデオ借りに行ったら、悪い外人に囲まれて喧嘩売られたり。
 大好きだった巨匠監督に、なんの理由もなく「おまえビジコンのそば寄るな」という言葉を吐かれて、好意が殺意にあっけなく変わって、後先考えずに弁当投げつけたりとか。
 これも15年前の日常。
 それは、つまり、日常だけど、自分がどこに置かれてるか、何してるかわからない不思議な非日常的な感じが、ずーと付き纏っている日々だった。
 それが、今考えるとシンジンのジダイというものなのかなぁと思う。
 そんなふわふわしたかんじの一方で、そのシンジンジダイは、性根すえて嘘をつかず、全力投球で向き合わないと、見たこともない種類の人間や、得体の知れない出来事に簡単にのまれてしまう恐怖感と緊張感の毎日だった。
 だから、わかりやすく死ぬほど頑張らないといけなかった。
 じゃあ、そんなつらいのなら、やめたかったか?
 そうじゃなかったんです。
 これが、全体的にまるめると楽しい日々なんです。
 ほんとに一日としておんなじルーティンはないし、毎日、なんか事件が笑っちゃうくらい起きちゃうので飽きることがない刺激的な毎日なんです。

 「誰でもが、できる仕事じゃない。この仕事ができていることに感謝しろ」
 誰から言われたか覚えてないが、この気持ちは、昔から変わっていない。
 いまさらながら、この仕事をできることに感謝の気持ちを常にもって毎日を過ごそうと思っています。この愛すべき非日常感を楽しみながらこれからも、シンジンジダイの全力投球をできるかが、これからの課題だなぁと。これを書きながら思いました。

事務局だより

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総会と懇親パーティーのご案内

第35回通常会員総会を左記により開催致します。
正会員の方はご出席下さい。欠席される場合は総会成立のため、必ず委任状をご送付下さい。
また、総会終了後、恒例により懇親パーティー(18時開宴予定)を行います。賛助会員の方々も、お誘い合わせの上、是非ご参加下さい。

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