日本映画テレビプロデューサー協会報

No.408  2012年6月号

NOTTV開局記念ドラマ「シニカレ」

株式会社mmbi 常務取締役   小牧  次郎

株式会社mmbi 常務取締役   小牧  次郎  まず「NOTTV」の説明からしたほうがいいだろう。
 昨年2011年7月、地上波テレビのアナログ放送が終了した。東日本大震災の影響で岩手、宮城、福島の終了は延期されたが、それら3県も今年2012年3月には終了した。日本の地上波テレビはすべてデジタル化されたことになる。
 地上波テレビは、もともとVHFと呼ばれる電波帯域で放送されていた。東京で言えば1チャンネルから12チャンネルまで。その後、全国でチャンネルの数が増えるのに際し、UHFという、より高い電波帯域も使うようになっていった。
 その地上波テレビのデジタル化と、それに伴う高精細化(ハイビジョン化)で、すべての地上波テレビのチャンネルがUHF帯の空いているところに移動することになった。新しい帯域で高精細の放送を行うため、10年にわたって、すべてのテレビ局が送信設備を変更し、すべての視聴者がテレビ受像機を買い換えなければならなかったという、一大事業が行われたわけだ。
 空いたVHS帯域をどう使うか、というのがもうひとつのテーマだった。最初は通信での使用も検討されたが、結局VHF全体を三つに分け、旧1チャンネルから旧3チャンネルの部分を「VーLOW」(VHFの低い帯域)、旧10チャンネルから旧12チャンネルの部分を「VーHIGH」(VHFの高い帯域)、真ん中を「自衛通信」(安心・安全のために使う帯域)と分けることになり、VーLOWとVーHーGHは「マルチメディア放送」(従来の放送より広げた機能を持つ放送)に使用することとなった。
 現時点でVーLOWと自衛通信の使い方は定まっていない。唯一VーHーGHだけが、携帯端末向けのマルチメディア放送のために使うと決まり、2010年から2011年にかけて免許の募集が行われ、今のところ㈱mmbiだけが放送免許を取得している。
 mmbiはNTTドコモの子会社であり、フジ・メディア・ホールディングス、スカパーJSAT、日本テレビ放送網、東京放送ホールディングス、電通、各電器メーカー等が出資している。六本木の東京ミッドタウンに本社を置き、マスター・コントロールルームや2つのスタジオを持つ。このmmbiが展開している、スマートフォンやタブレット向けの放送サービスのブランドが、「NOTTV」であるわけだ。
 今年の3月から4月にかけて、テレビCMや屋外広告等で近年まれに見る量のNOTTV広告展開を行ったので、名前だけはご存知の方も多いかもしれないが、以上が正体だ。
 NOTTVは4月1日に開局した。3つのチャンネルを持ち、寝ている間にSDカードに番組が貯まる「蓄積型」の放送もある。
「スマホのトリセツ」 今盛んに、インターネットに接続するテレビ(「スマートTV」)の時代が来ると言われている。しかし、すべての家庭のテレビがインターネットにつながることはない。ということは、テレビ番組を作る側が、皆がインターネットにつながっていることを前提に番組を作ることはできないことになる。一方NOTTVは、もともと通信機である「電話」に向けて放送しているわけだから、100%通信機能がある。上りも下りも100%つながっていることを前提にすれば、番組の作り方が変わってくる。
