あけましておめでとうございます。
昨年の12月1日から4K8Kの本放送が始まりました。まだまだコンテンツの種類や数は十分とは言えませんが、超高精細映像の魅力は、見る人にしっかりと伝わっているようです。
なかでも、僕がいちばん惹きつけられたのは、70ミリフィルムで撮影されたキューブリックの「2001年宇宙の旅」を8K化したプログラムでした。日本ではもう70ミリフィルムを上映できる映画館はありませんが、8Kなら70ミリフィルムの情報量を再現することができます。僕が見たのは85インチの画面でしたが、それでもその映像の迫力に圧倒されました。
最近の作品ばかりでなく、往年の名画の4K化8K化はどんどん進んでいます。
立場の都合もあって、僕もいそいそとチューナー内蔵の4Kテレビを買いに行きました。(残念ながら8K受信ができないマンションなので)
量販店の販売員は、こいつは買う気だなと直感して、さっそく熱いクロージング。ところがその勧め方に僕は違和感をもったのです。販売員は、始まったばかりの4K放送の紹介もそこそこに、しきりとYouTubeを推奨するのです。見れば、リモコンにはYouTubeとNetflixの大きな専用ボタンがついている。ボタンを押してYouTubeを起動させ、リモコンのマイクに4K動画を見たいと命じると、ズラリと4K動画が画面に並ぶ仕掛けです。いわばAndroidを搭載したスマホに4Kモニターが接続しているという格好です。
YouTubeというと、プロのクリエーターではないユーチューバーたちが作った素人っぽいコンテンツばかりというイメージをお持ちの人も多いかもしれませんが、今やユーチューバーの作品だけでなく、数多くの公的機関、研究組織、マスコミ、映像産業などの公式チャンネルがひしめきあっています。もちろん4Kのコンテンツも多い。欧米ほどFacebookやNetflixが普及していない日本では、YouTubeの存在感は日ごとに大きくなっていくようです。
どうやら4K8Kテレビの発売とは、日本における本格的なスマートテレビ(インターネットに接続されたテレビ)の登場といったほうがよさそうです。
映画作品やテレビ作品が、放送由来なのかネット由来なのか分からない形で視聴者に届く、そんな世界がもう始まっています。すでに欧米では、テレビでネットを見るという人たちの割合が50%に達しているという調査もあります。
放送事業者にとっては、大変強力なライバルが現れたわけで、今後は厳しい状況が避けられないと思われますが、映画・テレビのプロデューサーにとっては、これはきっと歓迎すべき状況なのだろうと思います。作品の出口や流通経路がどんどん広がるのですから。
皆さんも、4K8Kテレビを前にしていろいろ夢を膨らませてみてください。
今年もよろしくお願いします。
平成が終わる今年、還暦をむかえます。今は、音楽出版の仕事に携わっています。猪突猛進といわれる亥年生まれ。昭和と平成をちょうど半分ずつ生きてきました。真ん中の30歳の頃は「武田信玄」「春日局」などの大河ドラマの現場で走りまくっていました。アナログでした。平成はデジタルとともに走ってきました。誕生日は10月。すでに新元号元年です。これからの30年、テレビはどこに向かって走っていくのでしょうか。興味は尽きません。
年男である私の今年は、二本のドラマの放送で始まります。ひとつは既に放送になった正月時代劇×BS4K開局記念ドラマ「家康、江戸を建てる」。NHK初の二夜連続の正月時代劇でした。前編は家康の家臣で菓子司であった男が、現在の井の頭池から江戸の市街地まで上水道を引き江戸の市民に美味い飲み水を届けようとする話で、後編は家康に命じられた職人が世界で初の流通金貨である小判を生み出し経済都市・江戸誕生の礎をつくる話です。時代劇として初挑戦である「技術の細部」を描きこむドラマ作りがとても新鮮で、まだまだ時代劇で描ける世界は一杯ある事を確信しました。もうひとつのドラマは2月から放送のBSプレミアムドラマ「盤上のアルファ〜約束の将棋〜」。