日本映画テレビプロデューサー協会報

No.426  2014年5・6月号

「地域発ドラマ」から見えるもの

 主に東京中心に活動する会員の皆さんは、東京、大阪、名古屋のキー局、準キー局以外の地域の放送局の自主制作(制作、演出等を自局で行う)ドラマや、地方の制作者が地方をテーマにして制作した映画は、あまり見る機会がないかもしれない。その地域発ドラマが、ここ数年注目されている。それは、地域のドラマ制作の持つ意味が、改めて我々映像制作者に問いかけるものが多いからである。そしてその地域ドラマに、当協会が一役買っていることも意外に知られていない。
 その前に、地域局制作のドラマについて、簡単に述べてみる。
 テレビが、戦後の日本文化を担うものとして位置付けられ、比較的早く、全国各地に放送局ができたことから、キラーコンテンツであるドラマは、地方でも普通に制作された。ラジオドラマは定時に制作され、地方のNHK放送局には、劇団、効果団があった。一定規模のスタジオのあった中央局(福岡、広島、松山、仙台、札幌)でのテレビドラマ制作は珍しいことではなく、民間放送でも、同様の事情であった。NHK劇場、銀河テレビ「ふるさとシリーズ」や、「東芝日曜劇場」、北海道放送の「うちのホンカン」シリーズなど、思い起こされる方も多いだろう。その後80年代以降、私自身も札幌や広島で何本かのテレビドラマを制作、演出した経験があるが、その際には、放送劇団出身の俳優さんたちとお付き合いしたことが多かった。
 しかし以降、地域発ドラマの制作本数は減り、再び本数が増えてきたのは5、6年前からである。ここ3年、地域局制作のドラマは年に、NHK10本、民放5本、計15本程度が制作されている。増加の理由として挙げられるのは、特にNHKでは、地域局の放送開始、テレビ開局の暦年事業として、ドラマ制作が、地域局のブランドイメージのアップや、局や局員のインセンティブ喚起のための事業として企画される例が多くなったこともあろう。また地域振興の期待を込めた、フィルムコミッションの活動の活発化、加えてデジタル化以降の機材開発をともなう、映像制作の簡便化、低廉化の中で、制作者自身の中に、フィクションとしてのドラマの効用を再認識し、結果としてドラマそのものを見直そうとする動きが出てきたことがあげられる。
『ミエルヒ』(北海道テレビ・東京ドラマアウォード2010受賞作品) その動きに寄り添うように始まったのが、東京アウォードにおける「ローカルドラマ賞」の選奨である。その間の事情について、国際ドラマフェスティバルの実行委員である当協会松尾武監事は、「日本製ドラマの世界展開を目指す東京アウォードの狙いに加え、地方から直接世界発信ができるものを発掘しようとする試みだった」と言う。
 当協会では、このローカルドラマ賞選奨にあたり、NHKや民放連から提出された地域ドラマを、事務局が整理し、選考委員の遠藤利男前会長、里中哲夫理事、松尾武監事等によって、試写選考し、順位をつけフェスティバル事務局に送り、これをもとに、フェスティバル審査委員長の杉田当協会会長や重村一ゼネラルプロデューサー(当協会副会長)らが最終決定してきた。ということは、当協会がローカルドラマ賞を決定してきたともいえる。
 ちなみに、主な受賞作品を上げると、2009年「お米の涙」NHK仙台、2010年「ミエルヒ」北海道テレビ 2011年「見知らぬわが町」NHK福岡、2012年「名張毒ぶどう酒事件」東海テレビ、2013年「狸な家族」NHK徳島・「名古屋行き最終列車」名古屋テレビなどがある。
『狸な家族』(NHK徳島放送局・東京ドラマアウォード2013受賞作品) かつて、地域制作のドラマは、ご当地観光ドラマ的で、地域の伝統やイベントに基づく企画が多かったようだが、選考委員の遠藤前会長は「最近は、一皮むけたというか、作品を企画制作したディレクターが、地域と地域性に鋭く、かつ暖かい眼を据え、それを通して日本人を描こうとしている」と語る。また、作品の質も、地域の若いスタッフ故の心意気を感じる、というより褒めようがなかったものをはるかに超え、「ミエルヒ」や、東京アウォード単発ドラマ賞に輝いたNHK広島の「火の魚」など、芸術祭賞や、国際ドラマ賞などを獲得する秀作を生んでいる。実は映画でも、そうした地域を原点に発想するドラマが出てきた。やはり選考委員の一人里中理事は「東京で企画して地方でロケをする地方映画ではなく、地方で企画し、地方で出資者を募りスタッフに参加してもらって制作する映画が出てきた。例えば函館の『海炭市叙景』『そこのみにて光輝く』大分宇佐市の『カラアゲ★USA』などがある」と言う。
『名古屋行き最終列車』(名古屋テレビ・東京ドラマアウォード2013受賞作品) 常態として、ドラマを制作することが当たり前の、キー局や映画会社に比べ、日頃はドキュメンタリー、情報番組、エンターテイメントを制作するプロデューサー、ディレクターがドラマを企画する。ドラマを作ることが普通ではない状態の中で制作される地域ドラマは、企画や制作条件のハードルが高く、それだけに、地域とテーマと企画性、そして人間に対する考察、つまりドラマに対する強いこだわり(=こころざし)が問われる。
 遠藤前会長は「そうしたドラマを見ることは、なぜドラマなのか、なぜテレビなのか。初心に返る機会となる」、また松尾監事も「地域と東京との交流がドラマ全体の底上げとなる、ぜひ交流してほしい」と言う。永年選考にあたってきた2人の感想だ。
 東京を拠点として、ドラマを当たり前として制作する、私たち会員が、地域制作のドラマを見ることで、あらためて、彼らの発想の鋭さや、ドラマに対するこころざしを見つけることにより、自らが制作するドラマに〝何か〟を付け加えることができたらいいと、ひそかに思っている。

