あけましておめでとうございます。
テレビ番組の関係者の皆さんは、すでによくご存じでしょうが、昨年10月から、ビデオリサーチ社の視聴率調査方法が変わりました。従来のリアルタイム視聴に加え、録画などの視聴をカウントするタイムシフト視聴が測定され、二つの視聴から重複するサンプルを消去した総合視聴率も導入されました。(ちなみに関東地区では対象数も600世帯から900世帯になり標本誤差が少し縮まりました)
そして新調査が明らかにしてくれたのは、人気ドラマの総合視聴率は、リアルタイム視聴率の1・5倍から2倍くらいになるという事実でした。それだけ多数のタイムシフト視聴者が存在するということです。
ドラマの視聴率は落ちる一方だとか、テレビはもう飽きられたなどという話を聞くたびに、ドラマ制作者は、録画で見ている人がたくさんいるんじゃないの、などと小さい声でつぶやいていましたが、数値的に明確になったのです。ドラマは飽きられていない。総合視聴率では、人気番組は10年前とそんなに変わりません。
もうひとつテレビに関する知見があります。リオ・オリンピックの視聴動向を分析すると、40代以上の視聴者は男女を問わずオリンピック番組をよく見ているのですが、30代以下の世代は、テレビでは、オリンピック番組ではなく、いつも見ている通常番組を選択しています。ではオリンピックは何で見るかと言えば、ネットです。YouTubeなどでハイライト動画などを熱心に見るのです。
若い世代はネットファースト、これはもう誰の目にも明らかです。
映画「君の名は。」の大ヒットをNHKの番組が分析していましたが、その中で、公開前の口コミの急増を指摘していました。特に、主題歌を歌うロックバンドに関するものが多く、替え歌や動画でネットの世界では大いに盛り上がったそうです。公開前にネットで評判を呼ぶのですから、スタートダッシュがいいのは当然、ヒットし始めればあとはコンテンツの力というところでしょうか。
2018年には4K8Kの実用放送が開始されることになっています。4Kの放送が受信可能なテレビがリーゾナブルな値段で販売されると予測されています。美しい画面でドラマを楽しみたいという視聴者の数は飛躍的に伸びる可能性があります。
また次の大ヒットを目指して、ネットやイベントをフルに活用した戦略性の高い映画が企画されていることでしょう。
その先には、映画だけでなく、放送コンテンツの本格的なネット配信の時代が来ることは多くの人が指摘しているところです。
今年は、それぞれの分野で変革に身構える年になりそうです。
みなさんも、変革の地鳴りに耳をすませてください。
今年もよろしくお願いします。
僕は昭和8(1933)年1月29日大阪市西成区生まれの酉年で、まもなく84歳になる。
社会へ巣立った22歳の春より3年、宝塚映画で助監督を務めて、1958年の『暖簾』(山崎豊子原作、川島雄三監督、森繁久彌・山田五十鈴主演)を最後に、塞翁が馬に跨ったまま新興の読売テレビへ敵前逃亡した。
シネマスコープ総天然色の大活劇を監督する夢は棄てたが、転進3年目に『大阪野郎』(椎名龍治脚本、中村扇雀・扇千景主演)を演出して、映画館では考えられない連続ドラマの醍醐味に酔いしれた。夢中で20年撮り続けた挙句不本意ながら制作現場を退き、65歳までサラリーマンとして禄を食むことになる。
東京在住なので、昨秋11月某日は前者の、翌日は後者のOB会が連なるを幸いに嬉々として帰郷、今や最高齢世代に入る僕は、後輩たちの昔話に補聴器の耳を傾けた。
大ヒットした『がめつい奴』(菊田一夫作演出、中村扇雀、三益愛子、中山千夏競演)抜きに当時の業界を語れない。舞台となるスラム街・釜ヶ崎は僕が生まれた煙草屋と目と鼻の先だ。
「これや!」と名古屋の御園座へ跳び、撮影所での戦友・扇雀夫妻に出演を乞う。読売新聞の演劇担当から予め打診は届いていたので、「なんや、荻ヤンが撮るんかいな!」の快諾は、57年前の超ラッキーな想い出だ。
人間国宝・坂田藤十郎夫人の元参議院議長・扇千景さんは輝く年女で、僕は無冠の年男に過ぎないが冥途への土産話は尽きない。
