日本映画テレビプロデューサー協会報

No.422  2014年1月号

初春のお慶びを申し上げます

会長  杉田 成道

会長 杉田成道 明けましておめでとうございます。
 昨年は日本を取り巻く状況が大きく変化した年でした。中国、韓国、北朝鮮といった隣国と強い緊張が生まれ、力で押し通す国家的意思がとうとうアジアにも押し寄せたかと、感慨を新たにいたしました。思えば、戦後レジュームを保ってきた〝パックス・アメリカーナの理想〟という名の調整が、もう機能しなくなってきたのかもしれません。これからは、力と力の危ういバランスによる混沌とした一触即発の情勢が、しばらく続くのでしょう。
 そんな時代の不安を反映してか、昨年の映画界では「清須会議」「風立ちぬ」「永遠のゼロ」といった歴史や、戦争のテーマが人々に迎え入れられました。ニッポンを見直し、日本人というものを考えることが身近に感じられるようになったのでしょう。オリンピック招致はまさに、その決定打と言えます。
 一方、テレビ界においては、「あまちゃん」「半沢直樹」といった時代を牽引するような番組が生まれました。驚異的な視聴率もさることながら、むしろ心配されたテレビの沈下を一気に吹き飛ばしたことに、大きな意味を持ったと考えられます。
 ネット社会においても、テレビは決して沈下しない、むしろ双方で支えあう相関関係にあると、認識が変わってきたのではないでしょうか。メディアは人間の生活と深く関わりを持ちます。ネット社会の負の側面が顕在化するにつれ、人々の意識もより安心できるもの、より健全なものを求めるようになったのでしょう。
 また、流動するアジアに日本の影響力を強めることが、これから日本が生き残る道でもあり、文化の面でも意識的に強く関わっていかなければなりません。国際ドラマフェスティバルはタイでのイベントで、その実行力を高く買われており、今後のアジア戦略の重要な位置を占めるに至りました。会員諸氏のご協力を深く感謝いたします。
 どうやら、世界は次のステップに入ろうとしているのではないでしょうか。民族的意思を前面に強く押し出す傾向が顕著になり、歯止めをかける調整機能が薄れかけています。西欧文明の黄昏かもしれません。緊張と不安に満ちた、混沌とした状況の中で、我々制作者は何をすべきか、協会員ひとりひとりが考えなければなりません。なぜなら、我々の差し出すテーマが、多くの人々に影響を与えてしまうからです。
 我々は時代を牽引する責任があります。その自負心と使命感をもって、この不安定な時代に一抹の光明を指し示そうではありませんか。青臭い理想こそ、今、求められているような気がしてしかたありません。会員諸氏の一層の奮起を願って、御挨拶に代えたいと思います。本年もよろしくお願い申し上げます。

 

会員 年男・年女  新年の抱負を語る

昭和5年生まれ

平田 崑

平田 崑 前回の、東京オリンピック大会の時。
 私は、もう、この業界で仕事をしていた。
 私の立案による、キューバ・オリンピック選手団の入場行進を、TVで観ながら、長良氏(後の廣済堂プロ代表)や、川合氏(後の六本木プロ代表)と、これからの芸能界、音楽界の事を、熱っぽく語り合いながら、夜を明かした。
 あれから、長い長い人生を歩き続けている。
 無名の新人を、スターにする事に、生き甲斐を感じたり。映画のプロデュースも六本。
 出演した映画十三本。テレビ映画では、二十六回の作品に、レギュラー役者として、指名された事もあり、この業界に、どっぽり嵌りきって、生きて来た。
 私が兄弟のようにした友、脚本家・鈴木尚之さんの九回忌が、昨年あり、二十人もの脚本家さん達に囲まれて、一夜を明かした。
 私は、彼のような人徳のある、生き方を、してきた、だろうか、と〝猛反省〟
 次の、東京オリンピック大会までは、生きられそうも、ないが。
 せめて、〝人徳のある 旅の終りを〟と思いつつ。
 今夜も。〝花は 咲き初めが美しく、酒は微酔に〟などと呟きながら、どこかで酒杯を傾ける事に、なる事でしょう。

