日本映画テレビプロデューサー協会報

No.407  2012年5月号

こんにちは!フィルムコミッションです。

㈳いわき観光  まちづくりビューロー   鹿崎  耕司

いわきフィルム・コミッション 協議会の取り組みについて
 まず、全国の映像制作会社の方々、ドラマ・映画ファンの皆様から多くの御支援をいただいたことに対し心から御礼を申し上げます。
 福島県いわき市は、雄大な太平洋に面しており、山・川の自然にも恵まれ、風光明媚な街です。
 しかし、東日本大震災に伴う大地震や歴史的な大津波により、これまでのロケ地も甚大な被害を受け、中には跡形もなく消失した場所、施設もありました。
 こうした状況の中、様々な形で多くの皆様に御支援をいただいたこともあり、いわき市民が一丸となって「がんばっぺ!いわき」を合言葉に復旧・復興に向けて突き進んでいるところであります。
 当協議会におきましても、微力ながら映画やCM制作の支援をさせていただけるまでとなりました。
 さらなるロケ支援が得られる本市以外のロケ候補地があったにもかかわらず、映像制作会社の方々に選んでいただいたことは、まことにありがたいことであり、映像によるPRや経済効果などで大きな支援をいただくことになりました。
 映像制作によって生まれた、人と人、人と地域、地域と地域の「きずな」を大切にし、また、「きずな」の大きな力を最大限に活かしながら、いわきフィルム・コミッション協議会は、担うべき役割を再認識するとともに、市民の皆様に元気と安らぎを感じていただくためにも、これまで以上にいわき市でのロケ支援に取り組み、地域活性化や文化・観光振興、イメージアップ、交流人口の拡大に精進して参ります。

せんだい・宮城 フィルムコミッション   渡邉 由香里

せんだい・宮城 フィルムコミッション   渡邉 由香里  東日本大震災からはや1年、当時は「今年は宮城でロケなど無いだろう」と思っていた。
 当FCは(公財)仙台観光コンベンション観光協会に事務局を置いており、震災後しばらくは、仙台市内の観光施設の被害状況や宿泊・入浴施設の営業状況などの調査、被災者を入浴施設にアテンドするなど、FC業務とは別の仕事を行っていた。
 東北各地で夏祭りが開催され、東北に活気が戻ってきた頃、ようやく宮城での撮影の問合せも回復してきたように感じる。昨年度は震災の影響から、復興応援をうたった作品の問合せが多かった。だが、復興応援企画の中身や構成までFCや被災自治体職員に丸投げされ、復興応援の企画のはずが、自治体職員の手を煩わせているだけではと感じることが
多々あった。
 また最近は、制作からの問合せに回答した後、何の音沙汰も無くなることがほとんどだ。たとえ企画が中止になっても、ロケ地が他県に決定したとしても、ロケの相談をしたのであれば、何らかの回答をして頂きたい。ロケ地の方々は撮影を心待ちにしているんです。
 昨年8月末から8日間のスケジュールで映画『ポテチ』の撮影が行われた。撮影隊も30人に満たない中、仙台ロケを心待ちにしていた市民100名以上がサポートスタッフとして撮影隊の手伝いを行い、エキストラも延べ700名が撮影に協力してくれた。
 仙台・宮城の地域の皆さんのサポート体制は他の地域に負けません。FCも制作も地域の皆さんの協力があってこそ撮影ができるのではないでしょうか。お互いの信頼関係がなければ撮影はできません。制作者の皆さん、ロケの相談の際は必ず進捗状況の報告をお願い致します。
 宮城の沿岸地域では復興町づくり、被災者の自立が進んでいます。宮城を被災地として特別視せず、気軽に問合せください。仙台までは首都圏から東北道で4時間半、新幹線で1時間40分ほどの距離。都市と自然が調和したコンパクトな町並みが魅力です。近年は伊坂幸太郎氏の小説の映画化など、宮城の風土が生んだ名作は数多くあります。仙台・宮城でロケという名のお祭りを実施しませんか? 皆様のお越しをお待ちしております。

