東京ロケーションボックスを運営している東京都産業労働局観光部の大場です。東京ロケーションボックスは、平成13年に立ち上げましたが、主として映像事業の支援といった文化振興策の一環として運営してまいりました。平成20年4月から、東京ロケーションボックスの事業を、映像による発信力を活用した東京の観光振興施策、ロケ撮影の支援を通じた地域振興施策として新たに位置づけ、新しい展開を図っていきたいと考えています。
東京が有する都市の街並み、下町の路地、豊かな自然が残る丘陵地など、様々な風景が映画やテレビドラマ等の舞台として映像になることは、国内外の方に東京の魅力を伝え、東京に訪れていただくきっかけになるものです。しかし、都内各地で日常的にロケ撮影が行なわれており、ドラマで東京の風景が常に流れているため、東京に住む人にとってはあまり珍しいものではなく、見慣れた風景程度にしか思われていないのかもしれません。地域の映像がひとつの観光資源になるというのに、多様な顔を持つ地域を擁しながら、ロケ撮影に関心が薄いというのはなんとももったいないと感じます。東京ロケーションボックスでは、ロケ撮影の支援を通して地域がまとまり地域の活性化につながるような取組み、また、映像作品を通じ国内外の多くの方に東京を訪ねていただけるような取組みを行なうとともに、制作の方々にとってよりロケ撮影がしやすくなるような環境づくりをしていきたいと考えております。
制作側からすれば撮影が目的なので、観光振興や地域振興という側面はあまり意識されていないと思われますし、ロケ地の観光のために撮影をしているわけではないとお叱りを受けてしまうかもしれません。しかしながら、地域の方々がロケ撮影に理解を示し協力的であれば、何よりも撮影がスムーズに行なえますので、制作側の方々が地域にとってのメリットや地域がロケ撮影を受入れることの意義についてあらためて気に留めていただけたらと考えます。この点に関しては、他県のほうが、地元はロケ撮影に非常に協力的ですし、映画等の上映に合せて地元のPRも行なうなど、ロケ地の地元、制作側双方にメリットがあるように連携を図っているようです。残念ながら東京は、一部の地域を除いて制作側との連携ができているとはいえず、他県に遅れをとっているのが現状です。まずは、都内の各自治体やFC、制作側とのネットワークを強化するとともに、他県とはまた事情が異なる東京という地域に即したロケ撮影への支援のあり方を模索したいと考えています。
ところで、東京都もまず自ら環境整備を行なわなくてはいけないと考え、本年5月1日から、東京都の施設でのロケ撮影の申し込み手続きを簡素化することにいたしました。これまで、各施設の規定によりロケ撮影の許可手続きが簡便で、使用料もあらかじめ設定されており、頻繁にロケ撮影に利用されている、都立公園や交通局の施設など、既にロケ撮影の受入が出来ている施設以外では、使用許可までに1~2ヶ月ほどかかるため事実上利用ができない状況でした。このたび、これまで利用できなかった施設につきましては、東京ロケーションボックスが施設側と調整を行ない、施設側の業務上の都合が合えば、ロケ撮影を行なえるように改善いたしました。
ご相談後、施設側での受入が可能であれば、標準として、撮影の2週間前に申請書を提出していただければ撮影ができます。施設によって使用許可の条件が異なりますので、撮影に使いたいという施設がありましたら、まずは東京ロケーションボックスにお問合せください。
これからも、よりよい撮影環境の整備と制作側のみなさんと地域との連携のため努力してまいりたいと考えております。どうぞよろしくお願いいたします。
先日、現在勤務している会社の新卒採用の面接官をやらされたのですが、「最近観たTV番組でつまらなかったのは?」という問いに対して、数多く返ってきたのが「TBSで始まったお昼の番組」という答えでした。ちょうど改編直後の時期だったこともあり、どこがつまらないのかについても、「あー、学生さんもみんなそう思うよねー」と、相槌を打ちたくなる指摘が多かったです。ま、番組の制作サイドは学生をターゲットとは考えてないでしょうけど。
そんな意見も聞こえてくる、春改編の日本テレビとTBSの平日昼帯の新番組対決ですが、個人的にも注目していたのには理由があります。実は私、ここ2年ほど『ラジかるッ』がちょっと好きで、結構観てたのです。説明不要と思いますが、3月まで放送されていた日本テレビの朝の情報番組です。
どこが好きだったのかというと、あの「投げやり」感というか。