 

昭和17年生まれ

グループ風土舎 みすみぷろ  三角 清子

グループ風土舎 みすみぷろ  三角 清子 歳を聞かれて「年女」ですと答えると、「還暦ですか」と言われる。一回りも下に見られてと一瞬ほくそ笑むが、いやいやこれも武士の情けかと思いもする。兎にも角にも、いつまでも若く在りたいという気持ちが、ここまで仕事を続けさせてくれたのだろう。
 一回り十二年として、映画を作り始めて三回りも経っていないことを思えば、なんと時間の経つことの早いことだろう。今から三十二年前、教育映画界の巨匠と言われる瀬藤祝監督のもとで、初めて映画製作の仕事についた。監督には、東映・学研等の短編映画から劇場映画へ、短い時間でプロデューサー業を厳しく教えられた。また、映画作りへのこだわりや考え方も、瀬藤監督の影響が大きい。単館系の映画だが、芯のある、人に暖かさを伝える映画にしたい。「風の子どものように」「大阪の彰二くん」そしてわたしの郷里である鹿児島が舞台の映画「微笑みを抱きしめて」どれもが当時では珍しい地域発信型の映画であり、観る人の心を温める映画であると自負している。その後、ロシアで日本語の辞書を編纂したゴンザはミュージカルの舞台として、田中一村の映画は「アダン」(コーディネートプロデューサー)として完成した。これも、鹿児島を拠点に私を支えてくれるアクターズスクールの若いスタッフのお陰だと感謝している。次の午年までには、鹿児島で椋鳩十児童文学賞受賞作品の映画化と世界に発信できる「鹿児島の偉人映画」実現させたい。
 十二年後も還暦ですか? と言われるために……。

 

昭和29年生まれ

NHK  木田 幸紀

NHK  木田 幸紀 NHKに入局したのが、昭和52年。その年の大河ドラマは、第15作目の「花神」。それから10年たって、自分が関わった大河ドラマが第25作目「独眼竜政宗」。
 NHKのドラマ部で仕事をしていると、大河ドラマが自分史の目盛り代わりになってしまう。
 今年の「軍師官兵衛」が53作目だから、自分がスタジオで駆け回っていたのは、大河ドラマ史上でも、もはや中頃のことか。
 あの頃はデジタル処理などほとんどできなかったから、ほんとに遠くまで電柱の見えないロケ場所を探したり、カメラをむやみに移動させられないから立ち位置や動きに工夫を重ねたり……
 昔話もしっかりできるようになったなあ、とつくづく思う。
 しかし、というか、かえって、というか、道半ばだという気持ちが強い。
 ようやく、少しドラマのなんたるかが手の内に入ってきたかのような気がする。
 世界中には、ほんとにいろいろなドラマがあり、表現方法があり、感動がある。際限ないほど多様だけれど、不思議に共鳴できるものが必ずある。そのことを実感すると、自分がいままで知ってきたのは、ドラマという広大な世界の、ほんの一部だったのだと思う。
 今年は還暦だが、出発点に戻ってドラマに向き合いたい、なんて言うと後輩が迷惑がるかな。

 

