「日本のテレビ局は配信にネットを利用しようとする事には熱心になってきたけれど、ネット社会は創作レベルを向上させるために使うもので、商売だけのために利用するものではない筈です」「なぜ日本の漫画やコミックスは、こんなに独創的なのに、テレビや映画にはオリジナルで斬新さを感じるものが少ないのでしょうか」
この文章は私が非常勤で教えている上智大学の学生に課した春のREPORT「日本人のためのテレビ、映画の企画書」に提出されたものの中で興味深く読まされた、アジアからの留学生の答案である。これには、放送人の一人として恥ずかしさをおぼえた。
本題に入る。
「国際ドラマフェスティバル」がスタートして5年になる。しかし、日本の映像コンテンツがアジアを中心とする海外により多く配信されるようになったかというと、残念ながらその答えは「NO」であろう。逆に、韓国作品がこの間、その勢いを更に強め、それに加えてアジアでは中国が力をつけ激しく韓国を追いかける状況になっている。日本作品は年を追って影が薄くなっているのが現実である。かつては日本作品のレベルの高さはアジアで追随を許さないが、作品単価が高いため、市場を開拓できないでいると説明されてきた。事実、この会報でも初期の頃は「日本作品の海外進出のネック」として、そのような問題点を挙げた記憶がある。しかし、いまやその作品そのもののクウォリティーでも、アジアの国々から、日本作品に疑問が投げかけられている。事実、タイや台湾では1本あたりの売買単価は韓国作品の方が上回るものが現れてきている。その要因の一つは、日本作品に「馴染みがなくなった事」。韓国、中国は作品公開に合わせて、地元放送局のプロモーションに全面協力するが、日本は売ればよいという考え方でフォローをしないという事であろう。彼らに言わせると、ハリウッドですらタレントを送り込んだりするのに、日本は「上から目線だ」という事になる。更に「日本が売りたがる作品は、その国の実情を検討せず、日本が評価する作品を押し付ける」という事になる。
その反省を踏まえ、今年の「国際ドラマフェスティバル」は大きく内容が変更される。
まず会員各位の協力で成り立つ「東京ドラマアウォード」は会期を一日に短縮。授賞式とパーティーを同時に開催。好評の「エランドール賞」のスタイルで行う。日時・場所は10月22日の月曜日、東京プリンスホテルを予定。
更に海外からの作品の招待や国内の作品の表彰は例年通りだが、これまで重要な海外流通対策として海外バイヤーを招待、彼らの協力を取り付けるため、多額な経費を注ぎ込んできたが、期待する効果はないと判断。そこに使われた経費をより直接的で効果的な方法に変更し、アジアの放送局に安い価格で番組を提供する。数多くの日本作品を東南アジアの人々に最低3か月にわたり見てもらう事により、もう一度日本のドラマに馴染んでもらい、再評価してもらうという原点に立ち戻る事にした。
更に、タレントを派遣した「日本DAY」と言えるようなイベントを開催、薄れつつある日本のコンテンツイメージの失地回復を行う事とする。ただ今年度は行政からの支援が少なく、厳しい予算のため、ターゲットをかつては日本作品が溢れていたタイに焦点を絞り(現在、タイでレギュラーで放送されている日本作品は2本しかない)、来年の1〜3月にタイの3つの局(予定)で6枠の日本のドラマ放送枠を確保する考えである。
しかし、最初の話に戻るが、日本に来た留学生が日本で放送されているテレビドラマに懐疑的な事は、我々そのものに突き付けられた鋭い刃として自戒し反省しなければ、海外での市場確保は「夢のまた夢」になろう。身近な我々の作品作りの姿勢の見直しが、いまこそ必要とされている。
「俳優達との架け橋」、アクターズセミナーが今年も開催される。単独イベントとしては今回で8回目を迎える事となる。まだまだ協会の行事の中で歴史は浅いが、少しでもいいから業界内にこのイベントが知れ渡るようになればとの僭越な思いで積み重ねてきた過去7回、成果の方はまだまだかも知れないが、その一回一回に興奮と熱気があり、思い出がある。過去数回分のセミナー受講生から頂いたアンケートの一部を紹介する。『現役プロデューサーや監督と話ができて嬉しかった』『多くの人から刺激を受け、素晴らしい経験になった』『自分のレベルを知り見つめ直す機会になった』。そして最も多かったのは『また是非開催してほしい』。俳優達の率直な感想が、このセミナーを続けていく原動力となっている事は間違いない。刺激を受けているのはこちら側も同じと言えよう。
