日本映画テレビプロデューサー協会報

No.413  2013年1月号

謹んで新年のご祝詞を申しあげます

会長  杉田 成道

会長  杉田 成道  明けましておめでとうございます。
 年末の総選挙での自民党の圧勝は、良きにつけ悪しきにつけ、時代の潮目が急速に変わり始めていると、実感させられました。日本全体に漂うある種の危機意識が、相当に強く票を押し上げたと思われます。
 昨年の中国における排日運動と、尖閣への強い国家的意志と行為は、日本人に戦後初めてと言える軍事的緊張感を生じさせました。隣接する国家から、これほど強い圧迫を受けたことは多分なかったでしょう。朝鮮戦争にしろ台湾危機にしろ、アメリカの陰で日本は漁夫の利を得たばかりで、経済こそ友好の基と思い込んでいたところに、平手打ちを食わされたような感があります。
 明治以降、日本の仮想敵国は常にロシアでした。それが百五十年たって、中国に取って代わられるのでしょうか。それにしても日中間の経済は深く関わりすぎている。いずれにせよ紆余曲折が今後、幾十年に亘って続くことになるでしょう。
 我が業界も、この流れと無縁ではあり得ません。映画もテレビも今よりもはるかに強く、アジアを視野に入れて考えざるを得なくなるでしょう。韓流、華流に対して、クールジャパンのイメージをアジアの国々に敷衍しようとすることは国家的施策となると思われます。当協会も重村副会長を中心に国際ドラマフェスティバルの立ち上げから関わってきたことで、これから様々な人的支援が必要とされることでしょう。当面、本年にタイで開催されるであろうオールジャパンの放送イベントには、多数の協会員が積極的に参加されることを願ってやみません。
 一方、映画のデジタル化は急速に進んでいるようで、シネコンの八十%はデジタル化されたとも聞きます。今後、映画の流通網も通信の融合も含め大きく拡大する方向にあるのでしょう。テレビがデジタル化から一気にクロスメディアに向かって行くのと軌を一にして、双方が融合して渾然一体となってソフトの流通を支配していく流れが生まれるのでしょう。
 しかし、それは映画の良心ともいうべき独立系を埋没させる危険性を孕んでもいます。製作を継続させるためにも、製作費を製作側に還元する在り方を、国家的視野で論議してもらいたいと切に願うものです。
 通信とのクロスメディアは、同時にアジアの国々とのクロスメディアとも重なっています。当協会も広くメディアの方向性に対応する必要性に迫られております。多方面のメディア・プロデューサーたちに積極的に呼びかけ、大きな枠組みで映像プロデューサーを集結して、明日の映像界を支える一助になることが、協会の存在意義となるに違い有りません。本年はこれまで以上に、通信も含めた広い意味でのプロデューサー集団にすべく、参加を呼びかけていこうではありませんか。

 

会員 年男・年女  新年の抱負を語る

昭和16年生まれ

フリー  平野 一夫

フリー  平野 一夫  「ドッコイショ」この言葉を一日に何回吐くのだろうか。いたずらに馬齢を重ね、衰えがはじまった時から自然に多くなった。そのうえ私の場合、そのドッコイショに重たい荷物がのってしまった。「パーキンソン病」という難病だ。もう八年になる。原因のメカニズムはわかっているが、薬で完治しない病気である。手などが震える、筋肉が固くなる、動作が遅くなる、姿勢を保つことが困難になる、これらの四大症状のほかに小きざみ歩行、すり足などの歩行障害、声が小さくなるなどやっかいな病気だ。特に怖いのは突然やってくる「すくみ足」だ。乗ろうとする電車が来た。ところが足が動かない、足が重い、いくらドッコイショと何回もかけ声をたててもビクともしない。先日も国立新美術館の広い展示室で観客が少ないため独りぽっちで佇み身動きできなかった。でも待っていると人が必ず声をかけてくれ何とかなるものだ。新しい未知なる体験を味わうのだとおおげさに考えている。先日ノーベル賞を受賞した京都大学の山中伸弥教授による「iPS細胞がつくる新しい医学」は十年後にはパーキンソン病の完治治療ができるという。将来は明るい。その時を願って大きな声で「ドッコイショ!」