HGとかザ・たっちとか、各コーナーに登場するタレントの人選がまず「投げやり」ですが、なにより「投げやり」感が絶妙だったのは、音楽の使い方でした。ニュース映像を解説する際、それぞれ内容にふさわしいBGMが流れるのですが、ある日、北海道のどこかの街でシカが暴れた、というニュースで流れたのが、
「♪もしかして もしかして 私の他にも誰か……」
「もしかしてPART・」。この選曲に「あー、投げやりだなー」と深く感心した私は、この番組がちょっと好きになりました。またある日、防衛省のスキャンダルで告発された事務次官の夫人が・おねだり妻・だった、というニュースで流れたのが、「クレクレタコラ」の主題歌。ここにも心地良い「投げやり」感がありました。既存の音源の使い方だけではなく、番組オリジナルのBGMも、歌詞など秀逸なばかりに「投げやり」で、あのオープニングの「♪らららら~じかる……」に代表される女性コーラスですが、特に植松さんが一般人のファッションをチェックするコーナー、あそこで判定後に流れる「♪おブスブスブス……」等々、もしサントラCDがリリースされていたら結構売れたのではないでしょうか。私も店頭で手に取るくらいはしたと思います。買いはしないけど。
ああも「投げやり」だとかえってツキが廻ってくるようで、藤原陣内離婚がスポーツ紙一面に報じられた当日、たまたま誰かの代役で来ていた陣内本人のその際のコメントが各メディアで取り上げられて絶好の宣伝になったのは記憶に新しいところですし、ゲストで登場した沢尻エリカが番組内でキレる寸前になっていたことが例の・別に……・事件に関連してネットで話題になったこともありましたっけ。
現在は、あの「投げやり」感が失われないことを秘かに期待しながら、『ラジかるッ』の後番組をつらつら眺めています。しかしこの『おもいッきりDON!』、メインMCがそのままで枠拡大、しかも20年続いたみのもんたの番組の後釜に座ったんですから、これは明らかに・昇格・に属する改編で、深夜番組がゴールデンに進出するのと同様、ステイタスが上がっちゃったわけですよね。ステイタスが上がったのに「投げやり」で居続けるというのは、難しいかもしれませんけど。
ドラマの時もそうだったのですが、『ハゲタカ』という作品には予期せぬことがつきまといます。まさか映画化されるとは思ってもみないことでした。ご存知のように宣伝という意味では、NHKは全く映画に貢献出来ない放送局です。さらに、『ハゲタカ』は劇場と縁遠い男性サラリーマンをターゲットとしたレアーな「経済モノ」であります。映画ど素人の私でも興行的な不安がよぎります。今回、東宝さんにお話を頂いた時にも真っ先に尋ねました。
「どういうターゲットでどのようなタッチに創り変えればいいですか?」
「ドラマのままの肌触りでいきましょう。大人が楽しめる作品にしましょう」
予期せぬ言葉でした。もともと新しい挑戦がしたくて出来上がったドラマだったので、さらに大きな器で挑戦してみたい! と盛り上がってしまいました。ちょうど原作者である真山仁さんが、中国のファンドが日本の自動車会社を買収する、という続編の構想をお持ちでした。夏には北京オリンピックも控えており「映画公開時には中国がきている!」などと無邪気に確信してしまいました。大きな落とし穴が待ち受けていました。オリンピックのおよそ一ヶ月後に、世界金融恐慌が起こってしまったのです。経済のスピードの速さには恐ろしいものがあります。
世界をパニックに陥れた恐慌は、クランクインが迫る中、私たちのプロダクションにもパニックを引き起こしました。さらにメイン設定である自動車業界に、派遣、雇用問題が吹き荒れました。『ハゲタカ』が時代の空気にこだわる以上、考えていたシナリオに急遽、こうしたモチーフを入れ込んでいく決断をせざるを得ませんでした。時代と追いかけっこしていくTV的な発想なのですが、やはり、長い時間をかけて準備する映画という世界ではとても難しいことです。撮影場所探し、モノの準備含め、ドタバタになっていきます。あらゆる意味でのクオリティーのせめぎあいが起こってきます。こうして生じた、大袈裟に言えばTV的な発想と映画的な発想が対立する緊張感が、結果的には大きくプラスに働いたと思っています。土壇場まで現場が「今」と向き合っていくことで、現場自体に、『ハゲタカ』の持ち味である「ドキュメンタリー的」な緊迫感が生まれていきました。
