2012年第36回エランドール賞授賞式は、2月9日午後6時半、新宿京王プラザホテルのエミネンスホールで、今年も華やかに開催されました。
昨年から演出担当がチャンネル順に各局持ち回りとなり、昨年のNHKに引き続き、今年は日本テレビが構成・進行・演出を担当しました。司会は、延友陽子日本テレビアナウンサー。エレクトーンはお馴染みの永田勝子さんです。延友アナとは「〝生放送〟のつもりで、テンポよく、飽きない進行」を合言葉に本番に臨みました。
最初の表彰はプロデューサー賞・プロデューサー奨励賞です。今年から従来の「作品賞」と「プロデューサー賞」を「プロデューサー賞・田中友幸基金賞」に一本化し、一層〝プロデューサーによるプロデューサー顕彰〟の表彰意義を色濃くしました。
映画部門のプロデューサー賞は「八日目の蝉」の日活・有重陽一さんが受賞。現代をえぐる鋭いテーマと鮮やかな人間描写、優れたキャスティングが受賞理由。プレゼンターとして成島出監督がお祝いに駆けつけ、〝戦友〟を祝福しました。プロデューサー奨励賞は故原田芳雄さん最後の作品となった「大鹿村騒動記」のKИHO(キノ)・椎井友紀子さんが受賞。永年のコンビ・阪本順治監督が心温まる祝辞を贈りました。
テレビドラマ部門のプロデューサー賞は、国民的な関心・話題を独占し、驚異の視聴率40%を叩き出した「家政婦のミタ」の日本テレビ・大平太さんが受賞。プレゼンターとして長谷川博己さんが撮影秘話を盛り込みながらエールを送りました。プロデューサー奨励賞は、戦争を挟んだ昭和の激動の時代を、太陽のように明るく歩んだ女性を描いた連続テレビ小説「おひさま」のNHK・小松昌代さんが受賞。お祝いのゲストとして主人公の祖母役、渡辺美佐子さんがチームワークの良さを讃えました。
続いて特別賞、3件の表彰です。
まずは「相棒」制作チーム。2000年から現在まで11年間、硬派で知的なドラマとして、視聴者の高い支持を受け続けてきたことが受賞理由。受賞者はメイン監督の和泉聖治さん、生みの親であるテレビ朝日・松本基弘さん、東映・西平敦郎さん。お祝いに、プロデューサー・監督の〝相棒〟である水谷豊さんと及川光博さんが駆けつけました。
2件目は「3年B組金八先生」制作チーム。初回から、「ファイナル」まで32年間、放送本数185本。昭和から平成に至る日本の世相を見つめ続けた番組です。全シリーズをプロデュースした受賞者のTBS・柳井満さんに、金八先生・武田鉄矢さんが「贈る言葉」として〝続編制作提案〟し、戦友を讃えました。
特別賞の3件目は「大河ドラマ50」。1963年の「花の生涯」から数え、昨年の「江」で50作、今年の「平清盛」で放送50年の節目にあたり、企画や表現に工夫を加え、視聴者の高い期待に応え続けてきた功績が顕彰されました。受賞者は「江」制作統括の屋敷陽太郎さん、「平清盛」制作統括の磯智明さん。プレゼンターとして、「天と地と」「元禄太平記」「草燃える」の三作品で主演を務め、「江」では千利休役で出演した石坂浩二さん、「武田信玄」の主演で、「平清盛」に清盛の父・忠盛役で出演中の中井貴一さんが登壇し、それぞれ大河ドラマへの熱い想いを語って会場が沸きました。
そして、いよいよクライマックスの新人賞の表彰です。今年は男女5名(五十音順)が受賞しました。
まずは杏さん。昨年はフジテレビ「名前をなくした女神」で連続ドラマ初主演、その演技力と作品にかける情熱が注目され、日本テレビ「妖怪人間ベム」で演じたベラ役はハマリ役と大評判、存在感溢れる演技で今後の活躍が一層注目されます。お祝いゲストに脚本家・渡辺千穂さんが駆けつけ、連ドラ初主演での杏さんとの出逢いと思い出を語って再会を喜びました。
続いては高良健吾さん。昨年は映画「白夜行」や「軽蔑」で、狂気と繊細さを感性豊かに演じ、「ノルウエイの森」やWOWOW「ビート」でも強烈な個性をいかんなく発揮、さらにテレビでもNHK「おひさま」で主人公の夫・丸山和成役を好演。その透明感際立つ演技で〝昭和の若者〟を爽やかに演じ、注目を集めました。プレゼンターとして、「おひさま」で父親役を演じた串田和美さんが登壇し、久しぶりの〝親子の会話〟で会場を沸かせました。
3人目は井上真央さん。昨年は映画「八日目の蝉」「太平洋の奇跡〜フォックスと呼ばれた男」などの話題作に出演、テレビではNHK「おひさま」のヒロイン・須藤陽子役で、激動の昭和を明るく、たくましく、人との絆を大切に生きる主人公を見事に演じ切り、東日本大震災後の日本中の人々の心を明るく照らしました。お祝いゲストに脚本家・岡田惠和さんが駆けつけ、共演者やスタッフのチームワークを讃えるとともに、今後の活躍にエールを送りました。