渡辺紘史 (事務局長)

只今撮影中

NHK制作局ドラマ番組部 チーフ・プロデューサー 加賀田 透

NHK制作局ドラマ番組部 チーフ・プロデューサー 加賀田 透『花子とアン』

 2012年の暮れ、脚本家の中園ミホさん、ディレクターの柳川強、そして私の三人が顔を合わせたのが、「花子とアン」への第一歩でした。現代を生きる女性の恋と仕事を描いてヒットを連発している中園さん。その頃はちょうど「Doctor‒X」というビッグヒットを飛ばした直後でしたが、朝ドラでは、現代ものでなく近過去をやりたい、というご希望。それを受けて、年末・年始にかけて原作もの、オリジナルあわせて様々な企画を考えました。私が「戦後の一時期に注目された、女子野球の話はどうですか」と言うと、中園さんから「私、野球を知らないので」と即、却下される一幕もあったりしながら、女性にとってさまざまな制約があった明治・大正・昭和のドラマをやりたい、という思いで一致。そして「赤毛のアン」の翻訳者・村岡花子の評伝「アンのゆりかご」に出会います。戦時中、空襲の中、出版のあてもなく、敵性語である英語で書かれた小説の翻訳に打ち込んだ花子の、鬼気迫る姿に三人ともひかれました。また花子と夫となる男性との、熱く激しい恋文のやりとりが、中園さんの琴線にふれました。そして読むにつけ、花子とアンはよく似ている、ということに気づきました。二人とも、想像力が人生を豊かにすることを知る少女でした。花子は翻訳を続けながら、アンの姿に、自分の生きてきた道を重ね合わせていたのではないか。その仮説にたどりついたとき、これは半年かけて描くべき物語だと確信しました。
『花子とアン』 ヒロイン・花子は、翻訳の仕事や、多くの児童文学の執筆を通して、「物語」を送り届けた人です。企画が決まってから、「文学に興味のある人はいいけど……」「翻訳者の仕事なんて、どうやったら絵になるの?」といった声も聞こえてきました。でも、「物語」に生涯をかけた花子のドラマを、どうしてもやりたかったのです。前作「ごちそうさん」を引き合いに出すならば、「ごちそうさん」では、「食」というものがいかに人を幸せにするか、ということが語られていたと思います。この「花子とアン」では、「物語」という、食べられないもの、腹の足しにならないものが、人を幸せにしてくれることもある、ということを感じてほしいと思っています。放送では花子の女学校時代も終わりに近づき、故郷・山梨での教師時代にさしかかろうとしています。そして撮影の方は、さらにその先、花子が再上京し編集者として活躍する時期に入りました。きびしいスケジュールが続いていますが、吉高由里子さん演じる花子が最初に口にした英単語、「パルピテーション(ときめき)」を支えに、このまま突き進んでいきたいと思っています。

