10月24日㈪25日㈫と2日間に亘って、「国際ドラマフェスティバル in TOKYO2011」が開催された。今年は5回目。会場を昨年までの明治記念館から、TIFFCOMの開催される六本木ヒルズに移し、より海外バイヤー達の参加を促そうという、フェスティバルの目的とする市場性、商業性を重視するとともに、震災後の景気低迷を受け、コンパクトな開催となった。
さて、注目の受賞作品は、会員の皆さんの投票によって選ばれた候補作品、各賞受賞候補者の中から、別表のように決った。授賞式には、昨年のイ・ビョンフォンのようなビッグゲストはなかったが、作品賞を受賞したプロデューサー達や、個人賞受賞者達が晴れやかに登場、なかでも、史上最年少の受賞者、芦田愛菜ちゃんの笑顔に、会場が和むひと時もあった。
審査委員長の岸惠子氏は、講評の中で、震災後の日本を、衰えつつある日本と表現し、このような日本で、今回のように高いレベルの作品が、揃って生み出されたことに勇気付けられると同時に誇りに感じると発言した。制作者の我々は、これを素直に受け止めたいが、若干の虞も感じる。昨年から今年にかけて「仁」と「フリーター」の2作品が抜きん出て評価され、ギャラクシー賞、エランドール賞、ATP賞そして国際ドラマフェスティバル等を受賞した。プロデューサーでは石丸彰彦、橋本芙美、次屋尚の3人トリオ。ディレクターでは、黒崎進、石橋冠が2年連続で、受賞常連となっている。各受賞者の努力と成果に、素直におめでとうと言いつつも、ひと握りの人間がヒットの秘訣を握っている今の状況が気になる。固定化は停滞につながる。みんな頑張れ。我々プロデューサーには、多様性に目を向ける、更なる努力が求められている。
2日目のシンポジウム。昨年に引き続き、ヨーロッパのバイヤー達による、日本ドラマコンテンツの国際流通性の診断。語られたのはヨーロッパのコンテンツ事情が殆んど。昨年は、示唆に富む発言があっただけに残念であった。
国際ドラマフェスティバルは5年を経過し、所期の目的を果たしつつあるのか、来年以降、このフェスティバルをどういう方向に持っていくのか、真剣な検討が、これから始まる。
最後に、国際ドラマフェスティバルの企画、運営に携わった杉田会長、重村副会長、そして実行委員の協会員の皆さん、本当にお疲れ様でした。
(10月25日記、 事務局長 渡辺紘史)
『東京ドラマアウォード2011』表彰作品賞(連続ドラマ部門)
作品賞(単発ドラマ部門)
アジア賞
ローカル・ドラマ賞
個人賞
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昨秋、有川浩先生の、現代社会の抱える問題に鋭く切り込んだ話題の原作「フリーター、家を買う。」を、『家族の絆』や『人生の再スタート』をテーマに、橋部敦子さんの素晴らしい脚本によって連続ドラマ化をさせていただきました。社会からドロップアウトした若者が、母親のうつ病発症をきっかけに一念発起し、家族と向き合い、自分と向き合い、「働く」ということの意味を知っていくという、ともすれば地味と思われがちな題材ではありましたが、日常の細やかな出来事や感情を捉えた橋部さんの心に染み入るセリフやト書きを、主演の二宮和也さん、ヒロインの香里奈さん、母親役の浅野温子さん、父親役の竹中直人さんをはじめとする実力派の豪華キャスト陣が思いを込めて体現してくださり、その現場を河野監督がその手腕で、時に鋭く、そしてあたたかくまとめ上げてくださいました。こうして出来上がった作品が、21世紀版の新しい「社会派ホームドラマ」として多くの方々に受け入れられ、反響をいただき、さらにATP賞2011グランプリや東京ドラマアウォード2011グランプリという素晴らしい賞をいただけたことに、関係者一同、本当に喜んでおります。
また、9月下旬に札幌で行われた日韓中テレビ制作者フォーラムで上映させていただいた際、日本の放送業界の大先輩の皆様や、韓国や中国のテレビ業界の方々からもあたたかいお言葉をいただき、とてもありがたく嬉しく思っております。
撮影は、昨年の夏から冬にかけて行われました。スタッフとキャストが一丸となった、素晴らしいチームワークだからこその現場で、数々の名場面が生まれました。
フジテレビ編成の瀧山さん、水野さんに深く感謝をすると共に、この作品に携わった全ての方々に感謝しております。ありがとうございました。
「日系アメリカ人の歴史を、一つの家族を通して描きたい」
5年前、橋田壽賀子先生がそう仰ったのが、このドラマの始まりだった。
しかし、その当時、「日系アメリカ人の歴史」について、恥ずかしながらほとんど知識がなかった我々は、先生に正直にそう申し上げた所、先生は大きく頷きながらこう仰った。
「私も知人に聞くまで知らなかった。きっとほとんどの日本人がそうだと思うの。だからこそ、ドラマを通して一人でも多くの人に知って欲しい」
先生のこのひと言に、我々は大きく突き動かされた。「ニュースでも、ドキュメントでもなく、ドラマという手法だからこそ多くの方々に興味を持ってもらえ、伝えられることがあるのではないか?」常々そう考えてきた思いが、確信に変わった瞬間である。
