2009年12月17日(木)協会事務局で、エランドール賞選考委員会が開かれました。今年も、例年通り協会員からのアンケート投票が実施され、その票数をベースに、新人賞、作品賞、プロデューサー賞、プロデューサー奨励賞、特別賞の候補を選考しました。各委員による熱心な討議の結果、候補者が絞られ、年の改まった、1月14日(木)の最終選考の委員会で、受賞者が確定し、1月20日(水)の理事会において、次のように承認され、決定しました。
新人賞は協会員の投票によって選出され、決定しました。スター性、演技力、いずれをとっても、次代のテレビ・映画を背負って立つ、輝ける新人たちです。
以上、6名の方が選ばれました。
「沈まぬ太陽」
「天地人」
特別賞にはお二人と二つのチームへの受賞が決定しました。
おひとりは、残念ながら昨年末にお亡くなりになった、映画、舞台、テレビドラマのみならず歌謡界にまで、偉大なる足跡を残した戦後芸能界の大御所、森繁久彌さん。そして、永年名カメラマンとして活躍する一方、初監督の2009年の映画「劒岳 点の記」では、過酷な状況の中で、尋常ならざる体力気力でスタッフたちをまとめ上げ、大ヒット作品を作り上げた、木村大作さんの受賞が決まりました。さらに、昨年の「点と線」に引き続き、骨太の大作「刑事一代 平塚八兵衛の昭和事件史」を制作した石橋冠監督らスタッフ一同への授賞と、ハマちゃん、スーさんの変わらぬコンビで、1988年の第1作以来、ほぼ毎年1本の製作を続け、昨年22作をもって終了した、国民的ヒットシリーズ「釣りバカ日誌」の出演者及び製作チームの受賞が決定しました。
改めて、エランドール賞選考にご協力いただいた協会員の皆さん、ありがとうございました。
最後に、「新人賞」を受賞した皆様の今後ますますのご活躍をお祈りするとともに、「作品賞」にご協力いただいた「東京ニュース通信社」様と、毎年花束を提供していただいている「日本ばら切り花協会」様、副賞の腕時計を提供いただいている「平和堂貿易株式会社」様に、心より感謝申し上げます。
※選考対象期間(2008年12月1日~2009年11月30日) (敬称略) エランドール賞委員会
1989・8・15生
東京都出身
(スターダストプロモーション)
*映 画
「魔法遣いに大切なこと」「ハルフウェイ」「ホノカアボーイ」「重力ピエロ」「僕の初恋をキミに捧ぐ」
*テレビ
「オトメン(乙男)~夏~」「オトメン(乙男)~秋~」
1988・2・12生
鹿児島県出身
(研音)
*映 画
「余命1ヶ月の花嫁」
*テレビ
「メイちゃんの執事」
1983・5・9生
東京都出身
(オフィス作)
*映 画
「誰も守ってくれない」「ハゲタカ」「劔岳 点の記」「蟹工船」
*テレビ
「誰も守れない」「天地人」
1993・5・10生
神奈川県出身
(研音)
*映 画
「誰も守ってくれない」
*テレビ
「さくら道」「黒部の太陽」「小公女セイラ」
1984・4・13生
東京都出身
(研音)
映 画
「ドロップ」
テレビ
「メイちゃんの執事」「MR. BRAIN」「東京DOGS」
1989・1・25生
東京都出身
(ヒラタオフィス)
*映 画
「フィッシュストーリー」
*テレビ
「つばさ」「不毛地帯」
映画(TV Taro賞)「沈まぬ太陽」 |
テレビドラマ(TV ガイド賞)「天地人」 |
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「沈まぬ太陽」
「ROOKIES-卒業-」
「天地人」
「アイシテル~海容~」
「BOSS」
2010年、世界的な大不況の中で、坂本龍馬という、みんなが待っていた「希望」のヒーローが、高らかに産声を上げました。土佐に生まれたこの名もなき若者は、脱藩してから五年間で、約4万キロ・地球一周分もの果てしない旅を続け、幕末の奇跡の物語を力強く牽引していきます。
2010年の大河ドラマをプロデュースすることに決まったのは、三年前の夏の頃でした。当時年金記録問題が騒がれていました。国家のシステムさえも信じられない、どう生きていいか分からない時代。まさか2010年に政権が変わっているとは予測できませんでしたが、生き方の指針になるようなヒーロー、福山雅治さんの歌のタイトルで言えば、人生の「道標」になるようなヒーローを描きたかった。信長と並んで日本人の大好きな歴史上の人物、坂本龍馬に着目するのには時間はかかりませんでした。