私の新人時代

テレビ東京編成局 ドラマ制作部 川村 庄子

テレビ東京編成局 ドラマ制作部 川村 庄子 私の新人時代は番組制作会社から始まりました。ドラマ制作がしたかったのですが、業界のことは全く知らずコネもなく……テレビドラマも映画も作りたかったため、会社名に〝映画〟がついた会社を受けました。実は演出を目指していたのですが、その会社は演出志望は必要としていないことを耳にし、とりあえず入らなくてはとプロデューサーを志望、運よく入社させて頂きました。テレビドラマやバラエティ番組を広く制作していたその会社で、私は希望通りドラマ担当に。まずは制作進行として単発サスペンスドラマにつき、その年は北海道から九州まで次から次へとロケに出ました。本打ちに参加、台本入校、ロケ場所探し、備品集め、駐車場や控室探し、ロケ地図書き、車両の手配、出演者への予定連絡、お弁当手配&配り、仕上げ進行、台本ほぼ一冊分の改訂稿を作り、50人分ひとりでコピーして朝を迎え、ロケ集合場所へ向かったことも……。翌年から制作と平行してアシスタントプロデューサー業務も本格的に始めました。仕事に関してあの頃言われた事は「教えてもらうのではなく、人のすることを見て盗んで覚えろ」でした。仕事を手取り足取り教えてくださる方はいませんでした。ただ、さすがに出演料の伝票の切り方は盗めず、番組担当プロデューサーに尋ねたところ、「人に聞くんじゃない、盗め」と言われ、なにも言い返せず、後でそっと経理の女性に教えてもらったのを覚えています。またスタッフのひとりが、出る杭は打つ、新しい目は摘む、と言っているのを聞いて、怖いところだ……とビビりました(冗談だったのか定かではありません)。そんな中でも何人かの監督、局のプロデューサー、現場のスタッフの方には育てて頂いたなあ、と本当に感謝しています。サスペンスの長い企画書を自分で書くようになったきっかけも、某局のプロデューサーの「企画書は自分で書くといいよ」という一言からでした。その後いくつかの会社を経て、良い縁に恵まれ今の会社におりますが、良いも悪いもあの頃のことが全て身になっているなあと思うこの頃です。

事務局だより

◎入会

◎退会

 

第56回 プロデューサー協会 親睦ゴルフ会結果

第56回大会は平成26年4月19日(土曜)越生ゴルフクラブで13名が参加して行われ、次のような結果となりました。

順 位 氏 名 アウト イン
優 勝 橋本かおり 47 48 95 21.6 73.4
準優勝 松尾 武 48 39 87 13.2 73.8
第3位 井上隆志 45 40 85 10.8 74.2

 

総会と懇親パーティーのご案内

第38回通常会員総会を左記により開催致します。

正会員の方はご出席下さい。
欠席される場合は総会成立のため、必ず委任状をご送付下さい。
(委任は出席理事氏名をご記入願います。)
また、総会終了後、恒例により懇親パーティー(18時開宴予定)を行います。
パーティーでは新功労会員の方への表彰も行う予定です。
懇親パーティーには賛助会員の方々もお誘いあわせの上、ぜひご参加下さい。

インフォメーション

◎会議の記録