2019年2月7日(木)皆様のご協力のもと無事に終えることができました。 皆様のご協力に心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。 正直言って、2019年が明けて新年早々、台本作りから開始したのですが…急に焦り始めました。昨年の日テレさんのデータもいただいていたのですが「コピペ」では済まない状態になっていて本当に焦りだけが襲ってきました。 各局の担当者の方にも、何度もメールしたり、そのメールがグルグル回っていたり、いつもの雑なご返事にならないように緊張したり、個人的には大変でした。 しかし、イベントを成功させるために、我がドラマ制作部林部長が「ドラマ部の中の仲間で頑張りましょう! 必要な人数は使ってください!」と言ってくれました。その言葉が励みに、いつも一人で会議に出かけていた私が、本当に若手を6人選んで(一人は若手ではありませんが…ドラマに異動してきたばかり)それぞれ担当番組もあり撮影が続く中、みんなで協力してくれました。 それから、宣伝部が4名、アナウンサー1名と私で計12名「チームテレ朝」を作らせていただき、実行部隊となりました。 仮のデータ台本ができた時点でアナウンサーとの打合せは1回きり! 社内全体の打合せも1回のみでした。まず ①担当をきちんと決め、持ち場を離れないこと。 ②トランシーバーを用意し各自全員の動きを把握できるようにすること。 決めたのはこれだけです。 あとはみんなに台本をきちんと読み込んでおくようにお願いしました。 ホテルの会場がどうしても、4階と5階に分かれてしまっているので、トランシーバーは大変有効でした。 今年は、大変人気の高い新人賞の皆様と、プレゼンターの皆様が多く来てくださったので、本当に華やかで大盛況でした。 パーティー会場だけでなく、裏も立錐の余地もありません。 事務所関係者の皆様、ヘアメイクさん、スタイリストさん…それだけの大人数の方を、各担当局の皆様にお世話をしていただきました。 さぞやお疲れになったと思います。本当にありがとうございました。心から感謝です。
もう43回と回数を重ねて、時代とともに授賞式のやり方も、ネットニュース関係など前向きにニーズに合ったように考えねば…とのお声も当日の終了後にいただきました。確かにそうかもしれません。 でも正直、今はとにかく肩の荷が下り、ホッとしているのが正直な感想です。 終わったばかりで恐縮ですが、すでに来年に向けてスタートしております。 あっという間にやってきますので、まずは日々の積み重ねを始めることからスタートです。本当にそう思います。 気の利かない点も多々あったと思いますが、大きなトラブルもなく無事に終えましたことを、心からのお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
ドラマ「3年A組 ―今から皆さんは、人質です―」
卒業式10日前。あとは何事もなく卒業を迎えるはずだった29人の生徒を前に、一人の担任教師はこう告げた。 「今から皆さんには、人質になってもらいます」 この一言から始まる日曜の夜に捧げる学園ミステリー。 鳴り響く爆発音。生徒たちの悲鳴。退路を断たれた生徒たちはここで、「一人の生徒の死の真相」と向き合うこととなる――。
この衝撃的な学園ミステリーは、主演を務める菅田将暉さんとの6年前のあるなんでもない1日の出会いがきっかけで始まりました。 19歳の菅田さんと26歳の私。初めましての挨拶から会話を始めた私たちはいつの間にかお互いの夢や哲学や強い想いに会話の花を咲かせ、昼過ぎに始まった会話は、夕暮れを迎えても終わる気配はありませんでした。 そんな想いの交換を果たしたその1日は鮮烈に印象に残り、やがて菅田さんといつかお仕事をするということは私の創作人生の一つの大きな目標となりました。その夢が叶った今回、菅田さんと久々に会話をした時に、ただ一ついただいた想いは「教師役をやりたい」というものでした。 そこから、脚本家の武藤将吾さんと打合せを始め、企画を起こし、そして武藤さんが書いてきてくださった第1話は私にとってはとてつもなく衝撃的であり、そして今「伝えたい」と思う魂が詰まったものとなりました。 プロデューサー、演出家、共に32歳というこの世界では若輩者なコンビながら、菅田さんの表現と武藤さんの世界観の力を借りてスタッフ・キャスト一同で文字通り「挑戦」をする作品となっていると思います。 この原稿を書いている時は第6話の放送終了直後です。原稿が掲載されるその時には本作が見てくださる人たちにどのように受け止めていただいているか、私も楽しみにしております。
今から半世紀も前の話になります。 1970年(昭和45年)。この年の日本映画興行は年間365本が公開されたなか東映作品(東西の撮影所作品他)は1978年(昭和53年)以後の平均上映本数の倍以上の61作品が公開されました。まだ2本立て興行がされていた為です。 それが、映画興行は1978年(昭和53年)あたりから1本立興行に移行していきます。 この年1970年の4月に私たち新入社員は約1ヵ月の研修期間を終えると各部署に配属されるのですが、私は東映興業に出向し新宿の劇場で働くことになります。ここでは劇場業務のほとんどを体験させてもらいました。中でも映写掛を短い間でしたが楽しんでおりました。 当時、映画の封切初日のニュープリントは缶に逆巻に入って劇場に送られてくる油だらけのフィルムでした。その油をキズが付かない様に柔らかい布できれいに拭き取り正規に巻き戻します。 その時のフィルムの感触、グリースのほのかな心地よい香りを身体中で楽しみながら初日の上映を迎えるのです。何と貴重な体験をしたことでしょう。 しかし、3ケ月後の同年8月には東京撮影所の製作部へと移り、計算係に配属され、そこでは各作品の直接製作費の予算書作成や出写費(ロケ費)の精算など慣れない仕事をしておりました。 希望していた部署の製作部進行係へは2年後の1972年(昭和47年)6月に現場に出ることになります。 この年の東西撮影所での劇場映画の製作本数は63本が公開されており、この頃の撮影所の現場は忙しい毎日でした。 当時の映画製作は、大盛況で撮影所の現場へ移った私は気が付けば大きな特製のやかんを手に現場を汗まみれになりながら駆けずり回っておりました。 私の目標である企画部へは1977年(昭和52年)11月に辞令が出てプロデューサーへ転出しますが、足掛け6年にわたりトータル40余本の映画の現場に係われたことは、はっきり分かりませんがその後プロデューサーとしてやっていく自信の様なものを身に着けさせてもらいました。 あの新人時代の手探りながらも前を向いて走った掛け替えのない想い出は、何物にも替えることのできない私の宝物です。
お手元の会員証の有効期限は2019年3月31日となっております。
更新【2022年3月31日】のため、タテ3センチ×ヨコ2・5センチの写真(データ可。カラー、モノクロいずれも可)を必ずお名前を明記の上、事務局までお送り下さい。
データの方はメール(info@producer.or.jp)にてお送り下さい。
お写真の変更が必要ない場合はその旨ご連絡下さい。
当協会の会員証の提示で東京都興行生活衛生同業組合加入の都内映画館の入場料金が割引になります。
※割引料金は各映画館で異なりますので窓口にてご確認下さい。
《日時》2019年5月11日(土曜)
《場所》越生ゴルフクラブ
《会費》22,000円予定(プレー費、パーティー費、賞品代含む)
《締切》4月13日(土曜)事務局必着
※初めて参加される方は事務局までご連絡下さい。
一般社団法人 日本映画テレビプロデューサー協会
親睦委員会 電話/03-5338-1235