日本映画テレビプロデューサー協会報

No.397  2011年6月号

デジタル新時代に視聴者から求められるコンテンツ

㈱東京ニュース通信社 TVガイド事業局媒体事業部長 TVガイド編集長   石川 究

㈱東京ニュース通信社 TVガイド事業局媒体事業部長 TVガイド編集長   石川 究  地上デジタルに移行し、TVを取り巻く環境が大きく変わり、そして今秋、来春においてはBSチャンネルが続々増加してゆく。CS放送も含めて、これまでとは比較にならないコンテンツの中から、果たして視聴者はどのような基準で番組を選ぶのか。
 デイリー更新の最新番組表が各家庭のTVに標準装備されている時代になったが、それでもテレビ情報誌へのニーズはまだまだ大きく、むしろコンテンツが圧倒的に増える分、観たい番組・観るべき番組にたどり着いてもらうためのナビゲーターとして、我々テレビ情報誌の役割が逆に大きくなっていることは、日々の読者からのリクエストからも実感している。視聴者と番組をつなぐ責任がある我々にしてみれば、そのような読者の要望を聞くたびに、別の言い方をすれば、これだけ多くのチャンネルを抱えたTVメディアが、果たして視聴者を裏切らないコンテンツをきちんと生み出し続けることが出来るのか、という疑問も常に感じてしまう。
 そんな環境下において、我々が変わらず期待し続けている最重要コンテンツはやはり「テレビドラマ」である。「視聴率」は確かに低い。かつて30%台で争われていた各クールのナンバー1ドラマの座も、現在は10%台での争いが基準になってしまった。しかしながら、我々が現在注視しているのは「視聴率」だけではなく「録画率」というもうひとつの新しい数字。そのデータを見ていると、やはりドラマ、それも買い付けた作品ではなく、オリジナルドラマに寄せられた期待はまだまだ大きく、多くの視聴者を惹きつけているコンテンツであることが間違いないと確信させてくれる。
 無料放送の仕組みとしては、もちろんオンタイムで観てもらうことがありがたいが、もはやテレビコンテンツは「自由な時間」に「自由な場所」で観る時代。VHSとは違って、1台で2番組以上の同時録画はもちろん、全チャンネル撮りっぱなしのTVすらある。大容量の録画機器がいずれもっと低価格で提供されて普及すれば、もはや録画すら選んで行う必要もなく、「放送後、話題となった作品だけを観る」時代になっていくだろう。
 そんな時代を見据えて言うならば、最初の「視聴者がどのような基準で番組を選ぶのか」というに問いに対する答えはひとつしかない。つまり「内容の伴った本当に優れた作品」だけが視聴者に選ばれるのだということになる。
 目先の数字に左右されず、作り手がチーム一丸となって、本気で信念と覚悟を持って作品を作ることこそが、その時代に立ち向かえる唯一の武器であると信じている。

 大切なものをなくした悲しみの中で、そしていまだ続く不安の中で、多くの方々にほんの少しでも元気や幸せを届けることのできるエンタテインメントには、とてつもなく大きな意義があり、それに携わる我々には大きな責任と使命がある。これから先の明るい未来のためにも、今一度、エンタテインメントを全力で追求すべき時だと考えている。

日本映画は再び新たな夢を見られるのか!

