「特撮映画」「怪獣映画」という所謂ジャンルムービーは、どうしても「ヒットするしない」の尺度以外には評価の対象になりにくく、残念ながら「置いといて」ということにされがちです。映画は多様性こそが大事だと思っていますが、やはりその一番大きな効用は「楽しんでもらうこと」だとも思います。だからこそ、それを第一に考えたエンタテイメント作品である本作を「置いといて」せずに評価していただいたことそのものに厚く御礼申し上げます。 12年ぶりに再開された新しいゴジラ制作の道のりは、本編内容そのままに、何か大きな怪獣に蹂躙されているのではないかというような先行きの見えない日々でした。それでも1000名を超えるスタッフ、300名を超えるキャストがそれぞれの本気を注ぎこんでくれた結果があの作品でした。その代表として本賞も受け取らせていただいたと思っています。テレビドラマ出身で、ドラマと映画の制作履歴がほぼ半々の私にとって、映画、テレビ両方のプロデューサーの方々の投票で選んで頂いた賞、何よりもありがたく思います。加えて、初代ゴジラのプロデューサーであり、会社の大先輩でもある田中友幸プロデューサーのお名前が冠された賞も含まれての受賞というのは感謝の念に耐えません。 これからもお客様に「驚き」を届ける作品作りを心がけていきたいと思います。本当にありがとうございました。
2001年。たった一人で「ほしのこえ」を制作していた新海誠に出会いました。天才でした。一人きりで、誰かに観てもらえるかも分からない作品を、夜も寝ず、妥協せず、自宅マンションに籠もって25分もあるアニメーション制作と格闘してました。そして単独で最後まで作りきった。そのこと自体が天才だと思いました。2002年2月2日、下北沢のトリウッドという小さい劇場で掛けてもらうことが出来ました。初日から長蛇の列ができ、サブカル界隈では時の人となりました。同年4月にDVDを自社で発売しました。25,000本も出荷させてもらったのに、その日のうちに市中で売り切れてしまい、問屋さん、ショップさん、お客さんから電話が鳴り続けたのを有り難くも覚えています。その後も試行錯誤しながら、新海をはじめ他の監督の作品を世に出すなかで、気がついたら製作・制作・宣伝・配給・パッケージ発売・海外セールス、全て自分達でやっていました。会社は小さいのに。あれから15年。いろいろ。いろいろありましたが。『君の名は。』が大ヒットしてくれました。僕らはいつも、お客さんに喜んでもらうために映画を作っているので、より多くの人に作品が届いたことも、本当に嬉しく思いました。更に、アニメ業界を始め、エンターテイメント業界の方々も作品を楽しんでくれたようで、この度このような偉大な賞を頂くことが出来ました。有り難うございます。これからも精進します。
このたびは大河ドラマ「真田丸」の制作について、屋敷陽太郎と共に栄誉ある賞を頂戴し、心より御礼申し上げます。「真田丸」が好評をいただけたのは、ひとえに関わった人すべてが有効に機能したことのたまものと考えています。三谷幸喜さんという太い軸を中心に、あらゆるキャスト・スタッフの知恵がポジティブに検討され、活かされる現場だったこと。その豊かなエッセンスが凝縮された密度の高さが、視聴者の皆さんの心に響いてくれた結果と受け止めています。屋敷と私が二人で制作統括を担ったのも、そのひとりひとりの知恵と情熱を決して見過ごすことのないように、脚本作り、収録現場、ポスプロ、広報、地域の皆さんとの連携、すべてにぬかりなく目配りをしたいがための役割分担でした。もうひとつ大きな後押しとなったのが、私たちの期待や予測を遙かに超えた、視聴者の皆さん同士の横のつながりのパワーです。BS先行放送を例年になく多くの方が見てくださり、その予習を経て、総合テレビ8時からの放送中にツイッターで始まるドラマ解釈の議論。放送終了後ただちにSNSを賑わす感想絵や歴史的解説の数々。互いに自分の得意な分野からの視点を多彩な表現で開陳し合い、ドラマをさらに深め、豊かに楽しむ流れを、視聴者の皆さん自身が作り上げて下さいました。子供達からの反響が多かったのも、嬉しかったことのひとつです。お茶の間で、家族で語り合いながら見るドラマはまだまだ生きていました。モバイル視聴環境も充実し、ひたすら個人的なものに変化していくかと思われたテレビが、家族や見知らぬ人同士をつなぐツールとして機能したと実感できたのは大きな収穫でした。そんな幸福な循環に恵まれた番組を評価していただけたことを胸に刻み、屋敷共々、また日本中で楽しんでいただけるドラマを生み出すべく精進して参りたいと存じます。本当にありがとうございました。