盛岡広域 フィルムコミッション   升田  雅弘

盛岡広域 フィルムコミッション   升田  雅弘 震災から一年、 盛岡広域フィルムコミッションの 状況と今後の展望

 当FCも震災被害県であるが、所在地が内陸にあるため人的・建造物等の被害は微々たるものであった。しかしFC活動において数字だけで言うのであれば、支援数は前年の6割減で、8月までは、「1本の映画」がオール岩手ロケを敢行しただけで、それ以外のオファーは全くない状況が続いた……。
 震災の当日を振り返ってみよう。あの時、私は小岩井農場の一本桜の根元にいた。(NHKの朝の連ドラのタイトルバックとして一躍観光名所になった場所)翌日、TBSドラマの最終回撮りのため、制作担当者と残雪状態を見ながら打ち合わせの最中、今まで経験した事もない大きな地震が起こった。目の前で悠然と構えている岩手山が噴火したのかと思い、頂上を見上げたがそんな様子は微塵もない。ただ、異常に大きい地震が起きたくらいにしか思わなかったが、帰りのカーラジオからは沿岸の大津波の情報だけが伝わってくる。普段は車で30分くらいのロケ地であったが県内全部が停電となり、信号も機能せず、3時間かけてようやく事務所にたどり着いた。後で分かったことであるが、翌日のロケのスタッフ、キャストともまだ東京を出発していなかった事が幸いであった。
 3日後の月曜日、ロケ中止、ロケハン中止、企画中止の連絡、加えて本来FCが支援する対象外の在京キー局の報道関係者からの空きのホテル、レンタカーなどの問い合わせが相次いで掛かってきたが、何の手助けも出来なかった。
 今後のFCとしての展望であるが、正直なところ全く見通しが立っていないのが現状である。津波被害、福島の原発事故、被災三県の内、岩手、宮城の内陸は平常の生活に戻ったように見えるが、原発の影響が多大である。あるドライバー曰く「福島は走りたくないんだよね。」風評被害では済まない実態が東北の入り口にあると思われる。
 冒頭に書いた「1本の映画」とは、家族の絆をテーマとした内容でこのG・Wから全国公開の映画である。海は出てこないが、山、川、日本の原風景が随所に出てくる、震災後初の復興映画と言ってもいいであろう。
 プロデューサーの皆様には、岩手だけとは言いません、東北の何処かでロケを行っていただければと思います。東北から元気を全国に発信するような映像を作っていただければ幸いです。今でも毎日、ニュースとしてはTVで被災地関連の映像が流れていますが、私としては、ニュースではなく、映像の力で東北を盛り上げていただく事を切に願います。その結果として東北全体のFCが活気を取り戻す原動力になると信じております。宜しくお願い申し上げます。

只今公開中

東映株式会社   西平  敦郎

東映株式会社   西平  敦郎 映画『HOME 愛しの座敷わらし』公開中!

〈ホームドラマをやりたい!〉

 朝日新聞夕刊で連載され、直木賞候補にもなった荻原浩さんの『愛しの座敷わらし』。その映画化に手を挙げたのは、かねてからホームドラマへの出演を熱望していた水谷豊。その水谷さんの熱意に、旧知の「相棒」製作チームや出資各社が賛同し、2010年に映画化が決定しました。脚本は数々のホームドラマを手掛けてきたベテラン金子成人。監督は長年「相棒」を水谷さんと共に作り上げてきた和泉聖治。良質な原作を元に、この強力なタッグで脚本作りに入りました。派手な事件も起きない、恋愛もない、人も死なない、普通の家族を描いた物語を映画の脚本にするのは予想以上に困難な作業でしたが、経験豊富なお二人の力で、昨年の3月、漸く準備稿にこぎ着けました。
〈映画製作中止の危機〉
 いよいよロケハン等の本格的な準備に入ろうとした矢先、あの東日本大震災が発生。この映画の舞台である岩手県も甚大な被害を受けました。現地のフィルムコミッションの方も当然しばらくは映画どころではなく、予定されていたロケハンも延期に。我々は東京からただ事態を見守るしかありませんでした。諸事情により二か月半後に控えたクランクインは延期できない。かといって、座敷わらしが登場する映画を岩手県以外で撮影するのは考えにくい。たとえ物理的に撮影が可能でも、こんな時にロケに行っていいものだろうか……。頭には〝製作中止〟という言葉がよぎりました。そんな時、フィルムコミッションの方から一通のメールが届きました。そこには「こんな時だからこそ、この映画で岩手を元気付けてください!」という切実な思いが綴られていました。幸いなことにロケ地に考えていたのは被害の少なかった遠野や盛岡などの内陸部だったこともあり、準備に遅れは出たものの、予定通り岩手県で撮影することに。震災を意識して脚本を書き換えることはしませんでしたが、スタッフ・キャストは生きていることの有難さ、家族の大切さというこの映画のテーマを再認識し、この映画で岩手や東北を元気にしたいと結束を深めました。
〈杉下右京から普通のお父さんへ〉
 水谷さんといえば、「傷だらけの天使」の乾亨、「熱中時代」の北野広大、そして近年では「相棒」の杉下右京ですが、今回演じるのはこれまでとは打って変わったどこにでもいる普通のサラリーマン、高橋晃一。共演は、晃一の妻・史子役に安田成美、息子の智也役に濱田龍臣、長女・梓美役に橋本愛、晃一の母・澄代役に草笛光子。これ以上ないくらい素敵な家族が揃いました。 『HOME 愛しの座敷わらし』

