16:30 授賞式 開演
18:30
11:00 海外招待作品上映会
17:00 シンポジウム
10:00~18:00
詳細はHP(http://nab.or.jp/drafes/)をご覧下さい
いよいよ今月19日、開催目前に迫った「国際ドラマフェスティバル in TOKYO 2009」。07年のキックオフから3度目を迎える、その概要を皆様に御案内します。
注目はやはり19日(月)に明治記念館で行われる授賞式。昨年スタートの「東京ドラマアウォード」、今年は「世界に見せたいドラマがある。」という明確なコンセプトの下(これは今年のフェスのキャッチフレーズでもあります。)、数あるドラマの中から、グランプリや各部門賞作品を選定します。国際ドラマフェスティバルのHP(http://nab.or.jp/drafes/)に候補作品が挙がっていますので、是非アクセスして御覧になって下さい。ROOKIES(TBS)、MR.BRAIN(TBS)、流星の絆(TBS)、 アイシテル~海容~(NTV)、 相棒7【ローマ数字】(EX)、 風のガーデン(CX)、 ありふれた奇跡(CX)、コード・ブルー ドクターヘリ緊急救命(CX)、 空飛ぶタイヤ(WOWOW)、天地人(NHK)、この10作品の中からグランプリとそれに続く部門賞が選ばれるのか? いや、思わぬところから思わぬ作品が浮上してくるやも? 何故なら今年はHP上で一般の方々の投票も行っているからです。果たしてそれがどのように反映されるのか? また個人賞の行方もどうなることか? そして今年からの新たな試みとして、ローカル局制作の作品に対する賞も新設、海外発信コンテンツの幅を更に広げます。
因みにHPにアクセスされた方はリンクが貼られているのでお気付きかと思いますが、日大の上滝・中町両教授のご協力を得たオフィシャルブログ(http://ameblo.jp/drafes/)も開設されています。一次審査で多大なる協力を頂いた協会員の皆様も、それらWEB情報を御覧頂きながら、注目の結果発表─19日─をお待ち下さい。
2日目の20日(火)は海外招待作品上映会とシンポジウム。今年は中国、インド、韓国、マレーシアの4カ国から、様々な賞を受賞している優秀な作品を上映します。続くシンポジウムは大ヒット作「ROOKIES」と「アイシテル~海容~」、それぞれのドラマの出演者・制作者を招いたイベントを予定しております。
またこれらイベントと並行して、20日~22日に開催される「TIFFCOM2009」の会場に、例年通りブースを出展、東京アウォード授賞作品の紹介や、海外招待作品の出演者や制作者を招いたイベントを開催する予定です。
昨年の授賞式後のパーティーの中でサプライズ的に交わされた、上海国際映画祭のタン・リーチュン事務局長、ソウル・ドラマフェスティバルのチェ・ジニョン事務局長、広瀬実行委員長の3人の固い握手。そこから始まった一連の新たな展開は、この4日間でどのように結実するか? また更なる発展につながるのか? それは皆様の参加、御協力次第でもありますので、どうぞ宜しくお願いします。 小寺 尚(フジテレビ)
プロデューサー協会では今までエランドール賞委員を主に担当してきました。目玉である新人賞は毎年男優女優あわせて六名程度選出されますが、今あらためて見ても、すべて現在大活躍されている方々であることが素晴らしい。制作現場のプロデューサー達が選ぶ賞ならではの証明だと思います。月に一回開かれる選考委員会では、業界の大先輩方にかわいがって頂いたことが大きな財産になりました。小林俊一さんの携帯着信音がやっぱり「男はつらいよ」だった時には感動しましたし、中山和記さんが取材会見で芸能レポーター達を華麗にさばくやり方は新鮮でした。
エランドール賞は毎年開催しながら、裏方にとっては毎年何が起きるか判らない、力技の出たとこ勝負、しかし結果は必ず大成功というスリリングでミステリアスな舞台です。実際、いまだにどうしても覚えられない楽屋から舞台までの迷路のような出演者専用の秘密の動線で森光子さんを誘導した時の時間が止まったような眩暈、橋田壽賀子先生の登壇のキューを完璧に間違えた時の絶望など、個人的ミスは数あれども名司会の小林大輔さんがいつも何事もなかったかの如く救ってくださるのです。プロデューサー協会の伝統ある賞をこれからも守っていかねばなりません。
