受賞された5名の方々に、受賞の言葉をいただきました
この度は、このように歴史あるかつ栄誉ある賞を戴き、光栄に思うとともに恐縮しております。現場での幾多のトラブルにも負けず、作品を完成させた鈴木プロデューサーや、東宝社内を調整して、このリスクの高い企画を通し、最終的に大ヒットさせた川村プロデューサーに比べれば、私のこの作品に関わる比重は大した事ないと自覚していただけに、お二人と同じように賞を頂いたのは驚きでした。でもこの『告白』という作品だけではなく、長年中島哲也監督作品に関わってきた事に対して、受賞出来たのかなと今は勝手に推測している次第です。そういう意味でも、まずは中島監督に対して感謝したいと思います。彼の才能は僕のプロデューサー人生を変えてくれました。そして監督の才能を信じて、この過酷な現場を乗り切ってくれた『告白』のスタッフ、キャストの皆さまにも改めて深く感謝いたします。おかげで彼は今回名実ともに日本を代表する映画監督になりましたが、今後現場は益々過酷になるでしょうね(笑)。ありがとうございました。
この度は歴史の重みと栄誉ある賞をいただき、感謝と感激の気持ちでいっぱいです。心から御礼申し上げます。
この受賞に至ることになった理由は多々あるのだと思いますが、その中でも中島哲也という才能と出会い、共に映画作りが出来たことではないかと思います。
私は株式会社リクリというポストプロダクションの会社を1996年に立ち上げたのですが、そのきっかけもまた中島哲也との出会いでした。
当時はCMディレクターとして活躍していた中島哲也が、一念発起して映画を作ろうと脚本を書き製作予算も自ら準備し、いわゆる自主映画として作ったのが「夏時間の大人たち」という映画でした。その作品に協力してくれと電話があり、約束の場所に出かけて行くと、中近東のおっさんに様子が似てる男が待ち構えており、そのおっさんこそが中島哲也でした。おっさんが言うには、仕事の合間寸暇を惜しんで脚本を作り、自宅購入資金を嫁に内緒で持ち出し、人生で最大の賭けに出ると言うのです。また、多くのCM製作関係者からはこの脚本とこの資金では映画なんて作れないと言われ、だから鈴木さんが出来ないと言ったら諦めるしか無い、と言うのです。それにまんまと乗せられた訳ですが、この映画、私の映画体験としてこんなに面白い作品は無かったのです。脚本にナレーションが多いことも、ロケハンで選ぶ撮影場所も、各スタッフに対する関係の持ち方も、編集へのこだわりも、とても新鮮で斬新な体験でした。
この出会いがきっかけになり、会社を立ち上げ製作に関与し多くの中島作品を共に作ることになった訳です。
最後になりましたが、中島哲也監督との出会いをはじめとする様々な人との出会いが、私の映画作りの糧になり、原動力となって来たことにお礼と感謝を申し上げたいと思います。ありがとうございました。
こんな話を聞いた。昼休みの東宝スタジオの食堂だった。いまハリウッドに谷口秀雄という35歳の日本人プロデューサーがいるらしい。谷口はJJエイブラムスの『LOST』の共同原案者で、『M:I:3』『クローバーフィールド』のストーリー原案もやっているようだ。それだけでなく谷口は、『ダークナイト』のストーリーをクリストファー・ノーランと共同で執筆し、『第9地区』のファーストプロットも谷口の手によるものらしい。思わずのけぞった。すごい日本人がいるものだと。今すぐその谷口に会いに行って何かアイディアをもらいたいと私はアメリカに旅立った…というところで目が覚めた。夢だった。
2009年12月。ちょうど『告白』と『悪人』を同時に撮影していた。ともに監督・キャストの才能が見事に爆発しており、手応えがあった。でもこれが観客に届くのかと言われるとなんとも不安で仕方がなかった。誰かに助けてほしい。そんな思いで見た夢だったのだろう。結果、私の不安は多くの観客の方々が解消してくれた。難しい題材に向き合い、立ち向かい、見事な作品を作り上げた素晴らしい監督、スタッフ、キャストの才能に、現代の観客が反応してくれたことを心から嬉しく思った。谷口秀雄はいないが素晴らしい才能者たちがこんな身近にいた。夢のようだ。でもこれは夢ではない。そう感じた2010年だった。