 

昭和28年生まれ

フジテレビ  横山 隆晴

フジテレビ  横山 隆晴  東日本大震災からもうすぐ2年。晩秋、被災地を巡った。なかなか復興は進んでいないという現実が横たわっているにせよ、それでも訪れる度、目に映る風景は少しずつ変わってきている。無惨な光景は時間の経過の中にその姿を次第に隠し、スローモーションで無音の風化を進めている。津波に襲われた後、かろうじて残っていた被災建物も相当数が取り壊され、其処彼処に溢れていた山のようなガレキも、ひと頃に比べれば随分と整理された。
 南三陸町へ入る。3階建の防災対策庁舎が、錆びた赤い鉄骨を剥き出しにしたまま、潮風に晒されながらポツンと建っていた。「3・11」を象徴するような建物のひとつ。あの日、津波が屋上の上にまで押し寄せ、庁舎内にいた町職員42名が死亡・行方不明となった。そこには、津波が刻一刻と迫る中、防災無線のマイクを握り締め、町民に高台への避難を繰り返し呼びかけ続け、遂に濁流に消えて行った職員もいた。数か月前に結婚したばかりの女性職員。24歳の若さだった。
 かろうじて残っている鉄骨の前に立ち、「3・11」以降、幾度目の合掌になるのだろう、目を瞑り、手を合わせた。行方不明のまま、今も多くの「いのち」が漂っている虚空の彼方へ。
 新年。改めて語ることのできる抱負は浮かばない。ただ、表現の原点のひとつは、共感、なのだろう。何となく。刃が突きつけられている。寒風の中でブルッと震えるような思いになる。

 

昭和40年生まれ

東映  白倉 伸一郎

東映  白倉 伸一郎『映画の再定義を』

 2013年は、私たちが考えている以上に、映画というメディアにとって決定的な転機の年です。
 「映画って何だ?」という問いに対し、明確で一意な答えが返せなくなるのです。
 100有余年にわたってメディアとしてのアイデンティティを支えてきたフィルムが、事実上の終焉を迎えます。テレビ放送のデジタル化等とは次元がはるかに異なると言えるのは、「映画」の定義そのものを揺らがせるからに他なりません。
 時計の針は戻せないし、戻すべきでもありません。だからこそ私たちは、従前の映画という共同幻想がまだ存在するうちに、みずからの拠って立つ基盤を新しく構築し直さないといけない。そのことに自覚的であるかないかが、今年以降の映画製作者の道を大きく分けることになるでしょう。
 映画というものの存在意義を根底から見つめ直さなくては……「映画」の再定義をしなければ……!
 といった自省的アクションと並行して、文化あるいは産業としてのプレゼンスをこれまで以上に高めていく作業も同時に必要です。
 抱負というより、のど元にナイフを突きつけられる焦燥感を持って新年を迎えています。

 

昭和40年生まれ

テレビ朝日  プロデューサー  内山 聖子

テレビ朝日  プロデューサー  内山 聖子  「年女」と言われて我が歳を知る。
 「新年の抱負」と言われて年の瀬だったと気づく。
 そんな日々を送った2012年の私は、NOと言える主人公のドラマを創り続けていました。
 最後に創りだしたのが「ドクターX」の組織と闘うフリーター女医。
 医療ものでありながら、「御意」と「致しません」のサラリーマンドラマを意識したものでした。
 思えば怒号飛び交う荒くれた自由な現場から、コンプライアンス第一のお行儀はよいけど少し息苦しい今の現場まで、Pとしてたくさん経験させていただきました。
 それもこれもテレビは「今」を感じるメディアだから。
 2013年もたくさん「今」を感じて、視聴者に伝えていきたい!  が、抱負です。その前に少しでいいから休みたい!