このたび理事の重職を拝命しました。はなはだ若輩者ではございますが協会の発展のために一生懸命に頑張って参る所存です。メディアがどうなるのか、仁義なき戦いになるのか、再編成されていくのか全く判りません。しかし垣根を越えた制作者集団という強みを前面に押し出して、プロデューサー協会はますます存在感を増していくべきです。未来に向けて、どうぞ皆さま、何卒よろしくお願い致します。
このたび理事を拝命いたしました、株式会社日テレアックスオンの神蔵と申します。
1985年に日本テレビ放送網に入社、以来制作畑一筋、ドラマ・バラエティー・情報・映画と、さまざまなジャンルの制作に携わってまいりました。
一昨年12月、日テレグループの制作会社・日テレアックスオンの制作センター長に就任し、現在に至ります。
広告費の減少、制作費の削減など、テレビ界が直面する厳しい現実のみが声高に語られる昨今ですが、テレビマンは決して「元気」を失っていないと思います。いや、むしろ、逆風の中で、知恵を絞って「次の一手」を模索し、新しい時代を切り拓こうとしている今こそが、本領発揮の場だと感じているかもしれません。
映像制作という仕事の魅力を伝え、未来を語る、そういう環境作りのお手伝いをすることが、プロデューサー協会員としての務めではないかと考えています。
理事として自分に何ができるのかまだ皆目わかりませんが、諸先輩方の残してくださった財産をしっかりと受け取り、次の世代につなげていくお役に立てればと思います。微力ながら頑張らせていただきます。ご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。
「釣りバカ日誌“20”」である。“スペシャル”と“花のお江戸”は、シリーズナンバーが付されていないので、今作で22作目。第一作目から数えると、当時に生まれた子供達が成人する年月であり、自分が歳をとるのもしごく当然のことに感じられる。今は無くなってしまった大船撮影所の食堂で、ささやかに初作の打ち上げをしていた光景が記憶の片隅に残っているが、その時のスタッフたちはこんなに長く続く作品になるとは誰も思っていなかっただろう。そして今回、私自身が正式に参加するのは第五作(丹後ロケ)、第六作(釜石ロケ)、第七作(福井ロケ)以来ということで、長らく帰らなかった実家に久しぶりに足を運ぶ不良息子のごとき心境でもあった。
しかし、そんな思いなど早々に吹っ飛び、あれよあれよと準備に追われ、グルグルと日々が回り始めていく。シリーズだろうが何だろうが、一本の作品を作り上げる労力はどんな作品でも(あたりまえだが)同じなのだとあらためて思う次第。脚本作りも紆余曲折し、決定稿が刷り上がったのはクランクイン直前となり、準備パートは多忙を極める。キャスティングは西田敏行さん、三國連太郎さん、浅田美代子さんらのレギュラー陣に加え、ゲストに松坂慶子さん、吹石一恵さん、塚本高史さんらを迎え、最終作にふさわしく華やかな雰囲気を醸し出す。過去作には無い仕掛け(?)も幾つかあり、その中の一つミュージカルシーンは、歌詞を朝原監督みずから書き下ろし、パパイヤ鈴木さんが振り付けをしてイメージを探っていった。
色々と課題を残しながらではあるが、ゴールデンウィークに都内でクランクインした撮影隊は、五月下旬に今回のロケ地、北海道の大地に降り立つ。道東の中標津、厚岸を中心としたロケーションである。・北海道に梅雨は無い・というイメージがあるが、地元の人に言わせるとどうもそうでもないらしい。そして今年は例年にまして悪いようである。ときおりのぞく太陽を狙っての撮影が続き、気温は摂氏12度前後で低温安定。空港は霧ばかりで、キャストが乗った飛行機が無事着くのか、宿までの峠道も霧で10メートル先が見えず、鹿が飛び出てきませんように、ってな具合である。