「地味にスゴイ!」はファッション誌の編集者を夢見る主人公がちょっぴり地味な校閲部に配属されながらも目の前の仕事を頑張るお仕事ドラマです。原作「校閲ガール」を初めて読んだとき、「主人公の河野悦子は私だ」と思いました。14年前、「ドラマを作りたいです!」と叫んで日テレに入社したものの朝の情報番組やバラエティーを制作してきた自分とヒロインの姿が重なったのです。しかも、校閲部で〝楽しく〟働く悦子の姿に大いに共感! 100%希望の仕事をやれている人なんて、一体どれだけいるのでしょう?そうじゃないところでだって一生懸命やれば、仕事は楽しい!そんな思いを込めて制作したドラマでこのような賞をいただけたこと、とても嬉しく思います。作品の裏テーマは〝地味な仕事バンザイ〟。佐藤東弥監督は地味に頑張っている人に少しでも光を当てようと印刷工場のシーンでは実際に働く従業員さんをエキストラとして起用したり、畳職人や飴細工職人の方にも出演していただきました。場面展開で悦子のファッションがチェンジするという演出も、1話に10ポーズ近く登場する悦子のファッションを全力で用意する衣装やヘアメイクのスタッフに感激し「こんなに頑張っているんだから全身を見せなければ」と始めたことです。主演の石原さとみさんが毎話ドラマの中で披露していたキレッキレの長台詞も、前の晩にひたすらぶつぶつぶつぶつ繰り返して覚えていたと聞き、華やかに思える芸能界も地味な努力の積み重ね…。ドラマを作るということは〝地味にスゴイ〟の集大成なんだと実感しました。そんなわけで「地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子」は、私はもちろん、キャスト・スタッフ皆が思い入れたっぷりで作ったドラマです。なので作品に関わった全員でこの喜びを分かち合いたいと思います。本当にありがとうございました!
全世界500万部以上の発行部数を誇り、東野圭吾史上最も泣ける感動作と言われる「ナミヤ雑貨店の奇蹟」。この原作は悪事を働いた3人組の若者が逃げ込んだ古い廃屋、そこはかつて悩み相談を請け負っていた雑貨店だった、廃業しているはずの店内に突然シャッターの郵便口から悩み相談の手紙が届いた、手紙は1980年から届いたものだった! 戸惑いながらも3人組が手紙に返事を書くというのがお話の導入になります。
ジャンル分けすると日本映画では難しいとされるファンタジー作品になる。ただ、日本のみならず中国においても爆発的に売れていて、その大きな理由が〈郷愁〉にあるというのが見えた時、この映画のポジションが見えてきました。 ただ、2012年と1980年代で手紙が行ったり来たりするファンタジーという表層の部分に対して、その中身はどこか懐かしい気持ちにさせる時代の匂いや柔らかさを感じさせるリアリティも求められる映像化が難しい作品でした。 時代のリアリティを出す上でロケ地に選ばれたのが〈昭和の町〉という取り組みで昭和30年代の街並みを作っている大分県豊後高田市です。
〈昭和の町〉全体を使って撮影を敢行しており、雑貨店や市場、孤児院などオープンセットを組み、物語の舞台となる1969年から2012年と移りゆく時代を見事に表現しており、作品の大きな見せ場と共に説得力になっていると思います。 俳優部に若手実力派俳優で平成生まれの山田涼介くんを主演に迎え、対する昭和が誇る名優・西田敏行さんが共演と昭和から平成に時代を超えて繋がる思いという作品テーマと合致した組み合わせを実現できました。