昭和52年生まれ

テレビ東京  阿部 真士

テレビ東京  阿部 真士今年の抱負。
 負けない、怯まない、妥協しないー。
 テレビ東京に中途で入社して、6年目。4月で7年目に突入します。
 その間、様々なドラマに携わらせて頂きました。
 今年で36歳になりますが、いまだに自分でメイキングのカメラも回し、オフラインの編集もやり、ツイッターやフェイスブックの更新もやり、朝まで本打ちをし、そのまま現場に行き、そのまま仕上げにも行きます。
 他局のプロデューサーがやらないことも、やる。
 先輩プロデューサーがやらないことも、やる。
 それが年男の昨年までと変わらないスタイルです。
 が、そろそろ体力的に2徹・3徹はつらくなってきました…。
 弊社のドラマ制作室では最年少なので仕方ありません…。
 と、新年早々愚痴っぽくなってしまいました。
 ここ数年、何かとテレビ東京のドラマは話題作が多いです。
 「他局とは違うドラマ」「エッジの効いたドラマ」を作ろうという目標が、やっと実を結んできた結果だと思います。
 予算も時間も人員も少ないという与えられた条件のなかで、どうにか面白くしようとする熱意。
 そこだけは他局に負けたくない。
 最後に、少し宣伝を…。
 今年一発目の仕事は鬼才・園子温監督とご一緒します。
 主演は染谷将太さん。映画「ヒミズ」の最強タッグ再びです。
 このお二人とバカなことやります。
 負けず、怯まず、妥協せず。
 とことん攻めます。
 あーワクワクします。
 ご期待ください。

只今撮影中

NHK ドラマ番組部  エグゼクティブ・ プロデューサー   内藤  愼介

NHK ドラマ番組部  エグゼクティブ・ プロデューサー   内藤  愼介 「祭り」を起こしたい  大河ドラマ『八重の桜』

 傷付いても前を向く強い志、人と人とをつなぐ思いやりの絆︱海外メディアからも称賛された日本人のこうした心は、一体どこから来ているのか。あの3月11日以降、私はそのようなことを考えるようになりました。それに伴って、大河ドラマに対する意識も〝面白いものを作ろう〟というものより、〝今、この時代にやるべきものは何か〟というものに変わっていきました。
 大河ドラマ『八重の桜』の主人公・新島八重は、幕末に敗戦を喫した会津の出身です。賊軍の烙印を押され、絶望の淵に立たされようとも、「ならぬことはならぬ」という信念を貫いた八重たちは明治新政府の中で次々と蘇り、その後の日本をリードしていく存在となっていきます。その会津が逆境に立たされた時、先頭で旗を振るのが主人公・八重です。
 そんな八重を綾瀬はるかさんが生き生きと演じてくれています。のびやかで楽しげ、豊かな表情を持って気迫充分に演じる集中力は見事です。まさにスポーツウーマンを見ているみたいで目が離せません。また、会津という小国の物語に正当性とリアリティーをもたらす表現としてセット、VFXにこだわり、映画用のカメラを採用し、そのカメラでセットの暗がり、灯りの温かさを追求しています。そして、時代感をわかり易くする意味で、同時代、世界で何が起こっていたのか、150年前に起こったアメリカの南北戦争の映像を冒頭でスケール感いっぱいに見せています。
大河ドラマ『八重の桜』  『八重の桜』を通じて伝えたいのは、八重たちが残した「誠実に生きる人間を歴史は絶対に見捨てない」「夢を持って前に進めば必ず光は見えてくる」という教えです。桜は散った瞬間から、翌年さらに綺麗に咲くための準備を始めるそうです。激動の中に散るだけではなく、苦しみを乗り越え、たくましく、しなやかに、また花を咲かせること。その美学こそが、震災に傷付いた今の我々日本人の背中を押してくれるのではないかと考えています。
 このドラマで、私は「祭り」を起こしたいと思っています。ドラマをきっかけに、東北を訪れたり、あるいは、ただ思ったりするだけでもいい。ドラマを見て下さる方々の気持ちが一つにつながれば、福島、東北を元気にするための弾みとなります。「復興支援」という言葉を使うと大袈裟ですが、本当の復興とは、私たちのそんな小さな行動から始まるのではないかと思っています。
 ちなみに、桜は一卵性の樹木と言います。恵まれた環境にあろうとも、過酷な環境にあろうとも、同じ株から分かれた木々は、持って生まれた絆のもと、皆同じ春の日に一斉に満開の花を咲かせます。綾瀬はるかさんをはじめ、本ドラマに集まったキャストの皆さんも「福島、東北、そして日本を元気にしたい」という同じ志を持つ方ばかり。桜のように強い結び付きをもって一丸となり、『八重の桜』で鮮やかな花を咲かせます。どうかお楽しみ下さい。そして、皆さんも一緒に絆を大切に前に進みましょう。