昭和41年生まれ

ユニオン映画 プロデューサー  元信 克則

ユニオン映画 プロデューサー  元信 克則 一瞬? になった。年男? 待てよ? 俺って、え~っ! 出生率の低い我々〝丙午生まれ〟の子供たちは、もう48になってしまったのか! 抱負を語る前に、まだまだ自分は〝若手〟とばかり思っていたが……ショック! である。確かに年を取ると時が経つのが早く感じるようになる、という説は自分に当てはまっているように思う。どんどんせっかちになっていくし、日常のスピードが速く、時間が足りないと感じることが多い。
 しかし、イライラしながらも、ここ最近ふと思う(これも年を取った証拠か?)。この業界に入って25年あまり、私一人の努力では、プロデューサーとしての今の自分は無かったな、と。作品は一人で創ることはできない。才能を持った人々が集結し、力を合わせて創り上げるものである。お陰様で私は先輩や仲間、後輩に恵まれ、皆さんの力を借りてここまでやってこれたのだ、と。改めて私と関わって下さった方々に深く感謝いたします。
 とはいえ、時間が無い! 抱負は? 何だ?〝ジャネーの法則〟によると、年を重ねるごとに時間は加速していくそうだ。じゃ、どうすれば! そんな時、ある一文が目に入った。
 「どんなに年齢を重ねても、常に新たな事に挑戦したり、新しい刺激を取り入れるようにすれば、時間の感じ方も遅くすることが出来ます」ホントか? しかし……、これは私の新年の抱負、というよりこれからの人生の抱負です!

昭和53年生まれ

東映株式会社 企画製作部  栗生 一馬

東映株式会社 企画製作部  栗生 一馬 「一人目の子供で、干支が午(馬)だから、一馬という名前」小学校の宿題で自分の名前についての作文がでて、親に由来を聞いた時の答えがこれでした。子供心になんだかイージーすぎやしないかと思いましたが、皆そんな感じだろうと、そのまま書きました。   
 当日、クラスメイト達の読み上げる「こういう風に育ってほしい!」という希望に満ち溢れた由来作文を次々に聞き打ちひしがれ、私が発表した後の何とも言えない空気感にとても切なくなった記憶があります。
 しかし、この名前、実は良い所もあります。午年が来ると自分の年だという意識が2倍あるのです。2014年がその年。抱負も自ずと例年の2倍のスケール感でいかなければならないような気がしてきます。
 「作品で日本を明るくすること!」
勢いに任せて、設定してみた抱負がこれです。なんだか大きすぎて、もうすでに独りではできない感じがしてきました。しかし、皆様のお力があれば、叶うと思います。自分の抱負を皆様に叶えていただくのも微妙な心持ちですが、なりふり構っていられません。
 大きな抱負を前に何から手をつけていいかわからない感がありますが、意識を高く持って、一つ一つ誠実に仕事をしていくことから始めたいと思います。