〈ストーリー〉

 食品会社に勤める父の転勤で、岩手の田舎町へ引っ越した五人家族。新しい住まいは、なんと築200年の古民家。東京でもギクシャクしていた家族の関係は、馴れない田舎暮らしに悪化する一方。そんな時、家の中で不思議な出来事が起き始める。どうやらその家には座敷わらしがいるらしい。バラバラになった家族は座敷わらしとの出会いをきっかけに次第に家族の絆を取り戻していく︱。
 クスッと笑えて、最後はウルッとなる映画です。老若男女楽しめる映画ですので、ぜひ東北の美しい自然と魅力的な家族を観に来てください。絶賛公開中です。

 

私の新人時代

株式会社 角川書店  映画企画局  プロデューサー   水上  繁雄

株式会社 角川書店  映画企画局  プロデューサー   水上  繁雄  入社年度はバブル崩壊直後の1993年。その煽りをモロに受け、配属予定部署での入社が流れ、事業提携先の「カルチャースクール」が社会人デビューの舞台になった。映画会社に入った筈が、気が付けば「カルチャースクール」の事務員。悶々とした気持ちで生徒さん達の月謝袋に受領印を押していた日々を思い出す。2年後、欠員補充で調布にある大映スタジオの営業に転属。美術営業が主な事業だったため、まずは現場でスタジオマンとして知識習得をせい、とCFの撮影現場へ。全く知識の無い大道具、小道具の勉強をさせてもらった。その後、ベテラン・プロデューサーの退社に伴う欠員補充で、念願の企画製作部に転属。入社4年目にして初の映画の製作現場に行けることになった。華やかな世界を夢見ていた若者が目の当たりにしたのは、斜陽産業と長年言われ続けていた映画製作の現実だった。制作進行として参加した初めての現場は、クランクインからクランクアップまでの13日間。一睡も許されない現場だった。前日の撮影が消化できずに翌日の開始時間にまで及び、既に「日々スケ」が意味を成さなくなった状況の中、ただ一人嬉々とした様子でカメラ前に佇む監督の目にやどった怪しげな光を見た僕は、「この仕事、俺には無理かも……」と思った。この作品こそ、三池崇史監督初劇場用映画「新宿黒社会」である。それまでの映画界のイメージは一遍に覆り、それまでの自分が過ごしていた日常ですらも、遠い彼方に過ぎ去って行った。そんな金の無い現場で一気に意気消沈した自分に、大映の先輩プロデューサーが「金が無ければ頭を使い、頭が無ければ気を使え」という有難い格言を授けてくれた。今となってはただの戯言だが、当時は妙に感心した様な気がする。不思議なモノで、その後少しずつ色んな経験をさせてもらったことで「不条理」の世界に対し耐性が付いてくると楽しくなってきて、気が付いたら自らがこの「不条理」の世界を生み出す側に居る。

事務局だより

◎退会

総会と懇親パーティー のご案内

第36回通常会員総会を左記により開催致します。
正会員の方はご出席下さい。
欠席される場合は総会成立のため、必ず委任状をご送付下さい。
また、総会終了後、恒例により懇親パーティー(18時開宴予定)を行います。
賛助会員の方々もお誘いあわせの上、ぜひご参加下さい。

第52回 プロデューサー協会  親睦ゴルフ会

第52回大会は3月31日(土)、埼玉県の越生ゴルフ倶楽部で16名が参加して、行われました。
平穏にスタートしたかとみえたこの大会は突如襲った大暴風雨によって、12ホール目で打ち切りになりましたが、12ホールまでのハンディを計算した上で、ゴルフ会は成立し、賛助会員で初参加のお二人が入賞するという結果となりました。

順 位  氏 名 アウト イン
優 勝 佐藤寿美 45 38  83 13.2 69.8
準優勝 渡辺紘史 43 37 80 9.6  70.4
第三位 岡田円治 46 40 86 13.2 72.8

※グロスの数字は、13ホールから18ホールまで、全てパープレーで終了したという仮定の上でのスコアーです。

インフォーメーション

◎会議の記録 と予定