キネマ旬報  編集長  明智  惠子

キネマ旬報  編集長  明智  惠子  東映の名誉会長・岡田茂氏の訃報。映画界に身を置き、そこで日々走り続けるすべての人は、震災で一度止めた足を、おそらくこの訃報によって、再び一瞬止めたのではないか。果たして、21世紀の映画製作とは何を目指すのか︱と。映画ジャーナリスト・大高宏雄氏は、「映画製作と、映画会社経営双方にまたがる矛盾そのものを、そうと悟られずに生き続けた稀有な映画人」であり「カツドウヤと資本家。ありえないことをやってのけた」と小誌連載『ファイトシネクラブ』(6月上旬号)で氏の在り方を的確に指摘している。「ありえないこと」︱。まさにここにこそ、現在の日本映画界のことを考え続けるわたしたちの地続きの問題があるとは言えないだろうか。
 観客の欲望を見極め、それに響き合うものを次々と送り出す。この点において、岡田氏の映画製作は、現在の映画の供給体制と基本的に一致している。しかし実際に送り出したそれらの多くが、現在の多くと違うのは、たとえ玉石混交であったとしても、受け取る側の想像力を大きく超えようとする、共鳴の先に一歩突き抜けようとする、そんな視線があったのではないか、ということだ。映画人の矜持。そしてオリジナリティを伝え切る凄まじい気迫と伝播力。現在の日本映画に失われているのは、まさにそこかもしれない。もちろん、今の日本映画のすべてがそれに類するわけではない。全体論としての乱暴な言い方であることは、お赦し戴きたい。しかし、敢えてそれを前提とした上でわたしが感じるのは、今、作り続けられている映画の多くが、想定の中に観客の欲望を閉じ込める一方で、それを裏切り、観客の欲望を肥大させ続けることに無関心にすら見えるということだ。映画作りとは、果たしてそういうものであったのか。
 何十社が製作委員会に絡んでいようが、国際映画祭を狙おうが、問題作であろうが、娯楽作であろうが、そして、それらが漫画や小説などベストセラー原作の力に頼った企画であろうが、そんなことの是非はどうだっていい。映画はいろいろなものがあっていいはずで、そこに正解などはないからだ。
 しかし日々見る映画のローリングアップ。今の日本映画のそれは、さながら順列組合せリストの一覧のようでもある。同じ役者、同じ監督、さらには同じ原作者の名前が、組み合わせを変えただけであちらにもこちらにも。観客の想像力や欲望は、それに比例し肥大化するどころか、無自覚に萎える一方だ。そんな中で、〝個〟が〝個〟の中からしか発せられないもの、そんなことに意味を求めるのは、もはや過去の遺物のごときである。
 そうして21世紀の映画は、最初の10年を終えた。〝個〟の不在は映画をどこに連れてゆくのだろうか……。しかし岡田茂というたったひとりの傑物がいたことで、日本映画が新たな地平に立った、あるいはひとつの大きな映画史を築き上げたように、再び、次の代替え不能な顔を持った〝個〟が日本映画のシーンを変える日が来れば、21世紀の日本映画は、また新たな夢を見られるかもしれない。映画を何より娯楽として愛する観客の立場としては、やはりその日を待ってしまうのだ。

只今撮影中

近代映画協会  新藤  次郎

近代映画協会  新藤  次郎

『一枚のハガキ』

 今夏に公開する『一枚のハガキ』は、新藤兼人映画生活の最後の作品になります。
 京都新興キネマから松竹大船に移籍して、1950年に独立プロ近代映画協会を起こし77年の映画人生の、トドメの監督企画を何にするかは重大なことでした。
 選んだ題材は新藤自身の戦争体験から、長い時間頭脳にこびりついていて整理できない思いだった。中年兵として戦争末期に30歳を過ぎてから召集された100人の兵士の中で生き残ったのは、たった6人の兵士だった。新藤は6人の中の一人で、戦後なぜ他の94人は戦死して自分は生き残ってしまったのかと苦悩した。ほとんどの中年兵士には家族がいた。親、子、妻。死んだ兵士は家族の中心であり働き手であった。戦争の本当の姿は一兵士とその家族から見た視線が不可欠で、一兵士の死の背後を見なければ掴めない。新藤は一人の兵士から一枚のハガキを示され、自分は死ぬと思うから妻を尋ねハガキは確かに見たと伝えてくれと頼まれる。ハガキには『今日はお祭りですが あなたが いないので 何の風情もありません』と記されていた。この事実を基にシナリオを書きあげた。
『一枚のハガキ』  今のインディペンデントの映画製作の現状はかなり厳しく、この映画も同様でシナリオが完成してから資金の手当てがつくまでかなりの時間を必要としました。あきらめかけた時もありましたが、資金の一部が成立し監督に電話で制作に入りますと伝えました。が、当初の予算規模を縮小して、製作期間を短く設定した予算で撮影に突入せざるをえませんでした。98歳の監督には、体力的に厳しいスケジュールになりました。プロデュース側の一番大きな心配は監督の体調に因り作品が未完成に終わることなのですが、資金不足が充分なスケジュールを与えてはくれません。
 最終カットは伊豆の海辺でした。昼前にラストカットのOKの声がかかり、監督は民家の表で弁当を摂り食後しばらく遠くの空を見つづけていました。あまりセンチな人ではないのですが撮影が終わることを惜しんで坐り続けていました。
 完成直後に東京国際映画祭に出品しましたが、配給宣伝の立場からは来年公開の映画なので前年度の映画祭に出すことについては大反対でした。しかし、本人が出席可能な映画祭は国内に限られておりましたので強行突破を図り、出品いたしました。幸いに審査員特別賞を受賞し結果オーライでした。
 今春、監督は白寿を迎えました。映画『一枚のハガキ』は、8月6日(土)の東京、広島を皮切りに全国で公開されます。