只今撮影中

NHK ドラマ番組部  中村 高志

NHK ドラマ番組部  中村 高志大河ドラマ『軍師官兵衛』

 2014年の大河ドラマ「軍師官兵衛」は豊臣秀吉の天下取りを実現した天才軍師、黒田官兵衛の生涯を描く本格戦国時代劇です。演じるのは岡田准一さん、アイドルとしてデビューし、今では確かな演技力と卓越した身体能力に定評のある若手スターです。
 クランクインは8月の暑い盛りでした。安全祈願を地元の神主さんにお願いしたところ、お祓いを受けていたスタッフがめまいを起こして倒れ、かくいう私もよくぞ、これだけ出ると呆れるほどの大汗をかいているのに、官兵衛に扮した岡田さんはすっきりと涼しい顔でいたのには、さすがアイドルと感心したものです。しかし、それももう4か月前、これを書いている今(12月半ば)はコートとマフラーを手放せぬ季節となりました。現在、1月5日の放送開始に向けて、怒涛の追いこみ中です。
 思い返せば、大河ドラマを担当することが決まったのは2012年に入ってすぐのことでした。戦国にターゲットを絞り、資料を読み漁りました。いくつか企画を考えましたが、その中でも黒田官兵衛という人物に強く惹かれました。官兵衛は信長に認められ、秀吉の軍師として天下取りを演出し、最後は家康と互角の勝負を繰り広げました。つまり官兵衛の生涯を描けば新たな視点から戦国の三英傑を描くことができます。官兵衛は生涯側室を持たず正室と添い遂げたことや、人を殺すのが嫌いで、生かしてこそ使い道があるといった、戦国にあっては珍しい考えの持ち主であったこともあって、どんどん惹かれて行きました。この人には、1年通して描く魅力がある、そう思いました。
 岡田准一さんにお会いして、黒田官兵衛をお願いできないかとお話ししたのはその年の夏でした。お会いしてみて、鍛え抜かれた肉体と澄み切った深い目にすっかり魅了されました。後で岡田さんにオファーの時の心境を聞くと、黒田官兵衛とは「渋い!」と思われたとのことでした。歴史マニアとして知られた岡田さんなら、乗ってきてくれるのではと期待していたのですが、じっくり考えていただきOKをいただいた時の喜びは今でも忘れられません。
 構想を練り始めてから2年、撮影が始まって4カ月経った今、強力な手ごたえを感じています。ド大河ドラマ『軍師官兵衛』 ラマを作るようになって20年ですが、これまで撮影中にそんなことを思ったことはありません。とにかく岡田さんの官兵衛が素晴らしいの一言です。卓越した身体能力と書きましたが、馬に跨らせても、殺陣においても、想像をはるかに超えたレベルでした。こんなに体が動く大河の主役は、久しぶりだと思います。かつて自分がワクワクして見ていた、荒々しくも劇的な大河ドラマを作りたいという思いが、岡田さんという理想的な表現者を得ることによって、具体化しつつあります。岡田さんを中心に集まった実力派ぞろいのキャストにもご注目いただきたいです。ドラマ本来の面白さが凝縮した王道の大河ドラマを目指しています。どうぞ、ご期待下さい。

アクターズセミナー・ルポ

 2分30秒で自分を売り込む。簡単そうに見えて、なかなかに難しい課題だ。自分だったらどうするだろうかと考えながら、それぞれの熱い思いをこめた自己アピールを見つめる時間は、瞬く間に過ぎて行った。


アクターズセミナー ワークショップ風景 今年のアクターズセミナーは12月1日(日)、例年通り東京アナウンス学院アトリエクマノにて行われた。今年の応募者は200名。書類選考を経て、この日セミナーを受講したのは54名。18歳から36歳まで、幅広い年齢層の参加があった。会場に初々しく心地よい緊張が漲る。かく言う私もプロデューサーとしては新人で、もちろんこのセミナーにかかわるのも初めて。受講生同様、新鮮な気持ちで臨んだ。
 午前中はテレビ東京の瀧川治水氏によるワークショップ。連続ドラマ「刑事吉永誠一・涙の事件簿」と映画「福耳」のワンシーンをアレンジし、異なるタッチの2種類のテキストで受講生を指導して行く。同じ台本でも芝居には幾通りもの組み立て方があるはずだが、各組6人が当日その場での手合わせとなるせいか、比較的同じ傾向の順目の芝居が続く。瀧川氏は次から次へと登場する受講生たちの芝居を効果的にドライブしながら、芝居の可能性の幅を引き出し、予定時刻より僅かに早いという驚異的な正確さですべての受講生への指導を終えた。特に注意を喚起していたのは、ト書きを大事にすること。まずは台本に書かれていることを正しく演じることができ、そのうえで演出のオーダーに沿った対応が出来る能力がいまのテレビの収録現場には不可欠だという実践的なアドバイスは、受講生にとって大いに参考になったことだろう。
アクターズセミナー オーディション風景 午後は冒頭にも記した自己アピールの時間だ。演技力はもちろんだが、セルフ・プロデュース能力も求められる。12名の審査員にとっても評価の基準をどう置くか、自分自身が試される難しい審査だったのではないだろうか。全体に演劇調の大きなスタイルの表現が多かっただけに、抑えた芝居や題材は印象に残った。結果、4名の優秀者が選ばれたが、受講生の能力はまだまだこれから発展して行く段階にあったように感じる。木田審査委員長の総評にあった「役者としての個性は自分でつくるもの」という助言を心に刻んで行けば、受賞した人にもしなかった人にも、これから等分のチャンスがあるように思った。
アクターズセミナー賞受賞者のみなさま 筆が先走ったが、審査発表前にはセミナー名物の「出会いの広場」が開催された。予定を超えた1時間余りがとられたが、それでも不十分と思われるぐらいに受講生の熱い思いに満ちた場になった。私も多くの受講生と話し、中には前日に担当番組のオーディションに参加してくれた人とも何人か再会した。彼らが共通して口にしたのは、なかなかチャンスがないこと、あってもどうやってアピールしていいかわからない、ということだった。その純粋な気持ちに応えられる場を、映画・テレビの場にもっと広げて行かなければと感じる。そうした正しい競争こそが未来のアクターの質を高め、制作現場を活性化することにもつながるのではないだろうか。その意味でもこのアクターズセミナーは、他に替わるもののない貴重な試みだと確信した一日であった。