「釣りバカ日誌」の見所の一つ、“釣り”のシーンは毎回苦労が絶えないが、今回はカヌーでの釣りという難題が課せられた。丹頂鶴の生息地でもありラムサール条約で保護された別寒辺牛湿原の、カヌーでしかアクセスできないポイントでの撮影である。キャスト・スタッフともに水の上の人とならなければならず、小さなカヌーとゴムボートだけでいかに対応するか。機材の運搬方法その他、助監督の大谷君が地元の方々と本当に何回もポイントに足を運び、策を練ってアクロバティックな方法を編み出してくれた。それでも連日の雨で川が増水し流れが速い中、撮影当日の環境はなかなか過酷なモノになったが。そして今回は珍しく北海道にCGチームが招聘された。さてどんな画がとびだすかは完成作品にご期待下さい。
なんとか約三週間の北海道ロケを無事消化するも、実はこの先、東京に帰ってから仕掛けモノの撮影が集中して残っている。例のミュージカルシーン、オールキャストに800人のエキストラを集めるラストシーン等、連日深夜までの撮影でこの作品の全貌がようやく見え始めたと思った頃、22年間続いて(デザインは変わり続けたが)建てられ飾られてきた・浜崎家・のSETにて最終日を迎え、「釣りバカ日誌」のオールアップ。
後日のラッシュでは、何の苦労もなく作られたような画面がすんなりとスクリーンに映し出され、楽~に観ていられる。それがいかにも「釣りバカ日誌」らしく。
今作にてファイナル。
全国松竹系にて12月26日(土)公開。
「関君。スポーツ部配属」希望とまるで違う部署を言い渡された。頭にきて次の日は休んで街をふらふらしていた。次の朝、局長にひどく怒鳴られた。私のテレビマン人生はとてもマイナスから始まった。 担当はF1だという。当時のF1は旬のスポーツ。しかし自分には興味ゼロの世界だ。肌に合わない。会社は辞めようと思っていた。しかし舐めている割には仕事の内容はどれも自分には高度で出来ない。くそっ。俺の方がこんなオジサンよりいい感性してるはずだ! とにかく悔しさと末端ADの重労働の毎日。この仕事がキリの良い所までやったら辞めてやる。荷物を台車で運びながら心に誓う。ところが、仕事は次から次へと増えていく。キリの良い所はいつまでたっても来ない。漸くキリのついた年末、さらに悔しいことに仕事が少し楽しくなっていた。 3年目を迎えた自分は企画書を書いていた。「欧州ディレクター派遣制度」という内容だ。欧州スポーツが多いフジにとって欧州に一人部員が駐在していた方が安上がりだし、取材も踏み込んでできるという利便性をもっともらしく書いた。まあ、それは表向きの理由で。実際はそろそろ新天地を求めていた。ただ国内の出張お伺いとは訳が違う。通らない事もわかっていた。しかし…。 それは94年。その夏サッカーの三浦知良がイタリアのセリエAに移籍することが決まった。「すげー。カズ行ったぜ」なんて呟きながら編集をしていたときだった。突然U部長から内線に連絡があって。「おい、お前よ~。何処がいいんだ? ローマか? パリか? ロンドンか?」突然の電話に面食らった。私はまるで新婚旅行の相談でもしているようだった。それから2週間後。私はローマに降り立っていた。映画やドラマが好きだった自分だったが、入社してからのとても濃かった新人時代が今のテレビマンの基礎を作ってくれた。 急がば回れ。身にしみる言葉だ。
誰もが始めは無名でした。ふとした・きっかけ・と運があってこそ、世間に知られることとなるのです。今年も俳優たちの・きっかけ・作りの場がやってきます。当協会ならではのイベント「アクターズセミナー」です。今年で何回目なのかと数えるのが面倒臭くなるほどの回数を重ね、「国内唯一」なんて威張った肩書きを募集チラシに載せ、詐欺商法じゃないかって怪しまれる? いえいえ、映画・テレビのプロデューサーと直接対話ができる上に水田伸生ディレクター(NTV)のワークショップが受けられ、参加費5千円、俳優たちにとってこんな嬉しい・きっかけ・のイベントは他にありません。運営側も参加者にとって意義ある場になるよう励みます。そしてみなさんに運を差し上げられるようサポートします。開催日は11月15日(日)、詳細は、チラシ、HPにてご覧ください。毎度ながら協会員のみなさん、当イベントにご参加くだって、俳優たちと直に出会い言葉を交わしてやってください。