NHKが「ふたりっ子」以来21年ぶりに制作する将棋ドラマです。社会部から将棋担当にまわされた落ちこぼれ新聞記者と、プロに再挑戦する将棋指しの、友情とリターンマッチの物語です。将棋の世界の「圧倒的な昭和感」がとても楽しく、それを平成の世ですら終わろうとしている年に「グッとくるドラマ」にする作業は大変だけど楽しくて、猛烈にワクワクしています。思えばドラマ現場に入った頃、ロケマネを命じられ、みんなに弁当を配った後、座るところもないのでアスファルトの道に座りこみ弁当を食べていた時、この低い目線で街を見た事はなかったなあ、と妙に感じ入って以来、自分が新鮮に感じた感動を、人に話したい、伝えたい、という動機でドラマを作ってきたんだなあ、と思います。そしてこれからもずっとそうありたい、と願っています。
新宿二丁目の映画人の集まるバー。「若ちゃんも赤いちゃんちゃんこか」若松孝二監督が還暦の時に僕はよく通っていた。プロデューサーや脚本家たちが若松監督の祝いをどうするか話していたのがつい最近のことのように思うのだが、いやはや自分もそんな年になってしまった。あの頃は還暦なんて遠いことで考えたことがなかった。プロデューサーの仕事に就いて30年。思えば自分が映画会社に入社したころから邦画は憂いていた。10年ちょっと前くらいから洋画よりも邦画の興収のほうが増えてきたが、中身はどうであろうか。アニメが主流になり実写も原作に頼り切っているこの日本映画界。どこまで若者たちに媚びながら映画を作り続けるのであろうか。観客のレベルの低下が止まらない。観客を育てているのはインディーズ作品だけである。サラリーマンプロデューサーである自分にはこの壁は登れなかった。昨年エポック作品となった「カメラを止めるな!」という作品が生まれた。おそらく賞を総ナメするであろうがこれでいいのか日本映画界! 前述に戻るが、二丁目のバーで語らう古き映画人たちの昔の良き時代話ならまだしも、当時を批判し、傷をなめ合うのを聞くのが嫌いだった。しかしながらこの年になってみたら己のプロデューサーとしての良き時代の話がないのである。まだまだこれから楽しい映画作りの話をしたい。還暦は生まれ直しという意味がある。自分は今年還暦になり生まれ変わって、それこそ飲み屋で自慢できるような作品作りに向かいたいと思うのである。
謹んで新年のお祝いを申し上げます。 どうやら今年、私は36歳になるらしい。 普段まったく年齢を意識することがないので、時折書類などに自分の年齢を記入する際も「はて、自分はいま何歳だったっけな」と記憶を巡らすのが常。であるからして、この文章の依頼をいただいた際に「年男」とご指摘を頂き、そうか、年男なのか、とあらためて認識した次第。 では36歳。世間的にはいかなる歳なのか。 ウォルト・ディズニーが世界初の長編アニメ「白雪姫」を発表し、川端康成が小説「雪国」を発表。 うむむ、歴史上の人物すぎてイメージが沸きません。それでは、現役の方々でいうと…… 是枝裕和が映画「ワンダフルライフ」を発表し、村上春樹が「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を発表。 36歳。どうやらキャリアのなかで重要な作品を発表する年齢なのかもしれません。 では自分は、とここで思い至る。このままマイペースでいいものだろうか。 年齢なんてただの数字だと思いつつもそこにこだわり、もっと焦りが必要なのではないだろうか。 などと思いを巡らせながら、少なくとも飛躍の年にしたいのは当たり前。なんてったって、年男なのです。猪突猛進の若さに目配せしつつマイペースから抜け出し、勇往邁進する所存です。
(しま たけあき)
1991年7月生
(ホリ・エージェンシー所属)
日々手探りで迷いながら前に進んでいる自分に対して、第一線でご活躍されるプロデューサー、監督の方々からこのような賞を頂けたこと、とても嬉しく思います。 まだまだこれからの身ではありますが、今回の受賞を自信の一つ、頂いたアドバイスを今後の糧として次は新人賞を頂けるよう、魅力溢れる役者を目指して自覚と謙虚さを忘れず、貪欲に益々精進したいです。