只今公開中

TBSテレビ  プロデューサー   磯山  晶

TBSテレビ  プロデューサー   磯山  晶 『大奥 〜永遠〜[右衛門佐・綱吉篇]』

 12月22日(土)から全国ロードショーされている映画『大奥〜永遠〜[右衛門佐・綱吉篇]』(配給・松竹 アスミック・エース/主演・堺雅人)のプロデューサーをしています。
 2010年に製作した前作の映画『大奥』では、八代将軍・吉宗の時代を、昨年の10月クールで放送したTBS系金曜ドラマ『大奥〜誕生』では、三代将軍・家光の時代を、そして最後に放つ超傑作!『大奥〜永遠〜』では、五代将軍・綱吉の時代を舞台にしています。一応、念のため申し上げますと「男女逆転」という設定なので、将軍はすべて女性です。2010年の最初の映画が公開にこぎつけるまで、実は5年かかっているので、今回の映画までおよそ7年間も『大奥』三昧の日々、「寝所」「夜伽」「世継ぎ」のことばかり考えていました。原作者のよしながふみさんは、それより長い期間ずっと江戸幕府のことを考えていらっしゃるわけですから、本当にすごいと思いますし(しかも、この先、徳川慶喜まで描き切る予定です!)、「本当によくぞ、こんなことを思いつかれた!」と感心するばかりです。原作は、男女逆転にしている以外はすべて史実に忠実な作りなので、それを必死に映像化してきたら自然に、そんなに日本史に詳しくない私ですら、江戸時代に関しては普通の方よりも語れるようになってきました。まあ「寝所」とか「夜伽」「世継ぎ」のことに限られますが…。
『大奥 〜永遠〜[右衛門佐・綱吉篇]』 映画『大奥〜永遠〜』は、徳川綱吉(菅野美穂)と右衛門佐(堺雅人)の長年にわたる密やかな愛の喜びと哀しみを描いています。女性として人生で迫られる幾度かの選択の度に、自分が出してきた答えが果たして正しかったのか?これは、それぞれが一度きりの人生を生きている以上、絶対に正解が出ない問いです。正直、「40代、夫有り、子無し、ペットの犬を溺愛する女」である私には、リアルに身につまされる物語でした。年老いたメイクの菅野さんが「わしは何一つ、後の世に継ぐことが出来なかった、世継ぎも政治も…」と嘆くセリフが本当に心に痛いのです。出産をすることで、今後の日本に子孫を残すことも出来なかった、かといって世界に誇れるような「何か」を生み出しているわけでもない、中途半端な中年女性である私にとって、綱吉の心の叫びは自分とシンクロし過ぎて、何度見てもそのシーンがこたえます。しかし、綱吉はそんな自分を全部受け止めてくれる右衛門佐がずっとそばにいたことに気付きます。この映画は、堺さんの包容力によって救われ、「こんな私でも生きてていいのね…」と思える作りになっているのです。だから、自分の人生これでよかったのかしら?と思いがちな大人の女性はとにかく必見です。意外にも、最後には晴れ晴れと出来るラブストーリーなのです!
 最後になりましたが、監督の金子文紀も私も時代劇に関しては完全な「ど素人」、そんな二人を、映画2本と連ドラ1クールの間、温かく受け入れてくださり、知識と経験を惜しみなくお貸しくださった東映太秦撮影所の皆様に感謝しています。
 本当にありがとうございました。
 『大奥〜永遠〜[右衛門佐・綱吉篇]』は12月22日より公開中です。ぜひご覧ください。