開催日は11月4日(日)、詳細は次号にて。会員皆様の御協力と、会場になる西新宿のアトリエクマノまで足をお運び頂き、受講者とのふれあいをお願いする次第である。
『天地明察』
江戸時代に「勇気百倍!」と言った男・安井算哲(後の渋川春海)。
日本の武士というと、どうも謹厳・実直なイメージがあるが、この人物は違う。将軍家に仕える囲碁家元の跡取りなのに、仕事そっちのけで星に目を輝かせるオタク青年の成長物語。小説『天地明察』は、風変わりで感動的な時代小説が出た、と大きな話題になり、本屋大賞を受賞するまでに至る。
角川内では、当然自社で映画化しようという機運が高まっていった。一方で他社のプロデューサーから編集部に多くのオファーが寄せられ、他方、数十年にわたる壮大なストーリーで、チャンバラもなく、碁だ天文だ算術だと個々の要素が専門的にすぎて映像化に向かないと心配の声も多く寄せられた。期待と不安混在の企画スタートだった。
そんな折、小説を読んで自ら監督を名乗り出た滝田監督が企画に参加してから、大きく動き始めた。「おくりびと」で米国アカデミー賞受賞後の滝田監督の初メガホンに、プロデューサー、監督のイメージ通りの豪華なキャストが集まり、製作委員会、公開館と布陣が揃う。作品の魅力と期待の高さを改めて感じた。
しかし、江戸時代の天文という未知の題材を映像化することは、予想通り、そして予想以上に難しく苦労は多かった。私自身も半ば助監督と化し資料調査に明け暮れた。それを脚本の加藤さん、滝田監督は、万人にわかるエンタテインメントとして昇華してくれた。
撮影は、2011年6〜8月に行われた。京都の松竹撮影所をベースにセット32杯、ロケ25箇所での大掛かりなものだったが、連日順調に進み、監督と俳優のコミュニケーションの中で、脚本にない要素も多く加味され厚みのある撮影となった。特に未知のテーマに対し、クリエイティブな発想豊かに取り組む各スタッフの姿勢、俳優陣のプロフェッショナルな仕事ぶりに感銘を受けた。
また、失敗、挫折を繰り返し、命を賭けて使命を全うしようとする主人公の物語は、真面目で重くなりかねないが、要所要所に息の抜き処や笑いを込め、結果、感動を倍加する滝田監督の方法論に触れられたことは、キャリアのない私にとって学ぶところ多く、今後にとって大きな収穫だった。個人的に「勇気百倍!」。
さて、まもなく『天地明察』は公開となる。壮大な原作なので、映画としても様々な要素を盛り込んだ。観る人が違えば、それぞれ共感する想い、得られる感動が違うものになったと思う。
観てくれる一人ひとりに勇気を与える天地明察を届けられればと願っています。
NHKの場合、大抵の人はまず地方局勤務となる。しかし、我々はバブル全盛時の採用組で、ディレクターの数も多く、半分ぐらいの人が東京勤務となった。
私はドラマを志望していたものの、ドキュメンタリーにも興味があったので、できれば地方局に行きたかった。結果は幸か不幸か、東京ドラマ部に赴任となった。
とりあえず、ドラマはADから始まる。長いシタズミ時代の始まりだ。最近では(当時も多少は)この「シタズミ」が嫌でドラマ志望者も随分減ったと聞く。全く嘆かわしい話であるが、私の場合は自分の才能などというものはこれっぽっちも信用していなかったので、シタズミもそれほど苦ではなかった。
そんな私にも、やがて少しディレクターとしての自我が芽生えてくる。すると、できの悪い監督に無性に腹が立つようになった。よく台本を投げつけて反抗したものである。「なんでこんな馬鹿が監督しているんだ!」そんな怒りをばねに、私は自らも演出をし始めることになる。
本格的な初演出は、NHKに入って5年目、2つ目の任地である札幌で体験することになった。小樽を舞台にした時計屋の話。主演は水谷豊さんだった。今から思えば顔から火が出るほどに恥ずかしい稚拙な演出であったと思うが、少なくとも、それを自覚している分だけ右記の監督たちよりはマシだと思った。といいつつ、出演者・スタッフに優しく接していただき、そのことに随分と助けられたという思いは強く、自分も少し馬鹿に対して寛容になろうと思った。
その後、大河ドラマや連続テレビ小説などの大きな番組のディレクターもさせていただいた。芸術祭で受賞したこともある。ちょっと遅咲きではあるが、ディレクターとしてこれからと思っているときに、プロデューサーへの転向を命じられた。
ディレクターとしては20年生であるが、プロデューサーとしては1年生。今が私の新人時代である。
秋の親睦ゴルフ会を次により開催致します。
ぜひご参加下さい。
*初めて参加される方は事務局までご連絡下さい。
一般社団法人日本映画テレビプロデューサー協会 親睦委員会 ☎03-5338-1235