私自身は、スタッフが苦労している中でそんな「架空の天才」にすがってしまう他力本願の映画企画者がゆえ恥ずかしい限りですが、そんな私をプロデューサー奨励賞に選出して頂き、心より感謝申し上げます。未来の「谷口秀雄」に一歩でも近づくべく、頑張っていきたいと思います。
エランドール賞プロデューサー賞、大きな賞を頂き、感激です。家族皆が喜んでくれました。企画、キャスティングなど大きなレールを引いた後は、正直、チームが勝手に動き出してくれた感じで、受賞はチーム力の勝利です。龍馬伝は、「大河らしからぬ」斬新な映像や、福山雅治さんの話題、香川照之さん演ずる弥太郎の「汚し」など、様々な取り上げられ方をしましたが、チームが目指したものは目新しさや新風よりもむしろ、大河の王道でした。役者が、血管の切れそうなほどの緊迫感で芝居をぶつけ合う、そこから生まれる感動と興奮。「独眼竜政宗」も「武田信玄」も、私がかって見た大河ドラマは、そういう熱いドラマでした。昔の大河が持っていた原初的パワーに立ち戻ること、その挑戦が大友監督が旗を振った「一気に撮る」手法です。台本十数ページにもわたる、どんなに長いシーンでも、ワンシーンは止めずに一気に撮る。作り物のドラマを超えた、ドキュメンタリーとも言えるライブ感と「熱さ」こそ、龍馬伝が勝ち得た、最も誇れる成果だと思っています。テレビドラマという時間も予算も限られた作品、まして一年にわたって毎週放送を出し続けていく大河ドラマの枠で、このクオリティを維持できたことは、奇跡、だと感謝しています。現場を貫いていた「決して手を抜かない」「妥協しない」という情熱は、本当に頭が下がる思いです。何事にも「仕方ない」と諦めない、坂本龍馬の魂が、福山雅治さんに乗り移り、全てのスタッフ・キャストに伝わっていったとしか言いようがない、龍馬伝の奇跡。そこに立ち会えたことが、プロデューサーとして何よりの幸福でした。
「エランドール賞」というとても歴史の深い賞において、「プロデューサー奨励賞」というプロデューサーとしてこの上なく栄誉ある賞をいただき、本当にありがとうございます。
私がいただいてしまっていいものかと、とても恐縮しつつ非常に嬉しくもあったのですが、プロデューサー個人としていただいた賞ではありますが、今回の「フリーター、家を買う。」という作品は、フジテレビ編成部のみなさま、脚本の橋部さんや河野監督をはじめとするスタッフ、そして二宮和也さんをはじめとした素晴らしいキャスト陣全員の力で勝ち取った話題と結果だったと思いますので、この栄光と喜びをみんなでわかち合いたいと思います。また、そんな素敵なスタッフ&キャストの方々に出会えたおかげで、視聴者のみなさまの心に響く作品を作り出すことができたことに、心から感謝しております。
そして、新卒で入社してから9年間、いつも叱咤激励してくれた共同テレビの諸先輩方や仲間たち、今まで作品をご一緒させていただいた全ての方々に感謝の気持ちでいっぱいです。
まだまだ未熟な自分ですが、これからも最高のエンターテインメント作りを目指し、日々精進してまいります。このたびは、本当にありがとうございました。
4月11日(月)からTBS系列で放送開始になる、連続ドラマ「ハンチョウ〜神南署安積班・シリーズ4」のまさに只今撮影中に、それはやってきました。
3・11東日本大震災。
おそらく今後、日本現代史を語るときに「それ以前・それ以後」に分けられることになるであろう、未曾有の大災害が撮影隊を襲いました。
幸いにも出演者・スタッフに身体的被害はありませんでしたが、プロデューサーである私には大きな問題が突き付けられました。
それは、「こんな非常事態に、エンターテイメントであるドラマなんか撮ってていいのか?」という根源的な問い掛けでした。
テレビ画面は連日、震災のニュースを流し続けています。放射能や停電に関する情報など、視聴者にとって生命にかかわるニュースも多い。文字通りライフラインとしてテレビは機能しています。
基本的にフィクションである映画や、基本的にノンフィクションである新聞と違って、テレビというメディアは「両方あり」です。そこがテレビの面白さでもあると思うのですが、その両面性は時として制作者を悩ませます。
でも非常時だからと言って、ドラマ屋にニュースが作れるわけでもありません。