「年女。何がめでたい」とでも言いたくなりますが、今年で48歳になります。40代も半ばを過ぎると、自分たちの世代が社会で妙に幅を利かせるようになり、やりやすさも感じる反面、一抹のバツの悪さも感じるようになりました。個人的には、20年ほど前に団塊の世代の皆さんが社会の中核を担った頃から「昭和30年代ブーム」が始まったように思うのですが、近年は世代交代のせいか、80年代やバブル時代も盛んにリバイバルされ始めたように感じます。それはそれで面白いものもありますし、その時々の「時代の気分」を反映しているのだとは思いますが、いち作り手としては、手前味噌なノスタルジーに陥らないよう自戒したいと思っています。ノスタルジーといえば―天邪鬼だといわれるかも知れませんが、オリンピックをもう一度、と浮かれている間に、これまで日本人が「戦後」だと思ってきたもの、「近代」だと信じてきたものが、ガタガタと音を立てて崩れているように思えてなりません。そこにテレビが大きく加担していることにも空恐ろしさを感じることが多くなりました。こういう時代だからこそ、ノスタルジーの範疇のもっと先の、「戦後」そのものや「近代」そのものを振り返りながら、「未来」につなげるような仕事ができればと思っています。
原稿の依頼を頂いて、年男、おーそんな言葉もあったな、と、なんだかびっくりしました。「未熟な若手」のつもりだったのにお前はもうそれなりの歳なんだ、と念を押された感じです。36の時に48の方は経験豊富で実力のある人ばかりにみえましたが……困ったことですね。でも36の時は、まだ「プロデューサー」でもなくここに寄稿させて頂けるような立場ではなかった。いつも何も進歩無くダメなことばっかりやってるな、と焦るばかりの毎日を送っているのですが、振り返れば色々なドラマにも映画にも関わらせてもらい多くの出会いもあった幸運な12年だったんだなと思います。12年後、どこで何をやってるのか、そもそも健康でいるのかどうかまったく想像もつきません。でも、60になった時になんだかんだいって楽しい12年だったなと思えるためにも、まずは今年たくさん仕事をします。配信各社の躍進や技術の発展の中でWOWOWのドラマも大きな過渡期を迎えています。だからこそ多くのクリエイター、キャスト、スタッフほか皆様に常に新鮮な気持ちで向き合っていきたい。まあ、会社も自分も永遠の「未熟な若手」でいるのもいいんじゃないかと今は思っています。
自分がもうすぐ36歳だとは分かっていたが、年男という認識はこの会報の寄稿のお話を頂くまで認識していなかった。どちらかというと、生まれて東京に出るまで18年、東京に出てきてから18年の節目だなという認識が勝っていた。
フリーの助監督時代にお仕事をさせて頂いたどこかの制作会社のプロダクションノートに載っていた文言を時々思い出す。「業界30年。最初の10年は下積み。次の10年で飛躍。最後の10年はしがらみ等で身動きとれず」(正確ではないです) 30年以上のキャリアの先輩方はどうなるんだろう。
最近ご一緒した、キャリア30年オーバーの先輩から学んだこと。とにかく人に興味を持つ。製作部の一番若いスタッフにも、1日だけの応援スタッフにも、ボランティアのエキストラさんにも。「どこに住んでいるの」「彼氏(彼女)いるの」といったどうでもいいことやセクハラまがいのことから始まり、仕事、趣味、家族、人生哲学まで。とにかくその人のことを「知ろう」とする姿勢。しかも自然に。スゴく基本的なことでとても重要なことだけれど、なかなか真似できない。そろそろ下積みの10年が終わります。自分が積み重ねてきた経験、知識、人脈をどうやって形にしていくか。省みながら、新たなステップを踏み出せる年にしたいと思います。
謹んで新年のお祝いを申し上げます。入社してから10年、業界に身を置いてまだ干支一回りもしておりませんが、時代劇を作り伝えていく熟練のスタッフと一緒に、昨年は京都の冬と夏を乗り越えました。京都の冬は厳しいですが、夏も大変厳しいものです。米寿を迎える井上昭監督の現場で、猛暑に見舞われ意識朦朧、大学時代の授業が思い出されました。溝口健二監督の名作「近松物語」を、ストップウォッチ片手に延々ワンカットずつ分析して、秒数、人物配置、カメラワークから演出意図を理解していく授業です。映画黄金時代の京都で「近松物語」にセカンド助監督として参加していた井上監督と一緒に仕事をする機会を得るとは、学生時代には思いもかけなかったことだなと思います。作品中、出合茶屋でヒロインが女郎になることを持ちかけられるシーンがあるのですが、MAで監督が一言「三味線の音入れて」と仰いました。シーンの印象はガラリと変わり、三味線の音で、押し黙ったままのヒロインが暗い決断をせざるを得ないことが見る者に手に取るように分かるようになります。日本人の心を描く技術と伝統。とかく、新しいもの新しいものとなりがちな業界において、伝統を継承していくこともまた、プロデューサーの誇りであります。