4人目は長谷川博己さん。NHK「セカンドバージン」で主演の鈴木京香さん演じるキャリアウーマンと不倫する年下男性を熱演して頭角を現し、ブレイク! 昨年はテレビ東京「鈴木先生」で連続ドラマ初主演を果たしました。そして、何といっても日本テレビ「家政婦のミタ」で、優柔不断なダメ親父役を好演。まさに今が旬、今後一段の大化けが期待される実力派俳優です。お祝いに駆けつけたゲストは、「家政婦のミタ」の主人公・三田灯役、松嶋菜々子さんがサプライズで登場! 長谷川さん自身にも、松嶋さん登場は知らされておらず、このドッキリ演出に、会場は大歓声とともに大いに盛り上がりました。
新人賞の最後は、吉高由里子さん。映画「蛇にピアス」で初主演。フジテレビ「東京DOGS」でヒロインに抜擢され、日本テレビ「美丘〜君がいた日々」で連ドラ初主演と快進撃を続け、抜群の表現力と存在感を示しました。どんな役も見事に演じ分ける演技力に、注目が集まる若手実力派です。プレゼンターには「私が恋愛できない理由」をプロデュースしたフジテレビの中野利幸さんが登壇し、喜びを分かち合いました。
以上、5名が再び勢揃いしてフォトセッション。滅多に勢揃いすることのない豪華な俳優・女優陣のオーラに、夥しい報道・取材カメラのフラッシュが呼応し、会場は一気に最高潮に達しました。
その後、舞台は一転して、お楽しみの福引き抽選会。各社から提供していただいた豪華な景品が続々に当選者に届き、会場は笑顔に包まれ、豪華な受賞者やゲストの皆さんとともに盛り上がった余韻を残して、授賞式は無事にお開きとなりました。
今年は、会場にお越しいただいた各方面の方々より、内容の充実等、お褒めの言葉を頂戴し、素直に喜んでおります。これもひとえに、昨年までの素晴らしいノウハウや反省点の蓄積があればこそ。そして何より小林委員長、若泉副委員長をはじめ、各エランドール委員・事務局・および彩の会の林さん以下スタッフの皆様の激務の合間を縫っての多大なるご協力の賜物に他なりません。
業界広しといえども、映画とテレビ業界のプロデューサーたちが垣根を越えて共同作業すること自体、すべてが貴重な経験でした。延友陽子アナウンサーも、見事に皆の期待に応え、笑顔とともに完走してくれました。身内ながらこの場を借りて感謝したいと思います。
いくつか反省点もあります。私自身、来年に向けて、来年ご担当のテレビ朝日さんに引き継ぐとともに、今後もエランドール賞、微力ながら頑張りたいと思います。ありがとうございました。
『ブラックボード』制作にあたり
しばらく仕事を干されて、うちでゴロゴロしていたある日、中三の娘の参観日があるというので、暇つぶしに出かけていった。
まあ、中学生なので生意気の盛りであることは否めないが、誰も授業中に先生の言うことを聞いていない。勝手に歩き回る生徒もいるが教師は叱らない。叱っても仕方ないと思っているのか、無難に無視することが教師の無言の抵抗なのか、それにしてもこの無秩序の中では真剣に勉強する空気など生まれるわけもない。これでいいのか。頭にきた。
翌週、とある番組の打ち合わせで、脚本家の井上由美子さんに、「先日、子供の参観に行ってきたんですけど今の中学校はなんなんすかね」と怒りをぶちまけると、井上さんのご子息も中学生だったこともあり、「教育とはなんなんだ」というテーマでドラマを作ろうという話になった。でも、きれいごとのドラマにはしたくない。既視感のあるものにはしたくない。教師はヒーローではない。むしろ、問題教師を堂々と描こうということになった。
そして、戦中軍国教師だった先生が戦後、戦争責任を元生徒たちから問われる第一話、校内暴力の時代の暴力教師が第二夜。そして教師がホテルのコンシェルジュのようになってしまった現代をテーマにした第三夜、と大きく定めてプロット作りとキャスティングに入った。
しかしである。取りかかってみると、最初の父としての怒りはどこへやら、時代の価値観が、こんなにも右往左往と流れていく中、教室に一人、大人の代表として立ち「正解を教えてもらえる」と信じている子供たちの目にさらされて、日々何が「正解」かを求めて苦しんでいたのは現場の教師だったのではないか。一枚の黒板を背に、たくさんの生徒の未来を背負っている先生は、決して神様ではなく、生徒と同じく、一人の悩める人間だったということが僕にもわかってきた。
