日本映画テレビプロデューサー協会報

No.424  2014年3月号

華やかに 2014年 第38回 エランドール賞授賞式開催!!

エランドール賞委員会 TBSテレビ ドラマ制作部 津留 正明

 第38回を迎えたエランドール賞。昨年は2本のメガヒットドラマが生まれましたが、授賞式も、その勢いのまま盛り上がりを見せた〝じぇじぇじぇ〟な一日となりました。

 2014年2月6日、会場は、お馴染みの新宿京王プラザホテル。昨年のテレビ朝日さんから引き継ぎ、幹事社はTBS。今年は演出、司会だけでなく、例年NHKさんに任せきりであったステージ周りを含めて担当し、いわばTBS・NHK合同といった形で運営させていただくことになり、不安を抱えての本番となりました。そしてその通り、宴はいくつかの想定外の事態の中、進んでいくこととなります。

 まず最初は(想定外といっていいのか…)取材陣の数でした。例年の五割増し、その数、約100人。開場前、カメラマンの陣取りで怒号が飛び交う緊迫感。二つ目は一般参加者の数。受付前に長蛇の列が。そう、いずれもお目当ては? 開演前から渡辺事務局長もまさに「じぇじぇじぇ!」といった表情です。
 18時30分、TBS小林悠アナの司会で授賞式は無事開演。しかし、最初の表彰で次のハプニングです。
 映画部門のプロデューサー賞は『そして父になる』のフジテレビ松崎薫P。カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞した作品で、プレゼンターはもちろん、是枝裕和監督…のはずでしたが、何とインフルエンザのため無念の欠席。代理として同映画の田口聖Pが監督からの温かいメッセージを運んでくださいました。
 続いて、プロデューサー奨励賞は『舟を編む』のプロデューサー、リトル・モア代表の孫家邦さんとフィルムメイカーズ代表取締役の菊地美世志さん。いかにも現場人といったお二人には、プレゼンターの黒木華さん(岸辺みどり役)が文字通り華を添えてくださいました。
エランドール賞授賞式会場風景 表彰はテレビドラマ部門に移り、プロデューサー賞は流行語大賞の「倍返し」を生んだ『半沢直樹』のTBSテレビ伊與田英徳P。プレゼンターは大和田常務役の香川照之さん。あのメインテーマにのって登場し、お祝いの土下座…はなかったものの、長年の盟友の受賞を共に喜びました。
 続くプロデューサー奨励賞は、『リーガルハイ』のフジテレビ成河広明P。パート2も大ヒットとなったこの番組のパートナー、石川淳一監督がお祝いに駆けつけ喜びを分かちあいました。

 場内の熱気が高まる中、次は特別賞。今年は大ヒットドラマ、NHK『あまちゃん』制作チームに贈られます。代表は、制作統括の訓覇圭さん、菓子浩さん、演出の井上剛さん、吉田照幸さんという昨年一大ブームを巻き起こした皆さんです。さっそく、プレゼンターの登場。会場は歓声に包まれます。〝海女のアキちゃん〟能年玲奈さんです。新人賞に先立つ想定外の登場で、一般客のみならず取材陣も一気に沸きます。しかも現場での愛ある仕打ち(?)への感謝を込めたお祝いコメントで更に会場を沸かせます。