(アクターズ委員 NHK陸田元一)

 

アクターズセミナー賞受賞者の言葉

井端 珠里(いはた じゅり)

井端 珠里

(いはた じゅり)

1987年9月生

(ジャングル所属)

 私の仕事のモットーは「諦めないこと」です。目の前のことから目を逸らさずに、己の問題と、とことん最後まで付き合うことで、常に目の前の壁を乗り越えて参りました。
 スキルアップのために常に新しい問題と出会い、乗り越えたいと思っております。

佐野 光来(さの みく)

佐野 光来

(さの みく)

1990年3月生

(プラチナムプロダクション所属)

 頑張るってなんだろう。頑張るって難しい。それでも、頑張る。楽しむ。というのが、今回受講させて頂く際の、また私が日頃から抱えている、心持ちでありましたから、その想いを凝縮した台本を書き、二分半の自由演技にすることにしました。この台本で、少しでも一緒に受講しているみんなの気持ちを代弁できればと思った。
 一生懸命にやっていれば、時々、いや、ごく稀に、評価されたり、褒められたり、思いも寄らないご褒美が貰えるときがあります。アクターズセミナーという場所で、そのご褒美がいただけたことを誇りに思います。

 

室屋 翔平(むろや しょうへい)


室屋 翔平

(むろや しょうへい)

1987年8月生

(フリー)

 [自由課題]。これには頭を抱えました。一体何をしたら良いのだろう…何を求められてるのだろう?
 出した結論は「自分らしさを精一杯出す」でした。
 今回アクターズセミナーに参加させて頂くことで、沢山の俳優さんのお芝居を見て学び、そして大変貴重なご意見を多くのプロデューサーの方々に頂け、実り多い一日となりました。
 純粋にお芝居が好きです。今回このような形で評価を頂けた事、本当に嬉しく思います。
 稽古にもっと打ち込み、日々精進して参ります。
 ありがとうございました。


横田 美紀(よこた みき)


横田 美紀

(よこた みき)

1989年12月生

(ホリ・エージェンシー所属)

 今回このような機会を頂き、自分と向き合い自分を信じることの大切さに改めて気付かされ、それと共に益々芝居に惹かれました。どんな状況でも軸をぶらさず、いかに自分の役に浸れるか試される時間でもありました。
 今の環境全てに感謝をし、芝居にこれからどっぷり浸っていきたいと思います。
 素敵な時間をありがとうございました。

(五十音順)

 

2013年エランドール賞 授賞式・新春パーティーのお知らせ

日時 2014年2月6日(木)18時受付 18時30分開会 20時30分閉会予定

会場 新宿京王プラザホテル南館5階 エミネンスホール(立食形式)

パーティー会費  

  ドレスコードはありません。※会場内の撮影は禁じます

  ❖会員の皆さまの多数のご参加をお待ち申し上げます。

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