あけましておめでとうございます。
年頭に、映画・テレビ業界に想いを馳せると、いつもこれまでにない大きな変革の波が押し寄せているのを感じる、何年もこの繰り返しが続いています。一昨年は、ネットフリックスなどグローバルに展開するネット動画の日本上陸でしたし、昨年はテレビのタイムシフト視聴測定開始でした。ともにいろいろな影響を映画・テレビ業界に与え、そこから始まった変革は次第にうねりを高めながら今も進展し続けています。
でもこれらはコンテンツそのものの変革を意味しているわけではなかった。コンテンツの届け方とその把握方法の問題であって、作り方が変わるわけではなかった。
さて今年、映画・テレビ業界に押し寄せている「働き方改革」という大きな波は、今までとは次元が違います。コンテンツ作りの根幹を揺さぶる変革です。
働き方改革は、国の政策ではありますが、非常に息の長い展望に立ったものです。背景は、今後、国内で深刻な労働力不足が発生すると予測されること。労働力の主力となる生産年齢人口(15~64歳)が総人口の減少を上回るペースで減少しているのです。労働力人口は、団塊ジュニア世代が働きだした1995年頃は8,000万人を超えていましたが、2029年には7,000万人、2056年には5,000万人、2065年には4,500万人程度になるのではないかと言われています。(国立社会保障・人口問題研究所HP)
この深刻な労働力不足を解消するためには、まず働き手を増やすこと、次に出生率を上げること、そして労働生産性を向上させることが考えられ、その具体策として、長時間労働の抑制、非正規と正規社員の格差是正、高齢者の就労促進などが挙げられています。(映画・テレビ業界にとっては将来の市場の縮小も危機的な問題ですが)
テレビ業界もこれらの課題に取り組まなくてはなりません。特に、海外から「クレイジーだ」と言われてきた昼夜にわたる長時間の撮影や後処理、正規、非正規、フリーのスタッフが入り乱れて制作する現場環境、こうしたことをそのまま放置しておくことはできなくなりつつあります。実際にADなどが集まりにくくなっているのは、業界がブラックな職場だと感じられているせいでしょう。猶予はないのです。
どのように取り組むか、それぞれの制作現場では手探りで検討が始まっていると思いますが、言うまでもなく、これは業界全体の体質改善を進めていくという視野に立たなければ解決しない課題だと思います。
これからのコンテンツの作り方をどうしていくのか。制作に携わる人たちが、お互いビジョンを出し合い、アイデアを試しながら、少しずつ形にしていくしかないでしょう。当協会の情報交流のメリットを生かして、新たなコンテンツ作りを目指すことに少しでも貢献できればと思います。
今年もよろしくお願いします。
とにかくテレビがあった! 小学1年の時に日本でテレビ放送が始まり、中学2年で我が家にもテレビが来た。高校の時、将来の仕事はテレビと夢を抱き、マスコミに強いと言われた東京の大学へ。第一志望はもちろんテレビ局。しかし、就活は見事失敗。たまたま、下宿の大家さんが映画のカメラマンで、ここの先輩で広告代理店にクリエーターの人がいるから会えと言われた。「自分はテレビの番組をやりたい!」と言うと「CMもテレビはテレビだろう!」と一喝された。お陰で何とか電通に滑り込めた。ところがこの会社には何と番組制作の部署があり、配属は是非そこに! と猛烈にアピール。変な新人がいるから試してみるかと上司。以来50年、ほぼ一貫して番組の企画制作に携ってきた。東阪全キー局で、ドラマ、クイズ、トーク、情報バラエティ、報道番組と様々なジャンルを経験。どの番組もテレビはテレビ! 縁と運の賜物のテレビ人生、今年もまだ続く。感謝という他ない!