 ボルテージが上がる中、アクターズ受賞者4名の紹介に続き、いよいよ新人賞の表彰です。
新人賞受賞者の方々
 登壇は五十音順で、綾野剛さんから。ここ数年目覚ましい活躍で、昨年は『八重の桜』の松平容保役など幅広い役柄で更に評価を高めました。プレゼンターは『空飛ぶ広報室』の原作者、有川浩さん。神戸から駆け付けての祝福に綾野さん、感激の再会となりました。
 2人目は木村文乃さん。昨年度は大ブレークで何と映画4本、テレビ7本に出演。そんな木村さんには『雲の階段』の主演、2012年の新人賞受賞者・長谷川博己さんが祝福に。一昨年、松嶋菜々子さんの登場に感激していた長谷川さんが、今度は凱旋のプレゼンター役で会場を盛り上げます。
 続いては東出昌大さん。放送中のNHK『ごちそうさん』杏さんの夫役で大注目の大型俳優。誠実な喜びの言葉で感謝の思いを伝えました。お祝いには同作の脚本家、森下佳子さんが。
 そして、ここからは〝あまちゃん祭り〟。まずは能年玲奈さん。二度目の登場に興奮したファンが司会席の前まで押し寄せ、私にまでぶつかってきたため、慌てて押し留めます。(そのせいで彼女の挨拶は聞けていません…)プレゼンターは〝夏ばっぱ〟宮本信子さん。壇上で感激の抱擁です。
 続いて〝種市先輩〟福士蒼汰さん。仮面ライダーから順調に成長し、昨年は人気作に次々出演し、あまちゃんでも好演。先生役の皆川猿時さんから花束と、同じ俳優として福士さんの人気を嫉妬するお祝いのお言葉が贈られました。
 最後は橋本愛ちゃん。定評のあった演技力に加え、昨年は劇中のアイドル〝潮騒のメモリーズ〟として、能年さんと紅白歌合戦で歌まで披露するなど、飛躍の一年となりました。お祝いには兄役の〝ストーブさん〟小池徹平さんが駆け付け、エランドール賞に相応しい豪華な授賞式を締めてくださいました。

 以上、ハプニング満載の一日でしたが、皆さんの御協力のおかげで無事、幹事社の務めを果たすことができました。来年のテレビ東京さんは、今年しっかりと舞台裏までチェックなさっていましたので、安心して引き継がせていただきます。本当にありがとうございました。

  プレゼンターとしてかけつけてくれた方々 黒木 華さん 香川照之さん 長谷川博己さん 宮本信子さん 皆川猿時さん 小池徹平さん

只今公開中

ステューディオスリー プロデューサー  梅川 治男

ステューディオスリー プロデューサー  梅川 治男『魔女の宅急便』

 1985年原作者角野栄子さんの「魔女の宅急便」が誕生し、1989年に宮崎駿監督によるアニメーション映画が公開になり、1993年には蜷川幸雄氏演出によるミュージカルが上演された。その後のテレビ放映等もあり、国民的なタイトルと言っても過言ではない「魔女の宅急便」の実写映画化である。
 今回はこの映画の成り立ちを思い起こしながら書こうと思う。あまり表に出ないお話の方がプロデューサー協会への寄稿としては「らしい」と感じたからだ。
 2006年、僕の恩師である故道祖土健プロデューサーより、「魔女の宅急便」がハリウッドの某スタジオで企画開発をしている事を聞いたのが始まりだ。そして数年後、まさにディベロップ契約が切れる年、僕の古巣でもある原宿のスペースポンドで、「日本でやろう!」という舞プロモーション小川さんのことばで、この企画はキックオフした。2009年秋の事である。まずは原作を1巻から6巻まで読むことからスタートした。13歳のキキが大人になり、恋愛、結婚、そして双子の子供が13歳になるまで描かれていた。とても新鮮で国境も世代も時代も超えた素晴らしい世界観がそこにあった。
 『魔女』の存在が信じられている東洋の架空の町を舞台にする。そしてその町は、空を飛んで荷物を運ぶお届け屋の利便性が感じとれる、島々が点在する事。このふたつだけを決めてプロット作りが始まった。ミュージカルのプロデューサーである山崎さんにも参加いただき、脚本を奥寺佐渡子さんにお願いする事にする。とても素晴らしい初稿ができた。2010年の5月である。
 しかしファイナンスが難航し一度この企画を断念する。2010年秋である。
 2012年、弊社森重プロデューサー経由で中国からのファイナンスの話があり、企画開発を再開する。その間、何人かの監督と会った。その中で清水崇監督でいこうと決意し、その年の春アメリカから帰国した清水崇監督と会う。
『魔女の宅急便』 同年初夏、プレロケハンを開始する。キキが「お届け屋」として活躍する島々が美しいコリコの町だ。 沖縄、長崎、瀬戸内海様々な候補の中、小豆島に焦点が絞られた。同時に主人公キキの想定に入った。言うまでもなくこの映画の根幹である。可愛くて、野性味があり、ちょっと気が強い魅力的な13歳の少女の役だ。日本のどこかにいるはずだ。キャスティングチームとオーディションを組んだ。まだファイナンスが完了していない企画開発中でのオーディションである。大きな決断のひとつであった。ただ、魅力的なキキを見つけない限りこの映画の成立はありえないのだから、と自分に言い聞かせながら。題名も出せずに「ファンタジー映画」オーディションという看板でスタートした。なんとも怪しいかぎりではある。東京、大阪、名古屋、福岡等全国で1次オーディションが始まった。2次、3次とオーディションが進み、最終オーディションメンバーは5人。最後は監督と2人で協議し小芝風花さんに内定した。2012年11月の事である。
 その後国内ファイナンスと並行しつつ、2013年1月から本格的な準備がスタートした。キャスティングも、キキの両親に宮沢りえさん、筒井道隆さん、パン屋のおソノさんに尾野真千子さん、他浅野忠信さん、新井浩文さん、吉田羊さん等、ほぼイメージ通りの素晴らしいキャスティングが実現し5月23日東映大泉撮影所でクランクインを迎えた。2013年12月26日、初号試写。この作品に参加してくれた全ての人々に感謝である。そしてこの日を境に「魔女の宅急便」は一人立ちし、歩き始めた。
 映画「魔女の宅急便」絶賛公開中です!