 スマートフォンの使い方を日本一詳しく伝え、ついでに放送波でアプリやゲームも送ってしまおうというのが『スマホのトリセツ』という番組(写真)。
「ソーシャル@トーク#エンダン」 『笑っていいとも』の「テレフォンショッキング」が、電話というメディアでテレビ的な有名人をつないでいくのであれば、ツイッターというソーシャルメディアでインターネット的な有名人(「フォロワー」の数が万単位の人)をつないでいこうというのが、『ソーシャル@トーク#エンダン』という番組(写真)。
 他にも、プロ野球中継、Jリーグ中継、音楽コンサート、ハリウッドや韓流ドラマ、アニメーション、競馬や麻雀など趣味番組、そして24時間ニュースなど、全体の半分がオリジナル番組であり、すべて重なっているわけではないが、同じく全体の半分が生番組だ。
 このNOTTVの開局を記念して5月28日に放送が開始したのがオリジナルドラマ『シニカレ』である(写真)。
「シニカレ」  脚本が野島伸司さん。説明するまでもない日本を代表するテレビドラマの脚本家である。得体の知れない新しい放送局の仕事を二つ返事で快諾していただいた。
 演出がフジテレビの中江功さん。ドラマも映画も名作ばかりだが、実はフジパシフィック音楽出版が作った「ミュードラ」(主題歌が先にあってドラマを後から当てはめるという逆転の発想)の第一弾『愛すべき人』『春日和』を演出し、CSの「フジテレビNEXT」の開局記念オリジナル連続ドラマ『ニュース速報は流れた』も演出した。広く見られてはいないわけだがどちらもすごい傑作。つまり、新しいメディアを切り開く旗手でもある。
 プロデューサーがフジテレビの後藤博幸さん。『花ざかりの君たちへ〜イケメンパラダイス』をはじめとして、フジテレビのプライムタイムドラマを支える中心の一人だ。
 主演はKis‐My‐Ft2の藤ヶ谷太輔さんと、桐谷美玲さん。今日現在ラブストーリーを作るならこれ以上のキャスティングは考えにくい。
 他の出演は、マイコさん、升毅さん、川平慈英さん、笹野高史さんなど。地上波のプライムタイムであったとしても豪華な顔ぶれとなった。
 「最愛の人を失った時、あなたはどうしますか? 思い出を胸に生きていくのか? それとも…」というのがキャッチ。地上波テレビの連続ドラマで主人公が途中で死んでしまう企画はいくらなんでも通らないだろう。ましてやその主人公が死んでからあんなことやこんなことが……。これ以上は書けないが、地上波では成立しないシチュエーションで究極の愛の形が描かれる。
 放送形式も地上波とは違う。月曜日から金曜日の深夜24:00からの15分間のベルト編成だ。全50話、10週間。
 分量は地上波の1クールと変わらない。しかし、放送形式は確実に内容に影響する。
 野島伸司さんには「連載小説みたいで書くのが楽しい」と言っていただいた。
 画面サイズでも、大スクリーンで楽しむ映画、リビングルームで楽しむテレビドラマの良さとは全く違う楽しみが、4インチから10インチのスマートフォンやタブレットで楽しむNOTTVドラマにはあると信じる。
 よかったら見てみて下さい。対応端末も夏に向かってどんどん増えていきますから。