龍馬と言えば、大部分の人のイメージは司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」、そしてそれをベースに繰り返し作られてきたドラマや映画の中の、分かりやすい「竜馬」です。しかし、その竜馬像から離れなければ駄目だ、という直感がありました。高度成長期、右肩上がりの時代とは、今の気分は全く違います。豪放磊落、天真爛漫、大声で突き進む「竜馬」は、世界的な不況と閉塞感に向き合っている今の視聴者にはそのままでは届かない、と思いました。作家の福田靖さんとミーティングを重ね、主役の福山さんと幾度となく龍馬像について語り合う中で、次第にフォーカスが絞れてきました。
「龍馬伝」の目指す龍馬は「柔らか」なヒーローです。龍馬以外の、ほとんどの若者が黒船騒動を目の当たりにして、「攘夷だ」と血をたぎらせていた時代、龍馬だけは「ホントにそうかな?」と柔軟に発想できた。先頭に立ってグイグイ皆を引っ張っていく「剛」のリーダーシップではなく、出会った人のエネルギーをスポンジのように吸収し、皆を柔らかくまとめ上げて、大事を成し遂げていく巻き込み型の「柔」のリーダー。龍馬のこの柔らかな強さこそ、現代の若者たちにも受け入れられるリーダー像ではないか、と考えました。
ドラマ第1回の副題は「上士と下士」。これは当時の土佐に厳然とあった武士の間の身分制度です。下士だった龍馬や岩崎弥太郎たちは、着る物や履物まで制限され、道で上士に会ったら跪く、という差別に苦しめられていた。当時の若者から見れば、これは「変えられない現実」だった。しかしそれは変わった。龍馬たちの強い志によって明治維新という形で奇跡は起きた。信長や秀吉のような天才ではない、ごく普通の青年でも、どうしようもない現実を変えることが出来る、という「希望」。これこそが「龍馬伝」が2010年を生きる全ての人に伝えたいメッセージです。
これからラストまで、波乱万丈のストーリーに手に汗握りながら、「龍馬伝」を暖かく見守って下されば幸いです。
昭和59年、幸運にもテレビ局の制作職に合格した私はバラエティーでもドラマでも何でもこい、と意気込む熱血青年であった。しかし配属されたのは早朝の情報番組。毎朝4時半に会社のハイヤーが迎えに来た。
そんな時迎えのハイヤーの中で初めて見たのが自動車電話だった。「こんなもんができたのか」と驚いた。
入社三年目だったか、噴火した大島の取材に向かった。その時渡されたのはショルダーバッグのような大きいバッテリーのついた携帯電話だった。「こりゃ便利だ!」と驚いた。
そして入社四年目、再開する局制作のドラマにADがいないということで私が選ばれてしまった。「ラッキー!」である。それまで偉そうにサブでキューを出していた生意気小僧はいきなりフロアに這いつくばるただの小僧になった。
初めての軽井沢ロケで撮影中に大雨になったが我々ADにはロケバスの空きもなく、立って雨降る森の中で弁当を食べた。しかし「おー、これがドラマの現場かぁ!」と妙に興奮したのを覚えている。その頃はドラマ現場には携帯電話もどきはなかった気がする。そして自分もチーフADになり、片手で持てるが巨大なサイズの携帯電話を借り受けて使用した。だがいたるところで圏外表示が出てしまい、その都度公衆電話に走った。
私の新人時代は携帯の発達と共にあった気がする。しかし最近ふと思うのである。
携帯やメールがなかった時代、会社には現在の数倍電話がかかってきた。電話を取り次ぐ事で諸先輩たちと会話が生まれ、いろいろな教えを請うたり、ほかの現場の状況や問題点を学んでいったような気がする。
思えば私は後輩たちが今どんな問題に直面しているのかよく知らないし、一緒に仕事をしない限りほとんど口をきかない人たちもいる。携帯あったら会社来なくていいしねぇ。
些細なことかもしれないが、それってホントは大きな問題なんじゃないの? と痛感する私はフツーの中年のオッサンになりました。
(社)日本映画テレビプロデューサー協会 親睦委員会 TEL(03)5338―1235
定款第24条に則り、左記次第にて臨時総会を開催致します。
お手元の会員証の有効期限は2010年3月31日となっております。 更新のためタテ3センチ×ヨコ2・5センチの写真(カラー、モノクロいずれも可)1枚を事務局までお送り下さい。