2017年11月、ニューヨークの国際エミー賞授賞式に出席。残念ながら「精霊の守り人」はじめ日本作品は最優秀賞受賞ならず。臥薪嘗胆。帰国直後、キラッキラのタイムズスクエアから東芝の広告ネオンが撤退するニュースを聞いた時、24歳でアメリカ貧乏旅行中の自分に意識が飛んだ。
1982年。対米為替レートは1ドル・250円。
高速道路は、トヨタやホンダの日本車で埋め尽くされホテルのテレビはパナソニック、ソニー。日本が生んだ世界的なブランド企業がアメリカ中を席捲していた。24歳の若輩にも、自分達の作ったものがこの世に溢れる喜びは働く者全てに共通するものだと単純に感じられた。自分は何者なのか、何のために働くのか。当時の青年同様、己の行く末に希望と不安を抱いて放送の世界に飛び込んだ。
1994年。36歳。北海道の地方局勤務を経て東京ドラマ部に配属6年目。リポビタンDを1日3本、煙草3箱。24時間営業のコンビニの蛍光灯と同じで、一度点灯したら切れるまで働きっぱなしの人生だなと自嘲気味に笑った日々。この年初めて単発ドラマを演出。土曜ドラマ「否認」。部長や先輩達から、期首を任されるプレッシャーを掛けられまくったが今となっては感謝。多謝。
2006年。48歳。大河「功名が辻」の演出を最後にプロデューサー協会に所属。大河は「吉宗」「葵・徳川三代」「武蔵」に演出として携わったが、長年の不摂生が祟り体重が激増。ダイエットをして16キロ減で入局時に戻したら、重篤な病気の噂が流れ失笑。
そして2018年。還暦。自分達の作ったドラマが世界中に溢れ人々の心を動かす夢は果たせていない。もはやタイムズスクエアのカウントダウンに紙オムツをして参加する元気はないが、ウイングカラーが似合う男でありたいとは願い続けていたい。
『年男、天命を知る?』
大恩ある香月先輩からのお声かけとあらばがんばるしかないので、「48? アレで?」とか「計算合わなくない?」とか陰で言われるのも覚悟の上。
故郷の北海道・室蘭を出て30年、不惑はとうに越え、もうすぐ「知命」だそうで。(いま調べたんですけど「知命=天が自身に与えた使命を悟る」的な。いや無理っす)
でもとりあえず過去10年ほどをふりかえってみると、本当に出会いに恵まれていた。自分のルーツ=北海道を思い出させてくれた『探偵はBARにいる』との関わりや、「ユーモアは世界を救う」と教えてくれた『HK/変態仮面』との出会い等々、この10年で出会った人たちのおかげでずいぶん生き易くなりました。皆さま本当にありがとうございました。
だのにいまだとてもプロデューサーとは言えん体たらくで、あとはもう若者たちに…と思い始めていたけれど、一昨年、父を亡くした時に気づいたんです。
例えばもし今おれが死んだら棺桶には変態仮面のポスターが入れられちゃうんじゃないか? と。いやそれはちょっとまずい。変態仮面は大好きだし、福田さんは恩人だけど、それでもなんか困る気がする。「天がカワサキに与えた使命=ヘンタイ」で終わっちゃうのは、本当にほんの少しだけ納得し難い。
というわけで、おれの葬式の時に遺された家族が笑いを噛み殺さんで済むような作品も、もうちょっとだけ欲しいので、いつもご迷惑をお掛けしている皆さまには、今しばしおつきあい頂きたいのです。ごめんなさい。
謹んで年頭のご祝詞を申し上げます。
気づけば4回目の年男。この世界に入ったのは24歳になる年。今年で学びの期間と働いている期間がちょうど半々ということになる。人生の半分。なんとも感慨深い。
24年前の自分を思い出してみる。その頃ベテランのプロデューサーやディレクターによく「どんな作品を作りたい?」「制作者としての夢は?」と聞かれた。歳の近い先輩や同期たちは皆 〝シネフィル〟、〝ドラマ・フリーク〟で、とにかく様々な作品を挙げて質問に答える。普通の学生あがりの僕にはそのタイトルの4分の3もわからなかった。
僕の答えは「好きな映画が『スティング』、いつかコンゲームを作りたい」の一辺倒。本当に普通だし、実現の難しさをまったくわかっていない初心者だった。日本で当たらないジャンルとよく言われた。いま思い出しても恥ずかしい。でも、純粋にそう思っていたし、なんとなく夢のようなものだった。
年男の抱負を改めて考える。そんな普通の新人だった頃の夢を実現するというのはどうだろう。折角なので、「単に制作するのではなく、話題となる傑作コンゲームを作る」とハードルを上げる。
会員の皆さんが証人。気を引き締めて頑張らなければ。そのためには新たにいろいろなチャレンジも必要だ。ただ、僕は未だに日々多くのことを教えられている。年男のこの歳までずっとドラマや映画について学んでいる。裏返せば、それは自分が常に変わっているということ。作り手として新しいチャレンジが出来る環境にあるとも言える。
前言撤回。4回目の年男を迎えるまでずっと学びの期間だった。この先もおそらく同じ。これからも多くの方々と楽しく、飽くことのない、未来へ向かった仕事がしたい。夢の実現のために―。
