2019年6月の総会をもって会長職を拝命いたしました奥田でございます。木田前会長におかれましてはこれまでの4年間会長として協会を率いていただき本当にありがとうございました。そしてご苦労様でした。木田前会長に比べますと、かなり不慣れで、はなはだ心もとないとはお思いでしょうが私なりに一生懸命やっていく所存です。何卒よろしくお願い申し上げます。副会長メンバーは重村(ニッポン放送)さんや山田(共同テレビジョン)さんというこれまでの豊富な映像経験と実績を兼ね備えたご両名と前会長の木田(NHK)さんに加えて次世代を担う香月(東映衛星放送)さん、山内(東宝)さんが新たに加わり映画・テレビからそれぞれバランスの良い陣容になりました。また、常務理事・理事・監事・事務局長の方々を含めまして34名による新体制でプロデューサー協会を運営していくことになります。そしてすべての会員の皆様を含めた総勢455名の皆さま、どうかよろしくお願い申し上げます! 私は1980年から日本テレビにおいて、2017年からは松竹で長きにわたり映画事業の仕事にかかわってきました。このプロデューサー協会に入会後は、杉田元会長のもと、局の枠組みを超えた全く新しい取り組みを行ったり、自身の戦争映画の企画では、先日亡くなられた坂上前副会長に貴重なアドバイスをたくさんいただくなど得ることの多い場所でした。今後もこのような自由闊達な雰囲気を大いに活かしていただければと思います。私たちを取り巻く映像環境は激しく変化しています。現在の映像制作は既存の劇場用作品やテレビ番組はもちろんのこと動画配信の普及の中、プロデューサーはどのような方向を目指していったらよいのかという今日的問題をはじめ、働き方を含む会員各位が抱えている様々な問題を共有しあい前向きな方向性を模索できればと思っております。また、中国をはじめとするアジア並びに欧米等の海外展開問題も重要なテーマです。そういった意味でエランドール賞をはじめとする協会の各イベントは国際ドラマフェスティバルへの参加協力、プロデューサー育成セミナー、プロデューサーカフェ、アクターズセミナー、親睦ゴルフコンペ等の年間を通した活動と交流を通してプロデューサーとして意味のある様々な知見を共有できるのではないでしょうか。また、活動中のニュースについてはお手元に届く会報等でご報告する予定です。今後も皆様からの日本映画テレビプロデューサー協会へのご支援とご協力のほどよろしくお願い申し上げます。
役職 | 氏名 | 備考 | 会社名 |
会長 | 奧田 誠治 | 松竹(株) | |
副会長 (5名) |
重村 一 | (株)ニッポン放送 | |
山田 良明 | (株)共同テレビジョン | ||
木田 幸紀 | 日本放送協会 | ||
香月 純一 | 東映衛星放送(株) | ||
山内 章弘 | 東宝(株) | ||
常務理事 (8名) |
富山 省吾 | 日本アカデミー賞協会 | |
吉田 繁暁 | 松竹(株) | ||
藤澤 浩一 | 日本放送協会 | ||
福士 睦 | 新任 | 日本テレビ放送網(株) | |
那須田 淳 | (株)TBSスパークル | ||
高井 一郎 | 新任 | (株)フジテレビジョン | |
蔵本 憲昭 | (株)電通 | ||
小岩井 宏悦 | ワーナー・ブラザース映画 | ||
理事 (16名) |
椿 宜和 | (株)KADOKAWA | |
新井 重人 | 新任 | 日活(株) | |
高橋 信仁 | フリープロデューサー(松竹((株)) | ||
本間 英行 | 映像産業振興機構 | ||
中村 高志 | 新任 | (株)NHKエンタープライズ | |
渡辺 紘史 | フリープロデューサー((株)NHK出版) | ||
伊藤 響 | 日本テレビ放送網(株) | ||
山川 秀樹 | 新任 | (株)テレビ朝日 | |
植田 博樹 | (株)TBSテレビ | ||
稲田 秀樹 | 新任 | (株)テレビ東京 | |
大木 綾子 | (株)フジテレビジョン | ||
白石 統一郎 | (株)C.A.L | ||
五十嵐 真志 | 新任 | (株)電通 | |
名塚 新一郎 | (株)エ・ネスト | ||
玉川 静 | (株)円谷ミュージック | ||
中尾 幸男 | (株)テレパック | ||
監事 (3名) |
工藤 英博 | (株)P・D・S | |
松尾 武 | フリープロデューサー((株)NHK出版) | ||
杉田 成道 | 日本映画放送(株) | ||
事務局長 | 一井 久司 | フリープロデューサー((株)NHK出版) |
4年間、お世話になりました。
振り返ってみると、日本の映像産業は、まさに激動の時代の只中にあったと思います。私が会長に就任した2015年、その年の9月から、ネットフリックスの配信が日本ではじまりました。若い世代にとって動画配信サービスは今や生活の一部です。4K8Kという超高精細映像の放送も開始されました。テレビとスマホはほとんど同じ機能を持つようになり、どこでもいつでも膨大なコンテンツに触れられるようになりました。この変化の動きはまだまだ続き、一体私たちはどんな世界へ向かっていくのか、今は誰にもはっきりとはわかりません。こんなふうに映像産業を取り巻く状況が変わる中で、当協会の役割も変わってきたように思います。日本の映像コンテンツの海外販売額は、年間500億円を超えましたが、その影響もあって、内閣府の知財戦略推進事務局が、ロケ撮影の官民連絡会議を立ち上げ、その構成員に当協会も招かれました。会社が違えばあまり話す場がないテレビや映画のプロデューサーが、普段着で話せる場所を提供するのが大きな役割だった当協会が、社会的な役割も果たす必要が出てきたといっていいと思います。社会状況の変化と通底している役割の変化なのでしょう。当協会にどんなことができるのか、奥田新会長のもとで、会員のみなさんそれぞれに想いを馳せていただきたいと思います。4年間、なんとかやってこられたのも、先輩、後輩、皆さんの助力のおかげです。ありがとうございました。