只今撮影中

NHK 中村  高志

NHK 中村  高志

ドラマ「負けて、勝つ 〜戦後を創った男・吉田茂〜」

 渡辺謙さんが、吉田茂を演じる土曜ドラマスペシャル「負けて、勝つ〜戦後を創った男・吉田茂(73分×5本)」は撮影真っ最中です。終戦から講和までの6年間の占領期。その期間の大部分で、総理大臣として日本を復興に導いたリーダー・吉田茂の激動の日々を正面から描いていくオリジナル歴史ドラマです。脚本は、「MOTHER」「それでも生きてゆく」など硬質な傑作・問題作を連発している坂元裕二さん、主演に渡辺謙さんを迎えるこれ以上ない布陣です。そもそもこの企画が出発したのは2009年。昭和を題材にしたスペシャルドラマを2012年に放送したいという漠然とした構想に始まります。吉田茂を主人公に、その人生を通して昭和史を描くという方向性が見えてきたのは翌2010年のことでした。しかし東日本大震災が起きてからすべてが変わりました。あの日以降はどんなドラマ作りも全てその動機を根底から問われるようになったのではないでしょうか。それが震災と全く無関係なエンターテイメントだったとしてもそれは変わらないと思います。一生を伝記的に描くのはやめて、終戦直後から昭和26年のサンフランシスコ講和条約までに絞って描きたいと坂元裕二さんから提案されたとき、それしかないと即座に同意しました。あの未曾有の敗戦から日本が如何に復興したのか、その秘密を吉田茂という人物を通して描く。そこにこそ、2012年に昭和史を描く意味があると思ったのです。
ドラマ「負けて、勝つ 〜戦後を創った男・吉田茂〜」 そして、いま吉田茂を演じられるのはこの人をおいて他にない、渡辺謙さん。オファーしてから1年後にOKをいただいた時は、ドラマは半ば成功したも同然と舞い上がったものです。被災地に何度も足を運び、その実情を目の当たりにしていた渡辺謙さんご自身も、日本そして日本人を勇気づける仕事がしたいという意欲を強く持っていらっしゃいました。謙さんのこの役にかける熱意、意気込みには驚くと共に本当に頭が下がりました。吉田茂に近づくために増量に挑戦、撮影前の1ヶ月で10㎏近く体重を増やしたのです。一時は衣装が入らないのではと、ちょっとした騒動になったくらいです。
 そして、このドラマに登場してくる人物は吉田茂を筆頭に、ほとんどが実在の人物ばかりです。シリーズを通して総理大臣経験者だけで13人(!)も登場します。まさに前代未聞のドラマです。戦後60余年を経て平成もまもなく四半世紀という、今なら昭和史を正面からドラマとして取り上げられるのでは……そういう思いで実録ドラマに挑戦したのですが、正直ハードルはとてつもなく高いと思っています。クランクインから一ヶ月以上たった今も資料の山と格闘しながら、昭和史の忠実な再現とドラマ表現の折り合いを見出すべくギリギリの綱渡りを続けています。サンフランシスコ講和条約と日米安保条約が調印されたその日、9月8日が奇しくも第1回の放送予定日です。果たしてどんなドラマが出来上がるのか、どうぞご期待下さい。

私の新人時代

テレビ朝日  横地  郁英

テレビ朝日  横地  郁英  私がテレビ朝日に「ドラマ演出」を希望して入社した1992年、新入社員55名ほどのなかで、制作への配属は、バラエティ、ドラマ含めて0。私が配属されたのは、技術局・放送準備部。納品されたテープをプレビューし、放送用のQシートを作る部署だった。2年後、現場へ異動となったが、やはりドラマではなく朝の番組「スーパーモーニング」。「阪神大震災」「オウム事件」など、衝撃的な出来事もあった時代に、ディレクターとして、週2回の徹夜シフトなどありながら、毎週ロケに行ってVTRを作り、OAし続けて鍛えられた4年間は有意義だった。
 もうドラマはなさそうだな、と思い始めていた頃、ドラマ班に異動になった。入社前から「ドラマといえば監督」と思い込んでいたため、演出部を希望して、サード助監督になった。が、すぐに、APとなり、プロデューサーへの道がはじまった。そしてその後、「監督に」というこだわりをきれいサッパリ捨ててPの道に方向転換…と潔くはならなかった。自分で出した企画が初めて通ったドラマ「OLヴィジュアル系」で、Pをやりながら、先輩に背中を押されたこともあり、どさくさ紛れに1本撮ってしまった(今なら許されないだろう)。撮ってみてどうだったかといえば、自分で言うのもなんだが、それなりに評判も良かった。これを皮切りに、P&Dとして、少しずつ撮っていこう、と思っていたが……。その時から早や、11年。Pとしては多くのドラマを担当させてもらってきた。監督としては、その時が思い出の1本になってしまった。
 今制作しているのは、長澤まさみさん主演の金曜ナイトドラマ「都市伝説の女」(金曜よる11時15分〜)。もちろん、Pとしてのみである。でも、Pは、〝総合演出〟込みのポジションだ! と思って、これからもやっていきたい。

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第36回通常会員総会を左記により開催致します。
正会員の方はご出席下さい。
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また、総会終了後、恒例により懇親パーティー(18時開宴予定)を行います。
賛助会員の方々もお誘いあわせの上、ぜひご参加下さい。

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