ちなみに僕の中学時代はまさに校内暴力の時代だった。暴力教師は学校で出世していたし、体罰も普通にあった。逆にお礼参りといって卒業式が終わった夜、生徒がむかつく教師をボコボコにした事件も当然のようにあった。まさに金八先生の「腐ったみかんの方程式」のような風景が、どの学校にも多かれ少なかれあった。僕も「あのセンコウ、殺してやる」と思い密かに準備したこともあった。でも、今になって思うのだ。あの頃の先生には多少問題はあっても「生徒のため」という気持ちは絶対にあったし、拳骨でなければ学べない何かを僕はその教師から確かに学んだ。「この野郎」と思いつつ、今、思い出すのは本気で叱ってくれた先生だし、つっかかっていったのもやっぱり、どこか大好きな先生だった。学校全体に熱があった。何が「正解」なのかを生徒も教師も求めていた。そういう意味では今より幸福な時代だった。
今の教育制度が発足して六十余年。この国は本当に変わった。子供たちの未来を作るのは我々大人たちであり、教育と言うものはその礎をなす。TPPに参加するということひとつ、原発の廃続ひとつ、日本の舵を切っていくこと=教育の設計思想にダイレクトに関わってくるはずだが、そこまでの哲学を我々、今の大人は持ちえていない。子供たちに輝く未来を作るのは、我々大人の責任であるのに、いかに不甲斐ないか、そして今後如何にあるべきか、などと今更ながら思いながら、このドラマ制作と格闘している。四月五日、六日、七日放送です。ぜひご覧ください。
卒業式を待つだけだった二月のある日、学院の教務課に呼ばれ「明日から長野へ一週間ほど行ってくれ」と、突然言われた。学院長が製作中の映画に準備スタッフとして参加しろということだった。学院長の名前は今村昌平。作品名は『楢山節考』である。現場に入るチャンスと考え二つ返事で引き受けた。翌日新宿発の夜行列車に乗り、翌朝長野県南小谷駅に着いた。二月なので当然あたりは真っ白な雪の世界である。出迎えに来てくれていた先輩スタッフと共にロケ地へと向かった。どうやらそこは、車も行けない秘境の地らしい。背負子を担ぎ細い雪の山道をヘトヘトになりながら登ること二時間、ようやく目的地真木集落にたどり着いた。そこは茅葺きの家が七、八軒と田畑だけの、日本の原風景を残す集落であった。人はもうそこには住んではいない。テレビもラジオもない。入ってくる情報は有線からのみ。当然食材は自分たちで麓の町から運び、それを自分たちで作って食べた。想像していたよりもかなり過酷な現場のようだが、ここで初めて映画の現場を経験するのだと、大きな期待を抱いていたのを覚えている。
撮影本隊を受け入れる準備をするのが私たち先発班の仕事であった。住居となる家の修理及び掃除、川からの水の引き入れ、プロパンガス、布団の運搬、野良仕事、そして劇用カラスの捕獲と飼育その他諸々。一週間のはずだったのに、あっという間に一ヶ月が過ぎてしまった。そしていよいよ今村昌平監督、スタッフ、キャストら撮影本隊がやって来た。これでついに撮影現場に参加できると思いきや、前よりもっと頻繁に荷物運びが増えてしまった。何せ総勢80名からの食料と生活用品を町から仕入れなければならないのだから……。雨の日も風の日も夏の日照りも耐えて毎日荷物を運んだ。運搬のない日は便所のくみ取り。何故かその日の夕食はいつもカレーライスだった気がする。たまには撮影にも立ち会えた。その時は嬉しくて一生懸命雑用をこなした。製作進行として、ここでの生活は結局一年近くにおよんだ。
早いもので『楢山節考』から約30年。72キロだった体重は115キロに。もう到底あの場所には登れない。そのころ今村監督に言われた言葉を今も覚えている。「若いうちはとにかく動け! 走れ! 頭は後から追っ掛けてくる」と。今村監督、肉は付きましたが、いまだ頭が追っ掛けてきません。私は今後どうしたら良いのでしょう?
驚愕のヒットを飛ばしたテレビドラマはどのようにして生まれ、どのように作られたか。エランドールプロデューサー賞受賞者とディレクターを招き、視聴率40%ドラマの企画制作現場に肉迫。「これは業務命令」ではございませんが、ご参加ください。
☆会場へ直接お越しになれます。
参加ご希望の方は事務局までご連絡下さい。
日本映画テレビプロデューサー協会 親睦委員会 03-5338-1235
皆さんふるって ご参加ください!