(いけだ じゅんや)
1992年10月生
(株式会社バール所属)
賞を頂けた事、純粋にとても嬉しく思います。各TV局、映画会社のプロデューサーの皆様、並びにディレクターの皆様の前で自分と言う役者を表現し、見て頂き、その上での評価を頂き、様々な新たな出会いがあった事に只々、感謝の気持ちです。このひとつに慢心せず、これからも一歩ずつ着実に表現の可能性を模索して行きたいと思います。そしてまた、この出会いを経て現場で一緒にお仕事が出来ますよう、祈っております。
(かもい あやね)
1991年10月生
(ギャレエンタテイメント所属)
この度アクターズセミナー賞を受賞させて頂きました、加茂井彩音と申します。アクターズセミナーには今回初めて参加させて頂きましたが、午前からのワークショップ、オーディション、そして普段あまり接することのできないような審査員の方々とお話をする機会を頂き、とても充実した時間でした。たくさんの方のお芝居を観て、そして自分のお芝居をたくさんの人に見て頂き、さらにこのように大変有り難い賞を頂けたこと、とても嬉しく幸せに感じております。このように自分のお芝居を評価して頂く機会は初めてのことでしたし、たくさんの方に見られているという緊張感はもちろんありましたが、自分らしく、そしてとても楽しくお芝居をさせて頂けたと思います。ワークショップ講師の中島さんや審査員の皆様に頂いたお言葉、そしてたくさんの役者の皆様のお芝居を観て頂いた刺激、そして感じたことを活かし、今後もっと精進していきたいです。本当に有難うございました。
(ながせ たすく)
1993年1月生
(株式会社 研音所属)
今回1人1人に与えられた2分半という時間、自由な題材で1人芝居をする。自主製作した台本でする人や洋画を自分なりに解釈して日本語で芝居する人、こうしたら人を惹きつけることができるんだと感じさせてくれる人、様々な角度から同じ2分半を使っている姿を見て、いいものは盗ませていただき、自分の引き出しが増えたように感じます。また普段中々お会いできない監督さんと作品作りについて話し合えることができ、物作りに更に興味が湧きました。
(ながた はやと)
1989年6月生
(株式会社MORADO所属)
とても濃密で有意義な時間を過ごさせて頂いた反面、その分今まで感じたことのない緊張との闘いでもありました。思いっきりふりきってやろうと心に決め、2分30秒必死で演じさせて頂きました。今回アクターズセミナー賞を頂けたことは役者を志す者として、大変嬉しく思います。ですが、まだ1歩踏み始めたばかりです。アクターズセミナー賞の名に恥じぬよう、今後も精一杯死に物狂いで役者として生きたいと思います。この度は本当にありがとうございました。
(のむら ますみ)
1990年10月生
(フラーム所属)
他の役者の方々の芝居を間近で見れて、いまの自分の持っているものを試すことが出来て、刺激的な場でした。皆が同じ空間に居ることが、こんなにも向上心の高まりに繋がるのは貴重な時間だなと思います。
(五十音順)
5年前、大河ドラマが50作目となった年に、すべての作品を振り返る特番を担当し、一応50作すべての映像に目を通しました。決して大河ドラマに詳しいとは言い難い私でしたが、改めてそのバリエーションにびっくり。歴史上の超有名人から、全くの架空の人物の生涯まで。時代も平安から戦後まで、日本を飛び出したケースさえあります。先輩たちのチャレンジ精神が、この多様性につながったと実感しました。