私の新人時代

NHKドラマ番組部  チーフ・プロデューサー  小松  昌代

NHKドラマ番組部  チーフ・プロデューサー  小松  昌代  ドラマをやりたくて転々としていたため、随分と長い新人時代でした。ずっと新人時代のようでした。大卒当時は制作会社全盛期で、元気のある制作会社に入社しましたが、そこは自由な社風。にわとりが苦手だと知るとデスクににわとりをつながれたり、コピー機の上に乗せられてコピーされたり。女子大出の割と普通の娘だった私はそれが業界なのだと激しく思い込みもしました。バラエティー番組のADだったので、文化祭の準備のような毎日。でも、頑張りますの一点張りでは役に立たないことを身にしみて覚えました。ドラマ志望の私はなんの当てもなく退社してフリーに。猫の手も借りたい民放の連続ドラマのサードの助監督になりました。当然ですが何も知りません。いる方がむしろ手がかかります。劇用の手紙が3テイク目で足りなくなりセットの陰で切り張りしたり、テロップに間違いを発見してあわてて切り張りしてコピーしたり……隠れて色々な切り張りばかりしていた気がします。プロデューサー志望でしたが、一体どうすればいいんだか。そんな時、お前おもしろい、もう衣裳のつながりとかそういうのいいから、企画だよ企画。そう言った人がAPにしてくれ、次の番組でまた助監督にされそうになると、どこからか代わりの助監督を探してきてくれました。お陰でAPのままで。しかしフリーのAPです。今度はそんな時に二人の監督に出会いました。一人はリハーサルを見ているのが面白くて本の話をするのが面白くて。もう一人は誰よりも本気で仕事をしていました。そんな二人の監督と、自分がもう少しましな働き手になったら一緒に仕事がしたいと思い、ふたたびその会社を出ました。そして二人の監督と、彼らの場所で仕事をしました。また転々とです。でもこの優秀で人一倍厄介な監督二名と仕事をし、ディレクターというのがどういう人なのか、覚えた気がします。そしてようやくたどり着いた朝ドラです。転々と、そして様々な人に助けられ、切り張りのようにして今にたどり着きました。でも、どの局面も、ちっぽけながら今はきらきらと輝いて思い出されます。

事務局だより

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訃報

総会と懇親パーティーのご案内

第35回通常会員総会を左記により開催致します。正会員の方はご出席下さい。欠席される場合は総会成立のため、必ず委任状をご送付下さい。委任は議長以外の出席理事の氏名を記入し、署名押印をお願い致します。また、総会終了後、恒例により懇親パーティー(18時開宴予定)を行います。賛助会員の方々も、お誘い合わせの上、是非ご参加下さい。

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