戌年ってなんかかっこ悪い。辰年とか寅年とかもっとかっこいい年がよかったなあ… と、幼い頃は身の丈に合わない不満を感じていましたが、先日、とある脚本家さんに、「佐野さんっていろんな意味で柴犬みたいだよね」と言われ、自分のことを見つめなおした結果、時にワンワン吠え、時に自分の尻尾を追いかけてくるくる回り、時に尻尾を振って飛び回る「犬」は、なんて自分にぴったりなんだ…と思い直したところです。 ちょうど入社して12年になります。ドラマの現場は10年目。 もう「まだまだひよっこなので~」と言えない状況になってきました。 プロデューサーとしてデビューさせてもらってからこれまで、優しい先輩方に見守られ、はっきり言えばやりたい放題やらせてもらってきました。言うこともろくに聞かず、ところ構わずワンワン吠えまくる野良犬です。 野良犬は野良犬なりに、去年は「カルテット」というドラマを作ることができ、いい年だったなあと思っています。 しかし、年女ということは36歳。もういい大人です。 2018年は節目の年ですし、大きな作品を担当することもあり、首輪をするのも鎖に繋がれるのも嫌だけど、もう少しお行儀よくして、野良犬を脱出できればなあと思っております。
(こいで かおる)
1985年10月生
(フリー)
俳優にとって、実際に現場で映画やドラマを制作しているプロデューサーの方々に自分の芝居を見て評価をいただく機会なんてそうそうありません。それだけでも受ける価値のあるオーディションだと思います。 各審査員の方々がとても丁寧に真摯にアドバイスを下さったのが印象的でした。制作側も、熱い気持ちを持って日々作品造りに励んでいること、僕たちも君たちと一緒なんだと、言って頂けたこと、勇気と自信をいただく良いきっかけになりました。
(すずき かつひろ)
1992年12月生
(Ever Green Entertainment所属)
芝居や、映画・ドラマの制作に対しての思いが強い関係者の方々に囲まれ支えられながらのワークショップ・オーディションを経験できた貴重な一日でした。賞をいただくことが出来ましたが、それ以上に、改めて自分の芝居への向き合い方を考えるきっかけをいただくことができたことが良かったなと感じています。
(たにぐち しょうた)
1986年5月生
(株式会社舞夢プロ所属)
第一線でご活躍されているプロデューサー、ディレクター陣の前で、自由に芝居をさせていただけた事がとても有り難かったです。またご指導ご鞭撻まで直接していただける機会は実際の現場でも難しい事をこの機会で味わえる事ができました。俳優として、皆様に背中を押していただけた気がします。ありがとうございました。
(まりん)
1991年1月生
(株式会社ホリプロ所属)
真凛と申します。 生まれて初めて「賞」というものをいただきました。受けるからには必ず、という思いではいましたがこんなにも緊張するものかというほど、2分半の自由演技では足が震えてしまいました。ほんの少しの自信と、勇気を持つことの大切さを改めて実感できたあの日に感謝しています。そしてあの場所にいた方々との出会いを大切に、これを糧に精進します。 ありがとうございました。
(ももせ みすず)
1996年3月生
(株式会社あんぐる所属)
2017年アクターズセミナー賞を受賞させていただいて、心から感謝しています。 経験もほぼ無い上に自分のやっていることが正しい方向性で出来ているのかわからないことに不安があり、自信が持てない状況でした。 なので、今回のワークショップに実際参加して自分を見つめ直すきっかけにもなりましたし、課題も沢山見つかりそして励みにもなりました。 いただいたこの賞の名に恥じないように私も、私なりのお芝居を磨いていきたいです。
(ゆづき ふうか)
1996年9月生
(株式会社ホリプロ所属)
映像での演技力を身につけたくて、応募しました。1部では、同じ台本でもチームごとに全然雰囲気が違って面白かったです。他のチームがどんな役柄で演じているのかを当てるためにいつもより集中して細かいお芝居をみれたので、新しい発見がありました! 2部は、自作台本やギターを弾く人がいたりあと物凄く緊張感があったのですが、自信を持って緊張感に負けずに思いっきり演じることが大切だと思いました! もっと、もっと演技の力をつけて次のステップに向かいたいです。 このような賞を頂けて嬉しかったです。 ありがとうございました。
(五十音順)
「時代に響くワクワクするドラマを!」
「逞しさや生命力溢れる」ワクワクするドラマを届けたい! 7月にクランクインして既に5ヶ月余り。大河ドラマ「西郷どん」は、超一級の娯楽作品を目指し、座長・鈴木亮平さんのもと、撮影現場にはスタッフキャストの熱気がみなぎっています。
けれど、そもそも私は〝幕末モノ〟の大河ドラマは避けていました。佐幕とか、尊王攘夷とか、言葉が難しく観念的で、誰が敵で何と戦っているのか分からない。そんな複雑なドラマを視聴者は見たいだろうか?と。
うちの息子や娘は、日曜の夜8時、日テレさんの「イッテQ」を見ています…残念ながら(笑)。ケタケタと笑い声をあげて。世界の果てに連れて行ってくれ、毎度ワクワクドキドキ、馬鹿馬鹿しくも愛すべき出演者の奮闘に魅せられます。時代の気分は、やはりこれなのかと思い知らされます。息子や娘の口癖は「疲れたー」です。母親に「早く着替えなさい」「お風呂は? 宿題は?」と小言を言われても「あと2分だけ、ちょっと休ませて」とソファーに横になる。働き疲れたサラリーマンのように…「日曜の夜くらいゆっくりしたい、笑いたい、スカッとしたい」。未来を見出しにくい疲れた日本に、どんなドラマを届ければいいのか?