「ホットギミック ガールミーツボーイ」
2020年東京オリンピックを控え、建設中の高層ビルやタワークレーンが種々雑多に立ちならぶ東京都湾岸エリア。そんな風景を一望できる橋の欄干から、退屈そうに遠くの空を見つめている少女が本作の主人公です。その少女が着ているトレーナーのたるみ具合、イヤホンから流れる音楽、スマホのストラップ、そんな細部を大事にした映画です。とはいえ、等身大のリアルな青春を観たいのなら、「テラスハウス」やAbemaのリアリティーショーには敵わない、理想の恋愛を観て日常を忘れたいのなら、流行のキラキラ映画がある。そんな中、本作では"親密さ"にこだわりました。みんなとシェアする感覚ではなく、親友が自分にだけ内緒話を打ち明けてくれたような感覚だったり、普段自分でも気づかなかった感情が引っ張り出されるような感覚を味わえる映画。そこで勝負しようと思えたのは、本作の監督である山戸結希の処女作「あの娘が海辺で踊ってる」を観たからです。衝撃的でした。画面から感情が溢れ出ていて、映画がそれに必死に追いつこうとしているような飢餓感、焦燥感があり、観終わると、何かを始めずにはいられないような映画…。この監督になら任せられる、でもどうやってこんな映画を撮ったのか本当に不思議でした。本作の現場を振り返ってみて、一つ分かったのは、フィクションとしての映画が壊れるぎりぎりのリスキーな挑戦の積み重ねが"親密さ"に繋がっている、ということ。例えば、俳優の台詞は毎朝監督によって書き換えられる。前日までの芝居や、当日の環境によって。俳優は、常に安全圏にいられず、不確かな状態に置かれるが、その揺れや集中力の高まりを監督は最大限に生かす。そんな中で思いもよらないアクションや感情が生まれる。そんな瞬間を、監督は誰よりも信じて待っているように感じました。どんな困難な状況でも、その確信の深さがキャスト・スタッフの道しるべになっていました。また、そんな過酷な現場をやりぬいた主演の堀部未央さん(本作が映画初主演・初主演)が上海国際映画祭のコンペティション、新人アジア部門・優秀女優賞を受賞したときは本当に誇らしい気持ちでした。清水尋也さん、板垣瑞生さん、間宮祥太朗さんをはじめとした素晴らしいキャストの皆様との化学反応と監督との信頼関係の結果だと思います。試写会での10代の感想は「理由は分からないけど、泣けた」「これまで観たことがない青春映画」という方が多く、熱狂的に応援してくださる方も増えてきました。俳優たちの野蛮な生々しさや表情の熱っぽさ、そこから紡がれるガールミーツボーイの物語を是非劇場でご覧頂ければと思います。
1996年にNHKに入局して、沖縄放送局に配属となりました。そこで4年間、地域放送番組から「おかあさんといっしょ」や「のど自慢」、ドキュメンタリー、ラジオやドラマなどを経験させてもらい、東京のドラマ部に配属になったのが2000年の夏でした。ドラマ新人として、初番組は連続テレビ小説「ちゅらさん」。はじめてのドラマ現場は右も左も分からず、ロケの送迎をすれば乗せるべき人を忘れて来てしまったり、俳優さんマネージャーさんにどう接していいかも分からず、人止め音止め一つでも要領が分からず、ヘロヘロな日々でした。楽しそうに助監督をこなす諸先輩が神のように見えて、「自分はいつまでたってもああはなれないのでは」と思ったことを覚えています。それでもあの頃を思い出すと、全体的には楽しくのほほんと過ごせたという思いがあります。それは、そのときの上司や先輩、現場の皆さんのおかげでした。びくびくしながら対外交渉の仕事をしているときに、にこにこ笑いながら「失敗したら、俺がどこにでも行って謝るから、恐れずに仕事しろ」と言ってくれた上司。現場で失敗ばかりで落ち込み気味のときに、「小林、楽しくやってるか? やったことないことが出来ないのは当たり前だからな」と、肩を叩いてくれて、楽しむことの大事さを思い出させてくれた演出担当の先輩。何でも質問してしまう自分に、辛抱強く何でも教えてくれた助監督の先輩。そしてレギュラーの出演者の皆さんは、ぺーぺーの自分にコールの仕方から、役者への説明の仕方まで、親切に指導してくれたりもしました。「ちゅらさん」の仕事は1年間ほどで終わりましたが、幸せなことに「ちゅらさん2」にもスタッフとして関わり、「ちゅらさん4」では演出も担当しました。今思い出しても、「ちゅらさん」と向き合った1年間は、とても恵まれた新人時代でした。その楽しかった、ありがたかった思いが、今でもドラマ作りををする上で、自分の大きな支えになっていると思います。
一般社団法人 映画産業団体連合会が毎年開催する「映画の日」では永年勤続功労表彰行事が行われます。表彰者の資格は原則として直接映画関連事業に関与され40年以上勤務し(1979年12月1以前より従事)現在もなお現役として活躍されている方です。自薦、他薦を問いませんので該当される方は教会へお知らせ願います。ご本人に指定の調書を作成していただき当協会より資格審査会に提出し氷床が決定されます。当協会への調書提出の締切は8月20日です。