(なぎの りかこ)
1994年1月生
(アービング所属)
自分の中の新しい扉を開いた1日でした。 これまで自分が演じてきた役柄やイメージに囚われていましたが、ワークショップの初めに「ここで失敗をして下さい」と言われたことをきっかけに、これまでにない役柄に挑戦してみました。 一緒に芝居をした役者の皆も、新しいアイデアを出し合ったり、お互いに芝居で勝負をしかけていく感覚がとても面白かったです。 これからも失敗することを恐れずに、自分の扉をどんどん開いていきたいと思います。
(はやし だいき)
1990年11月生
(ミーアンドハーコーポレーション所属)
ただ目の前で何かを表現する、ということだけではなく見ている人に何かを「届ける」というお芝居の根幹にある、大切なものを今回のアクターズセミナーを通して再認識できたように思います。 第一線で活躍されるプロデューサー、ディレクターの皆様の熱い視線、今も忘れません。 またこのような場を頂けたこと、賞を頂けたことは、ひとえに協会の皆様はじめ、沢山の方の御尽力のおかげと感謝いたします。 沢山の人と新しくできた「つながり」を宝物にし、今後もより一層精進してまいります。 どこかの現場でご一緒できますように…宝物の力を信じて…夢は膨らむ。 本当にありがとうございました。
(ひがしの あやか)
1997年11月生
(トライストーン・アクティングラボ所属)
今回、アクターズセミナーという機会を設けて頂き、改めて「自分とは誰なのか」「自分とはなんなのか」について向き合う事ができました。 50名以上の方々が、惜しみなく自分の武器を使って戦っているのを見て、とても感じるものがありました。 狭い世界で、手の届く範囲のものをこぼさないように感じて生きてきた私にとって、見た事のない世界に飛び出たようで、すごく刺激的でした。 本当にありがとうございました。
(まきた てつや)
1984年6月生
(ワタナベエンターテインメント所属)
沢山のプロデューサー、ディレクターの方々、若手映画監督の方々の僕たちの芝居を見る目に圧倒されました。本気で新たな人材を探しているんだとそれだけでわかりました。生半可な気持ちで参加した訳ではありませんが、あの場のあの緊張感を感じて、僕も本気でぶち当たって、砕けてもいいから認めてもらいたいと思いました。結果賞を頂くことは出来ましたが、反省点もたくさんありました。 この出会いや経験は僕のなかでのひとつの財産になりましたし、これを糧に今後の役者人生を勇往邁進して行きたいと強く思っています。 ありがとうございました。
(五十音順)
新年あけましておめでとうございます。大河ドラマ『いだてん』いよいよ始まります。思い出してみると、この企画を始めたのは2015年。題材を〝オリンピック〟にしたせいか、ちょうど4年もの月日が流れてしまいました。当初考えていたネタは①「リオ五輪」裏でのハードな 〝スポーツもの"②BSで赤塚不二夫さんのようなアナーキーな〝笑い"③ズバリ〝戦争もの"の3つだったような気がします。それを宮藤官九郎さんに相談すると「古今亭志ん生さんで大河ドラマ出来ませんか?」というアイデアが出てきた。「いやいや、さすがに無謀ですかね」なんて話しているうちに「そういえば〝オリンピック"が東京に来ますね」ってことになり歴史を調べてみたら、これがムチャクチャ面白かった。
日本初のオリンピアン金栗四三の物語はスポーツ版「坂の上の雲」だし、嘉納治五郎の東京オリンピック招致の物語はとてつもなく劇的。戦争により返上された「幻のオリンピック」を経たからこそ、田畑政治を中心にした1964年の「東京オリンピック」は平和を掲げた。そんなトリビアな〝オリンピックの歴史"を、宮藤さんが志ん生さんの落語仕立てで書く。これなら①~③が全部叶えられる。これは『いだてん』面白いことになるぞ!