そんなとき、林真理子さんが西郷隆盛を書かれると知りました。林さんは、奄美大島で愛加那と出会い過ごした「愛の日々」無しに、西郷さんは西郷隆盛になれなかったと。その大いなる仮説に魅せられ、西郷に惹かれていきました。波乱過ぎるその生涯。2度の島流し、3度の結婚…挫折続きのなか、名も無き貧しい下級武士が国家を動かす中心人物となっていく…その痛快さ! どこか迂闊で脇も甘いが、笑いあり涙あり…やがて無頼の革命家となり、最期は逆賊として死んでいく。どこを切ってもドラマティック過ぎる人生。しかも、ここ数年の大河ドラマには無かった「時代のど真ん中を生きた主人公」です。
林さんと中園ミホさんがタッグを組めば、骨太な男の冒険物語でありつつ〝人間西郷〟を育んだ知られざる男女関係が立体化され、さらにカリスマ薩摩藩主・島津斉彬との師弟関係や大久保正助(利通)との友情・反目も、どこか恋愛関係のような濃密な人間ドラマとして描かれていきます。魅力あふれる台本の力が、もの凄いキャストを突き動かし、掛け算のようにドラマに命が吹き込まれていく――それが西郷どんの現場です。
これぞ大河! であり、大河ってこんなに面白いの! と幅広い視聴者にも親しんでいただける『西郷』を今こそお届けしたい! そう、うちの息子や娘にも…。
2013年、東海・北陸エリアの宣伝業務をしていた自分に今所属している映画企画部への異動の辞令がおりました。その日のうちにと名古屋から新たに上司となる部長に「宜しくお願いします」の挨拶をした時、「早速やってほしいものがあるからなるべく早く東京に来てほしい」と言われ、慌てて引越を終えて早々に担当することとなったのが、NHKBSプレミアムドラマの「ハードナッツ!~数学girlの恋する事件簿~」という連続8回のテレビドラマでした。
このドラマは、当時「鈴木先生」などを手がけられていた河合勇人さん、橋本光二郎さんのお二人が演出を担当されたドラマで、脚本は「TRICK」シリーズの蒔田さん。数学の知識を活用して難事件を解決していく1話完結型のバディミステリーもので、私はAPとして参加をすることになりました。元々「TRICK」が大好きだったので喜んだのもつかの間、脚本会議に放り出されて何を言えばいいかわからずに黙ってばかりだったことを覚えています。その後、今まで文系一本でやってきた自分が数学監修担当となり、夏の殺人的な日差しの中何度も大学に通い、「このトリックは成立しているか?」「このセリフは正しいか?」など今まで使ってこなかった脳をフル活用したこともありました。不思議なもので、そうやって聞いていくうちに数学をわかったような気になってくるのですが、因果応報、後日編集で自分の直しが間違っていたことが判明して仕上げ班の皆様にご迷惑をかけたことで一気に自惚れが覚めたこともありました。
APの先輩方に怒られながらも、ド新人として何をすべきかわからぬまま駆け抜けた約4カ月ですが、そこで学んだ脚本、キャスティング、現場、仕上げの流れは、ドラマと映画という違いはあれど、自分の礎になったと思っています。河合さんも橋本さんも一線の映画監督となられている今、また映画の場でご一緒できることを願いながら邁進を続ける日々です。
◎正会員入会
中川知子 (D・オーファクトリーエンターテイメント)
第63回大会は平成29年12月2日(土曜)越生ゴルフクラブで18名が参加して行われ、次のような結果となりました。
順位 | 氏名 | アウト | イン | G | H | N |
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優勝 | 玉川 静 | 39 | 44 | 83 | 10.8 | 72.2 |
準優勝 | 杉田成道 | 44 | 45 | 89 | 14.4 | 74.6 |
第3位 | 藤森いずみ | 39 | 42 | 81 | 6.0 | 75.0 |
日時 2018年2月1日(木) 18時受付 18時30分開会 20時30分閉会予定
会場 会場 新宿京王プラザホテル南館5階 エミネンスホール(立食形式)
パーティー会費
ドレスコードはありません。※会場内の撮影は禁じます
会員の皆さまの多数のご参加をお待ち申し上げます。