そんな空気の中、大森南朋さん、柴田恭兵さんを始めとした全レギュラー陣、また、玉山鉄二さんほか新しく加わったキャスト陣も、『ハゲタカ』特有の「ドキュメンタリー的」な感覚のお芝居を全開させてくれました。毎日、撮影現場に新聞が置かれているという、文字通り・旬・な現場となりました。現在、6月6日の公開に向けダビング段階を迎え、撮影終了から公開までが2ヶ月ないという短期間での勝負に突入しています。果たして色褪せぬうちにお届けすることが出来るのか? まだまだ、予期せぬことが起こりそうで怖いのですが……。そんな瞬発力の映画『ハゲタカ』、是非ご覧下さい。
「映画が作りたいんだったら、映画会社に行け!」日テレの入社面接で言われた言葉です。テレビ局、特に日テレではまだ本格的な映画製作をしていない時代だったので、そう言われるのも当然でしょう。でも青臭い大学生だった私は懲りずにテレビ局での映画製作を語り続けてしまいました。
にもかかわらず、運良く日テレに入社出来たので、これはすぐに映画事業部に行けるんだ! と喜んだのもつかの間、即営業配属でした。つまり私の新人時代というのは営業マンとして過ごした日々です。しかし、そこに今の映画製作につながる縁がありました。
99年初頭、スポット営業部だった私は、映画事業部への異動希望を続けていたので、映画に関係する仕事は自ら手を挙げて全力で取り組んでいて、「ガメラ3 邪神覚醒」のスポット作案も最優先事項で作業していました。その働きを、当時大映のプロデューサーだった佐藤直樹氏が評価してくれて、日テレの映画事業部の先輩を介して夕食に誘ってもらえました。憧れの映画製作者との出会いで舞い上がっていたので、映画のプロからすれば幼いことばかり語ってしまいましたが、佐藤氏は「そのまま夢を捨てずに、いつか一緒に映画を作ろう」と握手してくれました。それから6年後の05年秋、本当に一緒に映画を作ることが実現しました。それが「デスノート」です。
私がプロデューサーとして「デスノート」を動かすことになった当時、かなりタイトなスケジュールのため制作プロダクションが見つからず苦戦していました。その時なんと、佐藤氏が日活社長に就任されて、「デスノート」のプロダクションを引き受けてくれたのです。無理を押してくれた部分もあったはずなので、感謝の気持ちでいっぱいでした。初の大作で不安な自分にはとても心強く、監督もガメラの金子監督にお願い出来たというのも縁を感じざるを得ません。
「デスノート」はその後も運と縁に恵まれて成功することが出来ました。
新人時代からつながる縁だけに、私にとっての映画作りは、いまだに運と縁が基本となっています。
第33回通常総会を下記により開催致します。正会員の方は是非ご出席下さい。総会終了度、恒例により「懇親パーティー」(午後6時開催予定)を開きます。賛助会員の方々も、お誘い合わせの上、是非ご参加下さい。
当協会平成20年度臨時総会は平成21年3月25日(水)18時30分から東映本社8階会議室において開催されました。
はじめに、事務局より正会員496名のうち委任状による222名を含め263名が出席して本臨時総会は議決に必要な定足数に達しており臨時総会は成立した旨を報告しました。続いて定款による臨時総会の議長の互選が行われ、杉田成道会長が議長席につき、次いで議事録署名人を議長ほか出席者から香月純一理事、中嶋等理事とする事を諮り、全員異議なく承認し議事に入りました。
第1号議案(イ)平成21年度事業計画(案)について、西村与志木副会長より説明があり、会員各位の親睦と若い人達の育成をテーマとしてより活性化したいとの報告がありました。
続いて第1号議案(ロ)平成21年度収支予算(案)について、西村与志木副会長より平成20年度決算見込と平成21年度収支予算案について説明があり、2月までの収支はほぼ予想通りで3月収支も当初の予想に近い金額になると推測されるとの報告がありました。議長は第1号議案(イ)(ロ)について諮り、審議の結果全員一致で承認可決されました。以上で、全案件の議事を終了し、19時に臨時総会は閉会致しました。続いて同会場でささやかな懇親会に移り、なごやかな歓談の中で19時50分に散会致しました。以上定款により平成20年度臨時総会の議事及び議決事項についてご報告致します。(事務局)
4月4日(土)皆様のご要望により初の土曜日の開催です。場所は越生ゴルフクラブで、二十二名の参加で晴天のもと、腕を競い、親睦を深めました。 (親睦委員会)
順 位 | 氏 名 | O | I | T | H | N |
---|---|---|---|---|---|---|
優 勝 | 黒井 和男 |
40 |
38 |
78 |
6.0 |
72.0 |
準優勝 | 新藤 次郎 |
43 |
44 |
87 |
14.4 |
72.6 |
3 位 | 渡辺 紘史 |
43 |
41 |
84 |
10.8 |
73.2 |