しかし、薄々気づいてはいましたが、多くの困難が待ち受けていました。「金栗、田畑って誰?」「はいはい、知らないですよね。でも嘉納治五郎、いや志ん生は知ってるでしょ?」「知らない、誰?」「いやいや、でも無名の人たちの大河ドラマって新しくないですか?」「原作あるの?」「ないです、調べ尽くします」「競技シーンどうするの?」「俳優陣、トレーニングしますから」「国立競技場壊しちゃったよね?」「残念です」「海外ロケ行くの? でも現代物だらけだよね?」「VFX、そこはもうVFXですよ」「47話全部VFX?」「いえいえ、最後はとんちをきかせて…」「お前、大河ドラマなめてんのか!」
怒られること4年。今、『いだてん』の現場には魅力的な登場人物たちが溢れています。宮藤さんが描く人物は一人一人がチャーミング。それを演じる俳優陣がまた素晴らしい。中村勘九郎さん(金栗)のダイナミックな表現、阿部サダヲさん(田畑)の半端ないはじけっぷり、役所広司さん(嘉納)は重石でありながら誰よりも軽やか。ビートたけしさん(志ん生)の高座姿は興奮ものです。そんな現場にいると、多くの困難が最後にはすべて見所に変わると思えてきます。『いだてん』やっぱり面白いことになるぞ! 全47話、完走目指して走り続けます。
「恩讐の彼方に」
このような寄稿をする年代になったのかと時の流れの速さを感じると共に、はたと気付くと新人時代を思い出せない。断片しかない。良い思い出がない。恨みしかない。不条理、理不尽という二つの言葉が毎日浮かぶような、怒涛の日々だった。
流行りの、働き方改革なんて意識のかけらもなかった時代。脚本打ち、キャスティング、仕上げ、演技事務、スケジュール、トイレ探し、喫煙所探し、その他諸々。APも分業化されていなかった。お金のない作品ほど何でも屋がAPだった。一度、時給計算してみた。缶コーヒーしか買えない時給だった。それが何年も続いた。夢なんて甘い言葉は軽々しく使うまい、と入社試験の自分を責めたりした。デスノートが流行っていた。下ばかり見て歩いてはいけないと、上を見上げたものの、ノートの端切れでもよいから降ってこないかと脳裏をよぎる時代でもあった。
奴隷のような過酷な日々に正直、心が腐りかけていた。そんな時、ある監督に言われた言葉があった。「作品の奴隷になれ、作品が一番偉いんだ」。肩書や権威に尽くすわけではなく、どこまでいっても作品のために尽くす、それが一番大事なのだと教わった。その作品が、視聴者に、お金を払って頂くお客様に、身近な家族でもいい、見て頂き心を動かすことができればそれでいいんだ、と。気分が変わった。
そしてある言葉も思い出した。義務教育終了の中学卒業時に父から貰った手紙。J.F.ケネディの言葉が書き添えられていた。「国家が君に何をしてあげられるかを問うな。自分が国家に何を奉仕できるかを問え」自分の生き方の指針であると同時に、国家を、自分が携わさせてもらっている〝作品"に置き換えて日々過ごそうと努力している。夢ではなく現実的な理想として心掛けている。そして、ケネディはこうも言っている。「Forgive your enemies, but never forget their names」
◎正会員入会
由里敬三 (A・ジャンゴフィルム)
◎訃報
元日活の那波直司氏(功労グループ)は去る9月に逝去されました。85歳でした。ご生前のご功績を偲び、心からご冥福をお祈りいたします。
元日本テレビ放送網の梅谷茂氏(功労グループ)は去る11月13日に逝去されました。86歳でした。ご生前のご功績を偲び、心からご冥福をお祈りいたします。
セントラル・アーツ代表取締役社長の黒澤満氏は去る11月30日逝去されました。85歳でした。ご生前のご功績を偲び、心からご冥福をお祈りいたします。
日時 2019年2月7日(木) 17時30分受付 18時開会 20時閉会予定
会場 会場 新宿京王プラザホテル南館5階 エミネンスホール(立食形式)
パーティー会費
ドレスコードはありません。※会場内の撮影は禁じます
会員の皆さまの多数のご参加をお待ち申し上げます。