中でも印象に残った作品やエピソードをいくつか。第1作「花の生涯」は、歌舞伎界と映画界のスター両名に出演いただくため、当時のプロデューサーが日参。テレビドラマが「電気紙芝居」とやや蔑まれる存在だった時に、何とか人気者の力を借りて多くの人に見てもらいたいとの一心だったそうです。かと思えば、第3作「太閤記」ではほぼ無名の俳優たちをメインに抜擢して、一躍大人気になりました。従来は悪役とされていた人物を主人公に、新しい解釈でしっとり描く大人のドラマ「樅の木は残った」も素敵です。そして何よりびっくりしたのは「黄金の日々」。呂宋助左衛門という、何だかよく分からない商人が主人公で、周りにいるのも石川五右衛門(泥棒さんですよね?)とか善住坊(誰??)とか、得体が知れない人たちばかりですが、その分余計続きが気になってたまらず……。助左がルソンの壺を大名たちに売りつけるシーンは正に「お見事!」です。
そして2017年の大河ドラマを担当させていただくことになりました。目指すのは初期の大河ドラマが使命とした、極上のエンターテインメント。主人公は、戦国時代をおんな城主として生き抜いた「井伊直虎」です。「誰それ?」と思われたことでしょう。実際残っている記録はわずか。が、出家の時に「次郎法師」という男名をつけたこと、また城主となる時に「虎」を名乗ったことから見ても、相当やんちゃな奇想天外な人だったのではないかと想像がふくらみます。大国の狭間で生き延び、江戸時代に続く名門の礎を築いたのはどんな驚くべき発想だったのか。それが分かると、「答えは一つ」と思いがちな我々にも生きるヒントになるのでは。そんなことも考えながら、日々撮影を続けています。
歴史上無名な上に、出家して城主という、前代未聞の女性です。装いには工夫を凝らし、「尼小僧」とでもいうべきスタイルが誕生しました。舞台地・井伊谷は、水の豊かさと岩肌が印象的な谷あいの村として、巨大なオープンセットで表現しました。眼下に見える霧が、秘境感をかもし出す小さな谷を、われらが美しき「尼小僧」が懸命に守ります。是非ご覧ください。
約20年を遡り、新人時代に想いを馳せる。一宗教団体による反社会的活動の影響で、報道機関としての基本を再認識することを狙いとした変則的な研修が実施された。新入社員全員、報道と制作の現場を1年掛けて経験するというもの。私は制作ではドラマ、報道では当時、安藤優子キャスターで安定感抜群の『NEWS JAPAN』を選択した。ジャンルは違えど、いずれもAD。当時、マゾ的にADという最下層に憧れていた。モヤっとはしているが、理由はある(割愛)。研修を経て、あるイメージを確認し、希望叶って第一制作部(ドラマ)に配属された。
それからは厳しい厳しい夢のAD生活。あれをエンタメと捉えなきゃ損。潔癖性の私。目下の敵は、バミで地べたを触ること。シャワーを浴びる時間すらない以前に、その壁が立ちはだかった。これは自分の手じゃない……そう思い込みギリギリ克服。自分のじゃない汚い手で弁当を食べる。これもエンタメ。次に虫。とある作品の大事な出役、超巨大ゴキブリは奄美大島からお取り寄せの段ボール一杯の団体さん。生態系に影響があるから、絶対逃がすな!の指令のもと、最後は手掴み。手掴みと言えば、これまた別作品用のウジ虫。もうちょっとこらえてと説得するも、気付けばすぐ大人になっちゃって段ボールの中で飛び回る、困った子たち……。やっぱりすごいエンタメ。大体のことは割り切れば、前向きに捨て去れることを学んだり、他人にとってはどうでもいい敵と闘いながら、本来のドラマ制作に描いた夢(割愛)を追い掛け、立場を変えながらもまだ走っているのだから、このエンタメ、やっぱりなかなかの楽しさ。
黒歴史……じゃない、新人時代の実のある経験を久し振りに思い出し、ここからはこの先の20年に希望を抱き、目の前の一作品一作品に想いを込めて向き合っていこうと、決意を新たにする今日この頃。
◎正会員入会
吉川 邦夫(NHK)
◎賛助会員入会
(株)ウインクツー
ビルコム(株)
◎退会
稲川 豊(E)
日時 2017年2月2日(木) 18時受付 18時30分開会 20時30分閉会予定
会場 会場 新宿京王プラザホテル南館5階 エミネンスホール(立食形式)
パーティー会費
ドレスコードはありません。※会場内の撮影は禁じます
会員の皆さまの多数のご参加をお待ち申し上げます。