舞台がアメリカで、しかも99年という時代の変遷を描く、というのは、作り手にとって大いなる挑戦であったが、全てのキャスト・スタッフの熱き思い、そして本当にたくさんの方々のご協力のお陰で、このような栄えある賞を頂けたと心から感謝しています。
「逆境をたくましく乗り越える家族を通じて、日本人の誇りと勇気を問いかける」ドラマだからこそ、震災後、様々な困難に直面している今、改めて多くの方にご覧頂けたら幸いです。
新春ワイド時代劇 「忠臣蔵〜その義その愛」
「君、次は忠臣蔵だから」、このドラマの担当を任じられて早7ヶ月。手探り状態でここまで進んで来ました。赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったのは元禄の終り、私がこの世に生を受けたのは昭和の終り、この間三百余年という時間は、私の眼前に大きな溝となって横たわっていました。私にとって最も理解しがたいこと、それは「忠義って一体何だ?」ということでした。
今回の7時間ドラマ『忠臣蔵〜その義その愛』(テレビ東京系)では、お馴染の忠臣蔵譚を、堀部安兵衛を主人公として描きます。演ずるは今をときめく俳優・内野聖陽さん。舞台は江戸が中心となります。江戸の浪士の士気を高め、あの大石内蔵助に討入りを決意させたのは堀部安兵衛、その原動力は〈浅野内匠頭への忠義〉だったと歴史本を読み学びました。
そこで私の中に生まれたのが前述の疑問でした。
「忠義って一体何だ?」いくら資料と睨めっこしても、一向にその正体が知れません。誰かの無念を晴らすために、自らの命を捨てる。今の時代に生まれ育った、いわゆる〈今時の子〉の私には、ついぞ忠義の意味も本質も分かりませんでした。
そんな中臨んだ初めての脚本打ち合せ、そこで、演出に当たる松原信吾監督から衝撃の一言が飛び出しました。
「俺には忠義なんてものは全く理解出来んのですよ」
これには驚きました。大監督でも理解出来ないものが私に理解出来るはずがありません。だったらこの題材をどう理解したら良いのかと途方に暮れていると、松原監督からさらに衝撃的な一言が飛び出しました。「このドラマでは忠義という言葉を使うのをやめませんか」
これはすごい提案でした。今まで忠義という言葉で語りつくされた忠臣蔵という題材を、忠義を抜きにして描こうと言うのです。そして、監督が持ち出したのは〈忠義〉ではなく〈信義〉という言葉でした。
〈堀部安兵衛は、浅野内匠頭に忠誠を誓ったから命を賭して吉良邸に討ち入ったのではなく、内匠頭を信頼し愛していたからこそ、彼の仇を討とうと思ったのだ〉
そう理解すると、不思議なほどこの物語が胸の中にしっくり落ちてきました。同時に、内野さん演じる安兵衛が本当に活き活きとイメージ出来たのです。妻を愛し、友を愛し、そして主君を愛した安兵衛。彼の生き様を見て誰もが共感し、笑い、泣き、感動し、勇気をもらえるはずだと確信するようになりました。
他の出演者として、安兵衛の妻に常盤貴子さん、大石内蔵助に舘ひろしさん、内匠頭に市川染五郎さん、吉良に柄本明さんなど多くの豪華キャストを配した新しい忠臣蔵です。撮影は京都の撮影所で進行中ですが、間違いなく良い作品になります。来年1月2日の放送を是非ご覧ください。
「君の好きなようにやりなさい。何かあったら責任はすべて私がとりますから」。1979年近代映画協会での初仕事。短編映画とはいえ、監督神山征二郎、撮影南文憲らのベテランスタッフに囲まれ、現場の製作部はたった一人。どうしよう、と緊張している私に、初日の現場にやってきた高島社長の一言だった。この一言でスッと気持ちが楽になり、逆に現場のことは自分が支えるんだ、自分が責任を持つんだというプロ意識が芽生えた。以来私の支えになった言葉である。朝、誰よりも早く現場に出て、お茶を沸かし、掃除をし、夜はスタッフがバレた後、現像所に撮影済みのフィルムを届けて帰るというキツイ仕事に、誇りを持って向かえたのはこの一言があったからだ。
ある日、機材のことで撮影助手と打ち合わせをしていた。まだ撮影の専門的なことが理解できなかった私の「分かりません」に対して、「君、平気な顔して言うんじゃないよ。分からないことは恥ずかしいことなんだ」と言われた。それをきっかけに、機材のことからフィルム、現像のことまで、悔しくて猛勉強した。
また、博多の志賀島にロケに行ったときのこと。最終日に私と撮影部が残って実景を撮って帰ってくる予定だった。カメラマンと、近くに「漢委奴国王の金印」を所蔵している博物館があるので、早く終わったら見て帰りたいと話していた。ところが実景撮りが手間取り、時間が危なくなってきたので諦めた。帰ってからプロデューサーにその話をしたら「どうして無理をしてでも見てこなかったんだ。映像を創る人間が自分の栄養となることに遠慮することはない」と言われた。
あれから30年、現在は近代映画協会から独立し若い仲間を率いる立場となったが、今も私の作品創りには、あのころ現場で教えられた多くの言葉が活きている。改めて諸先輩方に感謝の念を抱くと同時に、これからは自分が若い社員たちに「ものを創る」プロ意識を伝えていく必要があると強く感じている。
詳細は12月号でお知らせ致します。 会員の皆様の多数のご参加をお待ち申し上げます。