(C)2012男女逆転『大奥〜永遠〜[右衛門佐・綱吉篇]』製作委員会

 

第8回  プロデューサーズ・カフェ 開催のお知らせ

 現在の映像業界と新たな関係性を築きながら躍進中の ニコニコ動画株式会社ニワンゴ 代表取締役社長 杉本誠司氏が

 などをテーマに、講演、というよりも、プレゼンテーション的なスタイルでお話をします。

〈講演日程〉

 ☆受付にて入館証をお受け取り下さい。

〈構 成〉

 

私の新人時代

日本テレビ  制作局   西野  真貴

日本テレビ  制作局   西野  真貴  少年時代からの夢が叶ってドラマ制作部(当時)に配属されたのが2006年。新人というのはやはり戦いの日々でした。時間との戦い、理不尽な先輩との戦いなどなど。特に睡魔に対しては日々壮絶な死闘を繰り広げておりました。どうやら私の中にいる睡魔は相当に強いらしく、現場で立ったまま寝ていて気付いたら本番が終わっていたこともたまに…いや、よくありました。
 ただ、そんなADでも寝ていてはできない大役がありました。そう、「呼び込み」です。再開時間の度にスタジオに役者を呼び込むのが私の重要な仕事でした。そんな中、ある番組でご一緒した某俳優M氏は、声を掛けてもいつも少しだけ遅れて出てくるので、リハーサルが2、3分遅れてスタートしたりしました。すると、「1秒でも遅れたら蹴るからな」との宣言通り先輩ADから蹴りが飛んで来るのです。もも蹴りです。毎回M氏が遅れるたびにもも蹴りを喰らうので、さすがに私もたまらなくなり対策を考えました。おそらくM氏は呼ばれてから動き出すまでの気持ちの準備がゆっくりなのだと踏んだ私は、M氏の気持ちを前もって仕事モードに切り替えるべく、再開時間が近づくと「はい、再開10分前ー!」「5分前ですよー!」「2分前です! さあ行きましょう!」と、せわしなく掛け声を出すわけです。開始時間の度に、そうやってM氏の気持ちを盛り上げスタジオへ向かうのでした。時間ギリギリで控え室を出発したときの、あの1秒を争うドキドキ感は今思い出しても息が詰まります。そのうちにM氏も遅れそうになるとスタジオまで走ってくれるようになりました。そのときの私の役割は、彼の前を全力で走って道を開けることです。蹴られるかどうか1秒を争っている私にとって、M氏の道を遮る者は親の仇も同然! と、ドラマ作りとはおよそかけ離れたモチベーションで廊下を走っていたものです。
 M氏と戦い、睡魔と戦い、やがて美術の作り物や大量のエキストラとの戦いを経て、なんとかディレクターとして作品の本質に近いところで戦えるようになりました。いいドラマをつくるため、相手が変わっても戦いは続いていきます。

 

2013年エランドール賞 授賞式・新春パーティーのお知らせ

日時 2013年2月7日(木)18時受付 18時30分開会 20時30分閉会予定

会場 新宿京王プラザホテル南館5階 エミネンスホール(立食形式)

パーティー会費  

  ドレスコードはありません。※会場内の撮影は禁じます

  会員の皆さまの多数のご参加をお待ち申し上げます。

事務局だより

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 インフォメーション

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