山田くんはオフにも関わらず西田さんの演技を見学しに現場へ足を運び、西田さんも出番が終わっているにも関わらず、山田くん、村上虹郎くん、寛一郎くん演じる3人組が撮影を夜遅く続けていると聞くや、冷え込みの厳しい深夜の現場見学にいらっしゃいました。 メガホンを取っていただいた廣木隆一監督は現場を所狭しと走り回りながら時空を超えて絡み合っていく俳優の皆さんのお芝居・動きを丁寧に撮り続けています。 ストーリー同様、当代一の老練な名優から新進気鋭の俳優たちへ時代を超えて紡がれていく系譜の様なものを感じる現場となっており、一つの作品にまとめ上げていくのは大きなプレッシャーである一方、これ程完成が楽しみな作品にそう出会えないと感じています。
入社して経理部への配属を言い渡されたとき、目の前が真っ白になった。2年半経理の仕事を務めた後、次に配属されたのはマーケティング調査の部署。第一線の現場で活躍している同世代を見ては焦りばかりが募った。たまりかねてプライベートの時間で自主製作映画を撮った。主人公の青年は自分と同年代。希望の部署に行けず悶々とする日々を送っていた……今思えば当時の自分むき出しの青臭さにむせ返りそうだ。そんな時、念願だった映画の企画開発部署に配属となった。ついに映画が作れる! しかし、希望が叶った喜びは、すぐに消えた。今まで自分は、血を吐くような努力をして何かを成し遂げたことがなかった。これまでの人生で、大した逆境も味わって来なかった、それこそが自分の弱みだった。数々の挫折を味わい、増えるばかりの反省に愕然としながらも、同じ失敗だけはしないようにと百転び百一起き(?)して、気づくと異動してもうすぐ6年になる。初めてプロデューサーとして担当した映画『PとJK』がまもなく公開を迎える。2016年の6~7月にかけて、函館を中心にオール北海道ロケを敢行した。地方ロケということで、夜のお酒の場では監督やスタッフの皆さんの本音も聞けた。撮影も終盤のある日、廣木隆一監督から言われた言葉が頭から離れない。「俺たちはプロだから企画を100%の映画にすることはできる。でも目指しているのは120%、130%の力を発揮することだ」それを聞いて感じたのは、自分の調整能力不足により、現場に与えてしまった様々な制約。もちろん、制約のない現場なんてない。でもそれを一つでも減らす、そして生まれた「のびしろ」が、映画を120%、130%にする。プロデューサーとして自分がここにいる意味、「のびしろ」を少しでも現場に与えることこそが、大事な仕事の一つだと痛感した。出来上がった映画は本当に、素晴らしいものだった。でも、自分がもっと現場のためにできたことは確実にあったと感じた。「プロデューサー」というクレジットが、嬉しい反面、なんだかまだまだ畏れ多い。もちろんそんな甘えは許されないが、僕の「新人時代」はまだ始まったばかりだと思っている。
第41回通常会員総会を下記により開催予定です。
また、総会終了後、懇親会も予定しております。
詳細は次号でお知らせ致します。
日時/2017年6月20日(火)
17時30分総会開会予定
終了後懇親会を予定
会場/東映本社8階会議室
(中央区銀座3-2-17)
《日時》平成29年4月23日(日曜)
競技方法 新ぺリア方式
8時45分 集合
9時38分 アウトスタート(5組)
《場所》越生ゴルフクラブ
〒355-0354 埼玉県比企郡ときがわ町大字番匠61
TEL 0493-65-1141
関越自動車道鶴ヶ島インター下車15分、東武東上線坂戸駅下車、クラブバスあり
《会費》23,000円予定
(プレー費、パーティー費、賞品代含む)
《締切》4月10日(月曜)事務局必着
※初めて参加される方は事務局までご連絡下さい。
一般社団法人 日本映画テレビプロデューサー協会
親睦委員会 TEL 03-5338-1235
元NHKの松原淳氏は去る1月7日逝去されました。85歳でした。
事務局長(H13年~H15年)を務められ、協会運営にご尽力いただきました。
ご生前のご功績を偲び、心からご冥福をお祈りいたします。