私の新人時代

フジテレビ編成制作局 ドラマ制作部  関口 大輔

フジテレビ編成制作局 ドラマ制作部  関口 大輔 大学時代、映画やテレビ番組に関わりたくニューヨークのビジネス・スクールで映像の製作や宣伝、放送事業などの勉強をしてきました。アメリカのテレビ局や映画会社では、確立された合理的なシステムで映像製作が行われていました。予算や契約に関しても洗練された考えを持っており、新しい技術革新により生まれる制作方法に柔軟に対応していくことに感心させられました。当時は衛星放送やケーブルテレビ、ネット配信の可能性に製作システムをどう対応していくのか盛んに議論されていたのを覚えています。そんなエンターテインメントの中心地でビジネスとしての映像産業を見てきました。
 94年にフジテレビに入社して驚いたのは、コンピュータもなければメールアドレスもなく、現場が感情的でアナログの世界だったことです。映画部配属後、初めての現場では、本が遅れ、スケジュールが見えず、スタッフが不満で現場を去っていきました。APとしてどう動くべきかわからず苦しい日々が続きました。アメリカで学んだ理論や進め方は机上の空論に過ぎず、現場のスタッフは感情論ばかりで意見を聞いてくれません。この時の目標は、スタッフを集め劇場公開日までになんとか映画を完成させることでした。結局、視聴者に向けた作品作りよりも目の前のスケジュールと予算に追われることになってしまいました。
 過酷な現場で学んだのは、現場スタッフとの絆です。スタッフひとりひとりと向き合い話をすると、彼らは作品に対する高いモチベーションを持っており、訳のわからない理屈を押しつけられるのが嫌なだけでした。本を早めに用意し作品の方向性を示せば、プロとして素晴らしい仕事をしてくれることも知りました。
 プロデューサーとしていつも心がけているのは、現場スタッフが快適に働ける環境作りと作品の方向性をしっかりと持つことです。スタッフが仕事しやすい現場があってこそ視聴者の心に残る作品ができるという当たり前ですが重要なことを新人時代に学びました。
 あれから20年近く経った今でも、初めての現場で苦労を共にしたスタッフと一緒に仕事をしているのが不思議なようで、とても幸せです。

◎事務局だより

◎退会

◎訃報

第56回プロデューサー協会 ゴルフ会開催のお知らせ

※初めて参加される方は事務局までご連絡下さい。

一般社団法人 日本映画テレビプロデューサー協会 親睦委員会
電話/03-5338-1235

インフォメーション

◎会議の記録と予定

 2月17日(月)    会報委員会(事務局)

 2月28日(金)    第6回定例理事会(東映本社)

 3月17日(月)    会報委員会(事務局)

 3月28日(金)    第7回定例理事会(東映本社)