悩んだ末、ドラマ屋にはドラマ屋としてやれることがあるはずだ、と腹を括りました。
「ハンチョウ〜神南署安積班・シリーズ4」公式ホームページがオープンした日、プロデューサー日記に私は次のように書きこみました。
「橋本です。
今回の震災の被害に遭われたすべての方々に、心からのお見舞いを申し上げます。
こんな状況下で、いったい私たちに何ができるのだろうか、と自問自答しています。
同じ国に生まれ、同じ時代を生きている人間として、何か少しでもできることはないのだろうか。
募金する。
節電する。
それは当然のこととして、でも直接現地に救助に行ったり、炊き出しをしたりできるわけではない。
当たり前のことですが、ひとりひとりが、それぞれの与えられた持ち場で、それぞれの務めを100%果たすしかない。
だから、やっぱり、私たち「ハンチョウ」チームは、一生懸命ドラマを作っていこうと思っています。
都合のいい考えかも知れないけど、
一生懸命いい作品を作り、
見ていただいた方の心に、
少しでも生きる希望みたいなものを伝えること…。
連日悲しいニュースを流し続ける同じ画面で、見ていただいた方の心を温かくするような、明日も生きていこうと思わせるような、そんなドラマを放送すること…。
それが今の私たちにできる、
こんな状況だからこそ私たちにできる、
最大限のことではないか…。
そう思っています。
被害の全貌が明らかになるにつれ、
胸が潰れるような想いに襲われ、
あまりに理不尽な自然の猛威の前に、虚無感さえ覚えます。
でも、茫然と立ちすくんでいるわけにはいかない。
今の自分にできることを、
ひとつひとつ、心をこめて、
一生懸命やっていくしかない。
そのことが、
結局は世の中のためになるのだ。
そう、信じて。」
この原稿を書いているのは2011年3月18日、東日本大震災から一週間がたちました。この場をお借りして、被災された方々にお見舞いを申し上げます。今回の震災がテレビ制作はもちろん、日本の社会や日本人の心情に大きな変化をもたらすことは間違いのないことだと思います。私も改めて「自分の仕事を通してできること」を真剣に考えたいと思っています。
「私の新人時代」ですが、私がドラマ制作の現場に参加するようになったのは、今から10年ほど前、30歳代も後半になってからのことでした。新卒でテレビ東京に入社し、管理セクションから報道、編成、制作局を経ての遅いドラマデビューとなりました。ジャンルは違うものの、テレビでOAするソフトを作るという意味ではこれまでの仕事とほぼ同じ。諸先輩のアドバイスもあり、スムーズにドラマ制作の現場に溶け込むことができました。
ひとつだけ大きく違ったのは、ドラマは1クールごとに企画が変わり、そのたびに出演者、スタッフが一新するという事。
3ヶ月に1回こんなエキサイティングな経験ができるのはドラマだけだという思いでした。
2005年、深夜に「ドラマ24」という連続ドラマ枠を立ち上げて以降、様々な企画に取り組んできましたが、数え切れない多くの出演者、スタッフの方々と素晴らしい出会いがありました。
今も自分の力量については「なかなか、上手くならねーなー」と幻滅する毎日ですが、最近は開き直って「いつまでも新鮮さ、初々しい気持ちを失わない」という勝手な解釈をすることにしています。
テレビ東京では去年10月から約10年ぶりに月曜の22時に連ドラ枠を復活させました。ここ10年の我々の夢が実現したものです。
現在4月クールの作品「鈴木先生」の制作を急ピッチで進めています。やはり同じドラマでもGH、PTでは多くの違いがあります。
「製作委員会」という新たな取り組みに挑戦していることもあり、20歳代、30歳代のプロデューサーたちと試行錯誤の日々です。
まだまだ、若い枠ですが、近いうちに「月10」ブランドを確立して、テレビ東京らしい素敵なドラマを視聴者に届けたいとワクワクしています。その意味では今こそが「私の新人時代」の幕開けだと感じながら、頑張っています。
当協会主催の親睦ゴルフ、記念すべき50回目です。
皆さんのご参加をお待ちしています。
※初めて参加される方は事務局までご連絡下さい。
一般社団法人日本映画テレビプロデューサー協会 親睦委員会 TEL(03)5338−1235